この、concreteという地面は、歩きやすいが、太陽の照り返しが半端じゃねぇ。
からころと下駄を鳴らしながら歩いていると、ふと遙が立ち止まり、俺の手を離した。
ずっと繋いでいた手は汗ばみ、不快だったのだろうか?
いつ、この心の動揺が遙に伝わるのではないかと不安に思っていた俺は、内心ホッとした。
遙を振り返ると、薄っすらと頬を上気させて俺の顔を見上げている。
遙はいつも涼しい格好をしているから、暑さにやられたのだろうか。
心配になって遙の頬に手を沿え、顔を覗き込む。
「顔が赤いぜ。やっぱりあんたは涼しい格好に慣れているから、無理に浴衣を着なくてよかったんじゃねぇか?」
遙の頬は少し熱をもっているようだった。
どこか涼しい場所に入るべきか。
じっと、遙を見つめていると、遙はますます頬を紅潮させた。
「いや、違うの…。何でもない!」
遙は俺の隣をすり抜け、頬を押さえて足早に歩き出した。
「Hey!慣れない下駄でそんなに速く歩くと…」
「きゃあ!」
案の定つまずいた遙を慌てて抱きとめる。
転んでしまったら、折角綺麗な浴衣が台無しになってしまう。
遙を正面から抱き直して、しっかりと立たせてやると、遙は頬を染めたまま視線を泳がせた。
「Hey, what's wrong?」
「Nothing」
遙は視線を彷徨わせたまま短く答える。
嘘をついているのなんかバレバレだ。
「I don't think so.」
頬に手を添えて、遙に視線を合わせると、その頬はさらに薄っすらと赤みを増した。
こんなに暑いのに、遙は汗一つかいていない。
そして、遙の頬は、熱を帯びていて、熱い。
これは、本格的に具合が悪いのかもしれねぇ。
遙が花火とやらを楽しみにしているのは分かるが、具合が悪くなってまで行かせる気はさらさらねぇ。
「予定変更だ。帰るぞ。そんなに具合が悪そうなのに、あんたを連れ回せねぇ。涼しい部屋で寝てろ」
遙の手を引き、来た道を戻ろうとすると、遙がもう片方の腕で俺の袂を引いた。
「違うの!!」
「何が違うんだ?」
俺は遙を振り返り、じっと見下ろした。
遙は目を伏せ、何か言いにくそうにしている。
「あのね、政宗……。笑わない?」
「ああ、笑わねぇよ」
遙は何度か口を開きかけ、視線を外し、頬を染めながら意を決したように、か細い声で言った。
「政宗が……あんまり格好いいから、見蕩れちゃって……何か、恥ずかしくなって……ごめんね……」
最後の方はもう、ほとんど聞き取れないほどだった。
困ったように視線を外しながら話す遙とその内容に、俺は思わず手で口元を覆って、視線を外してしまった。
何て表情で、何てことを言いやがる。
遙の熱が伝染したかのように、俺の頬も段々熱くなる。
やべぇ、遙、それは反則だぜ。
恥じらいながら話す遙はあまりにcuteで。
いつもの俺なら余裕の笑みで抱き締めてkissするんだろうけれど。
胸の奥がきゅうっと締め付けられて、身体が動かない。
ドキドキと鼓動が速くなる。
どうしていいのかわからない。
俺に見蕩れる女なんて見慣れているはずなのに。
そんな女を戯れにからかったり、抱いたりしていたのに。
遙を前にすると、俺は今までの俺でいられなくなる。
それでも。
今までずっと、前の男の面影を追っていた遙が、紛れもない俺だけを見ている。
その事実が酷く嬉しかった。
遙。
目を逸らさないで、俺だけを見てくれ。
「私、政宗の隣歩いていいのかな。何か釣り合わないよ」
「I don't think so。あんただって綺麗だ。こうして手を繋いでいないと、誰かに浚われちまいそうだ」
俺は、遙の手を取り、指を絡ませた。
触れた指先から、また微電流が走ったように身体がゾクゾクとして、俺を落ち着かなくさせる。
それでも、こうして繋ぎとめておかないと、遙がどこか遠くに行ってしまうのではないかと思った。
それほど可憐で美しかった。
二人で下駄をからころと鳴らしながら、真夏の太陽の下を歩く。
遙は時折俺を見上げ、目が合うと、恥ずかしそうに微笑んで、また瞳を伏せる。
遙と目が合って微笑みかけられる度、心の奥が疼く。
遙も照れくさいのだろうか。
俺達は無言で歩いていた。
その沈黙を破ったのは、やはり美紀からの電話だった。
「もしもし、美紀?」
巾着から携帯電話を取り出し、遙が話し始める。
ずり落ちそうになった巾着を俺が受け取ると、遙は俺と手を繋いだまま話し始めた。
「え?待ち合わせは吾妻橋?うん、………まだ家出たところだから大丈夫だよ。うん……うん、地下鉄の出口上がったところね、わかった。……え?……あ、そうだね。ねぇ、政宗?」
急に遙は俺に話しかけた。
「What?」
「政宗って、伊達藤次郎政宗って言うの?」
「ああ、そうだ」
「わかった。後で話すね」
遙はまた美紀との会話に戻って行った。
「じゃあ、政宗のことは藤次郎って呼ぶのね。………うん、聞いてみる。じゃあ、あと20分くらいで着くから。……うん、じゃあね」
遙は携帯電話を閉じた。
巾着を手渡すと、携帯電話をしまいながら遙は説明を始めた。
「私達の世界ってね、歴史上の有名な人と同姓同名をつけたら法律違反なんだ。伊達政宗って有名な人物だから、私達の生きている世界に、現在『伊達政宗』はいないの。だから、私の友達には、『伊達藤次郎』って名乗ってくれるかな?ごめんね、嘘つかせているみたいで」
なるほど、それで俺のfull nameを聞いてきたわけだ。
「ああ、いいぜ。騒ぎを起こしたくないんだろう?」
「うん。ごめんね」
「謝る必要はねぇ。それに、藤次郎も俺の名前だ。後ろ暗いところはなにもねぇ」
安心させるように、手をぎゅっと握って笑いかけると、遙もホッとしたように笑った。
「よかった。向こうに着いてからそう呼ぶね。間違えないようにしなきゃ。どうしても政宗って呼んでしまいそう。あとは、筆頭…?」
遙から『筆頭』と呼ばれるなんて予想もしてなかったから俺は吹きだした。
「あんた、何でその呼び名知っていやがる。確かに伊達軍では小十郎以外はみな『筆頭』か『頭』って呼ぶが、女にそう呼ばれたのは初めてだぜ」
「え?え?何かおかしかった?だって、みんな呼んでるじゃない?」
「野郎共はな。あんたに筆頭って呼ばれたら、あんたが軍馬に乗ってる姿想像しちまうじゃねぇか。Ha!!似合わねぇ。クックックッ…」
「もう、そんな笑わなくてもいいじゃない!!」
遙が頬を薄っすらと染めて、拳で俺の胸をぽかぽかと殴る。
必死で抗議してるんだろうが、痛くもかゆくもない。
むしろ、くすぐったい。
怒る遙が可愛くて。
俺は、笑いが止まらなかった。
「じゃあ、何て呼べばいいのよ!」
「大抵は、『政宗様』か『藤次郎様』だな。『殿』って呼んでくれてもいいぜ」
「と、殿!?」
遙がぴたりと拳を止めた。
じっと見下ろすと、みるみるうちに顔が赤く染まり、遙は両手で頬を押さえた。
何故そこで赤くなる?
「Hey, 遙。What's wrong?」
「え、だって、だって……!」
遙は口ごもり、顔はますます赤く染まっている。
耳まで薄っすらと染めている。
一体何を想像しているんだ、こいつは。
むくむくと嗜虐的な好奇心が湧きあがる。
俺はニヤリと笑って遙の腰を抱き寄せた。
「Hey, 遙。Tell me what you're thinking」
「えっ、でも!!」
反射的に遙が俺の胸に腕を突っ張る。
俺は構わず、抱き寄せて、顎をくいと持ち上げた。
「言わねぇとこのままだな」
「それは困るけど…」
本当に困ったように、頬を染めたまま視線を泳がせている。
周囲の視線が気になるんだろう。
俺には関係ねぇが。
あと一押しだ。
俺は殊更に低く、甘く囁いた。
「遙…Tell me……please」
遙は一層頬を染めた後、観念したように溜息をついた。
甘い吐息が俺の唇を掠める。
「あのね……何か、奥方みたいだなって思ったの。『殿』って呼ぶと……。そう思ったら恥ずかしくて……」
またしても予想もしてなかったことを考えていた遙に笑いがこみ上げてくる。
俺は声を立てて笑った。
「女中だってそう呼ぶぜ?」
「そうだけど…」
「試しに呼んでみるか?『殿』って」
「えー、恥ずかしいよ」
「It's just a practice. 『政宗』って呼んだらまずいんだろう?」
「でも、『殿』って言わなくても…」
「I'm just curious.(興味があるだけだ)。Just once.(一度だけ)」
ねだるように見つめると、遙は視線を彷徨わせた後、潤んだ瞳で俺を見上げた。
「……殿……」
鈴を震わせるような声。
熱っぽく潤んだ瞳。
上気した頬。
その全てに心を鷲づかみにされた。
まるで時が止まったかのような感覚に陥っていく。
確かに女中も俺のことを『殿』と呼ぶが。
遙のそれは、まるで俺の室のようで。
もし、遙が俺の世界にいて、俺の室だったら、このように俺を呼んでくれるのだろうか。
そう思い当たって、言わせた俺の方が気まずくなっていく。
やばい、これは照れる。
本格的に照れる。
遙に負けず劣らず、頬が赤くなりそうで。
俺は遙を解放した。
「Sorry。あんたに言われると照れる」
「What!?もう、無理矢理言わせたくせに!!」
また振り上げられた拳をぐいと引き寄せると、俺は遙の頬に軽くkissを落とした。
そして、赤く染まった耳元で囁いた。
「でも、嬉しかったぜ。確かに奥方みたいだったな。また呼んでくれてもいいんだぜ?」
「もう、絶対呼ばない!!」
俺なりの照れ隠しだ。
こうでもしないと、真田の野郎のように赤面すること間違いなしだ。
遙は真に受け、つんと顔を背けて、すたすたと歩き出した。
が、すぐに、つまずきそうになる。
俺は笑いながら遙の手を取り、ゆっくりと歩き出した。
まだ頬を膨らませているが、怒っていないことは一目瞭然だ。
「政宗の意地悪……」
「Sorry。でも、元気出ただろう?」
「え…?」
そう、これはずっと感じていたこと。
昨日までの遙は、繊細な硝子のように、すぐに砕け、はらはらと涙を流していた。
だから、冗談すら言えなかった。
今日の遙は、あまりにも輝いていて。
陽の気に満ちていたから。
俺はそれが嬉しかった。
遙の笑顔を取り戻してやりたかったから。
もっと、拗ねたり笑ったり照れたりするところが見たい。
遙には明るいatmosphereが似合う。
「そっか、政宗…。昨日は、私が泣いちゃったから…」
「気にするな。あんたはそうやって怒ったり笑ったりしてる方が似合う」
「政宗…」
ありがとう…。
ふわりと笑った遙の笑顔は、今までで一番眩しかった。
そして。
俺の胸の奥は、今までで一番甘く苦しく疼いた。
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