白影に滲む視線 // ep.01



「今度は何をやらかしたの?」
 呆れたような声音が青年の耳を叩く。声音どおりの表情をしているのは、青年の友人である神梛かんなぎあらただ。
 ここは灼の職場である蒼華そうか応用科学研究所──通称・蒼研そうけんの一室である。壁一面に資料棚が並び、中央には実験機器と書類の積まれた作業台が置かれている。白色灯が無機質な光を放ち、空気にはわずかに薬品の匂いが漂っていた。
「人聞きが悪いな。俺はなにもやらかしてなんていないよ」
 灼の言葉に、青年は心外だと言わんばかりの調子で返す。
「何もやらかしていないなら、どうして、十束が蒼研に探りを入れてくるのさ」
「十束に報告されたからじゃない?」
 灼とは対照的に、青年はつまらなそうだ。ポケットに手を差し入れたところで、「ここ禁煙」と咎めるような声が飛ぶ。
「だから、報告されるようなことをしたってことでしょ」
 報告されるようなことと言われても──心当たりしかない。
 おそらく、是永美咲が先日の出来事を十束の当主に報告したのだろう。
 現在の十束の当主──十束飛燕。もとより複数の企業を傘下に抱えていた名家を、一代にしてさらに拡大させ、業界地図を塗り替えるほどの勢力へと押し上げた男だ。そのやり口は鮮やかで、同時に容赦がなかった。資金や人脈を通じ、経済的・社会的な影響力を広範囲に及ぼすことができる。
 蒼研にも出資を行っていたはずだ。ならば、飛燕が青年を探るために、この研究所を足場に、こちらへ踏み込んでくるのは当然だ。
 灼と青年に関係があることは、とっくに知られているのだろう。
 ──是永美咲程度が、俺の情報網を潜り抜けるとは考えられない。探りを入れているのは……十束飛燕のお付きの女か?
 青年の意識が、深みに引きずり込まれそうになるのを、灼の声が引き留める。
「考えるのは帰ってからでいいでしょ。心当たりを話して。じゃないと、守れない」
「君の本業を邪魔するつもりは──」
めぐる
 名前が呼ばれる。灼は青年の本名を呼ぶ、数少ない人物だ。反射的に口をつぐんだ。
「そんなに、僕は頼りない?」
 落ち着いた調子ではあったが、青年に向けられた瞳は射貫くようだった。そこに滲む心配に、青年は言葉を続けられずに視線を逸らす。
「そういうわけじゃないよ。でも、俺のことで君の立場を悪くしたいわけじゃない。公にするものではないにしても、隠していることでもないんだし……」
「だからって、無遠慮に探られて情報を明け渡すというのも癪でしょ」
 言いよどむ青年の横顔に、灼は柔らかく微笑んだ。その笑みに意地の悪さが浮かぶ。どちらかといえば、怒りにも似ているのかもしれない。
 灼の気持ちが青年に理解できないわけではない。この友人はどういうわけか、青年に対して過保護だ。いつからそうであったのかは、覚えていない。ただ、気付いたときにはそうなっていた。
「是永美咲の前で、撃たれただけだよ」
「……アルタードだと思われてるんじゃない?」
 アルタード──特異性保持者ヴァリアントに対する一般的な俗称だ。先天的に特異性を有し、基準から逸脱した能力や特性を持つヴァリアント。
 背中を撃たれてなお、平然と立ち上がった青年に対して、彼らはその可能性を見たのだろう。事実、普遍性庸常者プライマルなら、命すら危うかったはずだ。
「だろうね。でも、アルタードじゃないしなあ」
「そうだね。後天的に特異性を発現させたという話は聞いたことがない。でも、周りはそうは思わない」
 灼は腹に据えかねているようだが、青年にとってこの件はどうでもいいことだった。十束が探りたい内容は、青年の体質についてだろう。
『情報屋』という立場上、本名を探られると業務に支障をきたす。しかし、体質については、青年にとって、隠す理由はなかった。特異性である以上、むやみに口外すべきではないが、偶然知られてしまったとなれば、それまでの話だろう。たとえ、それが意図的であったとしても。
「それに、いくらパトロンとはいえ、蒼研について探られるのは困るんだよねー」
 にこりと、しかし冷え切った笑みを向ける。
「君への友情と、職務としての義務は成立するんだ。だから、廻。説明は、自分でちゃんとしてきてね。踏み込まれたときのログは、こっちで処理しておくから」
 きっぱりと言い切る友人に、青年は頷くしかできなかった。
 灼が青年に甘いように、青年もまた彼の言葉を切り捨てることはできなかった。