Codex: 12



 この場所はまるで、箱庭だ。作り物の庭園は美しく、余計なものはひとつとしてない。設備も整っており、衣食住に困ることはない。
 ここには、本物だけがなかった。外の世界で見る人間の薄汚さも、世界の穢れも、この場所には一切持ち込むことが許されていないように感じられる。過保護といえば聞こえはいいが、シリルからすると、情報の選別だ。醜聞も、喧騒も、ここには存在しない。知る機会を損失しているとさえ、思えた。
 天井には、青空が映し出されている。真っ青な絵の具で塗り潰されたような空しか、彼女は知らないのだろう。
 足を揺らしてベンチに座るミラを見る。少し前まで遠巻きに見られていた彼女の周りには、数人の少年たちが集まっている。兄を名乗るユリシス、彼と親しいらしいオーとアージェント。彼らとは関係なく、セオドアやベディヴィアもミラを気にしているようだった。否──彼らだけではない。その場にいる誰もが、ミラを意識していた。シリルも含めて。
 ミラは不思議な少女だった。幻想的で人形じみた容姿だけではなく、彼女と同じ空間にいると、言葉では説明できない事象がいくつも起こるのだ。
 訓練中であれば身体能力及び自己治癒力の向上。勉学に励んでいるときであれば、理解力や記憶力の向上。挙句の果てには、ミラに触れられると、知り得ない範囲まで彼女の言語を理解するのだという。
 シリルはオーレリアン・セルの目的を把握できているわけではない。調べようとしたことはあるが、全貌を把握することはできなかった。それどころか、今のシリルに掴める情報は、大人たちが選んで与えられているという感覚すらある。その中でも、何かを根拠に実感しているのだろうということはわかる。仕組みがあるはずだ。それなのに、ミラに纏わる影響はすべて、科学的に説明ができるようなことではないように思えた。
 ──キングスウェルは『共鳴』と言っていたけれど、それがどういう理屈で成り立っているというんだ……?
 現状と照らし合わせるのなら、ミラが周囲に与える影響が共鳴ということになるのだろう。
 昨日まで机を並べていた少年が、今日はいない。人が減っているのは、その共鳴が起こらなかったということなのだろうか。それならば、ここに残っている者たちは、何かしら共鳴しているということなのだろうか。
 ──俺も?
 自分の身に、何か変化が起こっているような自覚はない。影響力についても、シリル自身の話ではなく、周りの少年たちの噂話を聞いて推察したことだ。
 自分の掌を見下ろし、意味もなく握っては緩めてという動作を繰り返す。視界の端に捉えられる距離にミラがいる。
「……共鳴をしていないなら、次に帰されるのは俺かもしれないな」
 もし、そうなったら、両親は落胆するのだろうか。自分を送り出した両親の顔を思い出す。
 息子をオーレリアン・セルに送り出すことで、恩恵を受けようとしていた両親だ。彼らの意図を、シリルは批判しようとは思わない。この場に集められている少年たちと比べても、エインズワース家の格式は低い。息子を使ってでも、上を目指そうとする野心や戦略は、貴族社会として正しくすらある。
 ──あの人たちにとって、俺は道具だろう。両親も、ここの研究者も、そう変わらないな。
 人知れず、失笑が漏れる。どこにいても、シリルの立ち位置は変わらないのかもしれない。主格が変わるだけだ。
 ミラの周りに集まっている彼らのような格式があったのなら、何が違ったのだろうか。そう思って、思考を振り払うように首を振る。
 オーレリアン・セルに、家柄は関係ない。良くも悪くも、この世界で少年たちは平等だった。
 深呼吸をして、自然と視線がミラに注がれる。彼女は、自分を取り囲む少年たちをぼんやりと見つめていた。
 シリルは気付かなかった。客観的に己の立場を分析する自分の感情に、あまりにも、揺れがないということに。虚しさも、悲しみも、痛みも、怒りさえ抱いていないということに。心は静かに、凪いでいた。事実だけを確認していた精神の安定に、彼は気づけなかった。