葵依の話



 私は自分の運命を呪ったことはない。兄さんのように憎悪することも。蒼依あおいのように諦観を抱くことも。睦月むつきのように抵抗することも。ぜろのように享楽とすることも。真夜まやのように重んじることも。あずまのように受け流すことも。そのどれにも当て嵌まらなくて、それ以外の何かにも当て嵌まらなくて。私にとってそれは、そういうものでしかなかったし、これからもそうだ。死ぬのが怖いだとか、理不尽だとか、そういった感情すら抱いたことはないように思う。私の感覚がこうまで狂っているのは兄さんのせいだと、黒桂つづらが顔を歪めていたのが懐かしい。こいつのこれは元々の気質だと、無花果いちじくが吐き捨てたのもその頃だっただろうか。
 ナギにぶたれて、ぐらぐらと視界が揺れる。その中で辿る記憶は不鮮明だ。死ぬ間際に過去を思い返すことが走馬灯と呼ばれるのなら、私のこれはなんなのだろう。苛立ちと、興奮と、瞳の奥に燻る色に、どれを当て嵌めるのが世界なのだろう。
 ナギが大きく手を振り被る。そういえば、たとえ素手でも、ひとは簡単に死ねてしまうのだと知ったのは、いつだっただろう。痛みを痛みと理解するよりも先に、私の意識は砕け散った。
 ――ああ、またか。
 呆れたように呟いたのは、無花果だろうか。

    §

「蒼依が出て行ったらしい」
 紫色の空を背負った八宵やよいが、縁側に座る私を見下ろしていた。近頃、七瀬ななせを見かけなくなったとは思っていたけれど、まさか蒼依までいなくなっていたとは思いもしなかった。彼の居場所はどこにもない。ここにあるのは兄さんからの執着だけ。だから、こうなることは不思議でも、不自然なこともないのかもしれない。それでも、七瀬を連れて帰ることもなく、出て行ってしまうとは想像していなかった。
「八宵も出て行くの?」
「僕が? 何故」
「だって、七瀬がいないと、君は目が見えないでしょう」
 包帯に巻かれて隠された八宵の瞳は、何も映さない。私が生まれるよりもずっと、ずっと昔に、彼は視力を奪われた。それ以来――なのかは知れないけれど、七瀬が彼の目を担っていたことを、この世界で知らない者はいない。だからこそ、蒼依は七瀬を探して外に出たはずなのに。
 八宵は私の質問がおかしかったのか、口を大きく開けて笑い出す。開いた口から覗く犬歯がギラリと光り、怒らせたことを自覚した。
「目が見えないくらいで、僕が人間如きに劣るとでも思っているのか。貴様の喉を食い千切ることも容易いぞ」
 徐に伸ばされた手が私の首を掴む。気道を圧迫するように押し付けられ、自然と体が後ろに傾いた。しかし、倒れることすら阻むように、指先に力がこめられる。皮膚に爪が食い込み、肉が裂かれていく。首の骨が折れるのと、動脈が掻き切られるのと、どちらがはやいのだろう。
 どっちでもいいな。死因なんて、どうだって。

    §

 曖昧だった意識が、緩やかに形を取り戻す。ゆっくりと目蓋を押し上げ、視界の目映さに目を細めると、「おはよう」とナギが柔らかく笑った。
「おはよう、なぎ」
「はい、水。声、掠れてるよ」
「ありがとう」
 差し出されたペットボトルを手に持ち、程よく冷えた水を喉に通す。
 結局私は、あのときも死んだのだっただろうか。
 私が死ぬことは決まっている。寿命でなく、病でなく、定めとして。私は必ず殺される。世界に、運命に。
 だから、そういうものでしか、ない。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
 心配そうにナギが私の頬を撫でる。私をぶったのと同じ、大きな手のひら。この手に怯えない私は、やはり、どこかおかしいのだろう。
 きっと、私を生き物と呼ぶことすら、烏滸がましいのだ。