Happy day
「うーーん……いいお天気だ!」
洗濯物を干し終わり、思わず体を伸ばしながらそう口から零れてしまったのも当然だと思う。ここのところ天気も悪く寒い日が続いていたが、今日はすかっとした冬晴れ。雲もほとんどなく、降り注ぐ日差しは既に春の陽気を思わせる。
スマホの通知に流れてきた天気予報によると、今日の最高気温は十五度まで上がるとか。気持ちの良い穏やかな一日になりそうだ。風もほとんど無いし、洗濯物もよく乾くだろう。
ベランダから見える景色をしばし見つめていたら、足元にじゃれつくハロに気がついた。ハロも心做しか機嫌が良いみたい。
「ふふ、ハロも気持ちいいねー。……今日は暖かいし、ハロお風呂入る?」
「アンッ」
家の中で飼ってるとは言っても最後にお風呂に入れた時の記憶も薄い。さすがにちょっと獣臭くなってきたかなぁと思いながらしゃがみ込むと、ハロはそのまま私の膝に飛び乗った。ぎゅっと抱きしめて苦笑する。
「やっぱりちょっと臭いね。お昼くらいに暖かくなったらお風呂入ろ」
「アンッ」
ハロは真っ白な毛をしているけど、そういえばどことなく茶色くくすんでいるような気がする。今日は仕事もお休みだし、ここ数日悪天候で出来なかったことを全部やるのも悪くないな。
とりあえずベッドのシーツも干したし、溜まり気味だった洗濯物もやったし、後はハロをお風呂に入れて掃除機かけて……と考えながらハロを床に下ろす。
よいしょ、と立ち上がったところで突然後ろから抱きつかれて思わず悲鳴を上げた。
「わぁっ!」
「……地味に傷付くな。そんな声を上げることないだろ」
ぎゅう、と抱きしめられて、ついでに項の辺りに彼の呼気を感じて頬に熱が上がる。首だけで振り向くと零さんと目が合った。
透き通るブルーグレーの瞳は私を見つめ、けれども少し拗ねたような色を湛えてじとりと細められている。
「れ、零さん」
「ハロばかり構って狡い。今日一日オフなのは君だけじゃなくて、俺もなんだけど?」
「わ、わかってますよ。もちろん」
「わかってない。全然わかってない。久々に二人被った休みなんだ。君には俺を構う義務がある」
ぐりぐり、と私の肩に頭を擦り付ける零さんの姿は、以前からは考えられないものだ。彼は安室透としても降谷零としてもいつも完璧でスマートで、非の打ち所のない人だ。事実、彼の部下である風見さんは零さんのことを「優秀で恐ろしいほど完璧な上司」と言うし、赤井さんは「日本が誇る優秀な警察官」と言う。新一くんも「降谷さんは敵には回したくないですね」なんて言っていたし。
だから、こうしてたまに見せてくれる甘えた姿というのは、多分とってもレアで、自惚れでなければ私だけに見せてくれる姿だと思っている。愛おしくないはずがない。可愛いと思うし、きゅうっと胸が甘く痛んで幸せでいっぱいになる。
ちょっと恥ずかしいけど。
「零さん、お疲れなんじゃないんですか?オフの日くらいゆっくり休んで欲しいというか」
「充分に元気だし、ミナが構ってくれれば疲れなんて吹っ飛ぶ」
「う、ううぅ……!」
零さんは人心掌握のプロだ。こうやって甘えてくることさえ、私のツボを的確に押さえている。絶対にわかってやってるんだ。
きゅんとときめく胸を押さえて、私はたまらなくなって彼の腕の中で向きを変える。正面からぎゅうと零さんに抱きつけば、彼は小さく笑って私を抱きしめる腕に力を込めた。
大好きな彼の匂いに包まれて多幸感でどうにかなってしまいそう。
久しぶりに休日が被った今日。私だって楽しみにしていなかったわけじゃない。ほとんど毎日顔を見られているとは言っても零さんは忙しい人だ。夜帰ってくるのが遅い日もあれば、朝私が起きるよりも先に家を出ていることもある。一緒に過ごす時間は長いとは言えず、どうしたって私は零さんを求めてしまう。
そんな日々が続いて、ようやく一緒に過ごせる今日。嬉しくないわけがないじゃないか。
「……私だって、零さんに構って欲しいですもん」
さっきのお返しに、零さんの肩口にぐりぐりと顔を埋める。
なんだっけ。好きな人とハグをすると、脳内からドーパミンとオキシトシンが出るんだっけ。ストレスが三分の一になるなんて話を聞いたことがある気がする。
実際零さんに抱き締められると心が解れるような気分になるし、体から変な力が抜けていくのを感じる。小さな悩みとか苛立ちなんてあっという間に無くなってしまうし、きっと正しいんだろうなぁ。効果は身をもって知っている。
私の背中を優しくぽんぽんと叩いた零さんが、そっと私の髪に頬を寄せるがわかった。
「ようやく被った一日の休日を有意義に過ごそうと俺は思うんだけど、君は?」
「……私もそう思います」
「よし。じゃあ朝食にしよう。今朝は豆腐とわかめの味噌汁に焼き鮭と白米」
「うっ、」
なんて魅力的な朝食なのだ……!離れ難いけど零さんの朝食は絶対に外せない。名残惜しくもゆっくりと体を離せば、額に優しいキスが降ってくる。格好良すぎて好きすぎて辛い。赤くなっているであろう顔を両手で覆えば、楽しげに笑う零さんの声が聞こえた。
***
朝食を食べた後は食器を洗って家中に掃除機をかけた。零さんはお風呂場と洗面所の掃除をしてくれていて、お互いに掃除が終わったら買い物に出かけようかと話している。
買い物に行ったらハロのお散歩に行って、戻ってきたらハロをお風呂に入れて……と考えて、ふとハロの姿が見当たらないことに気付く。大体零さんのベッドの上か、リビングのクッションベッドの上にいるはずなんだけど、そのどちらにもいない。
どこに行ったのかなと思いながらふらりとリビングを見回していたら、何かを引き摺るような音と小さな足音が聞こえてくる。
「ハロ?」
玄関の方から聞こえてきた音に目を瞬かせて振り向くと、そこにいたのは散歩用のリードをくわえたハロ。ぶんぶんと元気よく尻尾を振っている。自分でリードを持ってきちゃうくらい散歩に行きたいのか。
「どうしたの?お散歩は買い物が終わるまで待っててほしいなぁ」
「アンッアンッ!」
「うーん不満そう」
その場でぐるぐると回り始めるハロを見て苦笑した。……買い物は夜でも行けるし、これは先に散歩に連れて行ってお風呂コースかなぁ。
「風呂場の掃除終わったぞ。……どうした?」
早く行こう、今すぐ行こうと言わんばかりに一生懸命尻尾を振ってアピールするハロを前にしてどうしようかなと考えていたら、お風呂掃除を終えたらしい零さんがリビングに戻ってきた。私とハロの様子を見て不思議そうに首を傾げている。
「ハロが今すぐ散歩に連れて行って欲しいって」
「買い物が先だ」
即座に言う零さんにおや、と思う。買い物は少し離れたところにあるショッピングモールに行く予定だが、正直今すぐ買わなければいけないものも無いし、ランチついでのデートの口実というやつだ。急を要するわけではないからハロの散歩とお風呂を先にしても……と思っていたのだけど、零さんがこうもはっきりすぱっと拒否するというのも珍しい。
零さんから却下を食らったハロは、あれだけ激しく振っていた尻尾を下ろして憮然とした表情で零さんを見上げている。なんだろう、この図。
「……なんだ、その顔は」
「ウウウ」
「そんな顔でそんな声を出そうとダメなものはダメだ。俺が先約だ。わかるだろ?」
「ウウウゥ」
「久しぶりの休日なんだ。お前は毎日ミナと一緒にいるからたまにはいいじゃないか」
「アンッ」
お互いに一歩も譲らないといった様子に思わず小さく吹き出した。
ハロが零さんにこんな反抗を示すのはとても珍しいし、零さんがハロに対してこんな態度を取るのもとても珍しい。
そしてその渦中にいるのは、私だということ。とても幸せなことだなぁと不意に思って、笑みが零れてしまうのも致し方ないだろう。
くすくすと笑う私を見た零さんとハロは一瞬キョトンとしてから再度顔を見合わせ、やれやれと呆れたような表情を浮かべている。
「……俺達じゃ決着が着かなそうだ。君はどう思う?」
「え、そこで私に振るんですか?」
「随分楽しそうだから。笑ってるくらいなら決めてもらおうかと思って」
そう言う零さんだって随分と楽しそうだ。
私としては零さんと過ごせるならなんだっていいのである。もちろんハロと三人で過ごせるのだって私にとっては幸せ以外の何物でもない。
零さんだってここ数日忙しくしていて疲れているだろうし、だったら今日は。
「……それじゃ、今日は家でゆっくりしませんか? ハロをお風呂に入れてあげるの、私一人じゃちょっと自信ないし」
「なるほど、ミナは俺よりもハロを取るんだな。見ろ、ハロの得意げな顔を」
零さんに言われてハロを見れば、確かに得意げな顔で元気よく尻尾を振っている。こちらの言うことがわかっているようなところが、本当に賢い犬だなぁと思う。
そんなハロと対照的に零さんはどこか拗ねたような顔をしていて、そんな彼もまだ愛おしくてたまらない。
「私は零さんと一緒に過ごせるならどこでだって、何だって構わないんですけども」
「そう言えば俺が喜んで折れるとでも思ってる? 俺はそんなに甘くない」
そう言いながらも、零さんはこちらに近寄って私の体をぎゅうと抱きしめる。もちろん、本気で不機嫌になったり怒ったりしているわけじゃない。……これも一種のじゃれ合いというか、まぁ、世間一般的にはイチャイチャ、というものなんだと思う。
心がくすぐったくなって笑いながら零さんを抱き返す。すると、耳元で零さんも小さく笑ったのが聞こえた。
「仕方ないな、今日の俺は甘いから折れてあげる。ハロに譲ることにするよ」
「ふふ、零さん優しい。ありがとうございます」
折れてくれた零さんと一緒に、まずはハロの散歩に行った。
いつも零さんがハロと散歩に行く時は零さん自身のトレーニングも兼ねているけど、今日は私も一緒だから本当にお散歩だ。のんびりと堤無津川の河川敷を進みながら、そう言えば初めてハロと出会ったのはこのあたりだったなぁと思い出す。
ハロと初めて出会った時の話をしたら、零さんは懐かしいなと言って笑った。
***
家に帰ってきてからは、零さんと一緒にハロをお風呂に入れる。
どうせお風呂に入れるからと川の近くまで行ったから、ハロの毛や爪は泥で汚れてしまっていた。シャワーのお湯の温度を調節しながら、優しく泥汚れを落としていく。
「綺麗にしてあげるからね、ハロ」
「アンッ」
泥汚れを落とし終わったら、零さんが丁寧にシャンプーしてくれる。ハロは気持ちよさそうに目を細めていて、なんだかちょっと羨ましいだなんて思ってしまう。
「ちょっと思ったんだけど」
「? はい」
零さんのシャンプーによりもこもこの泡に包まれたハロがものすごく可愛い。写真撮っておきたいなぁと思いながら、零さんの声に視線を向ける。
「今日は俺と君の貴重な休日だったわけだろ」
「えっと、そうですね」
「そんな貴重な日に俺が折れたわけだけど」
「はい」
「だから夜は、俺と一緒に風呂に入るって言うのはどう?」
「良いですよ」
「えっ」
零さんが手を止め、呆気に取られて私を見た。綺麗なブルーグレーの目を丸くしてぱちぱちと瞬かせている。
「……良いんだ」
「その、私としては一分一秒でも一緒にいたいというか」
「いや、ごめん。まさか良いって言ってくれるとは思わなくて。嬉しいよ。俺もミナと一分一秒でも一緒にいたい」
恋人だから当然なんだけど、こういうやり取りって本当に恋人っぽいなぁ。
気を取り直してハロの泡を洗い流していく。くすんでいた毛並みも、元通りの真っ白になってほっとする。乾かしたらふかふかになること間違いなしだろう。
「……ちょっと思ったんですけど」
「? うん」
今度は私から声をかける。
どうしてもハロを羨ましいと思った気持ちが、胸で疼いて仕方がない。
「ハロ、零さんにシャンプーしてもらってる時、すごく気持ちよさそうだなって」
「そうかな。そうだと良いけど」
「だからそれを体験してみたいと言うか。零さんにシャンプーして欲しいなって思うんですけど」
「良いよ」
あっさり返ってくる返事に顔を上げた。
「……良いんですか」
「むしろ駄目な要素あった?」
「いや……そういうわけじゃ、ないですけど」
「その代わり、俺の髪も洗ってくれる?」
微笑まれて小さく頷く。綺麗な髪だけど、私なんかが洗っちゃっても大丈夫なんだろうか。誰かの髪を洗ったことなんてないから緊張するな。
好きだよ、愛してると惜しげも無く降らされる甘い言葉に溺れていく。お風呂場の中で密着する肌にとくりとくりと胸が高鳴って、後でもっと触れ合うだろうに私の心は零さんの傍にいるといつだって忙しない。
零さんの肩にことりと頭を乗せると、零さんも私の頭に頬を寄せたのがわかった。ああ、幸せだなぁなんて、
「アンッ!」
「わっ!」
ぶるぶる、とハロが体を振って、瞬間水しぶきが勢い良く飛び散った。正面からまともにハロの水しぶきを食らって、私と零さんはあっという間にびしょ濡れになる。
ボクも話に入れて、と言わんばかりのハロを見つめて、零さんと顔を見合わせて声を上げて笑う。
ああ、幸せだなぁ。