Codex: 01



 ある日、家々に一通の手紙が届いた。
 漆黒の封筒を閉じるのは、銀朱に煌めく封蝋。その中心には、十の花びらと、一匹の蝶。背景には閉じた書物と、ひび割れた鏡が刻まれていた。
 王家の紋でも、国家の印でもない。だが、誰もが震えるように理解した。
 蝶の中庭──オーレリアン・セルからの勅命だ。
 未来の世界秩序を担う『真の指導者』たる者を選抜し、精神・才能・倫理のあらゆる側面において育成する、極秘の国際エリート育成計画。
 ある者は「富」を、ある者は「力」を。ある者は「栄光」を、ある者は「名誉」を欲して、子を送り出す。

 彼らは信じていた。これが我が子のためになるのだと。
 それがせめてもの、親心だったのだろう。

    §

 ルシアンが最初に抱いた印象は、一面の白だった。
 高い天井に豪奢なシャンデリアはない。代わりに、蛍光灯が等間隔に並んでいる。四方を囲む壁も、磨き上げられた床も、すべてが白い。
 その場には、ルシアンの他にも多くの子どもたちが集められていた。歳の差は定かではないが、大きく離れている者はいなさそうだ。
 さり気なく視線を配る。名前は知らないが、顔は見たことのある者。名前と家名のみを知っており、話したことのない者。どちらもいるようだ。
「……案外、静かだな。まるで、式の直前みたいだ」
 囁き程度の声音が、ルシアンの耳にも届く。慎重に視線のみを向ける。ダークブロンドの髪の少年が、そのとなりにいる黒髪の少年に話しかけているようだ。
「誰が最初に動くか、賭けでもするか?」
「兄貴が喋った時点で、負けじゃね?」
 あれは、確か──ルシアンは記憶を探る。ヴィスカー家の兄弟だ。ダークブロンドの髪の少年が兄のリアム、黒髪の少年が弟のレイだろう。
 思考が、自然と滑り出す。彼らの名は、公的な華やかさとは無縁だ。社交誌に出るわけでも、外交の場で演説をするわけでもない。だが、裏では知らぬ者はいない。
 噂話ではなく、観察と沈黙の蓄積によって動く家系。相手の言葉を遮ることも、争うこともせず、ただ正確に見抜いて記録する。
 ここに集められているのは、ヴィスカー家ではない。軍律を体現するレイン家、知略を誇るグレイ家、理性を重んじるブラックレイ家、調和を司るグレイヴァベル家──名家の後継者ばかりだ。
 なぜ、名家の跡継ぎを揃えて、ここまでの舞台を用意する必要があるのか。両親からは「家の為に」としか言われなかった。
 父の手に持たれていた漆黒の封筒を思い出す。
 扉が開く。入ってきたのは、白衣を纏った数名の大人と彼らの腕に抱かれたひとりの少女。
 白衣の男が口を開く。
「お集まりいただきありがとうございます。ご協力に感謝いたします」
「あなた方は、選ばれました。家名でもなく、血統でもなく──将来、『何者になりうるか』という可能性において」
「以降、あなた方は『候補生』として記録されます。以後の行動・言動・判断は、すべて評価の対象となります」
「ここは観察の場であり、育成の場でもあります。あなた方の資質が本物か、丁寧に見させていただきます」
 中央に立っていた男が、全体を見渡して重く響くような声で告げた。
「どうか、ご自由に。……ただし、結果には責任を伴います」
 ルシアンを含め、子どもたちは誰一人として口を開かなかった。先ほどまで、軽口を叩き合っていた者でさえ、言葉を飲み込んだ。
 飲み込まざるを得なかった。
 子どもたちは一様にして、少女に目を奪われていた。
 その髪は淡い花びらの色にも、柔らかなミルクティーにも似ていた。光を浴びるたびに白銀に揺らめき、ひとつの色に定まらない。瞳もまた、蜂蜜色の金が溶け、角度によってはオーロラのように煌めきを変える。
 目にした瞬間、胸の奥がざわついた。理由は分からない。ただ冷たいはずの白い部屋が、急に狭く息苦しくなる。気づけばルシアンの手は胸元をきつく握りしめていた。
 その理由を、今の彼は言葉にすることができなかった。