死んだと思っていた恋人が生きていた。
何でもずっと追っていた案件で死を偽造し、解決に至るまではと身を隠して生活していたらしい。その間約五年以上だ。五年以上も私は彼のいない寂しさの中で、寂しさを忘れるように仕事に打ち込んで生きてきた。
彼の関わった案件に私も正式に加わりたいと何度か直談判してみたものの、彼は警察庁の公安で私は警視庁の公安。所轄が違うと一蹴され、私はすごすごと引き返すしか無かった。
凹む私を萩原くんや松田くん、伊達くんがよく飲みに誘って励ましてくれたものだ。警察学校から一緒の彼らの存在がなかったら、私はとっくに折れてしまっていたかもしれない。
彼らに励まされて、何度か新しい恋をしようと思わなかったわけじゃないけど、どうしても彼の顔が浮かんでそんな気にはなれなかった。
死に目にも会えなかった。潜入捜査で亡くなったから骨も帰らないと言われた。そんな彼を、どうして忘れることが出来るだろう。彼への想いは薄れるどころか日に日に強くなり、いつか私は彼への想いで雁字搦めになって動けなくなるんじゃないか、なんてことまで考えた。
そんな彼が――諸伏景光が、生きていただなんて。


「……で? 警察庁までわざわざ姿を見に行ったのに目が合って逃げ帰ってきたって?」
「ま、ミナの気持ちもわかるけどね、俺は」
「だって、……そもそも声をかけられるような状況じゃなかったもん」
「声をかけられるような状況じゃなかったって?」
「両脇を降谷くんと風見さんに固められてた」
「あぁ……」

松田くんと萩原くんが声を揃え、伊達くんは黙ったままビールを煽る。居酒屋の喧騒は心地良いけど、気分はざわざわとして落ち着かない。手に取った枝豆は中身がスカスカで、なんだか虚しくなる。

「諸伏が生きてて嬉しいんだろ?」
「そりゃ、嬉しくないはずないよ。でも私にとって、そんなすぐ納得出来るような五年間じゃなかった」

呟いた声は随分と細くて情けない。ビールのジョッキを両手で持ったまま視線を落としていたら、隣から伊達くんに「ビールぬるくなるぞ」と声をかけられた。
テーブルの上に置いた私のスマホがさっきからブルブル震えているけど、私が無視を決め込んでいるせいか誰も指摘しようとしない。連絡をして来てる相手が誰なのかはわかっているのだ。私の踏ん切りがつかないので放置している。

「……ミナは、この五年間ずっと苦しんでたもんな」

萩原くんの声に顔を上げる。萩原くんだけじゃなくて、松田くんも、伊達くんも、どこか優しい瞳を私に向けていた。

「ミナが苦しんでたのはさ、誰より俺らが一番知ってるから。俺さぁ、ミナってすごいなぁってこの五年ずっと思ってたけど、それと同時にちょっと危ないんじゃないかなって心配もしてたワケ」
「お前、諸伏が死んでから仕事への打ち込み方ちょっとおかしかったぞ。自覚あるんだかねぇんだか知らねぇけど」
「それくらい何かに打ち込んでないとやってられねぇんだなってのはわかってたから、俺達も何も言わなかったけどな」

私がいる公安は、とても忙しいところだ。その忙しさに当初はしんどいと思っていたこともあったが、ヒロくんが死んでからはその忙しささえありがたく思うことが増えた。仕事のことを考えていないと、ヒロくんの姿が脳裏を過って立ち止まってしまうから。立ち止まってしまうなんて、余計に彼にも顔向け出来ないことだと思った。
誇りを持って警察官になり、警察官として殉職したヒロくんに恥じない為にも、誇れる自分であらねばと今まで以上に仕事に打ち込んだのである。優しい友人達は、そんな私を危ないと心配してくれていたみたいだけど。

「納得いかないのはミナだけじゃねぇよ。俺だってムカついてる」
「松田くんも?」
「当然だろ。「死にました」って言われて、五年後にあっさり「死んだのは嘘で生きてました」なんて簡単に納得出来てたまるか」

でもよ、と松田くんは続ける。

「だからこそ、お前はわかってるはずだろ。諸伏には生きて帰らなきゃならないっていう覚悟があったって。生きて帰るために、生存を隠してたんだって。お前だって公安の端くれなんだからその辺は理解して然るべきだろうが」
「端くれじゃなくてれっきとした公安です」
「いーよなんだって。要点はそこじゃねぇ」

食べ終わった焼き鳥の串でびしっと指されて口を噤む。

「諸伏とちゃんと話をしろ」
「あ、それには俺も賛成だなぁ」

避けては通れないことは、自分でもちゃんとわかっている。何より私自身、ヒロくんときちんと話がしたいのだ。
複雑な気持ちは残るけど、それでも彼が生きていたことはやっぱり、私にとってどうしようもなく最上の喜びで。納得出来ないとかそういうのは全部後回しにして、私はきっと、手放しで喜んでも良いのだと。
とん、と肩を叩かれて顔を上げる。伊達くんがにっと笑って言った。

「ちゃんと諸伏と話して、その上でやっぱり納得いかねぇってなったら遠慮せずに俺らのとこに来い。俺ら三発分の拳はしっかりお見舞いしてやる」


***


「……なんてこともあったわけですが」
「うっ、耳が痛い話を掘り返すなよ」
「末代まで語り継ぎます」

くすくすと笑いながらソファーから立ち上がろうとすれば、腰に回された彼の腕がそれを阻止する。彼の足の間に腰を下ろしながら顔を上げると、そのままそっと目尻にキスされた。

「何度電話しても出てくれないし、メッセージにも既読付かないし、ゼロに泣きついて「俺も一緒に謝ってやるから」なんて言われた俺の気持ちはミナにはわからないんだ」
「何それ初耳。降谷くんに泣きついたの? 降谷くんだって、ヒロくんが生きてるって知ったタイミングは私達とさして変わらなかったって言ってたよ」
「ゼロにも散々怒られたし……でも、ミナに連絡を取ってもらえない俺があまりに哀れだったんだと思う」
「それで一緒に謝ってやるって? ふふ、降谷くん面白い」
「こっちは必死だったんだ」

萩原くんや松田くん、伊達くんに背中を押されたあの日、私はヒロくんに連絡を取った。真正面でヒロくんを見た瞬間涙が止まらなくなってしまって、結局言いたいことなんてほとんど言えず仕舞いだったけど、その時に自分が感じたのはモヤモヤした気持ちを大きく上回る喜びだった。
ヒロくんが生きていて良かった。ヒロくんにまだ会えて良かった。彼に会いたかった。触れたかったし、触れて欲しかった。
この五年間抱え込んで蓋をし続けた感情が爆発して、私はただ彼の腕の中で涙が枯れるまで泣き続けた。
ほんのり香る煙草の匂いが懐かしい。ずっと嗅いでいなかった彼の匂いに満たされ、なんだかモヤモヤ考えていたことも全てどうでもよくなってしまったのだ。
彼が生きていて、私の目の前にいて、両腕で強く抱き締めてくれる。もうそれだけで十分じゃないかと。

「……でもまさか、その場でプロポーズされるなんて思ってもみなかったよ」
「言ったろ? 必死だったんだよ」

死んだと思っていた恋人と五年ぶりに再会したと思ったらその場でプロポーズされるだなんて、少女漫画でもそう見ない展開だ。

「私に、もう別の相手がいるとか考えなかったの? 五年は短いようで、長いよ」
「当然考えたよ。ただ音沙汰が無いわけじゃない、死んだ恋人のことなんて五年も待つはずないって。ミナのことを信じてないとか、信じてたとか、そういう重いことを言いたいわけじゃないんだ。ただ俺が、ミナにプロポーズしたかった。もう一日だって待てなかった。ミナに誰か相手がいても、俺の気持ちはどうしても伝えたかったから」

プロポーズは高級なレストランで、花束や指輪を贈るロマンチックなのが定番。そんなのとは全く正反対で花束も指輪もなかったけど、あの日のヒロくんからのプロポーズは私にとって何よりも尊く愛おしいもの。
私はぼろぼろに泣いてたし、ヒロくんだって泣いてた。いい歳した大人二人がわんわん泣きながら結婚を誓い合うなんてどう考えても滑稽としか言いようがない。
それでも。なんだかそれがとても私達らしくて、いいなって思ったんだ。

「……熱烈」
「今更?」
「なんだか今日のヒロくんはよくしゃべるね」
「いつもだって無口なわけじゃないだろ?」
「そうだけど」

ぎゅう、と強く抱きしめられて彼にほんの少し寄りかかる。ヒロくんは私の肩に顎を乗せた。彼自慢の髭がほんの少しくすぐったい。警察学校の頃は髭なんてキャラじゃなかったのにな。

「死んでからじゃ何も出来ない。好きな人と話すことも、見つめ合うことも、触れ合うことも。ミナを傷つけるだろうってことはわかってた。でもそれ以上に、ミナのところに帰りたいと思ったから」
「うん」
「傷つけた分、生きることで償いたいって思ったから」
「うん」
「五年間苦しめてごめん」
「許さないって言ったら?」
「ミナが許してくれるまで死ねない」
「じゃあ、私が灰になるまで許さない」

私がそう言うと、ヒロくんはそれでいいよなんて言いながらキスをくれるのだ。
たまらなく幸せだと思う。苦しんだ五年は決して消えないし、抱えていた仄暗くて静かな絶望は忘れることもない。だけど今はそれも全部私の人生の一部分で、それすら抱きしめて生きていけるような気がしている。

明日、私とヒロくんは結婚式を上げる。入籍はもう済ませているんだけど、やっぱり式を上げるまではなんというか実感が湧かないというか。
結婚式はヒロくんの強い要望で人前式で行なうことになっている。ヒロのお兄さんである諸伏高明さんを始め、萩原くん、松田くん、伊達くん、降谷くんやFBIの赤井さんも参列してくださるそうだ。私は赤井さんのことはあまり知らないけど、何でもヒロくんが潜入中にとてもお世話になった人なんだって。ヒロくんがスコッチ、降谷くんがバーボン、赤井さんがライというコードネームを持っていたことから、私は三人合わせてウイスキートリオ、なんて密かに呼んでいる。

「でも、なんで人前式が良かったの?」
「目に見えないものに誓うより、あいつらに誓いたいって思ったからだよ」

神様を蔑ろにしてるわけじゃないぞ、とヒロくんは少し慌てたように付け足した。

「神様じゃなくて、萩原や松田……伊達、ゼロに誓うんだ。今まで悲しい思いをさせた五年間を上塗りして余りある程に、ミナを幸せにするってさ」

ああ、だから人前式なのか。納得すると同時に、真っ直ぐすぎる言葉に恥ずかしくなる。嬉しいけど、恥ずかしい。明日、誓いの言葉を口にする時に噛んでしまいそう。

「あいつらに誓ったらさ、なんかこれからの人生いい事ありそうだろ」

不思議とその言葉は、とても説得力があった。彼らは何も言わなくても私達のことを末永く見守ってくれるだろうから。
この五年間私を支え続けてくれた萩原くん、松田くん、伊達くん。ヒロくんと一緒に潜入して最後まで戦ってくれた降谷くんに、赤井さん。それから私のお義兄さんにもなる、高明さん。
私の人生でかけがえのない存在である彼らに、私達のこれからを誓うんだ。

「……ねぇ、明日の余興、楽しみにしてるからね。ギターの演奏だよね。ジャムセッションではないんだっけ」
「ゼロと赤井を説得するの大変だったんだ。練習もほとんどしてないから実質ジャムセッションになりそうな予感」
「大丈夫、ヒロくんと赤井さんがミスしても降谷くんが華麗にリカバリーしてくれるはず」
「あー……あいつ完璧主義だしな」

くすくすと笑いながらそんなことを言い合って、目が合えばそっと閉じてキスをする。
これから、今までの悲しみを塗り替えられるような幸せな人生が始まる。過去も未来も、共にヒロくんと歩んでいく。それが、私が灰になるまで続くといい。
ヒロくんと歩む幸せな人生が、ずっとずっと続くといい。