Codex: 02
オーレリアン・セルでの生活は、拍子抜けするほどこれまでと大差ないように見えた。勉強も食事も、日常の仕組みは子供として当たり前のものに整えられていて、身構えていた厳格さはなかった。
食堂で温かな朝食を口に運びながら、アリステアはふと心の中で呟いた。
──これなら、寮生活と大差ないな。
家督のために送り出された大義名分も、学年ごとに区切られて行われる勉強も、運動や礼儀作法も、見慣れたものばかりだ。
互いに探り合っていたのは、最初の一週間のみだった。この場では、人脈作りにも意味がないのだと、誰もが理解した。上下関係も、利害関係も、ここには存在しない。
あえて言葉でいうのなら、ここにあるのは『完璧な管理』だ。ここでは、誰かを知ろうという理由すら、失われている。
──退屈だ。
学びの質としては、これまでの学校よりも高いのだろう。あの場にいては知る機会もなかったような、歴史の影や、選ばれた者だけが触れられる構造の断片。さらには、誰に向けたものかも分からない日本語の授業まであった。
刺激はあった。だが、そこに驚きはなかった。すべては与えられた知識として完結している。
アリステアの思考を遮るように、乾いた拍手の音が響く。視線をそちらに向けると、サクネが立っていた。
「今日はお待ちかねの、オーレリアとの対面だ」
初日に誰かの腕に抱かれていた少女を見た記憶がある。あれが、そうだったのかもしれない。
ナプキンで口元に触れた指先に、ほんのわずかだけ布の感触が残る。丁寧に畳み、皿の脇へ戻すと、彼は無音のまま椅子を引いた。背筋は終始崩れず、立ち上がるその動作にも、無駄は一切なかった。
この場において、彼の所作は特別なものではなかった。周囲の少年たちの多くが、同じ動作を、同じようにやってのけた。
それが礼儀正しさの結果であることは理解している。だが、誰一人として逸れない所作は、もはや美しさではなく、均質な静寂の中でのみ成立する無個性だ。
サクネに連れ立たれ、足並みを揃えて食堂を後にする。身近にいる者同士で軽口を叩き合う者もいたが、大半が沈黙を有していた。
連れられた先は、庭園のような様相をしていた。外ではないことは理解している。しかし、頭上に広がる青空も、眩い太陽も、周囲を飾る草花のどれもが、本物のように見えた。
作り上げられた楽園というのは、このような見た目をしているのかもしれない。そんな馬鹿げた幻想を思い浮かべてしまった自分に、内心で苦笑する余裕さえなかった。
「ラン」
サクネが静寂を破る。呼びかけられたアマランスの腕の中には、ひとりの少女が抱かれていた。
オーレリア──プロジェクトコード『M.I.R.A.』の十三番目の実験個体のコードネーム。
『十三番目』という忌避すべき数字を背負う少女。不吉な予兆が脳裏に浮かんだのは一瞬だった。
彼女は整いすぎていた。違和感さえ抱く精巧な空間において、その少女は完璧だった。
「ありがとう、サクネ」
聞き慣れた言語に続き、アマランスは耳慣れない言葉を紡ぐ。
『ほら、オーレリア。みんなにご挨拶して』
アマランスが腕の中の少女に、優しく囁きかける。その声は親のようでもあり、恋人のようでもあった。
背筋が粟立ち、腹の奥が重くなる。
整いすぎた異物の少女は、アリステアを含む少年たちに視線を滑らせ、桃色の艶めいた唇をそっと開いた。
『こんにちは……?』
ことり、と重たそうに首を傾げる。その所作に、アリステアの思考が一瞬止まる。
音だけが届いて、意味は通らなかった。声の響きが脳裏に残り、視線が、胸の奥に刺さったまま動かない。
理屈では説明ができない。言葉にもできない。ただ、彼の中の何かが、確かに触れられた。
少女──オーレリアと視線が絡み合った。錯覚のような、一瞬の邂逅。
だがアリステアには、それが永遠にも等しい時間に思えた。