Codex: 13
孤独な少女だった。大人たちに囲まれていても、兄と名付けられた少年の腕に抱かれていても、ミラが笑うことはなかった。人形のように整った顔で何も映さない瞳で遠くを見つめる横顔が、印象的だった。
俺たちのように感情を押し殺す訓練を受けてきた様子はない。貴族としての教育をされたのではなく、彼女はまだ『感情』というものを知らずにいるのかもしれない。もし、そうでないのなら、誰かと目が合ったときに、口元を和らげるくらいの仕草は見せるはずだ。
感情を露わにせず、常に節度を保つこと。怒りも、涙も、声にしてはならない。喜びでさえ、露骨に出すことは許されず、微笑みは外交の武器である。視線を合わせ過ぎず、建前を並べて、腹を探り合いながら、適切な距離を保つ。
ここに集められている少年たちは、俺も含め、そのように教え込まれている。ヴィスカー家の兄弟たちのように、一見、素直に感情を見せていたとしても、意図してそう振る舞っているだけだ。内心では何を考えているのか、容易には掴めない。
初めてミラを見たとき、柄にもなく、少しだけ期待をしていた。彼女という存在が、この世界に何か変化を齎すのではないかと。曖昧な予感に過ぎなかったが──結局、勘違いだったわけだ。
家を背負ってここにいるのだから、堅苦しさが残るのは当然だ。それでも、ときおり息苦しさを覚えるのは、まだ未熟ゆえだろう。
エヴァレットという家名が重いと感じたことはない。名に恥じないように振る舞うのは、この家に生まれた者の義務だ。
『……ほんとに?』
甘やかな声が、思考を遮る。はっとして意識を声の主に向ける。俺の顔を覗き込むようにして、ミラが立っていた。
「なにを──」
途中で言葉を区切り、咳ばらいをひとつする。彼女には英語が通じない。
『どうしたんですか? ユリシスは?』
見える範囲に、ユリシスの姿はない。ひとりでここまで来たのだろうか。
『おにーさまは、いっしょじゃないよ』
物思いに耽っていたとはいえ、声をかけられるまで気配に気付かなかった。気が緩んでいる。
『そうですか。ひとりでここまで? きっと、ユリシスが心配しています』
言葉の調子をできるだけ穏やかに保ち、自然に戻るよう促したつもりだった。だがミラはただ、じっとこちらを見上げて動こうとしない。
普段、ユリシスが抱き上げて移動していることを思い出す。まさかとは思うが、移動には抱き上げる必要があるのだろうか。しかし、彼女はここまで自分の足で来たはずだ。まだ幼いとはいえ、女性を抱き上げるというのも失礼だろう。
『ほんとに、いたくないの?』
何を言われているのか理解ができなかった。
『急ですね。どこも、痛くありませんよ』
怪我をした覚えはない。それでも、彼女を安心させるかのように、ほんの僅かに口角を上げた。
ミラは俺の顔をまじまじと見て首を傾げる。無遠慮にこうして顔を見てくるところも、子どもだからと許されるようなことではない。やはり、彼女は貴族としての教育をされていないのだと確信する。
『んー……でも、いたそうな、おかおしてた』
俺の言葉に納得がいっていないのか、ミラは不満そうな様子だ。理解はできない。事実として、俺はどこも痛くない。
眉が寄りそうになるのを堪えて、笑みを崩さずに言葉を探す。
どのような返答であれば、彼女は納得して引き下がってくれるのだろうか。まともな教育を受けていないのなら、説得するのは難しくないはずだった。
そう思っていた矢先に、ミラの小さな手が俺の手を握る。唐突な接触に瞠目するも、振り払うことはできなかった。指先から伝う子どもらしい柔らかな熱が、どこか、心地よく──気付けば、握り返していた。手放すことを、惜しむように。
離さなくてはいけないと、脳は幾度となく信号を送るのに、指先が思うように動かない。そもそも、断りもなく触れるなど、言語道断だ。あってはならないことだと、頭の片隅では理解している。
『いたいの、いたいの、とんでいけー』
相変わらず、ミラの顔に感情は浮かんでいない。それなのに、そう唱えるミラの顔はどこか、笑っているように見えた。
その笑みを錯覚だと切り捨てることはできなかった。