Codex: 10
少年たちが集まる食堂。大講堂に等間隔に並ぶ長机の片隅に、彼らは集まって座っていた。
「妹?」
思わず声を揃えたふたりの反応は対照的だった。オーは目を見開き、まるで信じがたいものを聞いたかのように笑いかけ──すぐに真顔に戻る。
アージェントは眉間を寄せ、言葉の裏を探るように静かに息を吐いた。
ユリシスは肯定するようにひとつだけ頷き、感情を交えず、必要な事実だけを告げた。
アマランスが自分をオーリレアの兄に指定したこと。『ミラ』という名前を与えられたこと。そして──
「暫くの間、彼女は俺と行動を共にする」
「ちょっと待ってよ、ユリシス。オーレリア──ミラが君の妹になるのもよくわからないけど、行動を共にするっていうのは?」
「オーレリアの世話は、あいつらがするんじゃないのか?」
ふたりの視線は自然とミラへと注がれる。
彼女はユリシスの膝上に大人しく座り、彼の手から差し出される苺を頬張っている。小さな口を懸命に動かし咀嚼する姿はさながら小動物のようで、これまで遠巻きに眺めていたときの作り物めいた美しさとは異なっていた。
「アマランスは彼女に家族を用意したいようだ」
「で、その兄役がお前か」
アージェントが持っていたフォークの先で、ユリシスを示す。
「アージェント、行儀が悪いよ。でも、ユリシス? どうして、こんな突飛な話を請け負ったの。君らしくもない」
「そうか? 実験個体であるオーレリアを手中に置くというのは、現状を探るに最も有用な手段だろう」
ユリシスが差し出すタイミングで、ミラが自然と口を開く。ユリシスが彼女に合わせているのか、ミラが彼に合わせているのか──客観的には判断ができない。
妙に慣れている行為に、アージェントはわずかに眉を寄せた。
「……なあ、ユリシス。お前、前にも『妹』に食わせてやってたことがあるのか?」
「いや? グレイヴァベル家に子どもは俺だけだ。誰かに手ずから与える機会など、あるはずないだろう」
「それにしては、妙に慣れてない? はじめて──なんだよね」
ふたりに指摘されて、ユリシスの動きが止まる。
次を待つように開けた口に、何も運ばれず、ミラが不思議そうにユリシスに振り返った。
『おにーさま?』
『気にするな。少し、考え事を──』
中途半端に言葉を区切る。ユリシスは皿に転がる苺をミラの口元に運びながら、オーとアージェントに視線を向けた。
「お前たち、日本語はどのくらい理解している?」
突拍子のない問いかけに、オーとアージェントは顔を見合わせた。論理的に会話を組み立てていくユリシスらしくないというのが、彼らが口にせずとも同時に抱いた感想だ。
最初に答えたのはオーだった。
「少しだけ。簡単な単語なら聞き分けられるよ。読み書きはまだ……実践的な会話も、完璧とは言い難いな」
「同じく。それは、お前も同じだったと記憶しているが?」
アージェントの目が、鋭く細められる。
ユリシスはわかっていると言わんばかりに頷き、ミラに視線を落とした。唇を濡らす果汁をナプキンで優しく拭う。
『ミラ。……オーとアージェントにも、お前の言葉を理解させることはできるのか?』
ゆるく、ミラが瞬きを返す。重たそうに首を横に傾け、ミラはふたりを見据えた。
シャンデリアの煌めきが、彼女の瞳に映り込む。
『んー……? おはなし、したい?』
彼女の扱う言葉は短く、区切られている。そのため、彼らにとっては異国の言語ではあるが、完全な習得に至っていないふたりにも、彼女の伝えたい意図は汲み取ることができた。
『できたら、……あー、嬉しい。……あってる?』
『はなす、必要だ』
馴染みない言語で、それでも、彼女に伝わるように。言葉を探り、過ちを恥じることなく、ふたりは返す。
ミラはひとつ頷くと、なんでもないことなように告げた。
『おしゃべり、できるね』
『は──』
間の抜けた言葉を吐息とともに漏らしたのは、誰だったのだろうか。誰かに限らず、その場にいた全員が漏らしたのかもしれない。
先ほどまでは、聞こえた異国の音を母国語で読み解き、理解をしていた。その一行程が、あまりにも唐突に消える。
『どういうことだ、ユリシス』
アージェントの鋭い声が飛ぶ。驚愕に、動揺に、感情と理解が追い付いていないのだ。
オーも言葉こそ発さないが、戸惑っているのは表情を見たら明らかだった。
『……キスする必要は、なかったのか?』
ユリシスの呟きにも似た問いかけに、ミラは答えなかった。