満月しか知らない



 蒼依あおい葵依あおいによく似ている。それはつまり、あおいに似ているということでもある。性差があるために、今でこそ瓜二つではなくなったが、幼いころは葵の生き写しのような顔立ちをしていた。蒼依でそうなのだから、娘である葵依は昔よりもずっと、葵に似ているのかもしれない。思い出そうと記憶を辿ってみても、葵の印象が強すぎて、娘の顔がはっきりとは思い出せない。まあ、葵の目の色を桜色にしたら、だいたい合っていることだろう。
 変わった女だった。二人とも似ているのは顔だけで、性格は似ても似つかないように思う。世間知らずであるところなんかは似ているといえるのかもしれないが、あんな閉じこもった場所で暮らしていたら誰だってそうなる。あそこにあるのは形骸化されることのない狂った因習だ。ひとたび外に出てしまえば逃れられるものだとしても、一時的なものでしかない。あの場に戻ったら、決まりに基づいて、彼らは奪い、奪われ、淘汰されていくのだろう。繰り返されるそれらを、俺はずっと、眺めていた。
「おかしな決まり事だと思わない?」そう呟いたのは、葵が葵依を身籠ったときだったか。
 古くから続く因習に、異議を唱える人間はいなかった。そうすべきだと決まっているから、疑問など抱かずに従う。そんな人間たちばかりだ。当然、最終的に従っているというだけで、疑問を抱いた者もいる。抵抗しようとした者たちも、知っている。結局は逆らえず、絡めとられていった者たちも。
「どうして、目の色で当主が決まるのかしら。母親だって、そうと決められるわけではないのに」
 六花りっかの目が開き、桜色だと知ったとき、葵はいたく悲しい顔をしていた。六花は現当主──つまり、葵の夫であり、六花の父親である男を殺さなくてはならない。もしくは、その逆か。逆になるということはないだろう。六花がその手に凶器を握れるようになったとき、世代交代が行われる。
 葵が悲しんだのは、夫が殺されることだろうか。はたまた、息子に父親を殺させなくてはならないことだろうか。どこの家もそうして入れ替わる。当たり前に続く風習で、これらに罪という概念はない。
「さてな。人間の考えることなんざ、俺にはわからねえよ」
「この子は、幸せになれると思う?」
 膨らんだ腹を撫でて、葵が小さい声で呟いた。幸せの定義なんて、人によるだろ。誰も彼もが、この世界を不幸だと思って生きているわけじゃない。葵だって、母親になるまでは、世界に疑念など持ったことはないはずだ。ずっと一緒にいた俺の記憶にないのだから、間違いない。
「それを決めるのは、俺でもお前でもないんじゃないか」
 肯定はできなかった。生まれてもいない子どもの目の色など、俺にわかるはずもない。
「それも、そうだね。幸せになってほしいな。せっかく生まれたんだもの。しあわせに」
 してあげてね、と、葵は言わなかった。葵が約束を取り付けたのなら、俺はきっと守らなくてはならなかったはずなのに。葵はそれを選ばなかった。
 葵に言われずとも「幸せになれるように見守ってやる」とでも言ってやるべきだったのだろうか。あの日のことを思い返しても、いまだに答えは見つからない。

黒桂つづらは葵さんが好きだったの?」
「妖が人間に恋をするわけないだろ」
七瀬ななせは人が好きなのに」
「あれは恋じゃない」
「そうかな。一緒に生きたいと思うなら、恋だと呼んでもいいと思うけど」
 無感情に近かった蒼依も、外に来てから感情とやらを理解し始めたらしい。そうはいっても、あくまでも知識としての理解であり、蒼依自身の情緒は伴ってはいないようだが。
「素直になれないのって、ツンデレって言うんでしょ」
「くだらない知識を身につけすぎじゃないか?」
 そうかな、と蒼依はもう一度繰り返した。首を傾げながら手にした本に視線を落とす。
 葵も外に出れたら何かが違ったのだろうか。外に出られるとしても、それを望むことはなかったようにも思う。葵は夫を愛していたし、六花のことも、生まれてくるはずのまだ見ぬ葵依のことも愛していた。
 窓から糸のような月が覗いている。あの女は、満月しか知らないまま、死んでいった。