「動くな!!動くとこの女の命はないぞ!!」

ぎゅう、と首が締められて息が詰まる。薄らと目を開けてみるけど霞がかったようにぼんやりとしていてよく見えない。酸素不足なのか耳も遠くなっていて、周りで悲鳴が響いているのはなんとなくわかるけど、それだけだ。
身動きが取れない。私の首を後ろから締め上げる太い腕から抜け出そうとほんの少し体を捩ってはみたものの、更に首を締められるだけだった。こめかみの辺りに押し付けられる冷たい金属の感触が気持ち悪い。
ああ、私、どうしたんだっけ。

「ミナさんを放せ!彼女をどうするつもりだ!!」

ぼんやりとした頭でもわかる。ヒロさんの声だ。
…そうだ、私今日、零さんとヒロさんと一緒にショッピングモールに買い物に来たんだ。もうすぐクリスマスだから、萩さんや松田さん、伊達さんも誘って、ヒロさんの家で皆でクリスマスパーティーをやろうって話になって…それで、買い出しに。
クリスマスツリーやクリスマスリースを買って、パーティー当日はどんな料理を作ろうなんて相談して。夕方からは萩さんと松田さんと伊達さんも合流して一緒に夕飯を食べて帰る予定だった。日も傾いて丁度良い時間だからそろそろ合流しようか、なんて話をして、それから。
それから、どうしたんだっけ。

私を締め上げる男が、片方の手で何やら小さなリモコンのようなものを取り出したのが横目に見えた。それを見た零さんとヒロさんの表情が変わったのに気付いた瞬間、男の指がリモコンのボタンを強く押し込む。
瞬間、どぉん、という轟音が響いて建物が大きく揺れた。地震、じゃない。一体何が、と思っている間に男の腕が首から外れ、私の手
を掴んでそのまま強く引っ張られる。

「来い!!」
「ミナ!!」

零さんの声を背中に聴きながら、縺れる足を必死になって動かした。男に手を引かれるまま非常階段へと入り、そのまま上へ上へと駆け上がっていく。
どこに連れていかれるんだろう。私はこれからどうなるんだろう。ぼんやりとした頭は上手く働かず、どうしてこんなに自分がフラフラになっているのかも曖昧でよくわからない。

「何を、したんですか」

ぽつりと私の口から零れたのは、そんな問いかけだった。男はちらりと私を振り返るものの足は一切止めずにひたすら階段を登っていく。

「爆弾を仕掛けたのさ。…はは、ここの客もお前も全員道連れだ」

道連れ、という言葉に、なるほど私は殺されるんだなと理解する。この男は元より自分だけ助かろうなんて思っていないんだろう。どんな理由で爆弾を仕掛けたのかはわからないけど、ショッピングモールを爆破して私諸共死ぬつもりだ。だから逃げ道のない上へと向かっているのだろうか。
長い長い階段の先、私は男と一緒に屋上へと轉び出る。外は夕焼けの赤に染まっていた。冷たい風が頬を撫で、走って火照った体が急激に冷やされる。身震いする間もなく私は再び男に首を締め上げられた。乱暴に男に引き寄せられ、振り向かされる。非常階段とは逆の、来客者用の階段出入口。そのドアの前に立っていたのは、零さんとヒロさん…それから、萩さんだった。

「ミナ!!」
「来るな!!!」

屋上まで駆け上がったことで私の体力は限界だった。ばくばくと破裂しそうなほど音を立てる心臓は痛んだけど、それと同時に少しずつ頭がはっきりとしてくる。ずきりと後頭部に鋭い痛みが走り、人質になる前に後ろから誰かに強く殴られたのを思い出した。
そうだ。萩さんや松田さんや伊達さんも呼んで、夕飯を食べて帰ろうかなんて話をして、ヒロさんが携帯を取り出した時だった。頭を強く殴られて、視界がぐるりと回転した。そうして気がついたら私はこの男の腕の中にいたんだ。

「何が目的だ」
「ここの社長の破滅だ。犠牲はなるべく多い方がいい。客も、この女も、お前らだって全員道連れにしてやる!」
「馬鹿なことを…!直に警察も来る、逃げ場はないぞ」
「馬鹿なこと?馬鹿なことだって?馬鹿なのはお前らだ!仕掛けた爆弾が一つだけだと思ったか!」

零さんとヒロさんの言葉に男が激昂する。それからくつくつと喉で笑うと、先程の小さなリモコンを再び取り出した。さっきもこのリモコンを押したら爆発が起こったようだったから、起爆スイッチで間違いないだろう。

「もう一箇所、爆弾を仕掛けてある。念には念をってやつさ。これが爆発すれば、このビルも倒壊する。逃げ場がないのは俺だけじゃない、お前らも同じだ!!」
「…なるほど、もう一箇所ね。聞こえた?陣平ちゃん」
『ああ、バッチリだ。つーことはこれを切っちまえば…ほい、終了。簡単に口を滑らせてくれて助かったぜ』

今、ノイズ混じりに聞こえた声は。

「何…ッ?!」
「残念だったねぇ。あんたが仕掛けた爆弾は、爆発物処理班のエースが解体済みだってさ」

薄らと開いた目で彼らをじっと見つめれば、萩さんの手にはスマートフォンが握られていた。きっと松田さんに繋がってるんだ。
萩さんの言葉に、男が焦ったようにリモコンのスイッチを押す。けれど先程とは違って何度スイッチを押そうと、爆発が起きることもビルが倒壊することもない。男の焦りは私にも伝わり、顔を見ずとも青ざめているだろうことがわかる。

「ッくそ!」

男がリモコンを投げ捨て、コンクリートの床にリモコンが転がる乾いた音がした。安心したのも束の間で、すぐに強く首を絞められて息が詰まる。窒息する程じゃないけど、上手く呼吸が出来なくて苦しい。

「ミナさん!」
「爆弾は解体したぞ。それで、お前はミナをこれ以上どうするつもりだ」
「来るな!!!こちらにはまだ拳銃があるんだ!!この女の頭ぶち抜かれたいのか!!」

追い詰められて興奮した男が、強く私の頭に拳銃を突き付ける。ごり、と金属と皮膚が擦れる音がして息を飲んだ。
今、この男が拳銃の引き金を引いたら私はあっさりと死ぬのだろう。私は医療だとかそういうことに詳しくないけど、普通は頭を撃ち抜かれたら死ぬ。頭を撃ち抜かれて助かったという事例は、少なくとも私は知らない。
ひやりとした汗が背中を伝ったのがわかった。怖い。

「ここから、この女諸共飛び降りてやるからな…!!」

男の声と同時に、零さん達の表情が変わる。まずい、と呟いているのが聞こえて、どういうことなのかと理解する前に男に力で引きずられていく。飛び降りるって言ったのか?このショッピングモールの屋上から?私の頭に押し当てた拳銃はそのままに、男はじりじりと屋上のフェンスの方へと歩み寄っていく。もたつく足を動かして、恐怖に震えた喉から小さな悲鳴が漏れた時だった。

「降谷!これ使え!」

屋上に飛び出してきたのは伊達さんだった。彼の手に握られていた一丁の拳銃が零さんの方へと投げられる。沈みかけた夕日の光にキラリと輝くシルバーの銃身を零さんが掴み、そのまま銃口を真っ直ぐにこちらへと向ける姿はスローモーションのようにゆっくりに見えた。
銃を構えた零さんと視線が交わる。銃弾よりも先に零さんの瞳に射抜かれて、鋭い眼光にも関わらず私は安心感を覚えた。

「お前、何してる!!女ごと撃つつもりか?!」
「ミナ」

男が銃口を向ける零さんに対して何か喚いていたようだけど、もうどうでも良かった。大丈夫。零さんはいつだって、私のヒーローだから。

「一瞬だからな」

零さんの声に小さく頷く。息を吸ってから呼吸を止めて、その瞬間、ぱぁん、と大きな銃声がして太ももの辺りに焼けるような激痛が走った。あまりの痛さに声も出なくて、強く歯を食い縛ることで声を上げるのを耐えた。自分の体を支えることが出来なくなり、がくんと膝から力が抜ける。

「っ?!お、おいっ!何してる、立て!立てったら!!」

半ば男の腕にぶら下がるような形になり、なお私の体はずるずると地面に崩れていく。焦った男が私に意識を向けたほんの一瞬だった。銃声がもう一発。大きく震えた男が私の体から腕を離し、呻き声とともにその場に蹲る。地面に倒れ込みながら男を見れば、どうやら零さんが男の拳銃を弾丸で弾き飛ばしたところだったらしい。

「確保!!」

伊達さんの声と同時に、皆が男に飛びかかる。萩さんとヒロさんが男を取り押さえ、伊達さんが男の腕に手錠をかけた。

「ミナ!」
「零さん、」

駆け寄ってきた零さんが私を抱き上げてくれる。冷えた体を温もりが包んで、緊張の解けた私は深い安心感にゆっくりと息を吐いた。零さんに撃たれた足に視線を向けると、服が真っ赤に染まっていた。じくじくと強い痛みがあるものの、弾丸は貫通したのではなく太ももの側面を掠っただけ。全部零さんの計算通りだったんだろう。

「ありがとうございます、零さん」
「感謝なんて。…痛いよな、ごめん。すぐに病院に連れていくから」
「痛いけど…でも、零さんが守ってくれた証だから」

零さんの肩口に頬を寄せて深く息を吸い込む。彼の匂いに満たされながら小さく笑えば、私を抱きしめる彼の腕の力が強まった。
気付けば、私を捕らえていた男が警察の人達に連行されていくところだった。状況から見て恐らく伊達さんが通報してくれていたんだろうな。

「ミナちゃん!」
「大丈夫?ゼロ、すぐに病院へ」
「ああ」

ヒロさんと萩さん、伊達さんに付き添われながら、私と零さんは屋上から出て一階の出入口へと向かう。途中で松田さんも合流して、彼は足を怪我した私を見て驚いたように目を丸くした。曰く、「降谷の腕なら人質が取られてても犯人に一発撃ち込むことくらい出来たんじゃねぇか」だって。私は拳銃をちゃんと撃ったことなんてないからどのくらいの難易度なのか想像も出来ないけど、まぁどう考えても簡単なことではないだろう。
松田さんの言葉を聞いた零さんは苦笑を浮かべて、こう言った。

「買い被りすぎだよ。男はミナを盾にしていたし、屋上からミナと一緒に飛び降りるつもりだった。下手に動かれたら余計にミナを危険に晒すことになる。あの状況で正確に犯人だけを狙い撃てる人間を、俺は今のところ一人しか知らない」

残念ながら俺にそこまでに腕はない、と言う零さんは、どこか悔しそうだった。

「以前蘭さんから聞いたんだ。まだ蘭さんが幼い頃、妃弁護士を人質に取られた毛利先生が…妃弁護士を助けるために、敢えて彼女の足を撃ったって。足を撃たれた人質は、逃走しようとする犯人にとって足手まといでしかない。例え犯人を逃がしたとしても、俺にとってはミナの無事が最重要事項だ」
「俺達が揃ってて、犯人を逃がすわけないでしょ降谷ちゃん」
「ああ、もちろん。そこまでちゃんと見越していたよ」




ヒロさん達は病院まで付き添ってくれると言っていたけど、事情聴取なんかもあるからと丁重にお断りした。病院には零さんが付き添ってくれるし、心配かけてしまうほどの大きな怪我でもない。
何だかんだ言っても零さんの射撃の腕は良いんだと思う。でなきゃ、掠り傷で済んでいるわけもない。救急車に乗り込みながら、今ここに生きていられることを心から嬉しく思った。

「…でも、クリスマスパーティーは無しですよね」

はぁ、と溜息が零れた。
クリスマスの買い物は終わっていたけど、私がこんな状況で数日後のクリスマスを楽しく迎えられるはずもない。少なくとも数日はろくに歩けないだろうし、こんなことではヒロさんのお家に行っても迷惑をかけてしまう。
肩を落としていたら、ふとスマホに視線を落としていた零さんが小さく笑った。

「いいや、そうでもない。あいつら、意地でもクリスマスパーティーをするつもりみたいだぞ」

零さんがそう言って見せてくれたのはメール画面。送信者はヒロさんのようだ。そこに書いてあった文を見て、私はぱちぱちと目を瞬かせる。一瞬理解するまでに時間がかかって、もう一度ゆっくりと読み直して思わず笑みが浮かんだ。
脳内に流れ出すのは、ショッピングモールで延々と流れていた愉快なクリスマスソング。クリスマスを楽しく迎えられそうにないというのは撤回。きっと、とっても楽しいクリスマスになる。



クリスマスパーティーは、ゼロの家に変更な!