私は喧嘩というものが好きではない。というより、そもそも好きで喧嘩をする人はなかなかいないのではないかなと思っている。火事と喧嘩は江戸の花、なんて言葉もあるにはあるし、意見の食い違いから起こるようなやむを得ない衝突なんかももちろんあるけど…やんちゃ盛りの男の子とかを例外にすれば皆平穏に生きたいと思うんじゃないかな。少なくとも私はそう。
特に、好きな人と敢えて喧嘩をしたいなんて人は、やっぱりなかなかいないと思う。いつだったか、些細なことで彼氏と喧嘩した友人が「喧嘩も楽しまなくっちゃ」と零していたことがあったけど、その気持ちは終ぞ私には理解出来ないままだった。その子は気付いたら彼氏とは仲直りしていた。
波風立てない。事なかれ主義。そう言われてしまえばそれまでかもしれない。私にだって思うところはある。零さんと出会ってからは自分の意見もなるべく言うようにしているし、そもそも零さんと意見が食い違って対立することもなかったし、対立する日が来るだなんて思ってもみなかったのだ。
だから、というわけじゃないが。私にだって、譲れないラインがあるのである。


***


大きな案件が解決してからこっち、零さんは日々とても忙しく過ごしている。朝は私が起きる頃にはいなくなっているし、夜は私が寝入った頃に帰ってくる。たまに帰ってこない日だってある。一分一秒でも貴重だと言わんばかりに駆け回る零さんを見ていては私も深く何かを言うことも出来ず、せめてちゃんと食事くらいは摂っているのだろうかと心配になった頃のことだ。
なんと風見さんが直接私に会いに来た。彼の目元にはくっきりとした隈が刻まれており、驚いて大丈夫か尋ねたら「赤井捜査官にも言われました。あの人に言われたらおしまいだ」なんて笑っても良いのかわからない微妙な返答をいただいた。多分私が思う以上に風見さんもお疲れなんだと思う。
そんな風見さんがわざわざ警視庁を抜け出して私の元に訪ねて来たのにはもちろん理由がある。曰く、「今晩降谷さんが戻られましたらそのまま三日ほどゆっくり休ませてください。ベッドに縛り付けてでも」とのこと。ベッドに縛り付けてでもなんて穏やかじゃない。
ひとまず風見さんのお願いを了承したのだが、その夜久しぶりに私の起きている時間に帰ってきた零さんを見て私は全てを察した。
零さんは何でもない風を装っていた。けれども風見さん以上に濃く刻まれた隈や、ツヤを無くして少し軋んだ髪、ほんの少しだけふらつく足元。あとほんの少しだけど痩せたように見えるその姿は、どう見ても「疲れていますしばらく起こさないでください」と言わんばかりの疲労具合であった。一体何日徹夜したらこうなるのか。

「昨日は何時間寝たんですか?」
「この一週間で十時間は寝てるはずだ」
「今すぐベッドに入ってください」

誰も一週間の合計睡眠時間の話なんかしていない。零さんの思考力が著しく低下している。とにかく寝てもらうのが最優先だと判断した私は彼のスーツをひっぺがし、パンツ一丁にしてベッドに押し込んだ。彼の命すら脅かすレベルの睡眠不足である、恥ずかしがっている場合ではない。零さんはほんの少しの抵抗を見せたけど睡眠欲に負けたのか、横になったら程なく小さな寝息を立て始めた。
明日何時に零さんが目を覚ますかはわからないけど、起きた時に何か簡単に食べられるものがあった方が良いだろうと思いミネストローネだけ作っておいた。料理は相変わらず得意ではないけど、零さんのお手伝いを続けているおかげで簡単なものなら問題なく作れるようになった。ミネストローネも零さんのレシピだ。
ミネストローネを作り終えて寝室を覗けば、零さんは寝入った時と同じ格好のまま深く眠っていた。久しぶりに零さんとまともに会えてハロも嬉しいのか、彼を起こさないように気を使いつつもぴったりとくっついて寄り添っている。その光景に思わず笑みが零れた。
風見さんは三日ほどゆっくり休ませてくださいと言った。つまりこれから三日は少なくとも零さんはお仕事がお休みなのだろう。
しっかり休んでもらわなきゃ。一日中惰眠を貪るのも悪くないし、家のことは全部私がやって彼の負担を極力減らそう。そう心に決めて、零さんとハロを起こさないように私もベッドに潜り込んだ。

のだが。

「零さん、何してるんですか」
「寝すぎた。ミネストローネご馳走様、美味しかったよ」
「そうじゃなくて!なんでスーツなんて着込んでるんですか!どこに行くつもりなんですか!」

早朝五時過ぎにバタバタとした物音で目が覚めた。欠伸を堪えて目を開ければ、昨日私がひっぺがしたスーツに身を包んだ零さんがいた。なんでだ。おかしい、今日からしばらく彼はお休みなんじゃなかったのか。
眉を寄せる私にきょとんとした顔をした零さんは、目を瞬かせながら首を傾げている。

「どこって、警察庁に」
「一体何の御用で」
「仕事に決まってるだろう」
「却下です」

頭を振って眠気を払った私は、ベッドから立ち上がって彼のスーツを脱がしにかかった。零さん、まさかとは思うが寝ぼけているのだろうか。スーツを脱がされるとは思っていなかったのだろう、零さんはやや驚いて慌てたように身を捩る。

「ちょ、ミナ」
「風見さんから三日ほどゆっくり休ませてくださいって頼まれてるんです」
「俺はまだ大丈夫だ」
「零さん、自覚ないかもしれないですけど目の下の隈酷いですよ。私から見てもお疲れなのわかります、今日はとにかく休んでください」
「そんな時間なんてない、離れてくれ。今晩は帰れると思うから」

多分零さんも寝不足でイライラしていたんだろう。いつもよりもはっきりとしたややきつい言い方に思わず眉を寄せる。
そんな時間なんてない、だって。本当に時間がないというのなら、風見さんは私に零さんのことを任せたりしないだろう。三日ほどゆっくり休ませてください、風見さんはそう言った。彼がそういうのなら、少なくとも三日は零さんがいなくてもなんとかなるということだと私は思っている。
零さんのことが心配だ。忙殺されてボロボロになっている零さんを見ているのは辛い。せめて心配くらいさせて欲しいと思うのはおかしなことだろうか?
私に零さんのお仕事の難しさや厳しさは想像することしか出来ないし、彼にしか出来ないことはもちろん多いんだと思う。でも、それでも私にだって譲れないラインがあるのである。

「零さん、ダメです」
「ミナ、あまりワガママを言わないでくれ」

その一言が引き金だった。きゅ、と唇を強く噛み締めてから、彼のスーツから手を離す。

「ワガママなのは、…どっちですか」

零さんがワガママなわけじゃない。彼はとても忙しい人で、自分の体より仕事を優先せざるを得ない立場の人だということも理解している。でも、私が彼を心配して引き止めることを「ワガママ」と言われて「はいそうですか」なんて頷けるはずがない。彼が心配なのに、体を大事にして欲しいのに、私が願っているのはそれだけなのに、なんでワガママなんて言われないといけないのか。
駄々を捏ねていると思われたのか? 零さんにちゃんと会えたのは久しぶりでそれが嬉しかったことは否定しない。会えない時間を寂しく思っていたことだって否定できない。でも私は、私のワガママで零さんの仕事を邪魔したつもりなんてこれっぽっちだってないのに。
彼に理解されなくて腹が立つのを通り越して何だか悲しくなってしまって、ぷいっと顔を背けてそのままベッドに潜り込んだ。

「零さんなんて知りません。零さんのわからず屋」

結局私に言えたのはそんな可愛くもない彼を非難する言葉だった。
零さんは何も言わなかった。何も言わないまま、私の言葉に一瞬でも足を止めることなく家を出ていった。がちゃん、と閉まるドアの音がやたら冷たく響く。

「…わからず屋の零さんなんか、嫌いだもん」

小さく呟いてみても、自分の胸がつきんと痛んだだけだ。口に出したところで嫌いだなんて思えない。こんなにも彼のことが好きなのに、なんで上手くいかないんだろう。零さんとの喧嘩なんて初めてで、自分でもどうしたらいいのかわからない。
私は擦り寄ってきたハロを抱きしめて、ちょっとだけ泣いた。


***


「…それで、俺のところへ?」
「実家に帰らせていただきますって置き手紙をしてきました」

むすっとした表情の私の前に紅茶の入ったカップを置いてくれた赤井さんは、コーヒーのマグを手にして向かい側のソファーへと腰を下ろした。
結局零さんが家を出ていった後も私のモヤモヤした気持ちは収まらず、こんな気持ちのまま再び夜に帰ってくるかもしれない零さんと顔を合わせる気にもならず、十八時を過ぎた辺りでハロを置き去りにして家を出た。ご飯はあげてきたし明日の朝には帰るから大丈夫だと思う。勝手な私を許して欲しい。
今晩は駅前のカプセルホテルで過ごして頭を冷やそうと思ったが、どうにもモヤモヤが拭えずにいた為、米花駅に向かう前に方向転換。私が零さんのことを話せる相手は多くはない。零さんの部下である風見さんか、零さんと一緒に仕事をしている赤井さんか、零さんの事情を知っている新一くんくらいなものである。風見さんはとてもお忙しそうだし、ということは赤井さんも同じだろうと考えて、消去法で新一くんに愚痴を聞いてもらおうと思って工藤邸へとやってきた。のだが、工藤邸のチャイムを鳴らして顔を出したのは赤井さんだったというわけである。
何でも帰国までの間新一くんの家に住まわせてもらっているらしいが、仕事が忙しく帰国の目処が立たない為そろそろアパートを借りるなりホテルを取るなりしようかと考えているそうな。FBIの方も大変である。

「そういえば、新一くんの姿が見えませんね」
「新一なら、今日は警視庁の方に出向いていると思うぞ」
「あ、そうなんですね…というか、赤井さん今日もしかしなくてもお仕事お休みですか?」
「ああ。久し振りに丸々一日休みでね」
「……貴重なお休みの日に押しかけてしまってすみません…」
「構わない。君と降谷くんが喧嘩とはなかなか珍しいこともあるものだ」

お休み中邪魔してしまったにも関わらず、赤井さんは気にした様子もなく軽く肩を竦めた。平然としているけど、風見さんや零さん程ではないにしろ彼にも疲労の色が見える。申し訳ないことしちゃったな。衝動のままに行動してしまったことを反省する。

「…でも、だって、零さんが悪いんですもん」
「君がそうやって降谷くんに矛先を向けるのも珍しい。喧嘩の原因は?」
「零さんが休んでくれないんです。もう何日も寝てませんみたいな顔して、足元もふらふらで昨日だってすぐに寝落ちたのに。この一週間で十時間しか寝てないみたいなことも言ってたし、私はただ、休んで欲しかっただけなのに」

一週間で十時間って、何だ。そんな生活続けてたら死んじゃう。人間は睡眠無しには生きられない。こんな忙しさも今だけなのかもしれないけど、でも零さんは警察官で、大きな事件があれば絶対に駆り出される。忙しいことは彼にとって珍しいことではない。彼の言い方からして、寝不足もきっと珍しいことでは無いのだろう。
私もかつて残業と早出に追われてなかなか家に帰れなかったり寝る時間のない生活を過ごしていたけど、そんな私よりももっともっと零さんの生活はハードだ。
体を壊して欲しくない。家に帰れないことより、自分の体を大事にして欲しい。そう思って、願って、引き止めることの何が悪いのだろう。

「心配してるのに…なのに零さん、ワガママを言わないでくれなんて言うんですよ。ワガママって…ワガママってなんですか。私そんなに無理なこと言ってます?」
「普段の降谷くんなら、君の意図したところをきちんと理解していただろうな。それが理解出来なかったということは、それほど彼が疲弊しているという証拠でもある。俺は降谷くんと同じような立場にあるから彼のことを非難することは出来兼ねるが…君にかけたワガママ≠ニいう言葉はどう考えても不適切だな」

赤井さんも忙しい日々を送っている。零さんがどれほど忙しいのか、簡単に休めるような立場でないことも赤井さんはきっとよく知っている。だからこそ非難は出来ないと言ったんだろう。
赤井さんが淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。ふわりと立ち上る香りに目を細めれば、赤井さんは小さく笑ったようだった。

「それで、実家に帰らせていただきます≠ゥ。ここは君の実家ということかな」
「…違いますよ。ちょっとした意趣返しというか…こんなことで零さんに仕返しできるとは思ってないですけど」

当然ながら私には実家がない。あんな置き手紙をしたところで、どこに行けるわけでもないのだ。
でも、あのまま零さんの家にいたくなかった。帰ってくる零さんはきっといつも通りだ。私ばっかりモヤモヤして、こんなモヤモヤした気持ちを抱えたままいつも通りに振る舞うことなんて出来ない。私は零さんほど人間が出来ていない。

「…零さんがいないのが寂しくないはずがないです。でも彼が忙しいこと、彼のお仕事のこと、きちんと理解は出来なくても、理解しようとは思いたいんです。間違っても「仕事と私どっちが大事なの」なんて言いたくない。だって零さんは私のことを大事にしてくれているから」
「なるほど」
「だから、良いんです。体を壊さないで、元気でいてくれさえすれば。元気な顔を見せてくれれば、ちゃんと元気で帰ってきてくれるなら、一緒にいられるなら…彼の傍にいられるなら、何だって良いんです。だから、零さんのことが心配でただ休んで欲しいと思っただけなのに、ワガママと言われて悲しかった」

零さんにも、そんなつもりはなかったのかもしれない。だけど疲れた彼を引き止めることも出来ず、私は一体どうすれば良かったんだろう。
彼にワガママと言われた瞬間のことを思い出して、視界がほんの少し揺らいでごしごしと目を擦った。赤井さんの前で泣くなんてあまりに情けなさすぎる。こうして押し掛けた私を迎え入れて話を聞いてくれた。既に多大なる迷惑はかけてしまっているかもしれないけど、せめてこれ以上の迷惑はかけたくない。

「君は本当に降谷くんのことが好きなんだな」

カップの中で揺れる紅茶に視線を落としていたら、ふと笑みを含んだ声で赤井さんに言われた。思わず顔を上げて目を瞬かせる。

「…え」
「喧嘩の話と言うし事実そうなのはわかっているが、可愛らしい惚気を聞かされた気分だよ」
「の、惚気…ですか」

そんな話したっけかな、と赤井さんを見つめるが、彼は楽しげに微笑んだままコーヒーのマグを揺らしている。それからふとその長い足を組むと、軽く首を傾げて見せた。

「そういえばスマートフォンは?降谷くんから何か連絡が入るかもしれないぞ」
「…かっとなったので昼過ぎには電源切って、そのまま家に置いてきちゃいました。大丈夫です、一晩頭を冷やしたら明日の朝にはちゃんと帰るので…。零さんも私のことなんか気にしてないだろうし、今晩も帰ってくるかもわからないですから」
「ダメですよぉミナさん。携帯はちゃんと携帯しないと」

突然赤井さんと私以外の声がして振り向いた。開いた客間のドアに寄りかかりながら小さく笑っていたのは新一くんだ。私が赤井さんと話をしている間に帰宅していたらしい。慌ててソファーから立ち上がって新一くんに頭を下げる。

「あ、お、おかえりなさい新一くん!ごめんね、お邪魔してます」
「いえ、それは全然。それよりミナさん、スマホはちゃんと携帯してくださいよ。大変だったんですから」
「…大変…?」

新一くんの言ってる意味がわからずに首を傾げると、彼は苦笑を浮かべた。

「今日俺、警視庁に用があったので行ってきたんですけど、そこで降谷さんに会ったんですよ。仕事に来たら風見さんやその他の部下の方々に追い出されたそうで」
「追い出された」
「降谷さん、今日から三日間強制有給期間だったそうです。なのに登庁なんてしたもんだから皆から大ブーイング食らったらしくて。そのまま帰れば良かったのに、朝ミナさんと喧嘩したから帰るに帰れないって休憩室で時間潰してたんです」

あの人にもそんな人間らしいところがあるんだなってわかってちょっと安心しました、なんて言いながら新一くんが笑う。

「で、もうそこからはずーっと降谷さんの話を聞いてたんですよ。あの人よっぽど疲れてたんですね。なんかちょっと言ってること支離滅裂だったし思考も鈍ってる感じだったって言うか。愚痴なんだか惚気なんだかわからねーっつーの」

新一くんが思い出し笑いをして吹き出しているが、その話の内容も分からない私には首を傾げるしか出来ない。

「久々にミナさんにちゃんと会えて嬉しかったのは本当だけど、仕事だから致し方ないとわかってても引き止められてイライラしてしまったって言ってて。詳しく降谷さんの話を聞いてみたら、ミナさんが心配から降谷さんを引き止めてたんだなってことくらいは俺にもわかったんで、それちょっと違うんじゃないですかーって言ったんですよ。ミナさんは降谷さんの体を心配しただけだと思いますよって。そしたらようやく頭も働き始めたみたいで、ミナさんが降谷さんを引き止めた意味や思いをちゃんと理解したんでしょうね。謝らなきゃって電話かけたんですけど…まぁ繋がらないと」

スマホの電源は昼過ぎには落としてしまっていた。それ以降に電話をかけてくれていたのだとしたら、当然繋がるはずもない。

「一度家に帰るって言うから俺もついて行ったら、不穏なメモと一緒に電源の切られたミナさんの携帯が放置されてるじゃないですか。降谷さんの動揺っぷり、すごかったですよ。いや、ほんとに珍しいものを見せてもらいました」

早く行ってあげてください。降谷さん、泣いちゃいますよ?
新一くんに言われて、私は赤井さんや新一くんへのお礼や挨拶もそこそこに部屋を飛び出していた。


工藤邸のドアを押し開けて門の外へと出れば、表札の近くに佇む降谷さんと目が合う。
彼は今朝家を出た時と同じグレーのスーツを着ていて、その顔はやっぱり疲労に染まっていたけど…それでも、もう私を突き放すような気配は感じられない。

「…零さん、」
「ミナ、ごめん」

私が何かを言うよりも先に、零さんが口を開く。

「俺の事を心配してくれてありがとう。そんなミナの気持ちを踏みにじってごめん」

ほんの少し離れていた距離を、零さんがゆっくりと詰める。すぐ目の前まで来た彼を見上げて、彼の瞳が少しの不安とそれ以上の安堵に揺れていることに気が付いた。声は、ちょっとだけ掠れている。

「実家に帰る、って。…方法がないなんてことはわかってるのに、この世界からいなくなってしまうんじゃないかって怖くなった」

私の頬に触れる零さんの指先はひんやりとしていた。その手を取ってぎゅうと握りしめる。意趣返しなんて、酷いことをしてしまったと反省した。彼を傷つけるつもりはなかったのに。悲しい思いをしたから仕返しなんて、そんなことしなければ良かった。
後悔しながら、彼の腕の中に飛び込んだ。強く抱き返されて胸がいっぱいになる。

「私も、ごめんなさい…。ごめんなさい、零さん。私が帰るのは零さんのところです。零さんのところだけです。それ以外に行くところなんてない」

私は零さんからは離れられない。彼以外のところに帰る場所などない。好きで好きでたまらない。天地がひっくり返ったって、私が零さんのことを嫌いになれるはずなんてない。

「帰ってたくさん寝ましょう。明日はお昼過ぎに起きて、ハロと三人でごろごろして、のんびり過ごしましょう。私、零さんと過ごせるなら場所なんてどこでもいいんです。何をしててもいいんです。あなたと一緒にいたいだけなの」

会えない時間も寂しい時間も辛くないわけじゃない。でも私はただ、あなたに元気でいて欲しい。
一緒にいられるなら、場所も過ごし方も関係ない。


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「それにしてもナイスタイミングだったな、新一」

ポケットの中から取り出したスマホの通話を終了させる赤井さんを見て苦笑する。

「そりゃー赤井さんが連絡くれましたし?でも、通話状態のままスピーカーにして会話を聞かせるとは思いませんでしたよ。会話を聴き始めた時の降谷さんの顔、赤井さんにも見せたかったなぁ」

赤井さんからミナさんの所在について連絡を貰った時、俺と降谷さんは一緒にいた。だからそのまま降谷さんと一緒に俺の家まで移動したんだけど、まさか赤井さんから電話がかかってきて、そのままミナさんとの会話を聞かされる羽目になるとは。降谷さんの気持ちを思うとなかなかにしんどいものがある。
でもミナさんの気持ちは包み隠さず全部降谷さんに伝わったわけだし、これであの二人も仲直りするだろう。終わり良ければ全て良しである。

「ところで新一、降谷くんはどんな話をしたんだ?」
「どんなって…愚痴三割、七割は惚気ですよ。ミナさんよりももっとわかりやすい惚気だったかなぁ、可愛いとか癒されるとか」
「なるほど。ベタ惚れなのはお互い様というわけか」
「そういうことですね。案外似た者同士なんですよ、あの二人。全くお熱いことで」

お互いがお互いを大切に思うが故の喧嘩だ。あの二人が喧嘩するなんてそうそうないような気がするから、本当に珍しいものを見た。
これに懲りて、降谷さんももっと自分の体を大事にするようになれば良いのだ。あの人だって、好きな相手を泣かせることは本望では無いだろうし。
蘭の顔を思い浮かべながら、そんなことを思った。