「飲み会、ですか」
「そう。明日午後九時から。すまないんだが、空けておいてもらえるか?」

ある日お仕事から帰ってきた零さんは、スーツのジャケットを脱ぎながらそう言った。シワにならないようにそれを受け取ってハンガーにかけながら、零さんから飲み会に誘われるなんて今までにないなと考える。しかも軽く聞いた感じだと部署は違えど零さんと同じ職場の人達…つまり、警察官の皆様との飲み会ということになる。

「俺以外に四人。全員男だし騒がしい奴らだけど、皆悪い奴じゃないから安心していいよ」
「でも、皆さんお巡りさん…ですよね?緊張します」
「君の目の前にいるのもお巡りさんなんだけど」

それはもちろん承知しておりますとも。不安なのが顔に現れていたのか、零さんは私を見て苦笑を浮かべる。
だって、そもそも、私が行く必要がある…のだろうか。職場での飲み会なら私はどう考えても不要だろうし。零さんはただでさえ特殊なところに所属しているのもあって、仕事の内容は私もほとんど聞かされることはない。まぁ、それはそうだよね。お付き合いしていた時はずっと偽名を使っていたくらいだし。その辺は当然私も理解しているしそれに関して気にすることも特にないので構わないのだけど、突然の飲み会と言われてしまうと身構えてしまうのは仕方がないと思う。

「そんな心配しなくても大丈夫。警察学校時代の同期なんだ。皆俺と同い年だよ」
「あ、全員零さんと昔からお付き合いのある方々なんですね。…そう聞くと安心というか、少し緊張は解けますけど…」
「そのうちの一人とは小学生の頃からの幼馴染」

えっ、それはちょっと会ってみたいかも。その人になら、小学生の頃の零さんのお話が聞けるってことだし。好きな人の知らない話を聞けるかもしれないチャンスというのはやっぱり貴重だ。でもそこまで話を聞いても、どうしてその場に私が呼ばれるのかはわからない。同窓会…みたいなもの、なんじゃないのかな。
そんな私の疑問を見透かしたかのように、零さんはネクタイを外すと肩を竦めた。

「いい加減、彼女を紹介しろってうるさいんだ」
「か、」

彼女。突然投げ込まれた爆弾に私の顔が一気に熱くなる。
彼女。そう、彼女だ。確かに私は零さんの彼女に違いないのだけど、改まって言われると忘れかけていた現実を思い出してどうしても恥ずかしくなってしまう。零さんにジャケットをかけたハンガーを手渡すと、そのまま頬を押さえて口を噤む。ハロが足元にやってきて、突然黙り込んでしまった私を不思議そうに見上げてきた。余計に恥ずかしくなるからあまり見ないで欲しい。

「まぁ、そんなわけだから改まった飲み会じゃないことだけは確かだな。大きな案件も無事に片付いて少し忙しさも落ち着いてきたところだし、丁度良いタイミングなんだよ。皆君に会いたがってる」
「あの、その、…恥ずかしいです」

どんな顔をして零さんのお友達に会えば良いのか。なんと言っても零さんは高スペック人間だ。私みたいなちんちくりんが現れて、お友達の皆さんに幻滅されたらどうしよう。あんな女やめとけよ、なんて言われちゃったりして。悪い想像はし始めたらキリがない。赤くなったり青くなったりしながらぐるぐると考えていたら、ぎゅう、と零さんに抱きしめられて変な声が出た。

「君の悪い癖はなかなか直らないな。また変なことを考えていただろう」
「…でもだって、あの、…こんなのが零さんの彼女だって幻滅されたらどうしようとか」
「ない。そんなこと絶対に有り得ないし、絶対に言わせないよ。俺の自慢の彼女だぞ」

自慢の彼女、なんて最上の褒め言葉だ。私のもやもやとした不安をバッサリと切り捨てた零さんは、それでも不安なら、と呟きながら少しだけ体を離す。おずおずと視線を上げると、優しく私を見つめるブルーグレーの瞳と目が合った。

「なあ、君にとって俺はどんな存在だ?」
「そ、そんなの。…自慢の彼氏さんに決まってるじゃないですか」
「それじゃ、その自慢の彼氏の言うことを信じろ」

額と額が触れて、静かな声で囁かれる。
今までも、私は自分のことは上手く信じられなくても零さんのことは信じることが出来た。零さんのことなら信じられる。彼の言葉を疑うことなんて、この先もずっと、きっとない。

「…はい、」

小さく頷くと、触れるだけの優しいキスが降ってきた。
ああ、私って本当に零さんにベタ惚れなんだなぁ。


***


翌日の午後八時五十分。私と零さんは、霞ヶ関から程近い虎ノ門駅で待ち合わせをした。グレーのスーツに身を包んだ零さんは私が駅に着くよりも前に改札のところに立っていて、それが見えて慌てて改札を抜けようとしたら残高不足で改札に引っかかった。改札に間抜けに引っかかるところもばっちりと見られてしまい恥ずかしさでどうにかなりそうだったが、零さんはなんだか楽しそうに笑っていたからまぁいいか、なんて思う。
お仕事お疲れ様でした、君こそお疲れ様、そんな会話をしながら零さん以外の四人が待つという居酒屋に向かう。どんなところに連れていかれるのかと少し緊張していたけど、連れてこられたのはカジュアルな個室居酒屋。暖簾をくぐれば、いらっしゃいませぇ!と威勢の良い声が飛ぶ。

「ゼロ、こっちこっち」

ひとつの個室から顔を出した男性が手を振っている。ぱちりと目を瞬かせたら、零さんに軽く促されたのでそちらへと足を向けた。零さんと一緒に個室を覗き込めば、八つの瞳がこちらを見つめて思わず体を竦ませる。お座敷の席なので、立ったままの私は彼らに見上げられる形になる。見下ろされるのも威圧感だけど、こうして見上げられるのもなかなかの威圧感だ。

「おっ、エライエライ。ちゃんと連れてきたな」
「お前達がずっとうるさいからな」
「惚気話だけ聞かされる方の身にもなれよ、本人に会いたいと思うのは当然だろうが」

少し長めの髪の男性と、癖毛の男性が零さんに声をかける。零さんがその二人と会話を続ける中、どうしようかと思っていたら奥に座っていた男性に軽く手招きされる。靴を脱いでお座敷に上がれば、その男性は空いていた自分の隣の席をぽんぽんと叩く。零さんのことをゼロと呼んでいた男性との間の席だ。そこに座れってことかな。おずおずと二人の間に腰を下ろせば、両脇からニッと微笑まれた。

「初めまして。俺は諸伏景光」
「俺は伊達航だ。よろしくな」
「あ、初めまして!佐山ミナです。えっと、今日はお誘い頂きありがとうございます。伊達さん、諸伏さん」
「いいっていいって、そんな肩肘張るなよ。俺たちがあんたに会いたかっただけなんだしさ」
「諸伏って言いにくいでしょ。ヒロでいいよ」

伊達さんに、ヒロさん。零さんのお友達なんだから失礼のないようにしないとと思いながら、彼らの顔を見つめつつしっかりと名前を刻み込む。ヒロさんが飲み物のメニューを広げてくれたのでそれに視線を落とせば、むにゅっと頬をつつかれて顔を上げた。私の丁度向かい側に座っている、少し髪の長い男性だ。彼は口角を上げると、そのままにっこりと微笑む。

「俺、萩原研二。萩って呼んで」
「あ、えっ、はいっ、萩さん。初めまして、佐山ミナです」
「うん。よろしくね、ミナちゃん」

萩さんと自己紹介をしていたら、彼の隣に零さんがどかりと腰を下ろす。次いで、癖毛の男性も萩さんを挟んで反対側へと腰を下ろした。…なんかずっと言い合っていたみたいだけど仲悪いのかな。いや、でも今日の飲み会は零さんのお友達だけが集まっているから仲が悪いってわけじゃないだろうし…喧嘩するほどってやつかな。じっと見つめていたら、癖毛の男性が顔を上げてばちりと目が合ってしまった。

「あっ、えっと、」
「自己紹介はもういい聞こえてる。松田だ」
「は、」

名乗ろうとした瞬間に遮られて口を半開きにした。言葉を準備していただけに返す言葉もなく、そのまま口を閉ざす。
ぽかんとしていたら、隣から伊達さんに「気にしなくていい」と言われた。いつもこんな調子らしい。

「ゼロは何飲む?」
「生で。ミナは?」
「えっ、あ、えっと、じゃあ私も生で」
「オッケー。すみませーん」

ヒロさんが店員さんを呼び、生を六つとつまみ類を注文していく。私と零さんが来る前にある程度何を頼むかは決めてあったようで、彼の注文には迷いがない。サラダやフライドポテトなんかの定番から、きゅうりの塩漬け、唐揚げにだし巻き玉子、串の盛り合わせ。一通り注文し終わったヒロさんは、ふと私を振り向いて言った。

「食べられないものとかある?」
「大丈夫です」
「ん。それじゃ、以上で」

注文したメニューを繰り返し口にした店員さんが下がっていく。伊達さんとヒロさんが気を使ってくれているのはわかるけど、零さんが同じ空間にいるとは言え全く知らない人達四人と同じ空間に入れられると、やっぱり何を話したら良いのかわからなくなる。ぐるぐると考え込んでいる間に生ビールとお通しの枝豆が運ばれてきた。

「それじゃお疲れさん、乾杯!」

伊達さんが仕切ってくれて、ビールのジョッキで乾杯。ビールを口に運べば、早速、といった様子の萩さんがにっこりと笑いながら身を乗り出してきた。

「いやー、俺ずっとミナちゃんに会ってみたかったんだよねぇ。ねえねえ、降谷ちゃんとの出会いってどんなん?聞かせてよ」

ふ、降谷ちゃん。思いがけない呼び方に思わず零さんの方を見てしまったけど、彼自身少し苦い顔をしつつも何も言わないので多分昔からの呼び名なんだろう。降谷ちゃん。…なんだか可愛いな。

「えっと、出会い…ですか」
「そうそう。ミナちゃんが降谷ちゃんに会った時、こいつ安室透だったんだろ?」
「そう…ですね」
「俺達も詳しくは聞かされてないけど重要任務中だったって話は知ってる。そんな最中にミナちゃんとどんな出会いしたのかとか気になるじゃん?」

なぁ?と萩さんが他の皆に声をかける。皆特に何も言わなかったけど、否定することも無く私と零さんを見つめている。無言はつまり肯定だと言うことで。
萩さんは多分軽い気持ちで聞いたのだろう。友人とその彼女、どういう出会いがあったのかと気になるのは当然だ。けれど私と零さんの出会いは特殊も特殊、なんたって異文化コミュニケーションどころの話じゃない。世界を越えて出会い、そして世界を越えて恋人になった。そのまま話したところで信じてもらえるはずもなし。頭がおかしいと言われるのがオチである。
どうしたものかな、と零さんに視線を向ければ、彼は小さく息を吐いた。

「俺が関わった爆発事件」
「あぁ、風見から聞いた。ゼロが爆弾犯の自爆に巻き込まれたんだっけ」
「俺と陣平ちゃんが駆り出される予定だった案件だな」
「公安の方で処理するってんで、なかったことにされたけどな」
「その事件がどうした?」

皆の視線が零さんに向く。零さんはビールのジョッキに視線を落としている。あの時のこと、思い出してるんだろうな。

「犯人の自爆に巻き込まれた俺は、次に気付いた時全く知らない場所にいたんだ」

雪が降っていて、風見や公安の部下も誰もいなくて。人気のないマンションの敷地に倒れていた。そう語る零さんの言葉を遮る人はいない。伊達さんも、萩さんも、松田さんも、ヒロさんも、じっと零さんの言葉に耳を傾けている。

「そこで、彼女に出会った。ボロボロだった俺を家に上げて、手当してくれたんだよ」

顔を上げた零さんは私を見つめ、ね、と小首を傾げて小さく笑う。
警戒心がないって怒られた。零さんに出そうと思った紅茶は飲んでもらえなかった。一線引かれたままの少しぎこちないルームシェア生活だったけど、それでも私は零さんにたくさん救われたし彼と過ごす時間を楽しいと感じていた。

「なんだそれ。どういうことだ?」
「聞いて驚け。そこはここと似て非なる日本。米花町もなければ東都タワーやベルツリータワーなんかも存在しない」
「ごめん降谷ちゃん、何の話?」
「さすがに俺も帰ってこられないかと思った。なんとかこっちの日本に戻ってこられたと思ったけど、そうしたら今度はミナがこっちに来てしまったってわけだ」
「ストップ降谷、少し整理させてくれ」

困惑する松田さんと萩さん、伊達さんをそのままに零さんの話は続く。ヒロさんだけは黙ったまま零さんの話を聞いていたけど、その表情から他の三人と同様困惑していることだけはわかる。彼の話は正しく真実なのだけど、ぶっ飛んだ内容に四人全員が眉を寄せていた。

「ミナを元の日本に返さなきゃって思ってたよ。でも、欲しくなったんだ。だから引き止めた」

欲しくなった。その言葉と共に私に視線を合わせた零さんは優しく眦を下げる。甘やかなその声に、頬に熱が上がる。
松田さんと萩さん、伊達さんはよくわからないといった顔をしていたけど、ヒロさんだけははっとしたように小さく息を飲むと、「あぁ、だから」と納得したように小さく呟いていた。


***


「ようやく飲み込めてきた。つまりミナちゃんは異世界人ってこと?」

唐揚げをお箸で転がしながら萩さんが言った。突拍子もない萩さんの言葉なのに、他の三人も笑うことなく運ばれてきた料理を食べながらふむふむと頷いている。零さんの話が終わった直後は困惑した様子だったのに、どうしてこんなあっさりと異世界人なんて言葉を口にしているのだろう。

「…あの、その認識で間違ってないと思うんですけど、え、もしかして信じるんですか?」
「降谷は呼吸をするように嘘を吐くが、笑えねぇ冗談を言う奴じゃねぇ」
「それは貶してるのか、松田」
「お前は違法作業がお得意の公安だろうが。何か間違ってるか?」

言い合う零さんと松田さんをよそに、伊達さんはだし巻き玉子を口に運びながら「なるほどなぁ」なんて呟いている。伊達さんもヒロさんも、疑っているような様子はない。それだけ零さんのことを信頼しているってことなんだろうけど、それにしても。

「…疑わないんですか?そんなの作り話だって」
「うん?まぁ、信じられるか信じられないかって言うと、信じられねぇんだけどよ。でも松田が言った通りさ。降谷が、ミナちゃんとの出会いがそうだと語るなら、信じられる話じゃなくてもそれが事実だよ」

伊達さんが私のお皿にだし巻き玉子を取り分けてくれる。それを有難くいただきながら、視線を上げて零さんを見つめた。松田さんと何やら言い合って、萩さんが笑いながらそれを宥めている。伊達さんとヒロさんは面白そうにその様子を見つめ、時折茶々を入れたりなんかして。
ああ、きっとこの人達は、警察学校に通っていた頃から変わらず今に繋がっているんだろう。ずっと前から気を使うことなく自然体でいられるような、そんな関係。

「俺さ、」

こそ、と囁かれて視線を向ける。ヒロさんがこちらを見て小さく笑っていた。私にしか聞こえないような小さな声で続ける。

「ミナさんのデータ、こっそり見たことがあってさ」

あ、ゼロには内緒な。くすりとヒロさんが笑う。

「不思議だなって思ってたんだ。きちんと組み立てられた経歴なのに、なんだか違和感を感じて」
「違和感、ですか」
「怒らないで聞いてくれよ。なんていうか、少し薄っぺらいというか…。おかしなところなんてないのに、虚像のようなそんな感じがして。でもそれは俺の勘でしかないから、自分でもよくわからなくてさ。だからゼロの話を聞いて、ああ、なるほどって思ったんだ」

私の戸籍や経歴のデータは、零さんが用意してくれたものだ。この世界に突然落ちてきた私が、問題なく生活していくための設定のようなもの。実際に中身はないのだから、ヒロさんが違和感を感じて薄っぺらいと思うのもおかしなことでは無いと思う。
先程ヒロさんが漏らした「あぁ、だから」の言葉の意味は、これだったのか。

「…じゃあ、ヒロさんも疑ってないんですか?」
「当然。俺、ゼロとはほんとにガキの頃からの付き合いなんだ。互いに互いのことはよく知ってる。ゼロの言葉を疑うことなんてないよ」

その言葉に、零さんとヒロさんの深い絆を感じる。
私が世界を越えたことは、ここまではっきりと誰かに話したことは無かった。コナンくんと沖矢さんに話したことはあったけど、自分のこととは言わなかったし詳しいことまでは話していない。今までもこれからも、この秘密は私と零さんで抱えていくものなのかなと漠然と思っていた。
それが、ここに来て四人も事情を知る人が増えた。それは、私にとって大きな安心感となる。

「これからも、ゼロのことよろしくな」
「どちらかと言えばというか、むしろ私は零さんによろしくされる側なんですけども」
「そんなことないよ。君が、ゼロの傍にいてくれて良かった」

ヒロさんは笑う。そんな私とヒロさんに気付いた萩さんが、にやりと笑いながらこちらに身を乗り出した。

「なになにー?ミナちゃん達何話してんの?」
「何も。ゼロのことよろしくって言っただけだよ」
「はは、違いないな。俺からも頼むぞ、ミナちゃん」
「どう見ても降谷がよろしくする方だと思うけどな」

口々に言われて恥ずかしいやらもどかしいやら。松田さんの言う通り、私は零さんによろしくされる側という認識でしかない。私みたいなちんちくりんが零さんの恋人でいられること自体ものすごいことだというのに。言葉に詰まってどうしたものかと視線を泳がせていたら、じっとこちらを見つめる零さんと目が合った。
テーブルに頬杖をついて、じっとこちらを見つめている。あう、と口篭れば、零さんはそのまま小さく笑った。

「俺がよろしくされる方で合ってるよ。多分俺は、周りが思ってる以上に…もちろんミナが思ってる以上に、ミナに惚れてるんだ」

一瞬間を置いて、かぁ、と頬に熱が上がる。萩さんと松田さんは冷やかすように声を上げて、伊達さんは珍しいものを見るような目で零さんを見つめ、ヒロさんは優しく笑っていた。