蒼依の話
「それでも、彼女は幸福なんだろうね」
「蒼依に『幸福』という概念があったのか」
「なかったら、今頃七瀬を連れて帰ってるよ」
「ああ。あれの幸福は、人間に寄り添うことだからな」
「君たちからしてみれば、人の一生なんて瞬きをしている間に終わる。八宵だって、それくらい理解してるでしょ」
丸くなる黒桂を背凭れに、尻尾の先を指先に絡めて遊ぶ。この黒銀の毛並みを、葵は愛していたらしい。六花を呪い、葵依を呪い、俺までもを呪った葵。
「生きとし生けるものの一生というのは儚いものだからな」
「一応、君たちも生きものには当て嵌まると思ってるけど」
「化物を生き物と呼びたがるものはいないさ。人間とはそういう生き物だろう?」
くつくつと、背中で黒桂が笑っている。一応、俺も人間に分類されるんだけど。とはいえ、人間から見た俺も化物なのだろう。
皮を剥いであるのは血肉で、骨で、内臓で。だけど、そこに命はない。空っぽの、器。
「葵依は空っぽだから、幸福だったんだろうなあ」
彼女は満たされてこそ、不幸だろう。知らないからこそ受け入れられた運命だ。感じないから、赦せた人生だ。
「俺が一番中途半端だね」
「死にたくなったら言えばいい。いつでも喰ってやる」
「俺はいつだって死にたかったよ」
でも、君は喰ってはくれないじゃないか。葵を愛しているから。葵依が生きている限り、俺は死なない。死ねない。
そこに諦観を抱かないほど、俺は空っぽでいられなかった。たったそれだけのつまらない話だ。