俺がその人と出会ったのはなんというか偶然というか必然というか、偶然と言えば偶然だし必然と言えば必然だった。

俺には黒羽快斗という同級生のダチがいる。高校入学時からの友人で、やらかすことは破天荒だがなんだかんだ良い奴。黒羽は頭は良いくせにそれ以外のところは問題だらけ。教師達が手を焼いているのも学校中の周知の事実。そんな黒羽だったけど、問題児であると同時に奴は人気者でもあった。誰も考えつかないようなことをやってのけたり、人見知りしないからいろんな奴と分け隔てなく関係を築いていたり…まぁ、いろいろ理由はあるだろうけど。
とにかく俺はそんな黒羽とよく気が合った。学校ではもちろん、都合が合えば休日に他数人連れて遊びに行くこともあったし。そんな黒羽が、土曜日は出かけられなくなったと言い出した。理由はアルバイトを始めたから、だという。どうしても黒羽が真面目にバイトしてる姿なんて想像出来なくて、当初は俺や他の奴らも散々笑ったもんだけど…すぐに音を上げて辞めるだろう、という予想を裏切り、黒羽はアルバイトを続けているようだった。
黒羽のバイトは長期休暇でもない限りは毎週土曜日、朝から夕方まで。本人は本屋で働いてるって言ってたけど、黒羽と本屋なんてもっと想像がつかない。マジックショップで働いてるとかならともかくとして、黒羽が本屋で何をしているというのか。いや仕事だけど。仕事をしているってことはわかるけど。でも、わかるだろ? 本屋っていうイメージと黒羽快斗は結びつかない。

「お前がバイトしてるとこ見に行きたい」
「はぁ?」
「なぁ、どこで働いてんの?仕事楽しい?本屋ってどんなことすんの?」

興味があった。黒羽がどんな顔で働いているのか、どんなふうに接客するのか。矢継ぎ早に質問する俺を呆れたように見つめ、黒羽はやれやれと溜息を吐く。面倒臭そうな顔ではあるが、もう一押しってところだな。

「そもそも、お前がバイトなんてするとは思ってなかったし。思ってたよりも長続きしてんじゃん?その秘訣は?」

黒羽は、理由がなきゃ本屋でバイトなんてしない。それは俺の直感だった。思っていたよりも仕事の内容が性に合ってるっていうのももしかしたらあるのかもしれないけど、少なくともそれだけじゃないことはわかる。ということは、仕事内容以外にこいつが本屋でのバイトを続ける理由がある。時給がいいのか、それとも。

「そんなに深い理由はねぇよ。知り合いの店だから、それを手伝いたいっていう気持ちから始めたバイトだし…。…まぁ、一緒に働く相手っていうのは大事って実感してるけどさ」
「バイト仲間ってやつ?」
「ま、そういうこと」
「尚更気になるじゃん。今度の土曜日行ってもいい?場所教えろよ」
「…別に構わねぇけど、本の一冊くらい買っていけよな」

黒羽は呆れた顔をしたままだったけど、こいつのバイト先がわかってしまえばこっちのもんだ。

次の土曜日に俺は黒羽から教えて貰った本屋へ足を向けた。嶺書房、という本屋は米花町ではそこそこ有名な書店らしく、ここでしか取り扱っていないような本もあるようで一部の人間の御用達とのこと。その本屋は駅近ではあるものの、少し入り組んだ路地を入った先にひっそりと在った。隠れ家って感じ。こんなとこで黒羽がバイトしてるなんて、ますます想像がつかない。
どうしようか。行くとは言ったものの、普通の本屋の店構えではない。なんていうの、一見さんお断り〜みたいな…なんつかそんな感じの。いや、そういうわけじゃないのはわかるけど、路地の薄暗さも手伝って若干入りにくい。本屋まで残すところ数歩、なんてとこで立ち止まった俺は、嶺書房の看板を見つめながら小さく唸った。
その時だった。書店のドアが開き、一人の女性が出てきたのである。手に箒とちりとりを持って出てきたその女性は、ふと俺に気付いて足を止める。

「あ、」
「…?こんにちは」

不思議そうに首を傾げた彼女は、すぐに柔らかく微笑んで小さく頭を下げる。その所作がなんとも言えず上品で、俺は小さく息を飲む。嶺書房から出てきたってことは、もしかして黒羽の言ってたバイト仲間ってこの人のことか?

「あ、あのっ」
「?はい、」
「ここで、黒羽快斗がバイトしてるって聞いて来たんすけど…」
「あ、もしかして快斗くんのお友達?快斗くんなら中にいますよ。どうぞ」

彼女はそう言いながら優しく笑い、ドアを開けてくれる。どうも、と小さく返しながらそのまま中に入れば、レジカウンターの向こう側でパソコンと見つめ合う黒羽がいた。うわ。まじで本当に真面目に働いてる。びっくり。

「黒羽」
「ん、…あぁ、よっす」

レジカウンターに歩み寄って黒羽の手元を覗き込む。なんだこれ、発注書の束に新刊リスト…?え、まじで本当に真面目に働いてる…。黒羽の働きっぷりに驚きながら、それよりも今俺の頭は別のことで占めている。俺はカウンターに身を乗り出して黒羽にずいっと顔を近付ける。

「な、なんだよ」
「あの、あの人誰だよ…!店の前にいた女の人!」
「ミナさんのこと?」
「ミナさん」

誰だそれ。

「佐山ミナさん。言ったろ、バイト仲間」
「女の人だなんて聞いてねぇぞ…!」
「それは言ってねぇもん」

バイト仲間の性別までは確かに聞かなかったけど。でもなんというか、学校でつるんでるようなダチって感じの奴を想像していたから驚いてしまうのも無理はないと思う。学校の女子とは違う。落ち着いていて余裕のある柔らかい笑顔で、箒とちりとりを持っているだけだというのに上品な所作、立ち姿。見目がどうこうというんじゃなくて、純粋に綺麗な人だなぁと思った。内面から滲み出るもの、っていうのか?なんかそういうやつ。
半ば混乱しながら黒羽に詰め寄っていたら、店のドアが開く音がして反射的に振り返った。箒とちりとりを持った彼女が店の中へと戻ってくる。

「快斗くん、お店の前の掃除終わったよ」
「ありがとーミナさん」

快斗くんとかミナさんとか何?名前で呼び合う仲ってどういうこと?高校入学時からの付き合いの俺だって黒羽って呼んでるのに?いや決して黒羽のことを名前呼びしたいとかそういうのは一切ないけど。なんというか解せない。 まぁ黒羽は人懐こいし最初から彼女のことを名前で呼んだりとかしてたのかもしれないけど。それで彼女も黒羽のことを名前呼びし始めたのかもしれないけど。そもそもそんなことはどうだっていい。いやどうでも良くはないけど。

「えっと、快斗くんのお友達、だよね。初めまして。佐山ミナです。快斗くんにはいつもお世話になってます」
「とっとと、と、とんでもないっす!!いつもこいつがお世話になってます!!こいつ不真面目じゃないっすか、仕事の足引っ張ったりしてませんか」
「オイコラ」

めちゃめちゃどもってしまったけど、ミナさん(どさくさに紛れて俺も名前呼びにしようと決めた)はきょとんと目を瞬かせるとくすくすと笑う。口元に手を添えながら肩を揺らして笑うその様子を、俺はぽーっと見つめてしまっていた。

「ううん、全然。快斗くんすごく頼りになるんだよ」
「そういうのいいから。照れるだろーミナさん」
「ふふ、本当のことだもん」

黒羽がバイトを続けている理由がわかった。もちろん本人が言った通り、知り合いの店を手伝いたいっていうのも理由のひとつであることは疑っていない。最初はそこからだったというのも恐らく本当だ。だけどここまでこのバイトを続けていられる理由の中に、あの佐山ミナさんという女性の存在が、ある…!確信した。そうとしか思えない。それと同時にめちゃくちゃ羨ましくなって思わずぎゅうと拳を握りしめた。え、ここのバイトまだ募集してないのかな。俺も働きたい。

「それじゃ、快斗くん。後はよろしくね」
「おー任せとけ」
「えっ。えっ?もう帰っちゃうんすか」
「うん、今日この後用事があって米花駅で待ち合わせしてるから…いつもは閉店までいるんだけど、今日は快斗くんもいるから早上がりさせてもらうことにしたの」

ミナさんはそう言いながらエプロンを外し、それを丁寧に畳みながらレジカウンターの裏へと回る。棚にエプロンを置くと、鞄を持って小さく笑った。可愛い。

「それじゃ、私はこれで。ごゆっくり」

ひらひらと手を振りながら去っていくミナさんを、引き止めることも出来ないままただただ見送る。黒羽はと言えばミナさんを見送るのも慣れているようで、カウンターに頬杖をついたまま小さく笑いながら手を振っている。なんだこれ。

「黒羽」
「あ?」
「この本屋って今バイト募集してねぇの」
「なんで」
「俺も働きたい」
「無理だろ」

そんなばっさり言わなくてもいいだろ。冷たい奴だな。冷たい奴だとは思うが、ここで黒羽の機嫌を損ねたら聞きたいことも聞けないまま終わるであろうことは目に見えていたので敢えて突っ込むことはしない。

「なぁ、ミナさんってどんな人?」
「え?…どんな人って…、優しくって、なんでも一人で抱え込むようなとこがあって、歳上だしもちろん人としてすげぇしっかりした人だけど、時々抜けてて鈍くてなんつかほっとけなくて…真っ直ぐな人、かな」
「黒羽」
「なんだよ」
「ミナさんの携帯番号とアドレス教えてくれ」
「は?」

ずい、と身を乗り出しながら言えば、黒羽は心底怪訝そうな顔をした。なんでそんな顔をするんだよ察してくれ。俺は一度決めたら攻めに転じる男なんだ。
今まで生きてきた人生、一目惚れなんて都市伝説みたいなもんだと馬鹿にしてた。一目で恋に落ちただとか、一目で惹かれたとか、そんなのは夢物語の中だけの話だって。そんなことなかった。全然そんなこと無かった。
歳上だとかそんなことは関係ない。猛アタックをかけてでも、俺はミナさんとお近付きになりたい!

「…お前まさか」
「そのまさかだ。一目惚れした。アタックする」
「いやいやいやいやいやいやいやいや、いやいや、いや、絶対無理だってまじでやめとけって」
「なんでそう言い切る」
「ミナさん彼氏いるぞ、あれは相当独占欲の強い彼氏と見たね。ミナさんの彼氏のこと、二人が付き合う前から知ってるけどさ、付き合う前の時点で俺に対する牽制やばかったもん」
「関係ない」
「お前のそういう前向きすぎるところ嫌いじゃねぇけどまじで今回はやめとけって」

黒羽はそう言うけど関係ない。何もいきなりカレカノの関係になりたいなんて言ってるわけじゃないんだ。アタックはしたいと思ってるけど順序はきちんと踏む、まずはお友達から。なんたって俺とミナさんは初対面なんだから。
とりあえず連絡先を教えて貰って、と思った矢先のことだった。カウンター奥のテーブルから、バイブレーションの音がする。はっとして黒羽と一緒に視線を向ければ、そこには白いスマートフォンが置かれていた。黒羽のじゃない。となれば、持ち主は一人しかいない。

「運命だ」
「違う」
「よく考えてみろ、こんなチャンスがあるか?!これは俺にスマートフォンを届けろって言う神様からのお告げだ」
「断じて違う」
「どの道お前は店番がある。届けられるのは俺しかいない。米花駅で待ち合わせって言ってたし駅前まで行けば会えるだろ」

よこせ、と言外に告げながら手を差し出せば、黒羽は俺を呆れたように見てから深い溜息を吐いた。失礼な奴だな。

「……まぁ、確かに届けられるのはお前しかいねぇけど。後で痛い目見るなよ」
「誰が見るかよ」


***


米花駅前は休日ということもあってそこそこの人で溢れていたが、改札前にいるミナさんはすぐに見つけることが出来た。一人じゃない、誰かと一緒にいる。…背も高いし、男?もしかして黒羽が言ってた彼氏?
ミナさんとその男は、ミナさんの鞄の中を一緒に覗き込んで何かを探しているようだ。十中八九、本屋に忘れていったスマートフォンだろう。

「ミナさん!」

大きく手を振りながら声をかければ、ミナさんと男はぱっと顔を上げて俺の方を見た。男の方はどうでもいい。少し驚いたように目を丸くして俺を見つめるミナさんは、そのままぱちぱちと目を瞬かせた。可愛い。

「あなたは、快斗くんのお友達の」
「ミナさん、本屋にスマホ忘れていきましたよね。俺、持ってきたんすよ」
「えっ、」

はい、とスマホを出せば、ミナさんはそれを受け取りながらほっとしたように目元を和らげた。ほんのりとピンクに染まった頬や、スマホを大事そうに両手で包むその様子にどきりとさせられる。同年代の女子とは違う大人っぽさと、純粋な可愛らしさや愛らしさのギャップがたまらない。めちゃくちゃ可愛い。

「ありがとう…嶺書房に忘れたのかなって思ったけど、はっきりとは言えなかったからちょっと不安で焦ってたの。本当にありがとう」
「べ、っ別にこんくらい何でもないっす!…そ、それであの、」

良かったら連絡先交換しませんか? そう続けようとした俺の言葉は、遮られることとなる。

「見つかって良かったですね、ミナさん。…君も、わざわざ、本当にありがとう」

ミナさんの隣に立っていた男が、ゆらりと動いた。その声は明るいのに、何故かドスが効いていて思わず動きを止める。
恐る恐る視線を向ければ、その男はにっこりと笑いながら俺を見つめていた。
パツキン。色黒。それだけ言うとすげぇチャラ男っぽい感じなのに、なんというかそういう感じじゃない。目も青だけどカラコンじゃなさそうだし、ってことはもしかしてその髪の毛も地毛?その男はミナさんの肩を抱き寄せると、優雅に微笑んでみせた。

「それで、君は?」

今の言葉を訳すと「お前はどこのどいつだ」だと思う。すう、と細められた瞳が怖い。あからさまに向けられる敵意に硬直していれば、そんなことには全く気付いた様子のないミナさんがへらりと笑った。

「嶺書房で一緒に働いている快斗くんのお友達なんです」
「あぁ、彼の」
「今日初めて会ったんですけど」
「へぇ、初対面」
「初対面の人にわざわざ忘れ物を届けてもらっちゃって…本当にありがとう、すごく助かった」
「僕からも言わせてください。本当に、ありがとう」

どうしろと言うのか。
まさに蛇に睨まれた蛙。ミナさんもその男も揃ってにこにこしてるけど、男からの牽制をバチバチに感じている。男はくすりと笑うと、軽く小首を傾げて言った。

「僕は安室透。僕の彼女がお世話になりました」

黒羽。お前が言ったことは本当だった。
安室透と名乗ったこの男は、相当独占欲が強いタイプだ。俺が連絡先を教えてもらおうとしたのを察知して、先にそれを封じたに違いない。
ミナさんのことをはっきり彼女だと言い切ったその人は、ものすごくイケメンだった。イケメンは黒羽で見慣れてるし、正直俺もさほど悪い顔じゃないと思ってはいるけど、少なくとも俺が逆立ちしたって敵わない相手。頭は小さいし手足は長い、長身で細身だけどなんというかしっかり鍛えられてる体って感じ。顔もスタイルも良ければ声もいい。完璧か?

「それじゃ、僕達はこれで。ミナさん、行きましょうか」
「あ、はい。また嶺書房に遊びに来てね」

安室透とミナさんは、何も言えないままでいる俺に軽く頭を下げると背中を向けて歩いていく。彼らの向かう先には、道端に駐車してある白いスポーツカー。
いやまさかな、なんて思いながら見つめていたけど、二人がそのスポーツカーに乗って去っていくのを見て思わず頭を抱えた。
顔もスタイルも声も良くて、スポーツカーに乗ってる?なんだそれ完璧すぎにも程があるだろ。

後で痛い目見るなよ。黒羽のそんな言葉が胸に沁みる。
短い恋だった。短すぎる恋だった。人生初、一目惚れで好きになった人の恋人は、イケメンヒエラルキーの頂点だった。
そんな男がミナさんの彼氏だなんて、そうならそうと先に言っておいてくれよ!