ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴って、はっと目を開けた。急に視界が明るくなったような心地になりながら目を瞬かせる。いつもの透さんの家。私は透さんと一緒に、ダイニングキッチンにあるテーブルのところで向かい合って座っていた。テーブルの上には何も無い。料理もなければ、食器類もない。ガス代の上にも何も無いし、シンクの蛇口から落ちた水滴がぴちょんと音を立てた。
ええと。

「えっと、」

何を、していたんだっけ。何をしていたのかまるで思い出せない。どうして自分がここでこうして座っているのか、今日は何月何日で何曜日なのか、時間の感覚さえ曖昧で首を傾げる。
状況が上手く理解出来ずにぽかんとしていたが、目の前に座る透さんも私と同じような表情をしているのでなんだかおかしくて笑ってしまった。あまり見ることの無い珍しい表情だ。私が笑ったのを見て、透さんもぱちぱちと目を瞬かせた後に小さく苦笑する。

ピンポーン。
再度チャイムが鳴った。それに再びはっとして、今度は透さんと一緒に玄関のドアへと視線を向ける。私の知る限り、この家のチャイムが鳴ったことは無い。聞き慣れない音に何となくどきどきしていたら、透さんが立ち上がってドアの方へと向かう。彼はドアの覗き穴から外を見つめ、それから驚いたように小さな声を上げる。
えっ。そう呟いた彼は、そのまま慌てたように玄関ドアの鍵とチェーンロックを外してドアを押し開けた。

「お前、一発目のチャイムで出ろよ」
「松田?」
「おっ、ハロちゃんこんちわー」
「萩?!あっこらハロっ」
「酒とつまみは買ってきたぞ。冷蔵庫借りれるか?」
「伊達、そ、れは別に構わないが…」
「ゼロ、もしかして寝起きか?」
「寝起きじゃないっ!」

戸惑う透さんをよそに、彼らはやいのやいのと話を続けながら部屋の中へと入ってくる。驚いた私は椅子に座ったまま動けなかったけど、ハロが安心しきってじゃれ着いているので悪い人達ではないんだろう…透さんの友人みたいだし。
部屋に上がった四人の男性は、椅子に座ったままの私を見て「おっ」と声を上げた。

「やっほーミナちゃん!元気?」
「間抜けな顔してんなよ」
「ミナちゃん、これ冷蔵庫に入れるの手伝ってくれ」
「騒がしくてごめんね」

彼らが口々に言う。一瞬よくわからなくて戸惑っていたけど、彼らを改めてじっと見つめてあれ、と思いながらぱちりと目を瞬かせた。

「萩さん、松田さん、伊達さん、ヒロさん?」
「なんだぁ、幽霊でも見たような顔して」

松田さんがぐりぐりと私の額を指で押す。あいたた、と声に出しながら額を押さえたら、彼らはそんな私を見て楽しそうに笑った。
そうだ。今日は彼らがここに遊びに来る日だった。今日は皆完全なるオフのようで、全員ラフな私服を着ている。なんだか見慣れないなと思いながら立ち上がって、伊達さんが抱える重たそうなビニール袋に手を伸ばした。

「ごめんなさい、手伝います」
「おお、助かるよ」

伊達さんが買ってきてくれたのは缶のビールにハイボールがたくさん、それから裂きイカやチータラ、ビーフジャーキー、ピスタチオなんかのおつまみ類。お酒はかなりの量があるから消費しきれるかな、なんてちょっと不安になるけど、私や透さん含めて六人で食べて飲むならむしろちょっと足りないくらいなのかもしれない。

「…今日来るなんて言ってたか…?」

早速くつろぎ始める萩さんと松田さんを見た透さんは、難しい顔をしながら唸るように呟いた。玄関に佇んだまま眉を寄せている透さんを見ながら松田さんは椅子に腰を下ろし、萩さんはしゃがみ込んでハロと戯れている。

「ふる、…あーっと、今は安室だったか。安室、お前記憶力低下したんじゃねぇのか?」
「なんだと?」
「はいはい二人ともどうどう」

松田さんの言葉に透さんの声のトーンが少し下がったけど、ヒロさんが間に入って宥めている。さすが手慣れているというか、二人の喧嘩を止めるのもお手の物って感じだ。
ヒロさんにストップをかけられて毒気が抜けたらしい透さんは、しばしじっと松田さんを睨んでいたけどやがてやれやれと溜息を零す。それからこちらに視線を向けると、そのまま歩み寄ってきた。

「ビールにハイボール、それからつまみ類か。…酒はともかく、これじゃつまみは足りないだろ」
「もちろん足りないことくらいはわかってたさ。お前が腕を振るってくれるんだろ?」
「それが狙いか?伊達」

透さんと伊達さんは顔を見合わせてにやりと笑う。気の置けない友人である二人の様子を微笑ましく思っていたら、透さんは軽く肩を竦めると私に視線を移した。柔らかい笑顔はいつも私に向けられるものに似ているけど、どこか少し違う。それが友人達を前にしたリラックスした表情であることに気が付いて、なんだか嬉しくなった。

「…というわけだから今からつまみを作ろうと思います。ミナさん、手伝ってくれますか?」
「もちろんです!なんでもお手伝いします!」
「よし。それじゃやりますか」

腕まくりをする透さんを見て、彼がとてもやる気なのはわかった。なんだかんだ透さんも嬉しいに違いない。伊達さん、萩さん、松田さん、ヒロさんの四人と透さんが仲良しなのは見ている私にだってわかるし、彼らに会えたことを純粋に喜んでいると思う。もちろん私だって、彼らに会えたのが嬉しい。
これはばっちりしっかり透さんのお手伝いをして、美味しく楽しい宅飲み会にしないと。私も透さんと同じように腕まくりをしたら気合が入った気がする。
松田さんに「失敗するなよ、ミナ」なんて言われたけど無視だ、無視。透さんが隣にいて、失敗することなどないのである。


***


「スキップ」
「スキップ」
「スキップ」
「リバース」
「ドローツー」
「ドローツー」
「ドローツー」
「…萩さんごめんなさい…ドローフォー。黄色で」
「なぁお前ら俺に恨みでもあんの?!」

萩さんが叫び声を上げる。彼の手元に十枚のカードが吸い込まれていくのを見つめながらちょっぴり申し訳ないと思ったけど、今回は運がなかったと思ってもらうしかない。がっくりと肩を落とす萩さんの隣で、透さんが私の指定した黄色のカードを出しながら「ウノ」と口にする。大量のカードを手にした萩さんとリーチをかけている透さんの差が圧倒的すぎる。

透さんとピンチョスやカナッペを作って皆で軽くそれをつまんだ後、私達は寝室にしている和室でカードゲームに勤しんでいた。いい具合にお酒も入って皆ほろ酔い気分。テンションも上がる。
カードゲームをしようと言い出したのは萩さんだった。本当は人生ゲームとか楽しいと思うんだけど、あれデカくて持ち運びには不便でさー。テレビゲームって思っても安室の家にはテレビないし。そんなわけでトランプとウノと両方持ってきたけど、俺はどっちかっていうと盛り上がるのはウノだと思うんだよな。ミナちゃんはどっちがいい?そんなふうに言われてウノを選択したわけだけど、言い出しっぺの萩さんが惨敗まっしぐらである。

「はぁ?安室お前いつの間に手札一枚になってたんだよ」
「ウノって言ったんだから今に決まってるだろ。今」
「そういう話をしてるんじゃねぇよ。クッソ安室の一抜けだけは避けてぇ」

松田さんが苦虫を噛み潰したような顔をしながらカードの色を変えたので、自分の手札を見る。うーん、赤かぁ…このまま赤で回ってきたらカードが出せないなぁ。

「ぜってぇ色変えんなよ」
「無茶苦茶言うなよ」
「はいはい、赤ね」

伊達さんとヒロさんが苦笑する。それでもちゃんと赤を出してくる辺り優しいのか…それとも狙っているのか。残念ながら伊達さん、ヒロさんの出したカードは赤のまま。数字も自分の手札とは重ならないし、ドローフォーやワイルドカードのような色を変えられる特殊カードも持っていない。小さく口を尖らせながらカードを一枚抜く。

「ふっ、カードマイスターの俺に死角は無い」
「そりゃそんだけ枚数持ってて出せねぇことはねぇだろうよ」

萩さんに松田さんの鋭いツッコミが飛ぶが、萩さんは気にした様子もなく赤い1のカードを出した。
瞬間、透さんの眉がぎゅっと寄る。あ、これは。

「…なんで赤にするんだよ」

呻くような透さんの問いに、彼らは肩を揺らして笑う。

「だってお前、赤嫌いだろうが」
「赤嫌いな安室が、上がり札に赤を残しておくとは考えにくいしな」
「俺の推理じゃ、黄色のゼロが上がり札と見たね」
「あはは、ゼロだけに?」

悔しそうに歯噛みした透さんがカードの山から一枚引く。こんな悔しそうな顔をした透さんなんて初めて見たかもしれない。私はいつも透さんの考えの先に行くことは出来ないし、私の知る透さんはいつも余裕があるかっこいい人。でも気の知れた友人の前だと、こんな感情を顕にした表情もするんだな。なんだかちょっと可愛い。
どうやら彼らの推理は間違っていないようだ。透さんは最後の一枚に赤を残さない。
思わずくすくすと笑えば、透さんはむっとした顔のまま私を見た。

「…笑ったな?」
「あっごめんなさい。…ふふ、」

砕けた口調も普段は聞けないもの。なんだか嬉しくなって胸の辺りがくすぐったくなった。
松田さんが再度赤のカードを出しながら手元の缶ビールを口元に運ぶ。だが空だったようで、そのまま空き缶を握り潰した。それを見て立ち上がる。

「松田さんもう一本飲みます?」
「おう。悪ぃな」
「全然。ビールでいいですか?」
「ああ」
「あ、ミナちゃーん!俺にもハイボールよろしく!」
「ふふ、了解です」
「おい、お前らミナさんにやらせてないで自分で動けよ!」

透さんが怒鳴っても彼らにはなんのダメージもないらしい。そもそも私はやらされてるわけじゃないからなにも気にしてないんだけど、透さんは優しいな。
あの調子だと一本や二本じゃすぐ無くなりそうだし、少し多めに持っていこうかと思いながら和室を出て冷蔵庫を開ける。飲み切れるかな、なんて思っていたお酒も残り少なくなっていた。伊達さんがお酒と一緒に買ってきてくれたおつまみももう食べてしまったし、もしかしたら買い足しに行った方がいいかもしれない。冷蔵庫を一度閉めて立ち上がる。

「ミナさん」

声をかけられて振り返る。後ろに立っていたのはヒロさんだった。ヒロさん越しに和室の方を見れば、何やら透さんと松田さんが言い合っていて、それを見た萩さんと伊達さんが楽しそうに笑っている。

「ごめんね、騒がしくしちゃって」
「いいえ、全然。すごく楽しいです」
「そっか、それなら良かった。ミナさんにはさ、本当に感謝してるんだ」

ヒロさんは柔らかく笑いながら寝室の方に視線を向ける。その横顔は優しくて、でも何故だか少し遠くを見つめているようにも見えた。
感謝、だなんて。感謝されるようなことをした覚えはない。何のことを言っているんだろうと首を傾げると、ヒロさんは私に視線を戻して軽く肩を竦めた。

「私、感謝されるようなことなんて何も」
「ゼロを頼んだ、って言っただろ?」

その言葉に、ぱちりと目を瞬かせる。

「ゼロは、強い奴だよ。悲しみも苦しさも乗り越えて突き進んでいく強さを持ってる。そんなあいつに、俺もたくさん救われてきたんだ」

だから、とヒロさんは呟く。

「そんなあいつの傷になりたくはなかった。…あいつを一人、残しちゃったからさ」
「ヒロさん」
「ありがとう。…ありがとう、ミナさん。君がいてくれてよかった」

ヒロさんの手が伸びて、私の頭をぽんと撫でる。温かくて大きな手。透さんと同じ優しさや強さを持った人。柔らかく笑う彼の瞳を見つめ返しながら、何でか私は胸がきゅうと痛むのを感じていた。胸の前で両手を握りしめて、ヒロさんから視線を逸らさずに唇を噛む。

「おーい諸伏、ミナちゃーん!ウノ再開するぞー」
「敵前逃亡でも俺は構わねぇがな」
「陣平ちゃん、安室を一抜けさせたくないなら味方は多い方がいいぜ?」
「…絶対に一抜けしてやる」

私達を呼ぶ彼らの声がする。ヒロさんはそんな彼らに「はいはい」なんて答えながら、冷蔵庫の中に残っていたお酒を全部取り出して抱えた。

「あっ、あの、お酒足りないんじゃないかと思って…買ってこようかと思うんですけど」
「ううん、これで充分だよ。これ飲んだら俺達も行くからさ」
「え、」

ヒロさんと一緒に和室へと戻る。
松田さんは挑戦的な笑みを浮かべながら透さんを見ていて、透さんもまた松田さんを強く睨み返している。萩さんの手元にはカードが溢れていたけど勝負はまだこれからって顔をしているし、伊達さんはそんな三人を見ながら頬杖をついて笑っていた。ベッドにはハロが丸まって眠っていて、私はヒロさんと一緒に自分達のスペースへと戻る。
ローテーブルに広がる色とりどりのカード。その中に黄色いゼロのカードを見つけて、ふと目を細めた。

窓の外は快晴。暑い真夏の日差しが降り注いでいる。
…あぁ、そうか。
すとんと理解して目を閉じる。

だから彼らは、会いに来てくれたのか。


***


「…、」

ふっと目が覚めた。ゆるゆると瞬きをして顔を上げれば、私と同じようにゆるりと瞬きをした透さんと目が合う。

「…おはようございます」
「おはよう、ございます」

お互いに挨拶をして、なんだかおかしくなって二人でくすくすと笑う。胸が温かくなって透さんに体を寄せれば、彼はそんな私を優しく抱きしめてくれた。

「ねぇ、ミナさん。なんだかすごく、いい夢を見たんです」
「ふふ、おそろいですね。…私も、すごくいい夢を見たんです」

どんな夢だったかは、覚えていないけど。だけどすごく幸せで、騒がしいけど楽しくて、ずっとこんな時間が続いたらいいな、なんて思ったような気がする。
窓の外は、夢で見たような快晴の空。太陽の日差しが降り注いでいる。今日も暑くなりそうだ。
八月のど真ん中。お盆も過ぎる日のことだった。