面影 -2-

部屋をぐるりと見回してまた隻眼が射抜くように私をじっと見つめた。

What the hell…?

それは私のセリフだ。
何と声をかけてよいのか逡巡している私に、政宗は初めて問いかけた。

「Where am I? And who are you?(ここはどこだ?それにあんたは誰だ?)」

スピーカーを通さない彼の声はやはり少しハスキーで低く、耳に心地よかった。
これ以上黙っていても失礼にあたると思い、私は口を開いた。

「This is my room. And I am 如月遙, a medical school student.」

政宗が驚いたように目を見開いた。

「あんた、異国語がわかるのか?」

わかるどころの話じゃない。ついこの間まで毎日何時間も英語を話していたのだから。

ほろ苦い痛みが胸の中に広がっていく。

政宗は顎に手を当てて思案しているようだった。

「異国語…というか、英語ですけど…。簡単な英語なら13歳くらいからみな話せませすよ?」
「What? Really? Damn!!あんた日本語も喋れるんだな。ここはあんたの部屋だって言うが、何か見たこともねえものばかり置いてあるし、ここは異国か?」

異国…と言えば異国なのかも知れない。
政宗は異世界からやってきたのだから。

それもゲームの世界…。

しかし、自分がゲームの中の人間だと知ったら傷つくのではないだろうか。
私だって、今、生活しているこの世界が誰かが作った作り物の世界と知ったら必死で否定したくなるだろう。
私は言葉を選びながら話し出した。

「異国ではなく、異世界だと思います。どういうわけであなたがここに来てしまったのか私にもわかりませんが…」
「異世界…?マジかよ…。これから天下統一しようとしてたのに!!Goddamn!!」

綺麗な発音で悪態をつく政宗を見て、思わず小さく笑ってしまった。

ちょっと可愛いかも…。

「Hey, you!!笑ってんじゃねえよ!事態は深刻だぜ?」
「I know. 私もどうすればいいか困っているところ…。それ以前に私の頭がおかしくなってしまったんじゃないかって…。これは幻覚…?」
「安心しろ。俺も夢じゃねえかって思ってるところだ。まあ、夢ならいつか覚めるだろう。やけにrealな夢だけどな。寝た覚えはねえし妙だが…。さっきまで小十郎と一緒に戦場にいたんだけどな」

政宗は立ったまま腕組みをして考え込んでいる様子だった。
私はソファに座ったままなので見上げる形になる。
上から見下ろされてものすごく威圧感がある。
それは、政宗が武装しているから余計そうなんだけれど。

「あの…。とりあえず、着替えてゆっくり座りませんか?ここは戦場ではありませんし。着替えならありますから…。夢が覚めるまでこうしているしかありませんし」

多分、夢じゃないと思う。
でも、夢と思わないとやっていられない。
夢だと思ってしまえばこの状況を受け入れられる。
きっと政宗もそうだろう。

「Ah…そうだな。突っ立ってても仕方がねえ。戦場じゃないなら鎧をいつまでも着ている必要ねえしな。じゃあ、悪ぃが着替え借りるぜ。これが夢なら楽しまなきゃ損だしな」
「では、着替えを取って参りますので…」

私は奥の部屋のクローゼットを開けた。
元彼の服が何着もある。
ちくりと胸が痛むのを感じながら、私は下着とハーフパンツ、バンドのロゴの入った黒いTシャツを選び、リビングに戻った。

政宗の姿をよく見ると、ところどころ血が付いているのがわかった。
先に風呂に入れた方がいいのかも知れない。

「あの…。お風呂沸いていますから、先にお風呂に入ってしまったらどうですか?」
「あ?風呂?」
「はい。きっと政宗様のお城のお風呂より狭いですけど」
「Hey。今、何つった?何で異世界のあんたが俺の名前を知っていやがる?俺はまだ名乗ってねえ」

政宗の眼光が鋭さを帯びる。
思わず腹の底がヒヤリとしてしまうほどの鋭さだ。
政宗はじっとこちらを見たまま視線を外さない。
私は震えそうになる声をぐっと堪えて、口を開いた。

「奥州筆頭伊達政宗はこちらの世界でも有名なんですよ。竜の右目、片倉小十郎も…」
「あんた、小十郎のことも知ってるのか!?」
「左頬に傷のある、政宗様の背中を守る唯一の人物でしょう?」
「Oh, my…。あんたが俺のことを一方的に知ってるなんてunfairだぜ…。まあ、俺が有名なのは仕方がねえけどな」

政宗は頭を軽く振った。
そして顔を上げるとニヤリと笑って私を見つめてきた。
その目の敵愾心はすでに消えている。

「まあ、風呂も提供してもらうことだし、あんたには世話になっちまうから、俺のことは政宗でいいぜ。敬語もなしだ」
「うん、わかった」
「じゃあ、風呂に入る前に鎧を脱ぐのを手伝ってくれねえか?これ、一人じゃ着られねえし、脱げねえんだ」
「ええっ!?」

奥州筆頭伊達政宗を脱がす!?

私は軽くパニックに陥った。

幻覚としてもこれはあんまりだ!!
男の肌を見たことがないわけではないけれど、初対面で脱がせるなんて…!!

しかし、このままの格好でいてもらうわけにもいかないので、私は立ち上がり、政宗の鎧に手をかけた。
複雑かと思いきや、結構単純で、一枚一枚重ね着した鎧を外していった。
ただ、政宗の背が高いので、私は背伸びをするようにして、重い鎧を外さなければならないので少し大変だった。

「Okay, thanks. ここまでくれば後は俺一人でも大丈夫だぜ」
「じゃあ、お風呂場に案内するね」

私は着替えとタオルを持って、風呂場に政宗を連れて行った。
プラスチックの浴槽とシャワーに政宗の目が奪われる。

「What the hell are they?」
「うーん、まあ、説明するから。シャンプーとか使ったことないよね。じゃあ、全部脱いだら腰にこのバスタオル巻いて。頭洗ってあげるから」

我ながら大胆なことを言っているとは思ったが、初めてなんだから仕方がない。
それに男の肌を見るのは初めてじゃないし。
今更恥らうこともない。

そう……。
初めてじゃないから……。

前の彼の事を思い出して切なくなる。

「じゃあ、私、ドアの外にいるから、準備が出来たら呼んでね」

私は脱衣所のドアを閉め、政宗の準備が出来るのを待った。

先ほど鎧を脱がしていたときに感じた政宗の温もり。
到底幻覚とは思えない。
確かに血の通った人間だった。

でも、一部の精神疾患では幻覚でもまるで生身の人間のように見えることがあるとも聞いたし。

後で美紀に相談しなくちゃ。

物思いに耽っていると、政宗が私を呼ぶ声が聞こえた。

「遙、入っていいぞ」
「はーい」

バスタオルを腰に巻いた政宗の上半身は眩しいほどに鍛え上げられていた。
着やせするタイプなのだろうか。

盛り上がった胸板。
綺麗に割れた腹筋。
しなやかな上腕二頭筋。

思わず絶句して見つめていると、政宗が唇の端を吊り上げて笑った。

「遙、見蕩れたか?」

私は顔を少し赤くしつつも余裕の笑みで答えた。

「見蕩れない方がおかしいでしょ?こんな綺麗な身体の人、そうそういないよ」
「言うねえ。素直なのはいいことだぜ。I like that.」

政宗は綺麗な笑みを浮かべると、私の頭を撫でた。

ああ、男の人とこうして触れ合うのは久しぶりだ…。
少し切なくなって、目頭がじんとする。

睫毛を振るわせた私に気づいて政宗はすぐに手を離した。

「Sorry…。嫌だったか?」
「ううん、そうじゃない。大丈夫…」
「そうか…」

私は無理矢理に笑うと、浴室のドアを開けて政宗を先に入れた。

シャワーの温度を調節していると、政宗が驚きの声を上げた。

「What the hell is that?」
「これはシャワーだよ。すぐにお湯が出るから待っててね」
「へぇ、便利だな!Fantastic!!」
「はい、お湯が出てきたから頭にかけるよ。目をつぶって」

私は政宗の頭にシャワーをかけた。
政宗は大人しくしている。

ふふっ、可愛い。大きな猫みたい。

充分に髪の毛が濡れると、私はシャワーを止め、シャンプーを手に取った。
髪の毛につけて泡立てて、指先で軽くマッサージをするように、政宗の頭を洗っていく。

「Feel so good。くせになりそうだぜ」
「今日だけだからね」
「そいつはもったいねえな」
「はい、流すよー。口閉じないと口に入るよ」

シャワーで髪の毛についた泡を落としていく。
次はコンディショナーだな。
シャワーを止め、政宗の髪の毛を絞る。

「Is it done?」
「Not yet. 次はコンディショナーをつけるよ。髪の毛がすごくさらさらになるの」
「ああ、それでか。さっきあんたの髪を触ったらすげえさらさらで驚いたぜ。異世界ってすごいんだな」
「そう?そうかもね…」

政宗の髪の毛にコンディショナーをつける。
短い髪の毛にはつけやすい。
元彼は背中まであるくせっ毛の金髪で、コンディショナーをつけてブラッシングをしてあげないとダメだった。

また男の人の髪の毛をこうして洗うことになるなんて、不思議な巡り合わせだな…と思うと、また泣けてきそうになる。
ぐっと涙をこらえて、丁寧に政宗の髪の毛にコンディショナーをつけると、それを洗い流した。

「はい、終わりだよ」
「Thanks. ついでに背中も流してくれよ」
「ああ、もう、わがままだな。ボディシャンプーの使い方も教えてないし、まあ、いっか」

政宗の広い背中には綺麗に筋肉がついていて、ところどころに小さな傷跡があった。
戦で負った傷跡なんだろう。
想像もつかない。
それだけ修羅場をくぐってきたんだ、この人は。

傷跡の他に、ところどころ爛れた痕がある。
これはきっと天然痘の痕…。
そっと撫ぜると政宗がびくりと身体を震わせた。

「…醜いだろ、その痕…」
「そんなことないよ。だって私、医者の卵だもん。これより酷い傷も見たことあるし」
「あんた、医者になるのか?」
「うん、そう。そのために勉強している。これくらい何でもないよ」
「そうか…」

呟いた政宗の声はホッとしたようで、とても甘かった。
いつも、戦場で嬉々としている声しか聞いたことがなかったから、私は不意を突かれ、ドキリとした。

こんな弱気な声も出すんだ、この人は。

そうだよな。人間だし。
急に政宗を身近に感じる。
私はボディーソープをタオルにつけて、政宗の背中をこすり始めた。

「このボディーソープで身体を洗ってね。私は背中までしか洗ってあげられないから」
「Oh、それは残念だぜ」
「What the hell are you talking about?乙女にこれ以上のことはさせないでよね」
「Alright。続きはいつか楽しみにしてるぜ」
「政宗、Don't harass me(からかわないでよ). はい、終わったから続きは自分でやってね。シャワーで流したら湯船に浸かって。外に乾いたタオル…あ、布をね、置いておくからそれで身体拭いて着替えてきて」
「Okay, got it」
「何かあったら呼んでね。じゃあ」

私は石鹸のついたタオルを政宗に手渡すと浴室を出た。

何やってんだ私…。
BASARAのキャラをお風呂に入れるなんて…。

幻覚もここまできたら、かなりのものだと思う。
美紀に相談しなくては…。

私はリビングに戻ると携帯を手にして美紀に電話をかけた。

「もしもし、遙?どうしたの?」
「あのね、美紀、明日、うちに来れる?」
「うん?いいけど?何かあった?」
「それがね、私、もしかしたら幻覚が見えるようになっちゃったんじゃないかと思って…」
「え?幻覚!?それヤバいんじゃない!?」
「うん、ヤバい…と思う。で、美紀にも見えたら多分幻覚じゃないと思うから。何か不安で…」
「わかった。今日はもう遅いもんね。明日の朝そっち行くから」
「ありがとう。助かるよ!!私、もう、どうしようかと…」
「遙、落ち着いて。大丈夫だから。今すぐ行ってあげたいけどもう終電ないしね。とにかく明日までバカなことは考えずに待っててね」
「うん。待ってる」
「じゃあね」

電話が切れた。
途端に不安になる。

おそらく、夢…という線はないだろう。
あまりにリアルだ。

政宗の髪の毛の感触。
背中の温もり。
どちらもどう考えても生身の人間のものだった。

そもそも寝ていないし。政宗も寝ていないと言っていた。
幻覚かどうかは明日美紀が来ればわかるはずだ。

私は、ゲーム内の政宗を見ようと、PS2の電源を入れた。
ハードが立ち上がり、ソフトを読み込もうとするが、そこでエラーになってしまう。
もう一度電源を入れなおしてみたが、同じことだった。
ソフトを変えてもう一度立ち上げてみる。
しかし、またエラー。
どうやらPS2が壊れてしまったようだ。

PS2の故障で政宗がこちらの世界にやってきてしまった…?

バカな。
まだ幻覚の線も消えていないんだから。

明日考えよう…。

コーヒーを淹れてのんびりと寛いでいると、タオルでがしがしと頭を拭きながら政宗がリビングに入ってきた。

バンドのロゴの入った黒いTシャツに、ハーフパンツ。
背の高いしっかりとした体形は元彼を彷彿とさせて。
タオルに隠れて顔が見えない分、彼が戻ってきたかのような錯覚を覚える。

もう限界だった。

じわりと涙が滲み、はらはらと零れていく。

いけない。政宗に迷惑をかけてしまう…。

政宗はハッと目を見開き、私の前に座り、その大きな両手で私の頬を包み込んだ。

「どうした、遙?何があった?」
「何でもない…。何でもないの…」
「何でもなくて泣き出すヤツがあるか。言ってみろ」

私は首をふるふると振って、一生懸命涙を堪えた。
どう説明すればいいのかわからない。
下らないことだ。
こんなことで女々しくしていたら呆れられてしまう。

政宗に彼の面影を求めているなんて…。

涙を拭おうと手を挙げたら、その手を政宗に掴まれ、代わりに政宗が指で私の涙を拭った。
目の前の政宗は柔らかい笑みを浮かべている。
と、腕が伸ばされ、私は政宗に抱き締められた。
耳元で政宗が囁く。

「If you wanna cry, you can cry in my arms.(泣きたいなら俺の腕の中で泣いていいぜ)」

元彼と同じ台詞だ。
胸がぎゅうっと締め付けられるような気分になって、私は政宗の胸に顔を埋めた。

涙がとめどもなく溢れ出る。

Tシャツ越しに政宗の温もりが伝わってくる。
ボディーシャンプーの香りとそれとは別に政宗の肌の香りがかすかにする。

同じ背格好だけれど、明らかに別人。
違う香り。

それが私を安心させた。

しばらく泣いている間、政宗はずっと私の髪の毛を梳いていてくれた。

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