「やっぱり好きな人にはちゃんと気持ちを伝えないとね!」

そう言ったのは園子ちゃんだった。
今日は、蘭ちゃん園子ちゃん世良ちゃんの女子高生達と一緒に、最近流行りのタピオカのお店に来ているところである。味も美味しく見た目も可愛いと評判で、人気店だけあってかなり並びはしたけどタイミングよくテラス席に座ることが出来た。
空は晴天。さんさんと輝く太陽の光は通りの石畳を焼き、日本ならではの湿度と熱気を感じながら「夏だなぁ」なんて思う。
それで…そう、それぞれの彼氏のお話になったのだ。蘭ちゃんは照れながらも新一くんの話をしてくれて、園子ちゃんは得意になって京極さんの話をしてくれた。世良ちゃんはうんうんと頷きながら話を聞き、時折鋭い突っ込みをしている。
私はそんな光景を微笑ましく思いながら話を聞いていたのだけど…まぁ、考えてみたら私に話が飛んでこないわけがなかった。だって恋バナ大好きな花の女子高校生ですもの。

「やっぱりミナさんも安室さんも大人だし、愛してる…とか、あなたがいないと生きていけない…とか、透さん…もうどこにも行かないで…とか、そういう愛の言葉もばんばん言っちゃったりしてんでしょー?!」
「んぐっ」
「ちょっと園子!ミナさん大丈夫ですか?」

すぽんっ、とストローから飛び出たタピオカが喉に激突して噎せた。いかん、タピオカが変なところに入った。咳き込んでいたら心配した蘭ちゃんと世良ちゃんに背中を撫でられる。こんな情けない大人でごめん。

「何とか言ったらどうなのよ!」
「園子くん、噎せてる人にも容赦ないなぁ」

そう、園子ちゃんは容赦がない。こと、零さんの話に関しては容赦がないのである。変なところに入りかけたタピオカを飲み込み、けほけほと続いていた咳が落ち着いて顔を上げれば、彼女はじっとこちらを見つめているところであった。圧がすごい。

「…言ってないよ」
「ダウト」
「嘘じゃないよぅ…」

そう、嘘じゃない。

透さんの本名は、降谷零という。いろいろ立て込んでいた案件が終わったのだと、先日教えてくれた。表向きは安室透でいなくてはいけない場面も多いから、彼の本名を知った今も外では透さん。彼の本当の名前を呼ぶのは、家の中でだけだ。
なかなか慣れないけど、それでも透さん呼びで馴染んでいた唇で零さんと呼ぶのは、新鮮で…くすぐったくて、今まで以上に恥ずかしい。
彼は私に本名を教えてくれてから、敬語で話すことが減った。一人称は僕から俺になり、ああこれが本当の彼なんだと実感する。
気持ちはもちろん溢れんばかりというか…好きって気持ちは常にあって、日々強くなる一方だけど。私はどうしても、真っ向から気持ちを伝えるということに慣れておらず、上手く自分の気持ちを伝えられないでいる。
好きです、なんて簡単な一言で気持ちが伝わるなんて思ってない。でも、今の私に口に出来るのはそれが精一杯なのだ。
本当の彼を垣間見る今になると、尚更。

「え、本当に気持ちを伝えたりしてないの?」
「…全くないってわけじゃないけど…、…好きです、くらいしか…言えてない…かも…」
「中学生どころか小学生の恋愛してるの?ミナさん」

耳が痛い。

「まぁ、ミナさんだし。好きですの一言で安室さんには気持ちも伝わってると思うけどね」
「甘い!甘いわよ世良ちゃん!言わなくたって気持ちは伝わる…なんてドラマや映画での話よ!口で言わなきゃせっかくの気持ちだって絶対伝わり切らないんだから!」

それは、なんとなく、わかってはいるのだ。
零さんは私に言葉をくれる。頭を撫でてくれて、抱きしめてくれて、キスをくれて、愛してるってたくさんたくさん伝えてくれる。私はそれに、ちゃんと気持ちを返せているのだろうか。
…いや、足りるわけがない。そんなこと、私もちゃんとわかっているのだ。

「でも、わかります。…気持ちって、上手く伝えられませんよね。私も新一に、探偵なんだったら私の気持ちくらい推理してみろ、なんて言っちゃったこともあって」

蘭ちゃんはそう言って苦笑した。…私の気持ちくらい推理してみろ、なんてすごいセリフだな。でもとても蘭ちゃんらしいというか…真っ直ぐな言葉だ。私は、零さんにそんなはっきりとした気持ちを言うことが出来るだろうか?いや、無理だ。即座に首を振る。

「言葉で伝えるのって、すごく難しいんですよね」
「…でもミナさん、安室さんのこういうところが好き、とかそういうのはあるんだろ?」

それは、もちろん。私が小さく頷くと、世良ちゃんが指を立てて小さく笑った。

「じゃあ、こういうのはどうだ?彼の好きなところに纏わる場所に、付箋で気持ちを残すんだ」
「どういうこと?」
「例えばキッチン。安室さんのご飯美味しいですって書いた付箋を貼っておくんだ」

ひとつひとつ。零さんの好きなところを思い浮かべる。
言葉で、口で伝えるのは今の私にはとても難しくて、だけど伝えたいって気持ちは確かにあって。こんなところが好き。こういうところが素敵。溢れる気持ちを、付箋一枚一枚に託して貼り付ける。でも、そんなことしたら。

「……家の中が、付箋だらけになっちゃう……」

私が呻くように言うと、蘭ちゃんと園子ちゃん、世良ちゃんは顔を見合わせてから深い溜息を吐いた。

「その辺のさじ加減は上手くやるしかないかなぁ」
「口で言うよりはマシよ、ミナさん実行。絶対実行」
「でもこんなの変なイタズラって思われない?怒られるかも」
「彼女の可愛いイタズラじゃない!安室さんレベルの男が怒るわけないでしょ」
「安室さん、きっと喜びますよ」

…喜ぶ、か…?だって付箋に気持ちを書いたってそんなのただのゴミにしかならないというか…いや、まぁ逆に言えば捨てられるからこそ良いのかもしれないけど。
絶対に実行だからね、と園子ちゃんに念を押されて、私は呻きながらもこれは良い機会なのかもしれないとちょっと思っていた。


***


そして。
蘭ちゃんたちと別れて、帰りにコンビニに寄り、付箋を買って帰ってきたは良いものの。

「零さんが料理を作ってる姿すごくかっこいい…零さんのご飯なんでも美味しくて大好き…ただいま、おかえりって言ってくれる声が好き…並んだ歯ブラシを見ると幸せになる…」

自分が書いた文字を読み上げながら、一枚一枚付箋をその場所に貼っていく。キッチン台の上、テーブルの上、玄関のドアノブに、洗面台の歯ブラシの傍。
家の中をウロウロする私の後を、不思議そうな顔をしたハロがちょこちょことついてきてくれている。
ちなみに当然ながら零さんはまだ帰って来ていない。でもそろそろ帰ってくる頃だと思うから、なるべく急がないと。…そう思うと、焦って手元が狂うんだよなぁ。

「…何を着てても似合う、ギターを弾いてる姿がとてもかっこいい、家庭菜園をやってる姿が素敵…。…あ、…お仕事が忙しそうで心配、」

襖、ギター、それからベランダの窓。これは好きなところじゃないけど良いかなと思いながら、寝室のローテーブルにも付箋をペタリ。てんてんと貼り付けながら、自分の語彙力のなさにちょっと凹み始める。
後はなんだろうと部屋を見回して、ふとハロと目が合った。
そうだ、と思いながら付箋にペンを走らせる。

「…ハロと一緒に楽しそうに笑う顔が、大好き」

さすがにハロに貼り付けるのは無理だなと思ったから、その付箋はハロのクッションベッドへ。
零さんの笑う顔、好きだな。笑う顔だけじゃない。真剣な顔、きょとんとした顔、ちょっと怒った顔…綺麗なミルクティーの髪に、褐色の肌。美しいブルーグレーの瞳。通った鼻筋と、見た目よりも柔らかな唇。しっかりしていて大きな掌。広い背中。長い足。柔らかく私を呼ぶ、声。
彼の好きなところを思い起こしながらぽつぽつと付箋に書いていたら、がちゃんとドアが音を立ててびくりと体を震わせる。
やばい、帰ってきた。
園子ちゃんに言われて決行を決めたのは良いけど、付箋を貼った後のことまで考えてなかった。えっ、私どこにいればいい?どんな顔をして零さんの前に立てばいい?
答えは簡単。彼に合わせる顔なんぞない。恥ずかしさで死ねる。咄嗟に手に持っていた付箋とペンをポケットに突っ込んで、私はそのままベッドにダイブした。布団をまるっと頭から被ったところで、ドアが開く音と零さんの声がする。

「ただいま…、…あれ?」

ハロが駆けて行った音がする。鍵が空いているのにおかえりの声がないことを不審に思っているであろうことは容易に想像出来る。けれども今の私はと言えば布団を被ったまま身を固くしていることしか出来ない。
しゃがみこむような衣擦れの音。それから靴を脱ぐ音がして、ハロをあやすような声。とんとん、と床を歩く音がして止まる。また数歩歩いて、止まる。足音はそのまま洗面台の方に行き、また止まる。
心臓がバクバクしてる。口から出ちゃいそう。絶対実行なんて言われたけどやってしまった今となってはやっぱりやらなきゃ良かったんじゃないかなんて重い後悔がのしかかってくる。顔から火を吹きそうだ。本当に私どんな顔して零さんに会えばいいんだろう。
足音はやがて私のいる寝室に近付いてくる。寝室に入る前にしゃがみこむような音がして、それから寝室へ。畳を踏み締める音がして、止まる。窓の方に進んで、また止まる。

「……ふ、」

あっ笑われた!小さな笑い声が聞こえて私はますます身を固くする。
どうしよう。…今更、なんちゃって、って出て行けるような度胸は私にはない。いや、出ていくも何も布団被ってるだけだけど。私が寝ているわけじゃないことは、零さんには絶対お見通しだ。私には狸寝入りなんて出来ようはずもない。
足音がゆっくりと近付いてきて、そのままぎしりとベッドが軋んだ。…零さんが、空いたスペースに腰を下ろしたんだ。

「ミナさん」

声を掛けられ、それでも動くことが出来ない。小さく身を捩らせたら、そのまま布団ごとぎゅうと強く抱きしめられた。

「?!えっ、えっ?!れ、零さん…!」
「誰からの入れ知恵だ?こんな可愛いことをするなんて。…まぁ、見当はついてるけど」

慌てて布団から顔を出せば、目を細めて笑う零さんの顔がすぐ近くにあった。上がりそうになる悲鳴を飲み込んで再び布団を口元まで引き上げようとしたら、彼はそのまま布団を引っペがしてしまった。私の脆いバリケードが崩されてしまった瞬間である。
見つめ合っているのが耐えられなくて両手で顔を覆ったけど、そんな手首も零さんに柔らかく掴まれてしまう。逃げ場なんて最初からないのに、私はどこまでも往生際が悪い。

「…ほんと、勘弁してくれ」
「………ごめんなさい…ゴミ、増やしちゃって」
「は?」

付箋だからすぐに捨てられるものだしと思った、変に気持ちを押し付けるとかそういう意図は一切なく、こんなイタズラをしてごめんなさい。…と言うようなことを私は多分何とか伝えたんだと思う。私が話している間零さんはぽかんとしていたけど、聞き終わると眉を寄せて深い溜息を吐いた。

「…君のその鈍さも大概、な部分だけど。…いい、可愛いから。そんなところも可愛いんだよ、ミナさん」

ぎゅう、と抱き締められて息が詰まる。
…怒ってはいない、らしい。この感じだと、多分。
胸がドキドキして、顔は熱くて、手は小さく震えてる。好きな人に気持ちを伝えようとするだけでこれだ。我ながら情けないと思うけど、ひとまずは。

「…私、零さんに…ちゃんと気持ち、伝えられてない気がして」
「うん」
「…蘭ちゃんは上手く伝えられないのわかりますって言ってくれたけど、園子ちゃんには言わなきゃ伝わらないって怒られて…そしたら世良ちゃんがこの方法を考えてくれて…」
「うん」
「だから」
「うん、わかった」

愛してる。そう耳元で囁かれて、きゅうと胸が苦しくなる。
あぁ、本当に私はこの人が好きだ。この人の全てが、本当に心から好きなのだ。

「大好き、」

言うと、優しいキスが降ってくる。
大好きで、愛おしくて、大切で。こんな素敵な人と出会えた自分の運命に、ただただ感謝している。


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こと、と小さな音を立てながら目の前に置かれたのは、安室さんお手製の半熟ケーキが乗った三枚のお皿。ほっぺも落ちると評判の、ポアロの看板メニューだ。でも、おかしいな。ケーキの注文はしていないはずだけど。

「安室さん、私達ケーキなんて頼んでないと思うんだけど…」

そう言ったのは私の前に座ってた園子で、私の隣にいた世良ちゃんも不思議そうに安室さんを見上げている。

「あぁ、いえ。サービスというか…お礼、ですよ。僕からの」

お礼?安室さんから感謝される覚えなんて、と目を瞬かせていたら、園子がアアッと声を上げた。

「も、もしかして、安室さん…!付箋大作戦?!ミナさん実行したの?!」
「え、ミナさん本当にあれやったのか…!」

世良ちゃん、もしかして半分くらいは冗談だったのだろうか。
安室さんは私達を見て、軽く片目を瞑って見せた。今日もポアロのイケメン店員さんは絶好調だ。

「ええ。最高に可愛らしい彼女が見られましたので、そのお礼です」

ミナさん、本当にやったんだ…。園子は付箋を見せて欲しいと安室さんに食い付いていたけど、それはさすがに秘密ですとあしらわれている。
でも、そっか。…上手くいったんだ。安室さんはいつも通りの営業スマイルだけど、でも纏う雰囲気はなんというか弾んでいるというか、嬉しそうだ。
良かったね、ミナさん。自然と頬が緩むのを感じながら、私は半熟ケーキをフォークで崩し、ヨーグルトクリームと一緒に口に運んだ。