自分の手を握って離さない男を見下ろす。見下ろすとはいっても、身長差はさほどなく、座っていれば旋毛を見下ろすほどにもならない。節くれ立った細い指が自分の指に絡み、力が込められたかと思えば緩められる。悪戯に指先が素肌をなぞり、爪先が柔い皮膚を引っ掻いた。痛みよりも、むず痒さだろうか。思考の片隅で、そろそろ爪を切るように促すべきかもしれないなどと考える。
教授――小虎の視線はどこかに定められているということはなく、だからと胡乱というわけでもない。ぼんやりとしており、大方、暇を持て余しているのだろう。退屈さを誤魔化すように手を好きに弄られるのは、今に始まったことではない。それを助手たる睦吉が放っておくのも、今となっては日常の一コマだ。
小虎が睦吉の手を弄っている間、当然、睦吉の行動も制限されることになる。つい数分前まで、書類を分類し、机上を整えていたのだが、それも終わってしまった。手持無沙汰になってしまった己の指先に視線を落とす。緩められることがあっても、離れていくことのない体温を感じ取りながら、睦吉は浅く息を吐く。
人の手を弄ることの何が楽しいのだろうか。無意識に行われているであろう行為に、意味を求める方が無粋なのだろうか。それとも、睦吉が尋ねたのであれば、彼は自分の持ちうる『生物』の知識を元に、行動分析の結果でも語って聞かせてくれるのだろうか。
それもまた面白いかもしれない。人間だって元をただせば動物に過ぎない。彼は人間に対して苦手意識を抱いているが、それさえも、『動物』と括ってしまったら、どのような解釈を語ってくれるのだろう。彼の頭脳が導き出す論理は、彼の頭脳から展開される世界は、どれほど素晴らしいものだろう。
感情を読み取ろうなどという考えもなく、睦吉は小虎の顔を見る。俯き加減の彼の顔は、無造作に跳ねる髪に覆われて影を作っていた。暇をしている手を伸ばし、指先で彼の髪を僅かに避ける。猫のように柔らかな髪に触れると、小虎の視線がようやく、睦吉に焦点を合わせた。
「なに?」と言いたげな視線を受けて、睦吉も緩やかに首を傾ぐ。焦点がズレて、髪の隙間から赤い色が目についた。髪から指が滑り、耳の形を確かめるように触れる。赤い色が彼の耳を飾っている。人の柔い体温と無機質な冷たさが、指に伝った。
髪に触れたせいか、ふわりと青々しさと甘さが混ざり合うような香りが鼻先を擽った。
「そろそろ、時間ですよ。教授」
誤魔化すような言葉を口にして、触れていたことさえも正当化させるように髪を整えてやる。睦月の言葉を聞いて、小虎は時計に目をやった。睦吉の言うとおり、講義の時間が差し迫っている。
憂鬱そうに――それどころか、嫌そうに彼の表情が歪む。
「駄目ですよ、教授。ちゃんと、行ってくださいね」
先手を打って制すると、小虎は渋々と言った様子で立ち上がった。先ほどまで触れていた体温が遠ざかっていく。
それを惜しいなどと思うこともなく、睦吉は普段と違い高い位置にある小虎の顔を見上げた。もう講義について思考を向けているのだろう。彼の視線が、睦吉に落ちることはなかった。
薄っぺらいレンズ越しに彼の横顔を眺めて、睦吉も立ち上がる。彼が講義をしている間に、もう少しだけこの部屋を片付けておくことにしよう。