#90


期待に胸を膨らませる楽しそうなお客さん達の中。

確かに、一人でこんな場所でコース料理は、ちょっともの悲しい。

ショーの開始数分前に、テーブルに綺麗にセッティングされたシャンパングラスをぼんやりと見つめながら、白身魚のポワレを口に頬張った。
うん。皮がパリパリで美味しいです。


うん、まあ、確かに。
こんな風にひとりで食べてる、ぼっちディナーショーは側から見れば、寂しいもんだろうけどさ。






スポットライトが、ステージを照らす。

眩しいばかりのその場所に、大好きな人が凛と立つ。



──普通だったら、いきなりの事に緊張しようものだろうに。



どこかワクワクとした顔。
やっぱり快斗君は、こういうステージでショーをするのが好きなんだろう。


そして。





わぁっ!!


歓声が鳴り響く。



最初、真田一三さんじゃないの?とざわついていたはずの観客を、あっいう間に惹きつけてしまった、そのマジック。
軽快なトークに、甘いルックス。

なにより、そう。
魔法みたいな、観てる人を楽しませるマジックの数々が。




「──うん、やっぱりすんごいっ!!」




やっぱり、快斗君はステージの上が一番輝いているんだ。



はちきれんばかりの拍手を送ると、ちらりとこちらを見た快斗君が、嬉しそうに微笑んだ気がした。


ああもう。
私の大好きな人は、こんなにも格好良い。









「──さすが。グレイさんの秘蔵っ子で…あの、黒羽盗一の息子さんだ」


夢中になって快斗くんのマジックを見ている最中。よく通る低い声が、耳元で聞こえた。

テレビで聞いたことのあるその声に、ショーの最中なんだけれど、思わず、ばっ、とそちらを振り向くと。


「彼のマジックを見てみたくて、グレイさんに頼んでみたんだけれど──こんな可愛い女の子を壁の花にしちゃったのは、どうやら私に責任がありそうだね」


短い黒髪。凛々しい眉。
雑誌やテレビで見たことのある、タキシード姿ではなく。
シャツにネクタイ、スラックス姿でこちらを見据えるこの男性は。


「──真田、一三、さん?」

「レディ、1人佇む可憐なお花に水を添えても?」


私が是と言う前に、目の前の男性は私のテーブルの空いた椅子へと、流れるような仕草で腰掛けた。


「いやぁ。これだけすっごいマジック見せられちゃうと、明日からの私のショー、ちょっとやり辛いなぁ」


拍手が鳴り止まないね。
私がここに居るってこと、君以外きっと、誰も気付いていないよ?
皆、彼に夢中だ。


そう、言葉を続けながらも。黒服を呼んで、グラスにワインを注いで貰っている。
私のグラスにまでシャンパン注がれて、ちょっと慌てる。



「君の将来有望なパートナーに、乾杯」


そんな私の様子を気にした風もなく、グラスを掲げられて。
わけもわからずシャンパングラスを手に取った。

カチン、と静かな音が拍手の合間に響く。

え、なんでこんなことになってるんだろ?


「ええっと、あの…?」

「いいなぁ。私が高校生の時に、こんな可愛い子とこんなステキな場所で旅行なんて、なかったよ?あー羨ましい」



──確かに。普通の高校生カップルで行ける場所ではないよね。
本当、グレイさん様様だ。



「どう?甘い思い出でも出来たかい?」



ウインク付きで、ワインを飲みながら、真田さんはそんなことを聞いてくるし。


なんなんだ。マジシャンは気障で揶揄いが好きな人ばっかなのか。
私はもう、色々思い出して、あわあわと顔を真っ赤にしてしまうしかない。


うう。
快斗君のマジックに集中したいのに!

動揺して注がれたシャンパングラスの黄金色の飲み物をごくごくと飲むと、しゅわっと甘くて美味しかった。
でもちょっと喉元が熱い。


──しまった。つい飲んじゃった。


私の慌てた様子に、ははっと微笑んだ真田さんの瞳が、壇上へと戻り。

真剣な表情へと、変貌する。


「──これだけの実力。ルックスも、トークも申し分ない。直ぐにでもショー大国のアメリカでトップクラスになれるだろうね。グレイさんも、なんで彼をあちらに引っ張らないのか…」


心底疑問そうな声。
やっぱり、快斗君は今直ぐにでも世界に出た方が良いレベルなんだな。
そりゃそうか。こんなにすごいんだもの。




──アメリカへ来ないかい?




クリスマスデートの日。バーの席で聞いてしまったグレイさんの言葉が耳に蘇る。

芸事は、表に出るのが早ければ早い方が良いんだったっけ。
テレビか何かでそんなことを言っていた気がする。



──今日は、笑顔でいってらっしゃいって、ステージへと送り出せたけれど。

それは。


──直ぐ、会える。

その場所だから、なんだろう。





結局、あの時だって。
背中を押せないままで。

…アメリカか。遠いなぁ。

思わず、視線を下に落とした私に、真田さんが言葉を紡ぐ。


「まあ、まだ学生だものね。──ははっ。うん。若いね。ポーカーフェイスを続ける余裕はなさそうだ」


へ、と顔を上げると。快斗君がなにやら、こちらを手で指し示していて。


パっ、とスポットライトがこちらを向いて。眩しさに思わず目を細める。

こんな、眩しい世界に、快斗くんはいるんだな。






「──さて。サボって人の女に手を出しちまってるようですが。ようやっと主役のお出ましのようです」


そこで、真田一三だと気付いた観客が、わぁっ!と歓声を上げた。


あーあ。ばらされちゃった。と、真田さんは苦笑をひとつして、立ち上がる。

その瞬間、私の持っていたグラスが一輪の薔薇へと変わり。



「──では、レディ、お手をどうぞ」

「え?」

「お詫びに彼の元まで、お送りさせて頂きますよ」

「え、え」



考える間も無く手を取られ。そのまま腰にまで手を添えられて。
壇上へとエスコートされるように進んでいく。

優雅な所作なんだけど。
手と腰をしっかり支えられて、もはや強制送還みたいな感じだ。


私と真田さんを見て、快斗君が苦虫を噛み潰したような顔をして、すぐさま私の手を取り上げた。
くるりと回るように、すぽっと快斗くんの懐に収まる。


「…わざわざどーも」


そんな様子に、真田さんが楽しそうに笑って。


「ほら。まだ壇上だよ?そんなに分かりやすい顔しちゃだめじゃないか」


ちっ、と頭上から舌打ちが聞こえた気がしたけれど。

次の瞬間には快斗君も優雅に笑って──なぜか私を抱え上げた。



「え!ちょ!?」

「──確かに。大切なものはしっかり握りしめておかないといけないようですね」



でないと、彼のようになってしまいますから。


そう、優雅な笑みで告げたと同時に、真田さんの身体が煙幕に包まれた。




「──いきなり何を…」



頭をかく真田さんが、煙幕から出てきた瞬間。


笑い声と、黄色い悲鳴が客席から溢れて。

うわあ。と私も思わず苦笑をこぼした。




煙幕から出てきた真田さんの、ズボンが消失していたのだ。


まあ、つまり。


下がトランクス姿で、壇上にかっこつけて立っているというか。

──快斗君らしい仕返しというか、なんというか。


縦縞だ。なんて思わず確認してしまったら、快斗くんに目を塞がれた。見るなということですか。でも指の隙間からちょっと見えるけど。
いや、見たいわけじゃないけどね!




「──え?…あ!ちょ!君!!」

「ファンサービスですかね?さすが真田一三さん、身体を張ってらっしゃる」

「──うーわ。こんなんじゃ、何するにしても色々かっこつかないね…」



そう苦笑しながらも、布で身体を包んだと思ったら、一瞬でタキシード姿に変貌した真田さんも、やっぱりすごい。
怒り出さない所が大人だなぁ。


そのままマジックを始めるのか、真田さんの口上が始まるのを、ぼんやりと指の隙間から眺めていると。
快斗君が歩き出した。


「──本当、人のデート邪魔すんなよな」


とかぶちぶちと文句を零しながらも、私を抱えて壇上からステージ脇へと降りていく。



そんな私たちに、「私の代わりにこの場を盛り上げてくれた彼に盛大に拍手を!」という真田さんの声と共に、惜しみない拍手が降り注ぐ。





──キラキラとした、観客の表情。


この夢を与えているのは、間違いなく、快斗君なんだ。







ステージ脇に来ると、快斗君がくんくん、と抱えていた私の匂いを嗅いできた。
え、何?なんか臭う?
思わず自分でもちょっと匂いを嗅いでみる。うーん。自分じゃわからない…。



というか。
あんな華やかなステージで、公衆の面前でお姫様だっこされてしまった…。

最近よく抱え上げられたりなんだりするので、若干それに慣れてきてしまいそうな自分が怖い。

未だにくんくんと、顔の方へと近付いてくる快斗君に、なんだかどぎまぎとしてしまう。
いくらなんでもこんな所でちゅーはダメだよ!


と、思ったら、顔が離れた。

──なんと自意識過剰な。思わず心の中で顔を覆った。
あくまで心の中だ。ちゅーされると勘違いしたのなんて、恥ずかしくてばれたくないし。

対して快斗君は、小難しい顔をしてこちらを見ていて。

ん?


「…やっぱちょっと匂う。──もしかして、酒、飲んだ?」

「へ」


あ、そういえば。
動揺して、先程シャンパンを口にしてしまってたな。
しゅわっと甘かったし、恥ずかしさもあって、勢いよく。


私の顔で、思い当たる節があることがバレたのだろう。
少しふくれっ面に変わる。


「──だからか。あんなエスコート、いつもの杏なら絶対蹴りかなんか入れてるとこだろ」


くそ、と言いながら私の腰に快斗君の手がなぞっていく。
まるでばい菌が入ってないかの触診のようだ。ちょ、多分そんなとこまで触ってませんよ!

擽ったさに身をよじる。


たとえステージ脇で人が来なくても、すぐ先がまばゆいほどの光のステージの上で。
さらに先に見えるテーブルには観客の人だらけ。
そんな場所でこんなふうに抱き上げられたままなのは、やっぱり非常に恥ずかしい。
そして、こんな風に触られるのも。



「…ね、快斗君。もうそろそろ、降ろしてほしいなー」

「──あの野郎にいつもの条件反射しなかった割には、さほど酔っては無さそうだな」

「飲んだ直ぐはちょっと熱くなったけど、わりと直ぐ冷めたよ?お酒強いのかも」


──それか、この身体だからか、かな。酔いもすぐ治す?
なんか哀ちゃんが麻酔も効きにくいって言ってたしな。



「…なら大丈夫か。もう風呂行くぞ。とっとと消毒しねぇと」

「え。快斗君、ご飯は?」

「へーき」



有無を言わさない態度で。
それだけ告げて、快斗君が私を抱えたそのまま歩き出して。


いや待って!このまま外に出るの!?
…それは!羞恥で!死ねる!!


「快斗君、あの。降り…」

「どっかの気障なマジシャンヤローと酒飲んだ危なっかしいヤツ、転ばねぇように介抱してっだけだ」


あ、これはちょっと。怒ってる。

もしけして…妬いてる?



思わず顔がにやけると、快斗君に小突かれた。



「そのにやけた面。やっぱ酔ってんな。風呂も介抱すっから覚悟しとけ」

「え!」

「文句あんの?」






にっこり。

そんな極上の笑顔で私を見遣る、その姿に。

拒否権なんてものはもちろん、私にあるはずもないですよね、はい…。