Annex: 03
連なる書棚には、背表紙のかすれた本がびっしりと並んでいる。埃っぽさのある薄暗い資料室に、彼らはいた。
「これで満足か?」
書棚に向かい、アマランスは本の背表紙に、指を滑らせる。その背中に、サクネの声が投げかけられた。返事の代わりに、彼の動きが止まる。それは、続きを促しているようでもあった。
白衣のポケットから手を出し、サクネはテーブルに軽く腰を掛けた。行儀の悪さを咎めるような他人は、ここにはいなかった。
「わざと揺さぶるなんて、研究者様は意地が悪い」
「共鳴の兆しを見るには、有用だったはずだよ。君だってそう思うから、俺に協力してくれたんじゃないのかい?」
綴じ紐が解れた本を手に取りながら、アマランスはサクネを振り向いた。月明かりが彼の背に落ちていた。光が当たっているのに、その顔はどこか読めなかった。
些細な仕草から感情を探ろうとするかのように、アマランスはサクネを注視した。
「俺を観察するなよ」
「癖みたいなものだよ」
大仰な身振りでアマランスは肩を竦めてみせた。
「彼らは感情を抑圧するように育てられている。でも、オーレリアとの共鳴を見るには、それは邪魔だからね」
「それなら、路地裏で泣いてる子でも連れてくればよかったんじゃないか?」
揶揄するようなサクネに、アマランスは静かな視線を返す。
「オーレリアを守護する人材を作るんだ。身元も血統もしっかりしてないと」
愛玩動物という比喩が嘲弄的に響くのだとしても、アマランスの『愛』の方が、余程悪質だ。
一見して、アマランスは研究者と実験個体の距離を超えているように見えるだろう。彼がオーレリアを溺愛していることは、明らかだ。しかし、その愛情の形は、一般的に定義されるものとは違う。
アマランスは、彼女に天使を見ている。己の信じる神話の再構築を、重ねている。
オーレリア。十三番目の実験個体。
女性名としても広く使われる音だから、愛しむように呼ぶアマランスの声と相まって、慈しんでいるように取れるのかもしれない。そこにあるのは、正気を逸した狂気のみだというのに。
愛情という皮を被っただけの、神話への信仰だ。
「──それで、望む結果は得られたのか?」
話を逸らすようなサクネが尋ねる。
彼の意図に気付いていながら、アマランスは触れずに答える。
「もちろんだとも! サクネのおかげだよ。人の心を揺さぶるとなれば、君の右に出る者はいないね」
「褒められている気はしないな」
「そうかい?」
不思議そうに目を丸めて、サクネを見返す姿は、とても無防備に見えた。その無垢さこそが、何よりも恐ろしいと知っているくせに。
「オーレリアも、彼らに興味を示してくれてよかったよ。共鳴が、接近時にどのように作用するか──その検証も必要だからね。そろそろ、選別も必要になってくる──ああ、今回の試験で、共鳴しなかった子たちもピックアップしておかないと!」
ひとつの信念を追う研究者というのは、無垢な存在なのかもしれない。無邪気であるがゆえに、残酷な幼子のように。
サクネは集められた子どもたちに同情にも似た感情を抱く。
たったひとりの男のエゴと、狂気に付き合わされるのだ。彼らの人生そのものが、狂わされるかもしれない。
集められた少年たちは、『M.I.R.A.』の対象に選ばれなければ、各々の世界で名を馳せることができるような人材ばかりだ。アマランスは世界のためだと謳っているが、見ようによっては世界損失にもなり得るのではないだろうか。
──だからといって、この男を止めるつもりはない。
この実験のきっかけを作ったのは自分であり、彼の狂気は自分の選んだ愉しみでもある。
アマランスが狂気なら、サクネはその共犯者だ。