「米花町夏祭り?」

私が首を傾げると、園子ちゃんは私の目の前へと色鮮やかなチラシを突き付けた。
八月もお盆に差し掛かる頃、夏休みで暇をしているという蘭ちゃんと園子ちゃんに誘われて今日はアウトレットモールに遊びに来たのだが、カフェで休憩をと腰を下ろすなりその話題は始まったのである。

「そう!休憩したら、浴衣を買いに行くわよ!」

園子ちゃんの手からチラシを受け取って視線を落とす。夜空に広がる花火の写真を使ったチラシは、そういえばここ最近米花町内でも同じポスターをよく見かける気がする。
米花町夏祭り。堤無津川の辺りで行われる夏祭りらしく、花火も上がるそこそこ大きな催しらしい。川の土手にはたくさんの屋台が並び、皆浴衣を着て年に一度の夏祭りを楽しむそうだ。そういえば夏祭りなんてここ数年行ってないな。そういう催し物とは無縁だった、と言っても良いかもしれない。それこそ小学生くらいの頃までは、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に盆踊り大会や花火大会みたいなお祭りにも行ったものだけど、大人になってからは疎遠だったしなぁ。

「ミナさんもおめかしして安室さんと!」
「え、えぇ?」
「ミナさん浴衣持ってます?」
「いや、持ってないけど…」
「じゃあ善は急げよ!可愛い浴衣買って、安室さんをびっくりさせなきゃ!」

大して飲んでもいない飲み物をそのままにして、私の手を引いて立ち上がった園子ちゃんと、笑いながらついてくる蘭ちゃんと共にカフェを出る。おしゃれなお店だったけど、なんというか見かけ騙しというか…飲み物の味は正直あまり良くなかった。ポアロのカフェラテが飲みたくなる。やっぱりポアロの味は一流なんだなぁ。

「ちょ、ちょっと園子ちゃん…!」
「さぁ、ミナさんに似合う浴衣を選ぶわよ!」
「ミナさん、どんな浴衣が似合うかなあ。あ、確か赤はNGなんですよね」

蘭ちゃんは、いつだったか透さんのネクタイを買いに行った時のことを覚えていたらしい。ネクタイを選ぶ時に、彼が赤が嫌いだということを話したんだったな。お店に入ってきゃっきゃと声を上げながらいろんな浴衣を見始める園子ちゃんと蘭ちゃんを見ながら、私はどこか置いていかれている感じが否めない。
だって、ねぇ。突然そんな夏祭りだとか浴衣だとか言われても、そもそも忙しい透さんが夏祭りに行けるかどうかなんてわからないし。私もふらりと行ってみるのは良いかもとは思うけど、正直あまり乗り気ではなかった。
花火もお祭りも嫌いじゃない。みんなが楽しんでいて、花火や屋台に目をキラキラさせているのは見ていても楽しいし、お祭り独特のあの盛り上がりや匂いは人を元気にするような気がする。ただ、どうしても…透さんと一緒に夏祭りに行くなんてちょっと現実味がないというか。浴衣を買ったところで、無駄になったら嫌だなぁ、というか。

「ミナさん、最近安室さんとデートした?」
「でっ、…デートらしいデートは、してない…けど」
「じゃあいい機会じゃないですか!ミナさんが行きたいって言ったら安室さんも来てくれますよ!」

そんな簡単なものなのだろうか。

「…でも私、浴衣の着方なんてわからないし…」
「大丈夫大丈夫なんとかなるって!あっ、これなんてどう?」
「あ、いいかも!ミナさん似合いそう」

蘭ちゃんが手に取っていたのは、落ち着いた大人っぽい紫陽花柄の浴衣だった。涼やかで品があって、さすが蘭ちゃんはセンスが良い。浴衣や下駄を見ていると、確かにほんの少し、お祭りを羨むような気持ちが湧き上がってくる。
そりゃ、私だって透さんと一緒にお祭りに行けたらいいなと思うけど…でも、夏祭りとかすごい人だろうし。透さん毎日忙しいし、そんな人混み疲れたりしないかな。一緒に夏祭りに、行ってくれるだろうか。

「ほらミナさん!どれがいい!?」

振り返る園子ちゃんに歩み寄りながら、まずは帰って透さんを誘ってみようと決めたのだった。私も結局とてもちょろいのである。


***


「帯、きつくないですか?」
「あ、だ、大丈夫です…!」

私は今、透さんに浴衣を着付けてもらっている。透さんの手が私の腰に触れたり、帯を締めるために体に腕が回されたりして私はただただ落ち着かないというか恥ずかしくてかちかちに体を硬直させているとそういうわけなのである。
というか。着付けまで出来ちゃうって透さん本当に何者なのだろう…!私に浴衣を着付けてくれる透さんの手順には迷いがないし、帯は苦しくないけどしっかり緩まないように締められているのがわかる。そんな彼も、今日はいつもと違って浴衣を着ている。蒸栗色…とでも言うのだろうか。彼の髪の色にも似た淡くて少しくすんだ色。それが透さんにものすごく似合っている。普段目にすることのない好きな人の浴衣姿ってすごい。透さん、ものすごくかっこいい。

蘭ちゃんと園子ちゃんとお出かけしたあの日帰ってから、夏祭りのチラシを見せながら透さんにお伺いを立てたところ、彼はあっさりと「夏祭り?いいですね」なんてお返事をくれたのである。夏祭りの日は偶然完全オフの日らしくて、むしろそんな日に付き合ってもらっちゃっていいのかと不安になったものの、透さんは気にした様子もなく快くOKしてくれた。

「…透さん、浴衣持ってたんですね…」
「ええ。箪笥の肥やしになっていたので、着たのは随分と久しぶりですが」

はい、これでいいですよ、と言う透さんが私の背中を軽く叩いた。
すごい。軽く動いてみたけど綺麗に着付けてくれている。なんだか楽しくなってその場でくるくると回れば、遊んでいると思ったのかハロが足元にじゃれついてきた。遊んでるわけじゃないんだけどな。浮かれてはいるかもしれないけど。

「ミナさん、ちょっとこっちに」
「はい?」

軽く手招きされてちょこちょこと透さんの方に歩み寄れば、後ろを向くように促される。彼に背中を向けるように立っていれば、髪を一房取られる。

「透さん?」
「そのままでいて」

振り返れないからわからないが、透さんは何やら私の髪を編み込んでいるようだった。そうして、何かが髪に刺さる感触がして目を瞬かせる。そっと自分の頭に手を伸ばしてみると髪に刺さったなにかに触れる。…簪?

「気に入って貰えたらいいんですけど」

そう言いながら透さんが差し出してくれた大きめの鏡を受け取ってそこを覗き込めば、編み込まれた私の髪にキラリと光る簪が刺さっていた。先端の部分には紫陽花の花があしらわれていて、そこから垂れ下がるように花びらのビーズが続いている。ぱっと目を引くようなデザインなのに、決して派手というわけではなく浴衣の柄ともぴったりの簪だ。

「こ、これ…」
「ミナさんの浴衣の柄が紫陽花だったので。似合うかなと思ったんですけど、僕の目も捨てたもんじゃないですね」

よく似合ってる。耳元で囁かれて、鏡の中で視線が絡む。鏡に映った私の顔は、可哀想なくらいに真っ赤に染まっていた。
恥ずかしい。でも、それ以上に…とっても嬉しい。だって、透さんがわざわざ私の浴衣に似合うだろうと思って選んでくれたのだ。嬉しくないわけがない。気に入らないわけがない。

「あ、あのっありがとうございます…!とっても綺麗、すごく嬉しいです」

鏡を下ろして今度こそ透さんの方を振り返りながら言えば、彼は優しく笑って私のこめかみへと優しいキスを落とす。胸がとくんと高鳴って、思わずほうと熱のこもった吐息を零せば、耳元で彼が小さく笑う声がした。


***


堤無津川の土手はたくさんの人で賑わっていた。花火までの時間はまだしばらくあるけど、場所取りで川辺りはすっかり人で埋まっている。いいポジションで花火を見るのは難しそうかな。…でもまぁ、透さんと一緒に夏祭りに来れたっていうことが嬉しいから、今が幸せだから良いんだけど。
並ぶ屋台の食べ物はどれもこれも魅力的だし目移りしてしまう。人の流れに乗るように透さんと一緒にゆっくりと歩きながら、私は屋台に視線を向けていた。焼きそばやお好み焼き、たこ焼きから始まり、りんご飴、綿飴、チョコバナナにかき氷と甘いものが続く。今日は屋台でご飯を食べようと言って出てきたから、空腹を訴えるお腹がぐぅと鳴った。

「何か食べたいもの、ありました?」
「えっと…わっ、」

どれを食べようかと思わず少し立ち止まれば、後ろから歩いてきた人にどんと押されてしまった。つまづいてよろめく私の体を、透さんがしっかりと支えてくれる。

「す、すみません」
「いいえ。暗くなってきて足元も見えづらいので、気を付けてくださいね」

優しく笑った透さんに手を繋がれて、はく、と空気を飲んだ。ぎゅうと握られる手に、顔に熱が上がる。

「さ、何か食べましょう。なにがいいかなぁ」

繋いだ手を引かれて、再びゆっくりと歩き出す。
…嬉しくない、わけがない。繋いだ手の温もりに胸がきゅうと痛くなる。おずおずと握り返せば、応えるように透さんの手の力が強くなった。
久々のデートだもん。浮かれたっていいよね。こ、恋人同士のデートだもん。それらしく、少しくらい、甘えてみてもいいのだろうか。


私と透さんは屋台でばくだん焼きを買って、ひとまず花火の場所取りに行くことにした。川辺りは既に人でいっぱい。それでもなんとか土手に降りる階段の辺りにスペースを見つけ、私達はそこに腰かけてばくだん焼きを食べた。…どうしても前歯や唇に付いちゃう不安があったから、青のりは抜いてもらった。笑った時に前歯に青のりが付いてるなんてことになったら目も当てられない。恐怖すら覚える。

「夏祭りに来るのなんて、すごく久しぶりです」

私より少し先にばくだん焼きを食べ終わった透さんが、ぽつりと呟いた。日々を忙しく過ごしている彼だから、お祭りなんかにも行く機会なんかないんだろうな。

「お忙しいのに、来て貰っちゃってすみません…」
「どうして?僕も行きたかったんですよ、夏祭り。これぞ日本の夏、って感じがしませんか?」

そう言って笑う透さんは本当に嬉しそうで、胸が温かくなる。少しだけ申し訳ないなと思っていたけど、透さんも今日この時間を楽しんでくれているなら良い。
ゆっくりと食べていたばくだん焼きを食べ終わったところで、手元のゴミを透さんに浚われた。立ち上がった透さんが小さく笑う。

「まだお腹に余裕あります?かき氷食べませんか」
「あっ、食べたいです!」
「すぐそこにあるので、ゴミを捨てるついでに買ってきますね。何味がいいですか?」

思わず定番のイチゴ、と答えそうになって、慌ててメロンと言い換える。…なんとなく赤は避けた方が良い気がして。
少しして、透さんはメロンのかき氷一つを手に戻ってきた。かき氷は一つだけど、食べる用のストローは二本刺さってる。一つ全部は食べ切れないかもと思っていたんだけど、私のお腹の具合は透さんにはしっかりお見通しみたいだ。

「お待たせしました。どうぞ」
「ありがとうございます」

ストローのスプーンを手に取って、それでかき氷を口に運ぶ。メロンシロップの甘みと、屋台のかき氷独特の荒削りの氷が舌の上で溶ける。かき氷なんて何年ぶりだろう。美味しいな。

「ふふ、美味しいです。かき氷久しぶりに食べました」
「良かった。…僕も、かき氷なんて子供の時以来ですね」

しゃく、しゃく、と透さんと一緒にかき氷を食べ進める音がする。
夏の暑さに火照った体には丁度いい。
透さんも昔、誰かお友達と一緒にこうして夏祭りに来ることがあったのかな。かき氷を一緒に食べて、夜空を見上げて声を上げたのだろうか。想像して、なんだか思わず笑みが浮かんだ。

かき氷を食べている間に、花火が上がる時間になったらしい。川の向こう側から、ひゅうう、と打ち上がる音がして、瞬間夜空に大輪の花が咲いた。
黄色に緑、青に赤。色とりどりの花火が打ち上がるのを見つめながら、ついかき氷を食べる手を止める。

「たーまやー!」

花火の音が体に響く。どん、どん、と振動が体に伝わって、それを心地よく思う。花火の音に混じって、観客の歓声が聞こえる。
鼻をくすぐる屋台の食べ物の匂いと、人の声。それから空に広がる花火の光と、音。

「綺麗ですね…」
「ええ。とても」

あぁ、夏だなぁ。透さんの言う通り、これぞ日本の夏って感じだな。
浴衣を買って良かった。誘ってくれた蘭ちゃんと園子ちゃんには感謝しかない。彼女達も、この人混みのどこかで花火を見上げているのだろうか。透さんと一緒にこの夏祭りに来られて良かった。

「ミナさん」

透さんに声をかけられて視線を向ける。瞬間、唇を何かで塞がれた。考えるまでもない。透さんからの優しいキスに息が詰まって、私はそのままゆるりと目を閉じる。

「…ん、…」

かき氷で冷やされた互いの舌が絡まって、まるで溶けるように熱を帯びていく。メロンシロップ味の甘いキスにいつしか夢中になって、体に響くほどの花火の音さえどこか遠くに感じてしまう。
今なら、きっと誰も見ていない。ここは少し見にくいところにある階段だし、それ以前にみんな花火の方しか見ていない。
目を閉じたまま彼の方に少しだけ手を伸ばす。ぎゅうとその手を握りしめられて、胸がとくんと高鳴った。

「ん、ぁ」
「…は……、」

あぁ、幸せだなぁ。あぁ、好きだなぁ。もっとと強請りそうになる気持ちを押さえつけて、互いにゆっくりと顔を離す。目を開けると、急激に音や光が現実味を帯びて私達を包む。花火の光に照らされる透さんの瞳は、じっと私を見つめていた。吸い込まれそう、

「ベタですけど、」

透さんが呟いて、こつんと額を合わせる。彼の吐息を感じる距離で、思わず息を詰めた。

「…花火よりもつい、あなたを見てしまいますね。その浴衣、すごく似合ってます。…可愛い」

恥ずかしさに耐えられなかった。
顔を見ていられなくなって、彼の肩口に顔を埋めれば小さく笑った透さんが私の頭を撫でてくれる。嬉しい。…嬉しい。

「…透さんも、すごくかっこいいです。…浴衣」
「浴衣だけ?」
「…浴衣着てる透さんも、すごくかっこいいです…」

肩を抱き寄せられて、顔を夜空へと向ける。
鼻をくすぐる屋台の食べ物の匂いと、人の声。それから空に広がる花火の光と、音。これぞ日本の夏。
透さんと夜空の花火を見上げながら、また来年も夏祭りに来られたら良いなと思った。