Annex: 07
机には乱雑に資料が並べられている。それには、写真と名前、性別や生年月日、血液型など、言葉どおりの個人の情報から始まり、家族構成や家柄、その成り立ちまでが記されていた。
それらに目を通している男──アマランス・キングスウェルは鼻歌でも歌い出しそうなほどに上機嫌だった。紙面の上に視線を滑らせ、手に持った赤いペンで書き込んでいく。
斜線を引かれた紙は机に無造作に放られ、何も記されていない紙は丁寧にボックスに重ねられた。
「随分と上機嫌だな」
淡い湯気を立ち上らせるコーヒーカップが、アマランスの手元に置かれた。手の主を視線が辿る。
自身の持っていたカップを口元に運び、サクネ・アカギは彼の手元に視線を落とした。
そのうちの一枚を手に取る。この写真の少年は──サクネが言葉で揺さぶりをかけたとき、戸惑いだけを見せていた。
──アマランスの選別からいずれは漏れると思っちゃいたが、たった一度、共鳴の兆しを見せなかっただけで弾かれるとはな。
「もう少し猶予をあげてもいいんじゃないか? 実験は気長にやるものだろう?」
手にしていた紙をアマランスの眼前に掲げるように指で摘み直す。
突然、視界を塞ぐ資料にも、アマランスは表情を変えなかった。既に赤く斜線が引かれたそれを改めて読んでから、サクネの顔を見上げる。
「もしかして、サクネのお気に入りだった? 君が彼と特別親しくしているところは見たことがないけれど……もし、そうなら、ここに残してあげても構わないよ。候補者から外れるから、別の立場になるけど……でも、彼、この場所で他に使い道なんてあるかな? 共鳴がないなら、ただの子どもだしなあ」
申し訳なさそうに眉を下げて、紡がれる言葉は気遣いのようで、ひたすらに残酷だった。少なくも、アマランスは少年のことを、人として見ていないことは明らかだ。
「心の底から思ってるってあたりが、お前の厄介なところだよな」
呆れた様子で返し、サクネはそのまま資料を床に落とした。カップを口元に添え、苦い液体を流し込む。
「それで? 次は何を見るんだ? 深度か?」
アマランスのとなりの椅子を引き、腰を下ろす。その際に、床に落とされた紙がくしゃりと歪んだが、どちらも気にする素振りはない。
「それなんだけどね、深度の程度ってどうやって確かめたらいいかな? 四六時中、脳波を測るのは非現実的だし……妙な機械を取り付けて生活させるなんて、多感な時期の彼らには可哀想でしょ?」
──四六時中、観察しておいて?
言葉はコーヒーと共に飲み込んだ。サクネが返事をしないことを確かめて、アマランスは言葉を続ける。
「そもそも、何をもってして、オーレリアとの共鳴の強度や深度が強いと判断するのか……身体的・精神的影響だとしても、前例がないから基準がない」
独り言のようにアマランスが呟く。その間も、彼の目は資料の海を泳ぎ、淡々と選別の作業を進めていく。
「つまり、お前の世界だろ、ラン」
「やだな、サクネ。俺の世界に作りたいわけじゃないよ。むしろ、俺はちっぽけな存在でいいんだ。世界の基準になるなんて恐れ多い! オーレリアだけが、唯一であるべきだよ」
機械的な作業を進める手とは裏腹に、アマランスの声は少年のように無邪気だった。
「オーレリアを世界の中心に仕立て上げるのは、お前の世界を作るのと何が違うんだ?」
「何もかも。変なことを聞くんだね、サクネ。オーレリアはこれから世界の中心になるわけじゃない。彼女は存在した瞬間から、中心なんだよ。社会が、これから世界に追い付くんだ」
最後の一枚を目に留めて、アマランスは手を止めた。そのまま箱に入れられると思った紙はそうはならず、彼の手元にとどまっている。
先ほどまで、澱みなく選別していたというのに、どういうことなのか。サクネは不思議そうにアマランスの横顔を眺めて、彼の手元の紙に目を向けた。
「やっぱり、オーレリアにも家族って必要だよね」
今気付いたと言わんばかりの声音には、どこか、罪悪感のような色が滲んでいる。
「ああ、可哀想なオーレリア! 気付いてあげられなくてごめんよ。大丈夫、パパとママは少し難しいけれど、兄なら用意してあげられるからね」
この場にはいないオーレリアに向けて、アマランスは大袈裟なほどの謝罪を口にする。ふざけているとしか思えないような言葉が並ぶも、この場に糾弾できるような人物はいない。
写真の中で、少年は真っ直ぐにこちらを見ていた。
ユリシス・グレイヴァベル──彼の瞳には、年端もいかぬ少年とは思えぬ冷静さが漂っていた。感情の揺れを映さない灰色の瞳。外交の場に立つ者が身に付けるべき仮面を、少年はすでに纏っていた。外交の家系に育った者として、幼少のころから感情を制御する術を仕込まれているのだろう。
「外交の名家、グレイヴァベル。人の心を読み、国の思惑を天秤にかける家系だよ。まるでオーレリアを守るために、生まれてきたようじゃないか」
「外交の名家、ね……。言葉の裏で動く駆け引きばかりしている連中が、兄に向いているかどうかは知らないけどな」
「ものは試しだよ。駄目なら、別の人を兄にしよう。候補としては、何人かいるからね」
紫色を帯びる赤い瞳が、無邪気な笑みと共に細められる。アマランスはそこで漸く、コーヒーに手を伸ばした。
既に冷め切ってしまったそれを喉に流し込み──
「……俺、コーヒーより紅茶派なんだよね」
文句を言う姿だけを見れば、彼もただの人間と変わりがないのかもしれない。