駅前に行くと、耳に馴染むクリスマスソングが流れている時期になった。
暦は師走。年末に向けて、それ以前にクリスマスに向けて、世間が賑やかかつ忙しくなる頃である。今年の冬は少し訪れるのが遅かったというか、十一月末まではそこそこ暖かい日もあったのだけど、十二月に入ってから突然寒波が襲っている。軽いトレンチコートからウールやダウンコートに切り替える速さと言ったら。暖かさに慣れ切った体には、いきなり来てしまった鋭い寒さはそれは厳しいもので、もう少し徐々に徐々に慣らしていって欲しかったものである。

「はい、明日は何曜日でしょーか!」
「突然どうしたの、快斗くん」

嶺書房での仕事終わり。快斗くんと一緒に締め作業をしていたら、唐突にレジカウンター越しに身を乗り出した快斗くんがそんなことを言った。パソコンで今日の売上を確認していたのだが、本棚の方の片付けに飽きた様子の快斗くんはそんな私に構うことなくニッと笑みを浮かべてる。その手に持ったハタキはちゃんと役目を果たしたのだろうか。

「明日は何曜日って……今日は一緒のシフトの土曜日なんだから、日曜日に決まってるでしょ?」
「ピンポーン、大正解!」

大正解、って言われてもなぁ。
快斗くんの言わんとしていることがよく分からずにとりあえずと答えたが、快斗くんは満足そうに笑みを深めている。快斗くんとの付き合いはまだそう長い方じゃないけど、それでも浅い付き合いではない……と思う。怪盗キッドの秘密も教えてもらって、今では私も彼の秘密を知る数少ない中の一人ということになるし。
怪盗キッドの時は何を考えているか少しわかりにくいところがあるけど、黒羽快斗として行動している時は存外わかりやすかったりするのだ。今快斗くんが浮かべている笑みは……何かを企んでいる顔、のような気がする。

「何企んでる?」
「人聞きが悪いなぁ。俺ってそんなに信用ない?」
「そうじゃないけど、締め作業を放り出してそんなこと言うなんて珍しいなと思って」
「放り出してねぇし。ちゃんとやってるし。このハタキだってばりばり働いてるしぃ」

本当かなぁ。目を細めてじぃと快斗くんを見れば、彼は不服そうに頬を軽く膨らませている。こういうところ、すごく年相応で可愛いなぁなんて思うんだよね。弟が出来たみたいでちょっとくすぐったい気持ちになるのは内緒だ。
思わず小さく吹き出せば、快斗くんはますます眉間にシワを寄せてむぅと口を尖らせた。その頬に手を伸ばして軽く引っ張ると、痛くもないだろうに「痛い痛い」と非難が飛んだ。

「それで?明日が日曜日だから何?」
「ミナさん予定なんも無いっしょ」
「……無いけど。でもそれを認めるのは何というかちょっと屈辱というか」

透さんは明日も朝から晩までお仕事だ。帰るには帰ると言っていたけど、多分立て込んだお仕事で遅くなるんだろう。帰りが何時になるかは言っていなかった。

「んじゃさ、俺とデートしようぜ」
「うん?」
「デート。今の時期だけじゃん?金座のイルミネーション。一緒に見に行こうよ、すげぇ綺麗なんだって」

クリスマスのこの時期、金座の街路樹がイルミネーションで彩られるのは知っている。実際に見たことはないけど、以前見に行ったらしい蘭ちゃんからすごく綺麗だったという話だけは聞いた。興味がないかと言われたらそんなことないし、行ってみたい気持ちもあるにはあるけど……考えるまでもなく、金座のイルミネーションはカップルに人気のスポットである。私なんかよりも、好きな女の子を誘った方が良いんじゃないのかな。どうして私を誘うんだろう、わざわざデートなんて言い方をして……とそこまで考えて、私ははたと思い当たった。
なるほど。デートのお誘いをする予行練習ってところなのかな。クリスマスはまだ先だし、本命の子をお誘いする前の事前準備的な。本命の子を金座のイルミネーションに連れて行くのは良いけど、どんなお店があるのかとかどこでご飯しようとか、そういうのを知っておきたいのかもしれない。今はネットで何でも調べられる時代になったが、それでも百聞は一見にしかず。実際に行ってみるのが一番確実な方法だ。
可愛い弟分の為に、私が一肌脱いであげましょう。ふんふんと頷けば、快斗くんは何故だか怪訝な顔をして首を傾げた。

「なるほどねぇ」
「あのさぁ、ミナさん何か勘違いしてない?」
「してないしてない。ふふ、いいよ。デートしよっか」

ニコニコしながら言うと、快斗くんは目を細めてじとりと私を見つめている。そんな呆れたような顔しなくってもいいじゃない。そもそもそんな顔される覚えはないはずなんだけどな。
やや納得いっていないような様子だったけど、快斗くんはやがて「まぁいっか」と一人納得すると上半身を預けていたレジカウンターから体を起こした。

「んじゃ明日、夕方五時に金座駅前な。遅れんなよ?」
「わかってるよ。快斗くんこそね」

それと、ちゃんと締め作業はやってね。そう付け加えると、笑みを浮かべていた快斗くんは途端に不貞腐れたような顔をした。
なんだかちょっとハロを相手にしている時と感覚が似ているなぁなんて思ったんだけど、さすがにそれを口にしたら彼の機嫌を損ねてしまいそうだったのでやめておいた。
でも、ハロも怪盗キッドも同じ白だしなぁ。


***


翌日は天気にも恵まれてよく晴れた日になった。日中は程よく暖かい時間帯もあったけど、それでもやっぱり日が落ちてしまえば一気に冷え込む。ウールのコートにマフラーを巻いて、しっかり防寒対策をしてから家を出た。
透さんには快斗くんと夜ご飯を食べに行くことは伝えてある。「忙しさが落ち着いたら、僕ともデートしてくださいね」なんて言われて照れてしまったのは致し方ないことだと思う。

「快斗くん、お待たせ。ごめんね、待たせちゃった?」
「おっすミナさん。俺も今来たとこだから大丈夫」

私が金座駅に着いた時には、快斗くんは既に待ってくれていた。待ち合わせの五時にはもう少し時間があるけど、いつから待っていたんだろうと思って心配したら定番のセリフが返ってきて思わず笑う。何笑ってんだよ、なんて言われてしまったけど仕方ないじゃないか。どうしても初々しいなと思ってしまうし、微笑ましくなるのだ。

「お日様が出てた時は暖かかったけど、やっぱり暗くなると寒いね」
「今日暖かかったの?」
「うん。洗濯物干す時暖かいなって思ったよ、風もなかったし」
「そうなんだ。俺今日ずっと家でゴロゴロしてたからわからなかった」
「あれ、そんな呑気にしてていいの?次のターゲットは?」
「心配ご無用、もうばっちり決めてありますぅ」
「そっか、じゃあコナンくんにも情報共有しないとね」
「……前から聞きたかったんだけど、ミナさんは俺とあいつのどっちの味方なわけ?」
「そんな顔しないでよ、冗談だよ冗談」

快斗くんとなら大体どんな内容でも会話が弾む。大した内容じゃないのにずっと会話のキャッチボールが出来るのは、彼の人柄だったり頭の回転の速さだったりそういうものがあるんだろうな。彼相手だと気負わずに話をしていられるから私としてもとても楽だ。快斗くんは話し上手で聞き上手だから飽きることがない。
私と快斗くんは少し金座のビル街を歩いて、いつもなら入らないちょっとオシャレなカフェで夕食を食べた。オシャレだけどリーズナブルだから、高校生のデートでもちょっと贅沢に感じるくらいで利用できると思う。お店のチョイスは快斗くんがしてくれたのだが、こういう下調べをきちんとするあたりが怪盗キッドっぽいなと感じた。失敗は許されないもんね。

「寺井さんはお元気?」
「元気元気。ミナさんにも会いたがってるよ。今度招待させてくれる?」
「喜んで。確かビリヤード場を経営してるんだっけ?」
「そう。ブルーパロットっていうプールバーをやってるんだ。ジイちゃん自身も結構腕の良いハスラーなんだぜ」

ビリヤードって言うと格好良い趣味って感じだ。当然ながら私はやったことがない。ブルーパロットに行った際には寺井さんがビリヤードをするところ、見せて貰えたらいいな。自分にはあまり機会のないことだからちょっとわくわくする。

夕食を食べて、いよいよ目当てであるイルミネーションへと向かう。食事代は快斗くんが出してくれた。私が出すか、せめて割り勘をと思ったんだけど「絶対出させない」との強い言葉をいただいたのでお言葉に甘えることにしたのである。彼女に良いところ見せたいんだろうなぁ。

「寒いねぇ」

空は晴れているけど、もし雨雲でもかかっていたら雪が降るんじゃないだろうか。手袋を持ってくれば良かったなと思いながら両手に息を吹き掛けると、不意に目の前に手を差し出された。快斗くんの手だ。滑らかなその手のひらを見て目を瞬かせると、小さな溜息が降ってくる。

「ほら」
「え?」
「手だよ、手」

きょとんとしている間に快斗くんに片方の手を取られ、そのまま彼のポケットの中へと突っ込まれる。私の手をぎゅうと握り締める快斗くんの手は私よりも温かくて、ほっとすると同時に突然のことに頬に熱が上がった。

「かっ、か、快斗くん」
「いーだろこんくらい!ほら、行こう」

私を引っ張るようにして快斗くんが歩き出す。デートの予行練習は良いのだけど、別に、私相手にここまでする必要なないのではないだろうか?恥ずかしさに彼の顔を上手く見られないかもと思ったが、快斗くんも私の方を見てはいなかった。少しだけ見える彼の横顔は、ほんのり赤く色付いているように見える。寒いからだよね、と一人納得することにした。


快斗くんとしばらく金座を歩いていると、やがてイルミネーションに眩く彩られた通りが見えてきた。毎年恒例になっているという有名なイルミネーションだ。金座は夜でも煌びやかな高級店で明るいイメージだったけど、やっぱりイルミネーションとなるとレベルが違う。キラキラと輝く木々は、見に来ている人達の顔を明るく照らすほど。噂に違わぬ美しさに思わず足を止め、ほうと息を吐いた。白い吐息が光に紛れて消えていく。

「すごい……」
「写真や映像で見るよりもずっと綺麗だな。……こりゃすげぇや」

人は思っていたほど多くはない。皆イルミネーションを見つめながら、ゆったりとした足取りで進んでいく。私と快斗くんも手を繋いだまま、人の流れに沿ってゆっくりと光の通りを進んでいく。本当にすごく綺麗だ。クリスマスソングも流れていて、本当に願ったらサンタさんが来てくれそうな。

「毎年たくさんの人が訪れるのもわかるなぁ。写真でも綺麗だなと思ってたけど、実際に見るとすごいね。ロマンチック」
「ホントにな。こんなベタな場所、って思わなかったわけじゃないけど……人気スポットなだけあるな。来てよかった」

そっと快斗くんを見上げると、寒さから赤くなった鼻を軽く擦りながらイルミネーションを見つめていた。きっと快斗くん近いうちに本命の女の子を連れてもう一度来るんだろうな。
ほんの少し寂しいような気持ちにもなるけど、快斗くんかっこいいし、きっと御相手の女の子を落とすのもお手の物だろう。

「予行練習になった?」
「は?予行練習?何の」
「え?今日は本命の女の子をデートに誘う為の下見でしょ?」
「は??」

寂しさもあってほんの少しからかうつもりで聞いたのだが、ぎょっとした快斗くんの表情に目を瞬かせる。
どうしてそんな顔。

「ミナさん、何の話してんの?」
「えっ?だって私をデートに誘ったの、本命の女の子とデートする時の為の予行練習じゃ……」
「はぁっ?!違うよ!」
「へっ?!えっ、でも、それじゃ、どうして」
「……あぁ〜……そうかぁ、道理ですんなりOKしてくれたと思った。勘違いしてるような気はしてたけど、なるほど。そういう勘違いをしてたわけね、ハイハイ」

ついさっきまで穏やかな顔でイルミネーションを見ていた快斗くんは、すっかり機嫌を損ねたように眉を寄せて深い溜息を吐いている。
私でもわかる。多分私は、大きな大きな勘違いをしていたのだ。快斗くんの言葉通りだけども。
快斗くんはがっくりと肩を落として、繋いでいない方の手で顔面を覆ってしまっている。自分の失言のせいだけど、何か彼を傷付けるようなことを言ってしまったという事実に胸が痛んだ。
視線はいつしか下がってしまい、地面の石畳を見つめている。
でも、デートなんて、一体どうして。

「……あの、」
「わかってるよ。……わかってる。意識されてないってことも、相手にされてないってことも、全部理解した上で誘ったんだ。ミナさんにとって、俺はいいとこ弟って感じだろ?ちゃんとわかってるよ。でもさ、たまには独り占めしたいって思ったっていいじゃん」

ぎゅう、と繋いだままだった手に力が込められる。小さく息を飲んで顔を上げれば、真剣に私を見つめる快斗くんの瞳があった。
きらきら、イルミネーションの光を吸って煌めいているブルーの瞳。私まで吸い込まれそう、と思っていたら、彼の顔が近付いてくる。それに気付いて体を引く前に、唇に触れないギリギリのところに口付けられる。

「か、……」
「俺を誰だと思ってんの?……天下の怪盗キッド様だぜ」

吐息混じりの声で囁かれる。
程近い距離から見つめられて、まるで縫い付けられたように動けなくなる。

「狙った獲物は絶対に逃がさない。……そんな俺が、手に入らないって理解しながら焦がれてるのは、この世であんただけだ」

息が詰まって、胸が高鳴る。頬に熱が集まる。真っ直ぐに向けられる彼の視線から、少しだって逃げることなんて出来ない。彼のその瞳が、逃がさないと雄弁に語っていた。

「こっち向いて、たまには囚われてよ。俺はあんたの弟じゃない、一人の男なんだけど?」

にやりと笑う快斗くんから、目が離せなかった。呼吸すら忘れそうになるくらいに動けないのに、心臓だけは暴れて音を立てて仕方がない。
寒い冬空も、冷たい風も感じられなくなっていた。顔が熱くて、吐息は震えて、何故だか大声を上げたいのに喉は貼り付いている。
彼にキスされた口の端が、じんじんと甘く痺れていた。