「おーい佐山、お前に来客」

休み時間に入って少し経った頃。ふと教室の入口の方から名前を呼ばれて視線を向ければ、クラスメイトの向こう側から満面の笑みを浮かべてこちらに手を振る後輩の姿があった。
名を黒羽快斗。一学年下、二年生の後輩。私と彼の間に、接点らしい接点はこれといって見当たらない。彼が部活に入っているかどうかは知らないけど私は帰宅部だし、バイト先が同じだったり、なんてこともない。けれども何故だか彼が入学した当初からやたらと懐かれていて、彼が突然私のクラスを訪ねることも珍しくは無いのである。
快斗くんは学内でも有名な問題児ではあったけど、根は良い子だし頭も良くて成績も良い。問題児というのは……授業中の態度だったり、まぁそういうところから呼ばれるようになったんだろう。実際、彼は生徒達の間では人気も高いし、先生達も彼に手を焼きながらも容認してしまっている部分も多い。カリスマ的存在だからな、快斗くん。
私が何故快斗くんに懐かれているのかはわからないけど、好意を向けられるというのは悪い気はしないし、最初こそ警戒していたが今ではすっかり可愛い後輩といったところである。

「やっほー、ミナ先輩。なぁなぁ、突然だけど今度の週末、暇?」

教室の入口まで足を向ければ、快斗くんはにかっと笑いながら両手を頭の後ろで組んだ。
んん、なんだろう。この顔は何かを企んでいる時の顔……のような気がするけど。

「おはよう快斗くん。本当に突然だね、どうしたの急に」
「俺さぁ、明日誕生日なんだ」
「えっ、そうなの!? 初耳なんだけど」
「初めて言ったからね」

明日と言えば六月二十一日だ。なんで去年教えてくれなかったのか、なんて思いかけたけど、そう言えば去年の今頃はまだ快斗くんとそこまで親しくなっていたわけじゃなかったな。仲良くなった今年ならと思ったのだろうか。

「お祝いしなきゃ。誕生日プレゼント、何がいい?」
「やりぃ、ミナ先輩ならそう言ってくれると思ってたんだ」
「そんなに欲しいものがあるの? 私が用意出来るものなら良いけど、あんまり高価なものは困っちゃうなぁ」
「だいじょーぶ!簡単なことだからさ」
「簡単なこと?」

物じゃなくて? ぱちぱちと目を瞬かせる私を見て、快斗くんは笑みを深めると私の目の前に手のひらを向けてヒラヒラと振った。それから片手を一度握り込むと、もう片方の手で握った方の手首をとんとんと叩く。拳を軽く上下に振ると、彼の手のひらから二枚のチケットが現れた。相変わらずマジックのクオリティが高い。ところで、何のチケットだろう。

「……これは?」
「えー……もっと驚いてくれても良くない?」
「君との付き合いももう一年以上でしょ。さすがに一年もマジックを見せ続けられたら慣れるよ」

毎日快斗くんのマジックを見続けたせいで、最近ではテレビで手品の特集をやっていても何の驚きも感動もない。だって快斗くんのマジックの方がクオリティが高くてすごいので。
それはともかく、彼が差し出してきたチケットを受け取ってそれに視線を落として私は目を瞬かせた。

「……トロピカルランドのチケット?」

色鮮やかなデザインのチケットは、恐らく誰もが一度は目にしたことがあるだろう。かの有名な遊園地の入園チケットである。
私がチケットと快斗くんの顔を見比べれば、彼は笑みを深めた。

「な、今度の週末デートしてくれよ」
「えっ、デート?」
「そう、バースデー遊園地デート。それがプレゼントってことで」
「……って言っても、それじゃプレゼントにならないんじゃ……私がチケットを用意したわけじゃないし」
「いーんだって!先輩の時間、一日俺にくれよ」
「そんなのプレゼントでも何でもなくない? そんなことでいいの?」
「いいの!」

私の一日が彼にとってプレゼントになるなんてどうしても納得いかない。まだトロピカルランドのチケットを強請られた方がプレゼントらしいプレゼントになると思うんだけどな。
まぁ、彼の誕生日なのだし、彼が望むものをプレゼントしてあげたいという気持ちは変わらないから……私と出かけることがプレゼントになるのなら、別に構わないのだけど。私が曖昧に頷くと、快斗くんはぱっと目を輝かせて「絶対だからな!待ち合わせに関してはまた連絡するから!」と大声で言いながら自分の教室に帰っていった。


***


「ミナさん、疲れてない?」
「うーん、少しだけ。キリもいいし少し休もっか」
「オッケー。なんか買ってくるからあそこのベンチで待ってて!」
「え、ちょっと、」
「絶対に動くなよ!」

トロピカルランドでのデート当日。週末の休日、わかってはいたことだがかなりの混雑で、アトラクションの待ち時間はどれも長めだ。
今は、たっぷり並んでジェットコースターに乗って戻ってきたところ。待ち時間は長いけど、快斗くんが楽しくお話ししてくれるから決して苦ではない。だからと言って疲れないわけではないから、休憩は有難かったんだけど……。
彼の誕生日だと言うのに実質遊ぶためだけに行くのがさすがに忍びなくて、パーク内での飲食代は全て奢るつもりで少し多めにお金を持ってきた私の意思に反し、快斗くんは私に奢らせてはくれなかった。良くて割り勘、いっそ奢ってもらうことの方が多いくらいで、どうにも私としては納得がいかない。
今だって私が何かを言う前にさっさと走って行っちゃうし。……至れり尽くせりなのは私の方だ。私ばっかり楽しんでしまっているのではないか、なんて心配になってしまう。快斗くんは本当に楽しいのかな。こんな一日で、本当にいいのかな。
ひとまず快斗くんに言われた通りに近くのベンチに腰を下ろす。
……絶対に動くなよ、だって。おかしいな、私は彼よりひとつ歳上の先輩なんだけど。まぁ、抜けてる私としっかり者の快斗くんではどちらが歳上かわからないと言えばそうなのかもしれない。
快斗くんが戻ってくるまではやることもないし、ぼんやりと目の前の往来を見つめる。風船を持った男の子と、そのお母さんとお父さん。アイスクリームを片手に次は何に乗ろうかと相談しているカップルに、同じ耳のカチューシャを付けた女の子のグループ。パークの楽しげな音楽と、人の賑わい。日常からどこか切り離されたような心地になれるのは、遊園地ならではなんだろうな。
ぼんやりとしていたら、道を歩いていた女の子が突然私の目の前で転んだ。女の子が首から下げていたポップコーンバケツが、転んだ拍子にストラップから外れて転がっていく。中身は空のようで蓋が空いても中からポップコーンが零れることはなかったが、さすがにそのまま見過ごすことは出来なくて慌てて立ち上がった。転んだ女の子は道にうつ伏せになったまま、じわじわと来る痛みに声を上げ始める。

「ぅ、ぅああ……ぁああーん……!」
「わぁ、泣かないで……! 大丈夫?」

転がったポップコーンバケツを手に女の子へと駆け寄る。思っていたよりも女の子は幼くて、小学一年生くらいかと思ったけどもしかしたら四、五歳くらいかもしれない。周りを見回すが保護者らしき人の姿はない。迷子なのかな。

「ぅ、ううっ、ぅあぁん……!」
「転んじゃって痛かったね。お姉ちゃんと一緒に、一度あそこのベンチに座ろうか。立てる?」

泣き続ける女の子の頭を撫でて手を差し出せば、女の子はひくりひくりとしゃくり上げながらもようやく私の顔を見てくれた。涙に濡れた瞳は見知らぬ人間の登場に少し警戒の色を浮かべていたけど、それでも小さく頷いて私の手を取ってくれる。女の子をベンチに座らせて怪我がないかを確認すれば、膝と手のひらの小さなか擦り傷くらいのようでほっと胸を撫で下ろした。見た感じ血も出ていない。

「うん……大丈夫そう。今は痛いかもしれないけど、すぐに治るよ。今日は、誰と一緒に来たのか言えるかな?」
「……ママと、パパ」
「そっかそっか。ママとパパ、どこにいるかわかる?」
「う、……ううん、……いなくなっちゃった」

休日の遊園地だ。混雑してる中はぐれてしまうのは、ままある事だと思う。ぽろぽろと涙を零す女の子が、すごく不安で心細くて、怖いと感じていることはわかる。
どうしようかと悩んでいたら、突然頬に冷たさを感じてびくりと身を震わせた。

「わっ! つめた!」
「お待たせ、ミナさん。……どうしたの、その子」

頬に押し当てられたジュースの缶に驚いて振り返れば快斗くんが立っていた。初夏の暑さで自販機も大人気だったらしく行列が出来ていたそうだ。戻ってくるのが遅くなったことを詫びる快斗くんに首を振り、女の子のことを説明する。
目の前で転んでしまい、保護者の姿を探したけど見当たらない為迷子らしいこと。上手く泣き止ませられなくてどうしたものかと考えていたこと。すると快斗くんはふむ、と頷いてからおもむろにその場に膝をついた。それから、泣き続ける女の子の手をそっと取る。

「よーし。なぁ、クマさんとウサギさん、どっちが好き?」
「……ぅ、ひっく、…」
「ほら、どっち?」
「……ウサギさん……」
「んじゃ、ここ。よーく見てろよ?」

にっと笑った快斗くんが、女の子の前でひらひらと手を振ってみせる。それから拳を作り、女の子の手に自分の拳を重ねる。何をするんだろうと目を白黒させている女の子の前で、快斗くんはまるで魔法のように自分の手のひらから小さなウサギのマスコットを取り出して見せた。
薄いピンクのウサギのぬいぐるみ。黒いつぶらな二つの目が、女の子をじっと見つめている。

「っ、すごい! すごいすごい! ウサギさんだ!!」
「君が泣いてるのが心配で来たんだって。お友達になってやってくれるか? こいつ、君のお家に行きたいみたいなんだけど」
「えっ? お兄ちゃん、この子、私にくれるの?」
「こいつが君のところがいいって言ってるんだよね。連れてってやってくれる?」
「うん!」

さっきまで泣いていたのにすっかり涙は引っ込んだようで、女の子は目をキラキラとさせながら快斗くんが差し出したウサギのぬいぐるみを抱き締める。女の子を見つめる快斗くんの横顔は穏やかで、優しくてあたたかい。
あぁ、すごいなぁ。まるで魔法使いみたい。


***


「はー……たくさん遊んだねぇ」
「なんか、ちょっと意外だったなぁ」
「何が?」
「案外、ミナさんってタフだなと思って。俺も全力になって遊んじゃったよ」

窓の外はすっかり日も沈んで暗くなり、眼下に広がるトロピカルランドの明かりは眩く輝いている。日が落ちてもまだまだ夢の世界は終わらないようだ。
帰る間際に最後に乗ろうと快斗くんが言い出したのは、トロピカルランドに聳える大きな観覧車だった。スリルがある乗り物とかアトラクションを好むようだったから、観覧車に乗りたいと言われるとは思わなかった。最後にジェットコースターでも乗って帰るのかなぁなんて考えていたくらいだし。
観覧車のゴンドラはゆっくりと上へと上がっていく。トロピカルランドの音楽が少し遠くから聞こえてきていて、なんだかゴンドラの中だけ世界が違ってしまっているような心地になった。

「そりゃ、こういう時は全力になって遊ばないと勿体ないじゃない」
「はは、ごもっとも」
「……さっきの女の子、お父さんとお母さんがすぐに見つかって良かったね」
「すげー慌てて探しに来たもんな。別れ際は笑顔で手を振ってくれたし、きっといい思い出になるさ」

向かい側に座った快斗くんがからりと笑う。
少し薄暗い中で見る快斗くんは何故だかすごく大人びて見える。窓から外を見つめる横顔は、さっきの女の子に向けていたものとは違う落ち着いた笑みで、とくりと高鳴る胸を誤魔化すように視線を外した。

「快斗くんはさ、今日楽しかった?」
「そう言うミナさんは?」
「何で私? 快斗くんの誕生日祝いなんだから、快斗くんが楽しくなきゃ意味が無いよ。……チケット用意してもらっておいて言うセリフじゃないかもしれないけど」
「俺のことは良いから、まずはミナさんのこと聞かせてよ。今日、楽しかった?」

やけに食い下がるな。
窓の外に向けていた視線を動かして、ちらりと快斗くんを見やる。快斗くんは私の方を向いてはいなかった。窓の外に向けた視線は私の方に向くことはなく、ただ静かな笑みを口元に浮かべている。
そわそわしているのは私だけだ。いたたまれなくなって視線を窓の外へと戻す。

「……楽しかったよ。楽しくないわけないでしょう?」
「そっか。なら、俺も楽しかった」
「なにそれ」
「ミナさんが楽しくなきゃ意味がないってこと」

彼は、学校では私のことを「ミナ先輩」と呼ぶ。でもこうして学外で会う時は、「ミナさん」と呼ぶ。
最初は何でなんだろうと引っ掛かりを覚えるくらいで気にも留めなかったけど、いつしか「ミナさん」と呼ばれる度にくすぐったい気持ちになるようになった。

「ね、ミナさん」

唐突に、観覧車のゴンドラに二人きりという事実がのしかかってきた。なんだか顔が熱くなって、彼を正面から見ることが出来なくなる。

「あ、あのね」
「……今俺が話してるとこなんだけど」
「その、何で私のことを“ミナさん”って呼ぶの? ……学校だと、先輩って呼ぶのに」

彼の声を遮って問いかければ、快斗くんは少しむくれたように唇を尖らせた。それでもすぐに真っ直ぐ私に目を向ける。
外からの光を受けて、薄暗いゴンドラの中だと言うのに彼の瞳はまるで宝石のように煌めいている。深いディープブルーに捉えられ、思わず息を飲んだ。

「先輩って、思いたくないからだよ」

誤魔化したはずの胸がばくんと跳ねる。頬に熱が上がり、恥ずかしくてたまらないのに彼から目が離せない。何かを言おうとするのに、情けなくも唇はほんの少し震えるだけだ。
薄暗くて私の顔の色まではわからないはずなのに、彼は私の様子を見て満足そうな笑みを浮かべた。

「ねぇミナさん。ようやく俺のこと意識してくれた?」
「な、何を」
「俺は確かにあんたより一年後に生まれた後輩だけど、あんたの弟じゃないんだぜ。ミナさんって実はさ、俺のこと結構好きでしょ」
「なんっ、」

何も言えない私に構わず快斗くんは話し続ける。

「俺、負け戦はしないタイプだから……なんて、俺がミナさんのこと、好きなだけなんだけど」

呼吸すら忘れそうになった。
ひぇ、と変な声が漏れて、とうとう心臓の音が耳の奥で響いてくるような気さえする。
快斗くんは少しまごつくように唇を動かして視線を逸らした。けれどそれも一瞬のことで、きゅっと唇を引き結ぶと顔を上げる。

「今日絶対に告るって決めてた。ミナさん、好きです。付き合ってください!」

誕生日だしミナさんのYESが欲しいです! ……なんて。
頭を下げて私の方に手を差し出す彼の告白は、なんというか少し間が抜けていた。だってこんな模範的というか教科書通りのような告白、されるだなんて思ってなかったんだもの。
快斗くんは顔を上げない。差し出された手がほんの少しだけ震えているのがわかる。
恥ずかしくて、顔が熱いのは変わらない。だけど快斗くんが余裕なわけじゃないのかもしれないと思って、少しだけ冷静になれた気がする。
負け戦はしないなんて言いながら、快斗くんも緊張しているんだ。
皆の人気者で、余裕があって少し小生意気で、太陽のようにあたたかくて、魔法使いみたいにかっこいい。だけど彼だってまだ私と同じ高校生の男の子で、私と同じように緊張したりする。
そういうところが、たまらなく。
胸に満ちる想いに笑みを浮かべながら、返事の代わりに彼の手をそっと両手で握り込んだ。