Nothing More, Nothing Less
目を覚ます。気怠さを残す火照った体を起こそうとして、その動きを阻むように腕が伸ばされた。そのまま腰を支えるように引き寄せられ、低く掠れた声が耳元で落ちた。
「……どこ行くの」
振り返れば、半ば眠たげな瞳のレイが枕に頬を押し付けていた。腕の力だけは強く、離してくれそうにない。
「まだいいだろ。……もうちょっと、ここにいて」
わずかな熱を帯びた吐息が肌を撫で、抗う気力を奪うように、抱き込む腕がさらに深く沈んでいく。背中に重なる鼓動が、耳の奥でゆっくりと重なった。
小さなやり取りをしている間に、レイ以外の夫たちも次々と目を覚ます。
枕元のランプに、控えめなオレンジの明かりが灯った。シリルが点けてくれたらしい。
柔らかな光がシーツの皺と素肌を照らし、まだ夜と朝の境目にある空気をゆっくりと溶かしていく。
眩しそうに顔を顰めたのは、意外にもレイだった。一番にミラを引き寄せていたのに、と胸の内で小さく笑う。
「眠れないのか?」
視界を遮るように伸ばされたユリシスの掌が、ミラの頬を撫でる。輪郭をなぞるように親指が滑り、昨夜の熱を思い出す身体が、湿った吐息を吐き出させた。
「ううん、そうじゃないの。少し、起きちゃっただけ」
探るような視線に、笑い返す。頬に添えられた手が離れていく気配はない。
心配させているのだろう。言葉の代わりに、掌に唇を寄せる。だいじょうぶ、と伝えるように温もりを押し当てれば、漸くユリシスの纏う空気が緩む。
それでも、納得をしてくれないのが、ミラの夫たちだ。半分眠りの世界に落ちているレイでさえ、腕の力を緩めてくれる様子はない。
「喉が渇いたのですか。……シリルがすぐに持ってきますから、それまで私のそばで」
低く穏やかな声で、ルシアンが告げる。口にしないミラの心情を察したかのような言葉にも、彼女は慣れたように頷いた。
腰に回ったレイの腕は解かず、ルシアンに肩を包み込むように抱き寄せられる。低い体温が、逃がさぬように背を覆った。
ルシアンの声に被さるように、わずかな機械音が部屋を横切った。
視線を向ければ、ベッド脇の操作パネルにノエの指先が触れている。空調の風量が下がり、温度がほんの少しだけ上がった。肌に当たる空気が柔らかく変わっていくのがわかる。
反対側では、セオドアが遮光カーテンの隙間を調整していた。外の光を遮りきらず、眠りを妨げない程度に薄明かりを落とす、絶妙な加減だ。
ベディヴィアは足元のブランケットを整え、裾を静かに引き寄せる。その仕草はまるで、寒さや不快を一切寄せつけない結界を張るかのようだった。
誰も言葉は発さない。けれど、小さな気配の重なりが、部屋の温度と呼吸をひとつに整えていった。
過保護だと、ミラ自身も思う。けれど、その思いを口にしたことはない。彼女にとってこれが日常であり、彼らにとってもこれは当たり前の愛情表現だ。夫であれば、妻にこれくらいするものだと、疑いようもなく彼らは思っている。
レイの腕に、誰かの掌が重なった。視線で辿ると、アリステアと視線がかち合った。
「その様子では、息苦しいのではないかと思ってね。……解いてあげよう」
「ふざけるなよ、アリステア」
「なるほど。つまり、寝たふりをしてまで彼女を離す気はなかったと?」
アリステアがレイを揶揄うように笑う。寝ているものだと思っていたレイも、どうやら起きていたようで上体を起こした。
その流れでミラを抱き寄せようとするが、既に彼女の肩を抱き寄せるルシアンに阻まれる。
薄暗い空間にも、小さな火花が散った。
「ほら、喧嘩するなよ。ミラが困ってるだろ」
ベッドの端で静観していたアレックスが、窘めるように口を挟む。
わずかな足音と共に、香りが流れ込んできた。
シリルが銀のトレイを片手に戻ってくる。湯気を纏ったポットと、白磁のカップが並んでいた。
「熱いから気をつけて」
ベッド脇まで歩み寄ると、ミラの手元にカップをそっと置く。視線は柔らかく、声は低く抑えられている。
「ありがとう、シリル」
白磁のカップから、ふわりと湯気が立ち上る。淡い茶葉の香りが鼻先を擽り、胸の奥まで静かに広がっていった。
温もりを包み込むように両手で受け止め、ひとくち含む。柔らかな甘みと微かな渋みが、舌に溶けていく。
息を吐くと、体の奥に残っていた張り詰めたものが解けていった。
「眠れそうか?」
子どもをあやすような柔らかな声が、頭上から降りてくる。視線を上げれば、リアムが微笑みながらカップを受け取っていた。
視界の端で、レイが半ば目を閉じたままこちらを見ている。背中越しに、ルシアンの整った呼吸が聞こえ、合わせるようにミラの呼吸も落ち着いていく。
彼らの温もりに身を預けると、肩や腰にかかる腕の重みが増した。鼓動の音が、心地よい子守唄のように耳の奥で重なっていく。
薄れていく意識の中で、最後に感じたのは、紅茶の香りと、愛しい人たちの温もりだった。
「おやすみ、ミラ」
柔らかな影が、朝の光をそっと遠ざけるように目蓋を覆っていく。部屋の中には、やわらかなぬくもりが静かに漂い、全てを包み込んでいた。