「お待たせいたしました、アイスカフェオレです」

運ばれてきたアイスカフェオレにガムシロップを注いで、ストローでくるくると掻き混ぜる。
ここ、喫茶ポアロの看板でもあるイケメン店員さんは、あたしににこりと笑いかけてカウンターの奥へと戻っていった。その後ろ姿を見つめながら、あたしはカフェオレをずずーと吸い上げる。
いつ来てもここのお店のサービスは最高だし、いつ口にしてもここのお店の味は最高だ。わかっている。でもあたしには、ここに来るのにはもうひとつ大きな理由があった。
さほど広くない店内をぐるりと見回し、思い描く人の姿がないことに小さく息を吐く。…今日もいないみたい。いや、あの人がここポアロの常連だからと言って毎日来ているわけじゃないことくらいわかっているし、それを理解した上であたしもここに通っているから何も文句なんかはないけれど。...でも、もうしばらく会っていないんだよなぁ。もしかして忙しいのかな。はあ、と溜息を吐いて、仕方なくあたしは鞄から参考書とノート、それからペンケースを取り出した。
シャーペンをカチカチと鳴らしていたら、気付けばすぐ傍ににこにこと笑うイケメン店員さんが立っていた。思わずびくりと体を竦ませる。

「な、なにさ」
「いいえ?今日も待ち人は来ず、かな。沈んだ顔をしていらっしゃったので」
「余計なお世話ですぅ!あむぴには関係ないでしょ!」

関係なら大有りなんだけどなぁ、なんてのんびり言うあむぴを無視してあたしは参考書に視線を落とした。
ぷいっと顔を背けるあたしに気を悪くした様子もなく、あむぴはくすくすと笑いながら戻っていく。…何しに来たんだあの人。冷やかしか。やめてくれマジで。むかつく。

…こんなあたしとあむぴの関係だけど、元はと言えばあたしもあむぴに会いたくてポアロに通っている客の一人だった。最近ポアロっていう喫茶店にすっごくイケメンの店員さんがいる、そんな噂を聞いた友人に誘われてポアロに足を踏み入れたのが最初だった。当初、あたしは確かにあむぴに夢中だった。メロメロだったと言ってもいい。だって噂通り、いや、噂以上に容姿端麗のお兄さんが接客してくれるなんてすごくない?芸能人顔負けの顔面偏差値である。あたしだって花のJKだもん、イケメンには弱いのである。…いや、JKじゃなくたってあむぴなら世の中の女の子が放っておくわけないけどさ。とにかく、あたしにもあむぴに夢中だった時期があった。今となっては懐かしいけど。
あむぴに夢中だったあたしが、ここポアロに通う別の理由とは?もちろん勉強するために来てるわけじゃない。これは口実でしかない。
その出来事は、数ヶ月前に遡るのである。


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「ねぇねぇあむぴ〜、ここの答え教えてよぉ」
「ダメだよ、ちゃんと自分で解かないと。問題を解くためのアドバイスならいくらでもしてあげるけどね」

ケチ。あたしが口を尖らせても、彼はにこにこと笑うばかりだ。あむぴは優しいけど変なところで厳しい。めちゃくちゃ頭いいんだから、高校生の勉強の手伝いくらいしてくれてもいいのに。そう思いながら頬を膨らませるけど、こんな小細工はあむぴには通用しないのだ。
ポアロに通い始めてわかったことがある。あむぴはいつでも笑顔で優しくてテキパキしてて完璧人間って感じだけど、なんというか誰にも心を許してない感じがするなぁって思った。誰とでも打ち解けるし、こちらが引いた一線なんかも軽々飛び越えてしまうけど、かと言ってあむぴの一線を越えさせてくれるわけじゃない。誰よりも優しい人に見えて、実は誰よりも冷たい人なのかも、なんて。まぁそういう部分もあむぴの魅力なんだろうけどさ。
あたしとあむぴの関係はお店の店員とお客。ただそれだけの関係。もっと近付きたいって思ったりするけど、そう簡単にこの人が一線を越えさせてくれるわけがないのだ。あたしに出来るのはポアロに通って、決して踏み込みすぎずに適度な距離感を保ちつつじりじりとにじり寄ることくらい。でも全然距離が詰められている感じはしない。
むぅ、と突き出した唇と鼻の間にシャーペンを挟んで肩を落とす。
こんな人だから、あむぴが誰かと恋をするなんていうのが想像つかないんだけど…でもこの人も人間だしなぁ、恋愛したりとかするんだろうか。
あたしがじぃとあむぴを見つめているのに、彼はこちらを見向きもしない。絶対あたしの視線には気付いているだろうに。性格悪い。そういうところも好きだけど。
その時、お店のドアベルがチリリンと音を立てた。来客か、なんて何とはなしに視線を上げて、私は目を瞬かせる。

「いらっしゃいませ、ミナさん」
「こんにちは、透さん」
「お仕事帰りですか?いつもより少し早いですね」
「バイトの子が締め作業してくれるって言うので、先に上がらせてもらったんです。せっかくの早上がりなので来ちゃいました」
「お疲れ様です、カウンター席にどうぞ。ご注文はいつもので?」
「えへへ、はい」
「ふふ、かしこまりました」

えぇぇえ。あたしはあんぐりと開いた口を閉じられずにいた。
何、今のやり取り。透さんって呼んでる。つかあむぴめっちゃ笑ってる。え、あんなあむぴの笑顔初めて見た。え、びっくり。何、誰?あの人。脳内は混乱してぐちゃぐちゃで上手くまとまらない。
あむぴは基本的によく笑う。まぁ当然だ、接客業だし。ずっとにこにこしてると言っても過言じゃない。でも、でもだ。あんな優しく、つか嬉しそう?に笑ってるのって見たことがない。今さっきの笑顔は営業スマイルじゃなかった。あむぴって、あんな顔するんだ。
そのことに、あたしはむっとしていた。考えてもみてほしい。あたしがポアロに通っているのは何の為だ?当然あむぴに会う為だ。あむぴの淹れてくれたカフェオレを口にしながらあむぴと会話を楽しんで、少しでも彼に接する為だ。その為にここに来ているのにろくにその成果もないあたしの目の前に、突然あの女性は現れた。そしてあたしも見たことがないような優しいあむぴの表情を正面から見ることの出来る謎の女性に、嫉妬しないわけがない。
だって、だってずるくないか?あたしはほとんど毎日ポアロに通ってるけどあの女性を見たのは初めてだ。あたしが来ていない時間帯に来ているかもしれないっていう可能性は確かにあるけど、それでも、あたしより頻度は低いはず。
なんであたしよりも、あの人と親しそうなの?おかしい。ずるい。
しかもなに、いつものって。いつもの、なんて注文をするほど常連でもないくせに。あむぴが優しいからって、何でも注文を聞いてくれるからって調子に乗っているんだ。

「あれ、もう帰るのかい?」
「帰る」
「ありがとうございました。忘れ物しないようにね」

不快感が勝って席を立つ。荷物をまとめてレジに進めば、会計をしてくれたのはあむぴではなく女性の店員の方だった。
なにさ、なにさ!あたしだってあむぴの為にここに通ってるのに。あむぴはと言えば、カウンター席の方であの女性と話をしている。こっちに見向きすらしない。

「ご馳走様でした!」

むかついてわざと大きな声で言えば、ようやく彼の視線がこちらに向く。今更こっちを向いたって遅いんだから。ぷいっと顔を背けながらポアロを出るあたしの背を、女性の店員とあむぴの「ありがとうございました」という声がそろって押した。

…とまぁ、あたしのその女性への第一印象はとにかく最悪だった。そりゃそうだろう、恋敵が現れたようなものなのだから。
お陰であたしはその日からずっとモヤモヤしっぱなし。ポアロに行ってもなんだか落ち着かないし、結局縮まることのないあむぴとの距離にやきもきしてばかり。バレンタインでもないのに渡した手作りのクッキーも、あむぴはにこにこ笑いながら受け取ってくれたけどあれは多分食べられずに捨てられたんだろう。報われない。


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あたしの住む米花町は誰でも知ってる犯罪都市。殺人強盗窃盗恐喝、わりと何でもありだ。そんな街で暮らして事件にもすっかり慣れたつもりでいたけど、現実はそう簡単なことでもなかったらしい。
いつものようにポアロに向かおうと歩道橋を上がって歩いていたあたしの目に、歩道橋の欄干から身を乗り出す男性の姿が飛び込んできた。思わず息を飲む。歩道橋の下は交通量の多い道路だ。信号もしばらく行かないとないような場所だから車のスピードもとにかく早い。そんな場所で、あのおじさんは一体何をしているのか。
横顔はすっかり窶れていて目元は窪んでしまっている。顔色は当然のように悪いし、お世辞にも健康的な人には見えない。
脳裏を過るのは嫌な予感。欄干の外に向かっておじさんの体が傾いたのを見た瞬間、あたしは荷物を放り出して駆け出していた。

「おじさん!!」

落ちかけるおじさんの腕を掴んでなんとか落下を防いだものの、ろくに運動もしていない私の腕や肩は悲鳴を上げている。
つか、重っ!ひょろっとしてるおじさんだからいけるかなとか思ったけど全然ダメだったむりむりめちゃくちゃ重い勘弁して欲しい。手には汗をかいてぬるりと滑るし、いや、ここからこのおじさん引き上げるとか無理じゃない!?

「っ…おじさん!聞いてる!?」
「は、離してくれ、俺はもうここで死ぬんだぁ!」
「ふっざけまじで勘弁して!え?自分のことしか考えてないの!?ここで手を離したらあたし全然知らないおじさんの十字架背負って生きていくことになるんですけど!あたしまだ高校生なんですけど!あたしの人生めちゃめちゃにする気なの!?」

とっととあたしの腕を掴んで自力で上がってきて欲しい。でないとあたしの腕が死ぬ。

「っ何があったか知らないけどさ!人に迷惑かけて死ぬならクソ喰らえって感じなんですけど!迷惑!迷惑迷惑迷惑迷惑ー!!」

そう叫んだと同時。ふっと少しだけ腕が楽になって目を瞬かせる。あたしが掴んだおじさんの腕に、もう二本腕が伸ばされている。未だ気を抜けない状況で視線をそっと横にずらし、あたしは大きく目を見開いた。

「っ…大丈夫!?」

そこにいたのは。ポアロで見かけた、あの女性だった。
あむぴの本当の笑顔を受け取れる、あたしが知る中でただ一人の女性。

「とにかく、この人を引き上げよう…!腕、まだいける!?」

この状況でおじさんだけじゃなくてあたしの心配までしてるのかこの人。ぐっと奥歯を噛み締めておじさんの腕を掴み直す。

「っ当然!!」

そうしてあたしとその女性でおじさんをなんとか引き上げた。引き上げたおじさんにあたしがブチ切れ散らかすのを、女性は苦笑を浮かべながら見つめていた。妻と子供に逃げられて云々って事だったらしいけど、あたしの言葉で生きる気力を取り戻しました!とか言ってたからもう大丈夫だろ、多分。人騒がせなおっさんだ。
そうして帰っていくおじさんを見送って、その場に残るのはあたしとこの女性だけということになる。話すことなんて何も無いしどうしたものかと思っていたら、彼女は歩道橋に散らばっていたあたしの荷物を全部回収してきてくれた。恥ずかしい。

「腕、大丈夫?病院行った方がいいと思うけど、もし行くなら付き添うよ」
「いらないし」

なんであんたに心配されなきゃならないんだ、とはさすがに言わなかった。女性は小さく笑うと、そっか、とだけ呟いた。
あたしも女性もその場からなんとなく動けず、歩道橋の下を車が走り抜けていく音だけが響いている。どうしろっていうの、この空気。

「あなた、」

口を開いたのは彼女の方だった。

「ポアロによくいる女の子、だよね。透さんからよくお話聞いてるの。店一番のお得意様なんだって」

くすくすと笑う彼女に視線を戻す。…何が楽しいんだよ、何が面白いんだよ。なんであむぴとあんたであたしの話をしてんだよ。あむぴの口からあたしの話が語られているって言うのは嬉しいけど、この人と話してたとか全然嬉しくない。むしろマイナス。

「私、佐山ミナ。あなたは?」
「うざいんですけど」

口をついて出たのは、そんな刺々しい一言だった。強く彼女を睨めば、彼女は息を飲んでこちらを凝視している。ああ、腹立たしい。

「つかあんたなんなの?あむぴのなんなの?透さんなんて呼んじゃってさ、あむぴの彼女気取りとかなの?むかつくんだけど」

彼女気取りなんかじゃないってことは、わかっていた。彼女気取りなんかしてる人に、何よりあむぴがあんな優しい顔をするわけが無いのだ。この人は、あむぴにちゃんと心を許されている。悔しくないわけが、ないじゃないか。
私が強く唇を噛むと、佐山ミナと名乗った彼女はふわりと微笑んだ。
…なんで、笑うんだよ。

「透さんのことが好きなんだね」

私もね、大好きなんだ。そう言いながら彼女は笑った。
とても優しいその笑みは、この人を見るあむぴの顔とどこか似ていて…なんて言うんだろう、陽だまりのようなものを思わせる温かい笑みだった。
彼女はただ笑っただけだ。でもあたしはその笑みを見た瞬間、あぁあたしなんか絶対敵わないなぁ、って思ったんだ。
笑っちゃうでしょ?争う気持ちだとかむかつくとか不愉快だとか、そういう気持ちが全部まとめてどこかに吹っ飛んでしまった。ただ、なんて綺麗に笑う人なんだろうって胸がきゅうと痛くなった。多分あたしはその時、ぽかんと口を開けてさぞかし間抜けな顔をしていたことだろう。
結局その後彼女は、「擦り傷だけでも手当しておこう。バイ菌入ったら大変だもの」なんて言って、御丁寧にコンビニで絆創膏を買ってあたしの傷の手当をしてくれたのである。


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ちりん、とポアロのドアベルが音を立てて、あたしは勢いよく顔を上げた。
入店してくる彼女を姿を目にして、あむぴが口を開く前にがたんと立ち上がる。

「ミナさん!」
「こんにちは。さすが常連さんだね」
「勉強しにきたの!ねぇねぇミナさん一緒に座ろ、ここ空いてるからさ!」
「え?でも勉強のお邪魔じゃない?」
「全然!一息入れるところなの!」

机の上をガタガタと片付けて荷物を自分の横にまとめれば、それじゃあお言葉に甘えてと言いながらミナさんがあたしの前に腰を下ろす。わぁあ、ちょっと久しぶりだ!今日ポアロに来て良かったぁ…!

「こんにちは、ミナさん」
「こんにちは透さん。いつものお願いします」
「かしこまりました」

あむぴは笑顔でミナさんに答えると、そのままあたしの耳元に顔を寄せて「良かったね」なんて囁いていく。ほっといてくれ。
今やあたしは、すっかりミナさんに惚れ込んでしまっていた。なんて言うのかな、高校生ってこう多感で複雑な時期じゃない?突っ張ってた自分が彼女の手によって絆されたっていうか、まぁそんな感じであたしはミナさんに懐きまくっているのである。ちょろい?ほっといてくれ。
今じゃポアロに通うのもミナさんに会うため。あむぴみたいにほぼ確実に会えるってわけじゃなくて、ミナさんがポアロに来るタイミングを待つしかないから、大体会えるのは十回に一度か二度くらいだと思う。会えればラッキーって感じだ。
メアドの交換はしたけど、待ち合わせなんかしないで会えた時の感動が好きだからそういった連絡はしないようにしている。

「ねぇねぇミナさん!杯戸町の駅前に出来たホットドッグ屋さん知ってる?いろんな味が楽しめてめちゃくちゃ美味いんだって!」
「へえ、そうなの?杯戸町の方にはあんまり行かないから知らなかった。そのホットドッグもう食べた?」
「まだ!ミナさんと一緒に行こうと思ったんだ、一緒に行こうよ」
「ふふ、いいよ。いつがいいかな」

ミナさんはとにかく優しい。ガキなあたしとも対等に接してくれるし、心配したり気にかけてはくれるけど決して子供扱いはしない。どこぞのあむぴとは大違いだ、あたしのこと子供扱いしてばっかりなんだから。

「本当に君は、ミナさんのことが大好きだねぇ」

ミナさんのカフェラテを運んできたあむぴに言われてじろりと睨みあげる。あむぴはミナさんの前に丁寧にカフェラテを置くと、そのまま小さく肩を竦める。

「ふん、羨ましがっても知らないんだから。あたしはこれからミナさんとデートの約束をするんですぅ」
「それはそれは。どちらまで?」
「杯戸町にある新しいホットドッグ屋さんです。美味しいって評判みたいで」
「あっミナさん言っちゃダメだよ!!」

にっこにこのあむぴがむかつく。くっそうミナさんも無意識にあむぴに情報を漏らすんだから…!
ここでは、この場所では決して二人とも口を割ったりしないけど、でもあたしはなんとなくわかっているのだ。この二人は既に付き合ってて、想像でしかないけど多分同棲もしてるんじゃないかな。
それが悔しいと思うけど、でも女同士でしか出来ない話とかしてるし、女の子同士でしか行けないような可愛いお店とかもこれからたくさん行ってやるんだから。当然あむぴは抜きで。
あたし達の不思議な三角関係は、だけどもとても心地が良いのだ。

「好きな人と好きな人が幸せなら、まあいいかって思えるしね」

あたしの呟きはミナさんとあむぴには聞こえなかったらしい。二人は穏やかな表情で話を続けていて、あたしはそんな二人を見つめながらカフェオレをストローで吸い上げる。
好き+好き、の計算式は、単純に大好きになるわけじゃない。その時々によって見た目も形も色も変わる、不思議な不思議な計算式。
それに気づけたあたし、少し大人に近付けたんじゃない?なんてね。