「えっ、入籍?」
「うん、来月頭にね。入籍したら改めて皆には連絡しようと思ってたけど、今日せっかく会えたからご報告」

その日私は仕事が休みで、久々に図書館に行って本を借り、ふらりとポアロに立ち寄った。
零さんはもうポアロで働いていない。本職…つまり、警察官として長年追い続けてきた案件に決着が着いたらしく、安室透として過ごす必要が無くなったからである。もちろん「潜入捜査で偽名を使っていました」なんてこと大っぴらに言えるわけもないから、表向きには定職に就いた為バイトは辞めた、ということになっている。
零さんがいなくなっても、私にとってポアロは馴染み深い場所だ。たまにこうして足を向けるのだが、外の蒸し暑さから逃れて冷房の効いた店内に入れば、今日は馴染み深い場所に馴染み深い顔ぶれが揃っていた。
蘭ちゃんに、園子ちゃん、それから新一くん。せっかくだからとご一緒させてもらったんだけど、私の左手の薬指の婚約指輪に新一くんが気付いたのである。

「そっかぁ…ミナさんも人妻かぁ…」
「園子、言い方」
「佐山ミナじゃなくて、安室ミナになるのね。んふふ、なんだか新鮮」

園子ちゃんの言葉に苦笑したのは、蘭ちゃんと新一くんだ。この二人は、訳あって零さんの本名を知っているから少しばかり複雑なのかもしれない。
私は来月、佐山ミナではなく降谷ミナになる。零さんのパートナーとして、これからの人生を共に歩んでいく。
いつかそんな未来があればいいなと思っていたけど、実際に現実になった今はなんだかピンと来ないというか…まだ実感が湧かないというのが正直なところだ。

「んじゃ、新婚旅行とかどこ行くの?国内?海外?」

楽しそうな園子ちゃんの言葉には、私も小さく苦笑いを浮かべた。
入籍、結婚となれば、新婚旅行の話が出るのは当然かもしれない。一般の人間ならそういうのも考えたかもしれないけど、私のお相手はなんと言っても警察庁の警視さん。特に今はとても忙しくしていて、なかなか家に帰って来られないことも多い。
新婚旅行なんて、とてもじゃないけど考えられない。そんなことは、最初からわかっていたことだ。

「予定はしてないよ。透さん、忙しいし…」
「えっ?でも…」
「園子、それ以上は野暮だぜ」
「いいじゃない、園子。ミナさん、本当におめでとうございます」

言葉を続けようとする園子ちゃんを、新一くんと蘭ちゃんがやんわりと制した。蘭ちゃんと新一くんに気を遣わせてしまったのが少し心苦しいけど、正直助かったなとも思う。
多くを望めないことくらいわかっていた。彼と一緒になれるということが重要で、それが私の幸せで、だから良いと思ってる。けれど、したくないわけじゃないのだ。そんな話をしてしまったら、望んではいけないものを望みたくなってしまう。
事情を少なからず知っている新一くんや蘭ちゃんがいてくれて良かったなと思っていたら、園子ちゃんがばん、とテーブルを叩いた。

「じゃあ、鈴木財閥所有のリゾートに、皆で行きましょうよ!一泊二日くらいならなんとか都合付けられるでしょ!」
「えっ?」


***


青い空、白い雲。輝く太陽に、寄せては返すエメラルドブルーの海の波。きゃっきゃとはしゃぐ子供達の声を聞きながら、私はぼんやりと美しい景色を眺めていた。
一泊二日の小旅行。園子ちゃんの計画に集ったのは、毛利さんに蘭ちゃんを始め、新一くんに世良ちゃん。哀ちゃんを含めた少年探偵団の子供達。

「シュウ兄も来られたら良かったんだけどなぁ」

そうボヤくのは、私の隣に座っていた世良ちゃんだ。世良ちゃんがあの赤井さんの妹さんだと知った時は世間の狭さに驚いたものだけど、確かに言われてみれば似ているなと思う。グリーンの瞳や少し癖の強い髪なんか、とくに。

「赤井さんもお忙しいもんね。…零さんが休みを取れたのも奇跡的だし」
「降谷さんは働き過ぎだから休みを取った方がいいって、シュウ兄も言ってたぞ」

日本人はなんてクレイジーなんだって呆れてたよ、と世良ちゃんが続ける。赤井さんがそう言っているところを想像して、思わず小さく吹き出した。
私と世良ちゃんの視線の先には、少年探偵団の子供達と遊ぶ零さんの姿があった。水着にパーカー姿の彼もかっこいいなんて思いながら、子供達とビーチバレーをしている様子を見つめた。珍しく哀ちゃんもその輪の中に入っている。子供達に会うのはポアロを辞めてから初めてらしく、久々に会う「安室透」に子供達も喜んでいるから良かったと思う。けれどそこに、コナンくんの姿はない。



「お父さんとお母さんがいる外国に行くんだ」

一ヶ月ほど前のことだ。コナンくんがそう言った。
親元を離れて毛利さんの家にお世話になっていたのは知っていたけど、ご両親の元に帰ることになったらしい。コナンくんからその話を聞いた時コナンくんの出国は既にすぐ間近に迫っていて、急なことに私は空港まで見送りに行くことも出来ず、結局その話を聞いたのがコナンくんに会う最後の機会となってしまった。
行先は、教えてくれなかった。遠いところ、とだけ言っていた。元気でやるよ、心配しないでと言っていたけど…今頃どこで何をしているんだろうとぼんやりと思う。
そういえば、工藤新一くんが帰ってきたのは丁度そんなタイミングの時だったな。何だか初めて会った気がしなくて(顔が似ているから快斗くんのせいかもしれないけど)、不思議と新一くんとはすぐに打ち解けた。彼にコナンくんの面影を重ねてしまうのは、幼少期の彼がコナンくんにとてもよく似ているから、かもしれない。
そして哀ちゃんも、もうすぐ遠くへ引っ越してしまうのだそうだ。引っ越すということは教えてくれたけど、引っ越す日も、場所も、その理由も教えてはくれない。阿笠博士に聞いても教えて貰えなかったから、哀ちゃんもきっとコナンくんのようにふわりといなくなってしまうんだろう。それを寂しいと思うけど、だからこそ一緒にいられる時間は大事にしたいと思う。
人に話せない秘密がある。それは、世界なんてものを越えた私自身が痛いほどよくわかっているし、コナンくんと哀ちゃんが何か事情を抱えていることくらいわかる。
そこに、私は踏み込めないのだ。私の秘密に、二人が踏み込めないのと同じように。



毛利さんは少し離れた木陰でお昼寝中。蘭ちゃんと新一くん、園子ちゃんは海のさほど深くない辺りで泳いでいる。
鈴木財閥所有のこのリゾート地はホテルと海が目と鼻の先で、しかも砂浜は完全な鈴木財閥の私有地。近くの商業施設がまだ工事中でリゾート地自体オープン前とのことで、特別にホテルと海側を解放してもらったのである。宿泊客は私達だけ。当然砂浜にいるのも私達だけだ。

「ミナさんは遊ばないのか?」
「子供達が透さん≠ノ会うのも久しぶりだし、せっかくだから邪魔したくないなって。…なんだかこんな平和な光景を見てるのもいいなって思うし」
「邪魔にはならないと思うけど…まぁ、気持ちはわかるかな」

でも、と言いながら世良ちゃんが立ち上がる。

「これ、一応降谷さんとミナさんの新婚旅行だろ?子供達はボクが引き受けるからさ、降谷さんと少し泳いできたら?」

世良ちゃんに言われて、少し考える。
ここに来るまでは鈴木財閥所有の自家用ジェット。その間確かに零さんと一緒に座って旅行への期待に胸を膨らませていたけど、人数も多いし二人でゆっくりと言うわけにはいかなかった。せっかく海まで来たんだし、…その、せっかく水着も新しく買ってみたから…世良ちゃんの言う通り、確かに二人でのんびり泳ぎたいなぁなんて思ったりする。大きな浮き輪の準備はばっちりなのである。今のところ、私の横で出番を待って鎮座しているけど。

「…うん、それじゃ…お願いしようかな」
「へへ、うん。任せてよ!」

おーい、と声を上げながら砂浜へと駆けていく世良ちゃんを見送る。世良ちゃんは零さんと一言二言話をすると、零さんの代わりにビーチバレーへと加わった。ビーチバレーの輪から離れた零さんは、そのままこちらへ真っ直ぐ歩み寄ってくる。
太陽の光に、ミルクティーの髪の毛がキラキラと輝いている。綺麗だなぁ、なんてぼんやり見つめていたら、私の目の前まで来た零さんが小さく笑った。

「真澄ちゃんに交代してもらった。泳ぎに行こう」

脱いだパーカーをパラソル下のビーチチェアへと放ると手を差し出してくる。引き締まった褐色の体は、太陽の下で見るとますます眩しく見えて顔が熱くなる。こんな火照りを冷ますためにも、海に入るのは悪くない。そっと零さんの手を取って立ち上がり、出番をずっと待っていた浮き輪を抱える。
零さんと一緒に砂浜を歩いて、海へ。冷たい波が足をくすぐり、思わず笑い声が漏れた。

「気持ちいい」
「こんな綺麗な海なかなか来れないだろ。堪能しておいて損は無い」

零さんに促されるまま浮き輪を被り、零さんと二人で砂浜から離れていく。零さんが浮き輪を押してくれると、あっという間に砂浜ではしゃぐ子供達の声が遠くなる。聞こえるのは波の音と、すぐ傍にいる零さんの息遣い。
…零さんとこうやってのんびり過ごすのは久しぶりだ。自然と胸は高鳴っていく。

「…お休み取るの、大変だったんじゃないですか?」
「まぁ、簡単ではなかったけど。二日くらいならなんとかなるところまで仕事は終わらせてきたから問題ないよ」

浮き輪の縁に零さんが腕と頭を乗せると、吐息まで感じる距離になる。元気そうに見えるけど、ほんの少しだけ目の下に隈がある。…きっとこのお休みも、すごく苦労して取ってくれたんだろうな。嬉しい半面、少し申し訳なくなる。
休めるのなら少しでも休んで欲しいのが本音だ。無理だけはして欲しくない。

「こら」
「え」
「なんか余計なこと考えてるだろ」

ぐい、と指先で額を押されて目を瞬かせれば、零さんは柔らかく笑った。それから。

「似合ってる、その水着」
「え、あ、…あ、ありがとうございます…」
「少し露出が多くて心配だけど」
「そう、かな…」
「そうだよ。…でも、すごく可愛い」

可愛い、なんて言われるような歳じゃない気もするけど、零さんに言われると嬉しくなってしまうからどうしようもない。恥ずかしいと思いながらも喜んでいる私のことなんて、零さんにはお見通しなんだろうな。
零さんが濡れた髪を撫で付けるように掻き上げる仕草がとても扇情的で、ぶわっと顔が熱くなる。かっこいい。かっこよすぎて心臓が止まってしまいそう。自分のかっこよさも絶対に自覚しているだろうし、そんな色っぽいところを見せられては私の心臓が壊れてしまう。

「…あの、…わざとやってます…?」
「何が?」
「…絶対わざとだ」

零さんはくすくすと笑った。それから軽く身を乗り出して、ちゅっと唇に触れるだけのキスをする。
柔らかく温かい感触に一瞬目を閉じて、すぐに離れたそれを少し残念に思った。

「しょっぱ」
「海ですもん」
「ふふ、そうだな」

でも、どんな味のキスも、零さんとなら好きなんですよ。…なんて。言えるようになるまで、まだまだかかりそうだと思った。


***


海で一頻り遊んだ後、夕食の時間まで二時間ほど時間が空いた。
せっかくだからホテルの周りでも散歩に行こうかと零さんに誘われて、蘭ちゃんと新一くんから貰った白いリゾートワンピースに着替えた。二人が選んでくれたリゾートワンピースは私のサイズにぴったりで、シンプルながらもオシャレで品が良い。なんというか、私と零さんの新婚旅行の代わりって話だけど…旅費は鈴木財閥持ちだというし、蘭ちゃんと新一くんからはこんな素敵なワンピースまで貰ってしまったし、本当にいいのかなぁなんてちょっと不安になる。だって、良くされすぎている。

「お祝い、なんだろ?気にするよりも、喜んで受け取ってもらった方が皆喜ぶと思うよ」
「そう、ですよね」

零さんと手を繋ぎながら先程遊んだ砂浜をのんびりと歩く。日が傾き始めているからか日中の暑さは少し和らいで、風が吹くと涼しいとさえ感じる。
いいなぁ、ここのリゾート。商業施設がどんなものになるかはわからないけど、オープンしたら大人気になりそう。
ぼんやり海を眺めていたら、ふと繋いだ手に零さんが力を込めたのがわかった。視線を向けるも、彼は遠く水平線の方を見つめている。

「君と出会ってからのことを考えて…なんだか不思議だなって思ったんだ」
「不思議?」
「ああ。世界を越えて出会うなんて、とんでもない話だろ。…世界を越えて出会った人と、こうして一緒になるなんて、とても不思議で…奇異なことだとさえ思う」

言葉通り、住んでいる世界が違った。本来なら交わりようがない存在。
もし零さんが爆発に巻き込まれて私の世界に来なかったら。私の世界に来ていたとしても、その場所が私の住むマンションじゃなかったら。あの日私が残業をしていたら。零さんを私じゃない誰かが先に見つけていたとしたら。
ほんの少しのもしかしたら≠ェあったら、今私と零さんはきっとこんなふうに手を繋いで歩いていないだろう。小さな奇跡が重なり合って、大きな奇跡になったんじゃないかと思う。
ふと、怖くなる。…もし、重なり合った小さな奇跡がひとつでも欠けていて…この人に出会うことがなかったとしたら。私はどんな人生を進んでいたのだろう。
米花町という町に来ることも無く、もちろん米花町で出会った人達との縁も無く。ただ仕事に打ち込んで、周りの目や評価ばかり気にして…摩耗していくばかりの毎日を過ごして。
怖いと思った。零さんや、この世界で繋がった縁のない世界で生きることを、恐怖だと感じた。

「…私、零さんに出会えて良かった」

小さく呟けば、零さんは足を止めて振り向いた。
ほんのり赤く染まり始めた空を背景に、柔らかい笑みを浮かべる。

「…俺も、君に出会えて良かった」

優しい声に胸が温かくなる。
私は今、こんなにも。

「あっ!ミナお姉さん見つけたー!!」
「安室さんも一緒です!!」
「おーい!安室の兄ちゃん!ミナ姉ちゃん!!」

子供達の声がして、零さんと一緒に視線を向ける。
砂浜の向こうから走ってくるのは少年探偵団の子供達だ。三人の後ろからのんびりとした様子で歩いてくるのは哀ちゃん。どうしたんだろう、と零さんと顔を見合わせれば、空いていた方の手を歩美ちゃんに引かれる。

「ねぇねぇ!歩美たち、すっごい場所を見つけたんだよ!」
「そうなんです!安室さんもミナお姉さんも、絶対驚きますよ!」
「行ってみようぜ!」

歩美ちゃんに手を引かれ、光彦くんは安室さんの背中を押し、元太くんは私の背中を押す。哀ちゃんだけは少し離れたところから私たちを見ているだけだったけど、私と零さんが歩き出したのを見て軽く肩を竦め、一緒に歩き出した。

「え?なぁに?何を見つけたの?」
「それは行ってのお楽しみ!ほらほら、早く!」

子供達に急かされながら、私と零さんは目を瞬かせることしか出来ない。
小さな手に引かれながら砂浜を進み、階段を上がって森の中へと進む。白い石畳が森の中へと続いていて、そこを歩いていけば見えてきたのは小さな白い建物。

「…教会?」
「そう!おとぎ話に出てくるような、可愛い教会だよね!」

石畳の先には、確かに小さな教会がひっそりと建っていた。小さいながらもベルがあり、歩美ちゃんの言う通りおとぎ話に出てくるような可愛らしい教会だ。風が吹くと、緑と潮の香りがする。

「こんなところよく見つけたね」
「へへ、探検してたら見つけたんだぜ!」
「中もすごいんですよ!入ってみてくださいよ!」

ちらりと零さんを見れば、私の視線に気付いた彼は柔らかく微笑んで頷く。

「せっかくだから、入ってみましょうか」
「…そうですね、」

これも旅の思い出だ。写真くらい撮って帰ろうと思いながら教会の扉に手をかけて、零さんと一緒にゆっくりと押し開ける。
そうして私は、息を飲んだ。
柔らかな光が差し込む教会の天井はドーム形になっていて、正面には美しいステンドグラスが輝いている。外の熱気を感じさせないほど、中はひんやりとしていた。
そして、チャーチチェアには…蘭ちゃん、園子ちゃん、世良ちゃん、毛利さんが座っている。正面の祭壇には、新一くんが立っていた。

「…これは、」
「ミナさん」

声をかけられて振り返れば、世良ちゃんに頭に何かを被せられた。白い透けた布…もしかしなくてもこれって。

「ミナお姉さん!」
「安室の兄ちゃん!」
「どうぞ前へ!」

子供達の声に背中が震える。
前へ、って。前には、祭壇があって…新一くんが立っていて。だってこれって。こんなのって。

「早く行きなさいよ」

小さな手が、私と零さんの背中を押した。
ぎゅう、と零さんの手が私の手を握り返し、そのままゆっくりとヴァージンロードを進んでいく。
その間、誰も口を開かない。自分の心臓の音の方が大きく聞こえる気がして、足が震えた。足だけじゃない。手も、吐息も震えている。自分がどこを歩いているのか定かじゃない。視界が揺れて、強く胸が痛んだ。
祭壇の前まで来ると、新一くんが小さく笑う。

「安室透さん」

新一くんの声が響く。

「あなたはミナさんを妻とし、汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも」

こんなことが、あっていいのだろうか。
望んでいなかった。望んではいけないと思っていた。それでも、憧れないわけじゃなかった。
新一くんの声は静かで、けれども凛としていて、教会に響いては柔らかく溶けていく。

「共に助け合い、死が二人を分かつまで…愛を誓い、妻を想い、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい。誓います」

新一くんの視線がゆっくりとこちらに向けられる。視線が絡んで、息が詰まった。揺らいでいた視界がとうとう決壊する。頬を熱い涙が伝い、強く唇を噛み締める。

「佐山ミナさん」

零さんと出会ってからのことが、脳裏を過った。
雪の日の出会い。少しの間私の家で過ごした日々。世界を越えて、零さんの家に転がり込んでからの生活。ここで出会った人達。怖い思いも、悲しい思いもたくさんした。きっとそれはこれからも変わらないだろう。だって、長い人生なのだ。

「あなたは透さんを夫とし、汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも」

けれどそれ以上に私は、零さんの隣にいられることが喜びであり、幸せだった。苦しいことも苦しいと思わないくらい、私は彼の隣にいて、彼の隣を歩きたいと思った。
この世界で零さんに恋をした。恋は、気付けば愛に変わっていた。彼の全てを愛おしく思い、彼と共にいられる未来に感謝している。

「共に助け合い、死が二人を分かつまで。愛を誓い、夫を想い、真心を尽くすことを誓いますか?」

自分の歩んできた道に、そしてこれから歩む道に。後悔も、恐れも、疑いもない。
強く零さんの手を握りしめて、痛む喉を震わせる。

「…、っ、はい、……誓います、」

幸せすぎると胸は痛むのだ。幸せの重みにぎしぎしと軋んで、呼吸さえ苦しくなる。
零さんが好きだ。これからの未来、彼以外の人なんて考えられない。彼がきっと、私の運命の人。

「ミナ」

零さんが手を離し、私の肩をそっと掴む。彼の方を向けば、ほんの少し下手くそに微笑む零さんがいた。こんな零さんの顔、初めて見た。笑おうとして失敗したかのような、それでも幸せそうな顔。
彼の手が、そっとベールを上げていく。

「あいしてる」

私にしか聞こえないような小さな声だった。
柔らかい口付けが振ってくる。目を閉じてそれを受け入れれば、皆が拍手してくれる音が聞こえた。

「二人とも結婚おめでとう!」
「ミナさん、安室さん、おめでとう!」
「安室さん、仕事も程々にして奥さん大事にしなよ!」
「安室くん、ミナさんを泣かすんじゃねーぞ!」
「安室さん、ミナお姉さん、おめでとうございます!」
「ミナお姉さんすっごく綺麗!」
「安室の兄ちゃん、ミナ姉ちゃん、お幸せにな!」

皆の祝福の言葉を聞きながら、零さんの唇を甘受する。先程海で交した口付けとは違う、柔らかく甘いキス。
涙腺はとうに壊れていて、後から後から溢れて止まらない。
ウェディングドレスも、ブーケも、指輪の交換もない結婚式だけど、これ以上にない最高の結婚式だ。

「降谷さん、ミナさん、ご結婚おめでとうございます」

小さな新一くんの声が耳に届いた。

おばあちゃん、おじいちゃん。
遠く遠く離れてしまった世界で眠る大切な人に、心からの言葉を投げる。思いはきっと、世界を越える。

私は今、こんなにも幸せです。