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静と琳乃

 覆い被さる肉塊が気持ち悪かった。己の中に埋められる生きた熱に吐き気がした。それなのに、男に媚びてわたしが甘ったるく啼くから、この喉を掻き毟ってしまいたかった。
 真っ白い皺くちゃなシーツに身体を沈めて、できもしない夢想を何度も、何度もだって描き出していた。無益だ。わかっている。知っている。理解している。無意味な行為だということは、わたしが誰よりも理解していた。
 
 となりの男に腕を絡めて、身を寄せる。わざとらしく胸を押し当てあれば、彼は嫌そうに顔を歪めて、舌を打ち鳴らした。
 この男の不機嫌そうな顔を引き出せるのは、わたしくらいのものだろう。誰にだっていい顔をして、愛想を振りまいて、そうして、誰かの好意を食い物にするろくでなし。
 わたしと同じ生き方をしている男。それしか選べなくて、それを選ぶしかなくて、こんなごみ溜めで生きることにした人。
 一条隼人――本名、佐野静。ホストクラブ『Noble』でナンバーを張るプレイヤーであり、同じ施設で育った腐れ縁だ。
「くっつくなっつってんだろ。離れろ」
「えー? さゆちゃんだったら、しずくんから抱き寄せるのに」
 低い声で吐き捨てられて、抗議するように抱き着く力を強める。そうすれば、しずくんはますます顔を歪めてわたしを見下ろした。
 わたしがどれだけ強く抱き着こうとも、しずくんには簡単に振り払えるはずだ。周りの女と比べても、わたしは力が弱いし、それ以前に、歴然とした男女という性別の差がある。それを、しずくんはわかっているはずなのに、そうしない。しずくんがわたしに甘いわけじゃない。口では嫌がっても満更ではないだなんて少女漫画のような展開もない。単に、そうするのが面倒なだけだ。もしくは、強く振り払ってわたしに怪我をさせることを危惧しているのだろう。気遣いからではなく、その後の、周りの目を気にしているから。しずくんの面白いところは、気にしているのが言葉どおりの世間体ではないところだと思う。
 自分よりか弱い女の子を転ばせるような男というレッテルがつくのを、疎ましく思っているのだ。『一条隼人』というプレイヤーの名前に傷がつくから。ホストだなんて職業に固執しているわけでもないくせに。しずくんは、やけにその仕事に拘っている。自分の生きやすさに関係する煩わしい全てを、しずくんは嫌っているくせに。
「さゆはステータスになるからいいの。でも、お前だと俺がそういう趣味みたいだろ」
「わたしももう成人してるよ?」
「酒飲めるようになったばっかのガキがなに言ってんだよ」
 二度目の舌打ち。冷めた目でわたしを見下ろして、しずくんは深く息を吐き出した。
「なにが食いたいの」
「美味しいの♡」
「……漠然としすぎだろ」
 琳乃、と名前を呼ばれて、その声に従うように体を離す。しずくんはわたしを見下ろしたまま、なにかを言おうとした。薄い唇が開き、吐息だけが漏れる。
「さゆも呼んでやるよ」
「やったあ♡しずくん大好き♡」
 歩き出した彼の後を追って、足を前に出す。何を言おうとしたのかは、なんとなくわかっている。けれど、それに気付かないふりをした。

椋×水鈴

 俺にとって先輩は『完璧』で『憧れ』の人だった。だったという表現は少し、語弊があるもしれない。今でも、先輩は憧れの的で、俺の手が届かないような完璧な存在だ。けれど、そんな先輩――水鈴さんにも、隙がある。
 テレビを前に、コントローラーを握る水鈴さんの背中を見る。今作は今までと操作性が違い、戦闘がターン制ではない。判断力や記憶力は申し分ないどころか、俺よりも優れている水鈴さんだが、細かい操作や反射的なアクションは不得手だ。実戦ならともかく、ゲームとなると、水鈴さんはどうにももたついてしまうらしい。そういうところも、俺からすると可愛いところだと思うわけだが、本人に言えば首を傾げられてしまうのだろう。
 普段なら水鈴さんのデータを用意するところ、今回は俺のデータで遊んでもらっている。最初は遠慮がちにしていた水鈴さんも、俺が「コーヒーを淹れている間代わりに」とコントローラーを渡したら素直に受け取ってくれた。
 水鈴さんがお気に入りのキャラクターは今作にはいないため、代わりの子を外に出して、マップ内を歩き回ることにしたらしい。ああいう、自分の後をついて回るというのが好きなのだろうか。水鈴さん、面倒見いいもんな。
 もう少しだけ、純粋にゲームをしている恋人の姿を楽しみたくて、俺はテーブルに軽く腰をかけて眺めることに決める。水鈴さんのことだから、俺がわざと声をかけていないことにも気付いてるかもしれないけれど。

朱檜×水甫

 人は苦手。だけど、あけびくんは好き。
 なにに憚れることもなく、彼はそう言って笑った。自信なさそうに俯きがちな顔を上げて、朱檜を真っ直ぐに見つめて破顔する。
 水甫はどういうつもりでその言葉を言っているのだろう。きっと、そこに含まれる感情は『親愛』であり『友愛』だ。もしかしたら、彼は『好き』という感情に種類があるということを理解していないのかもしれない。していたとしても、自分の中にある感情にレッテルを貼っていないのだろう。水甫が好きな人は、世界にただ一人しかいない。彼に向ける好意であれば、形も色も、水甫にとってはどうだっていいのだ。きっと、朱檜から向けられる感情の名前だって。
 一緒にいると決めたのは、朱檜だ。その答えに、水甫が心底嬉しそうに笑うから。
 水甫の腹に腕を回して、後頭部に鼻先を擦り付けて、自分よりも小さな体躯を閉じ込める。不思議そうに目を丸める彼は、本当に、何も知らないのだろう。

水甫×朱檜

 ――人見知りというよりは、人間嫌いの方が正しいんじゃないだろうか。
 自分の後ろに隠れて、愛想ひとつ見せずに顔を背けて、ぼそぼそと話す水甫を見て思う。
 朱檜に対しては、ころころと表情を変える男だ。驚いたように目を瞬かせて、困ったように眉を下げて。朱檜を見て、表情を一気に華やがせて笑う。
 水甫が人を嫌いだろうと、苦手だろうと、どちらでもいい。どちらだとしても、彼は朱檜とはよく話すし、表情だって豊かになる。本人に自覚はないようだが、彼の一挙一動を見れば、彼がどれほど朱檜を好きているかなど一目瞭然だ。
 水甫が朱檜を必要としてくれる限り、朱檜は彼と共にいるつもりだった。それが、果てしなく長い時間になろうとも。彼が、自身の感情を『友情』だと思い込んでいたとしても。
 そう思っていた。言葉を変えるのなら、そう、決めていたはずだった。

 ――あ、れ……?

 朱檜は見慣れてしまった天井を、水甫の肩越しに見つめていた。
 いつものように夕飯を食べて、風呂を済ませて、ちょっと歓談なんてものをして、二人並んでベッドに潜り込んだ。そのまま、水甫を抱き枕のように閉じ込めて眠る。いつの間にか出来上がったルーティーンをなぞっていたはずが、どうしてこうなったのだろう。
「みずほ、どうした?」
 名前を呼んで、視線を合わせる。
 薄暗い部屋ではろくに表情もわからない。明かりを背負っているのであれば尚更だ。
「あけびくん。あのね、おれだって男なんだよ……?」
 おずおずと躊躇いがちに紡がれる水甫の声は、聞き慣れた、頼りない柔らかさがある。しかし、朱檜を見下ろす彼の目は、見たことのない色をしていた。

いっくんと恭

 いっくんに呼ばれ、膝に座らせられること数十分。いっくんはずっと私の髪を弄っていた。ときおり手が離れるのは、スマホを確認しているのだろう。
 正面に鏡はない。それどころか、私の姿を映し出すようなものはないから、彼がいまどんなヘアアレンジをしようとしているのかはわからない。
 私の髪に触れるいっくんの手付きは優しい。呆れや罵倒、暴言や否定……とにかく、普段はとっても口が悪いくせに。
 ──水瀬ちゃんみたいな得体の知れない存在を拾っちゃうくらいですしねえ。
 いっくんの表情が見たくて振り向こうとすると、無言で顔の向きを直された。仕方ない。大人しくしていよう。
 決して優しい人ではない。不器用だなんて言葉も似合わない。
 けれど、こういうときはいっくんにもちゃんと温度があるのだと、そんなことを思う。
「とびきり可愛くしてくださいね!」
 その言葉に、いっくんはただ黙って手を動かし続けた。

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