――男同士で水族館ってどうなんだろうね。ま、どうでもいいんだけど。
 水族館でデートをしようだなんてありきたりな約束をしたのが、少し前の話。覚えていたらねだなんて適当なことを言っていたが、どうやら、嘉月は本当に覚えているらしい。あの場での記憶は損なわないものなのかと、妙な感心をしたのはそう前のことではない。
 デートだなんてご立派な名前をつけてしまったものだから、静はそれなりに、服装や髪型、香水までも念のため、気を遣うことにした。
 嘉月はカジュアルめな格好で来るだろう。だから、彼の装いを少し際立たせられるようにと、普段の嘉月の服装を思い出しながら服を選んだ。髪型はいつもより崩し気味にセットして、香水は人が集まる場所ということも考慮して控えめに、清潔感のあるものを。
 途中から、これ、姫との同伴と何が違うんだ?と思ったが、それを言い始めたら、セフレと恋人とは何かという、究極的に詰まらない疑問にまで辿り着いてしまう。未だ、静の中で答えは出ていないが、仮にも恋人と名の付いた嘉月が、ひとまずは満足そうにしているので、考えないことにした。思考を放棄するというのは、人間の中でも最も愚かな行為だ。そうは思えど、今更静に真っ当さを問う存在もいないだろう。他人の感情を弄んで金を稼ぐ職業についておいて、愚かもクソもあったものじゃない。
 仕上げとばかりに腕時計をつけて、姿見に映る自分を目視する。感情のない自分と目があって、胸の内で嘲笑う。体裁を整えただけの男を『恋人』にする物好きの気がしれない。
 佐野静という男の根底は、どうしたって変わるものじゃない。

   ◆

 ズボンのポケットに片手を突っ込み、空いた手でスマホを弄る。駅前ということもあり、人通りが多い。こちらに一瞥すら残さずに通り過ぎる者もいれば、好奇の目を向ける者もいる。中には、色めきだった気配すらある。
 嘉月と付き合う前であれば、すかさず愛想笑いのひとつでも向けていただろう。ひょんなところで太客に出会えるかもしれないし、そうでなくても、一度、こちら側に引き込めてしまえば、等しく静にとっては金蔓だ。
 それをしないとなると、投げられる視線というのは、どうにも煩わしいものらしい。スマホに視線を落とし、忙しなく指を滑らせる素振りをする。
 真っ暗な画面には、澄ました顔をした自分がこちらを見つめていた。見てて面白いものでもない。
 約束の時間の十分前に来てはみたが、もう少し遅くしてもよかったかもしれない。でも、デートであるのなら、万が一でも、嘉月を待たせるわけにはいかないだろう。
 ――まあ、嘉月くんは気にしなさそうだけど。
 だとするなら、本当に、嘉月は何を求めて静と恋人になりたがったのだろうか。デートがしたかった? デートと呼ばないだけで、二人きりで出かけることを拒む理由はない。
 まさか、どこかの姫のように自分のために着飾る静が見たいだなんてこともないだろう。
 つまり、これは全て、ただの自己満足だ。
「あれ、静さん。早いね」
 普段と変わらない様子で現れた嘉月を見て、静はスマホをポケットに滑らせる。
「用事が早めに終わったからね」
 嘘である。しかし、にこりと笑みを象る静を、嘉月は疑うようなことはしなかった。

   ◆

 先に用意しておいたチケットで入館し、パンフレットを片手に嘉月の半歩後ろを歩く。平日の中途半端な時間ということもあってか、客は疎らであるようだった。混雑していないというだけで、閑散としているわけではない。
 隣を歩かないことに嘉月は不思議そうにしていたが、「大きい男が並んで歩いてたら、他のお客さんの邪魔でしょ?」と笑ってやれば納得したようだ。これも、まあ、嘘ではない。しかし、本音を言うのなら、単に水槽の中で泳ぐ魚というものに興味がないだけだ。これらを眺めて、何を楽しめばいいというのだろうか。頭の中で、水族館デートで口にするに相応しい台詞を羅列する。これらを言う機会があるかはわからないが、準備をして損することもないだろう。
 水槽にへばりついて魚を眺める嘉月の後頭部を眺め、彼が押し潰されないように押し寄せる人の間に腕や身体を差し入れる。足元では、子どもが無邪気な声をあげていた。
 こういうことをするなら、嘉月の方が力があるため適任なわけだが、静も非力なわけではない。多少であれば、さり気なく押し返すくらいはできる。
「ねえ、この魚面白い名前じゃない?」「へえ、こんな特徴があるんだ。静さん知ってた?」「ね、あっち行こうよ。面白そう」
 ――無邪気。自由気まま。良いことだね。
 嘉月の言葉に全て笑顔で応じて、静は無感動に館内を歩く。魚の説明を見たところで、魚が好きな客との営業トークに使えるなとしか思えないし、水槽の中で蠢く有象無象の魚の区別なんてわからない。
 それに、女と違って嘉月が腕を組んでくることもないから、ルート取りが難しい。くっつかれて鬱陶しいと思うこともあったが、それはそれで庇いやすさに貢献していたらしい。
「静さん、楽しい?」
「もちろん、楽しいよ」
「……本当に?」
 疑わしげな目を向けられてしまった。ちょこまかと動き回る嘉月を見ているのは、まあそれなりには面白くはある。ので、百パーセント嘘というわけでもないのだが。
 正解を探るように思考を巡らせて、その時点でバレてるなと諦めて、肩を竦めた。
「食べれる魚とそうじゃないかくらいしか、俺にはわかんないよ」
「それでいいんじゃない?俺も、詳しいわけじゃないし」
 あっけらかんとして笑う嘉月に、静は僅かに目を瞬かせる。
「イルカショーだって。それなら、静さんもちょっとは楽しいかもよ」
 館内アナウンスを聞いた嘉月が言う。
 静の袖口を引いて、嘉月が歩き出す。数秒遅れて、静の足も自然と前に出た。
「それなら、俺も、濡れていい服にしたらよかった」
 背中に呟いた静の言葉に、嘉月は「なにそれ」とおかしそうに笑った。