外階段を登る。手すりも階段自体も、ところどころ塗装が剥げて錆び付いている。自分の足音が想像以上に大きく響き、無意識のうちに慎重な歩みになってしまう。古びて外れにあるというだけで、ここは庁舎なのだから、普段のように気配を殺す必要はないというのに。これはもう身についてしまった癖のようなものだろう。
本当に、雪tはこんな寂れた場所にいるのだろうか。
階段を登り切った先で、降り注ぐ夕日の目映さに目を細める。フェンスに背中を預けるようにして、雪tは佇んでいた。片手に持っている物は――煙草だろうか。このご時世に、まだ紙の煙草を吸ってるなんて物好きな男だ。
ぼんやりと見つめていると雪tの視線がこちらを捉えた。足音につられたのか、それとも、最初から気配を感じ取っていたのか。彼は口元に薄い笑みを浮かべて、焦りひとつ見せやしない。
赤く燃えるような日差しの中でも、彼の深い蒼の双眸は煌めいて見える。立ちのぼる煙を目で追いかけて、屋上に足を踏み入れた。
「内緒にしてくれよ?」
煙草を挟む指が揺らされる。
「雪tがこんな不良だなんて思わなかった」
「俺のことをなんだと思ってるんだ? 俺だってその辺にいる男と変わんねえよ」
軽い口調で笑いながら、雪tが煙草を噛んだ。
いつも誰かが傍にいて穏やかに笑っている雪tとは違って見える。彫刻か絵画のように整った顔をして、清廉潔白な見た目よりもずっと快活に笑う男というのが、俺のこいつに対する印象でもある。だというのに、この横顔は作り物めいてさえ見えた。
俺よりずっと優秀な同期。統率者になるなら雪tの方が適任だったはずだ。そうでなくても、執行者になるような男じゃなかった。なのに、代行室で再会したあいつは執行者になっていた。その理由を、俺は聞いていない。
「なんだよ、そんなに見て。吸いたいのか? どうぞ、統率者様?」
差し出された箱を見て首を振る。俺を見る目に滲む揶揄いの色も、軽く空気の中で泳ぐ声色も、この時ばかりは俺の知っている同期のそれだった。
「その呼ばれ方、好きじゃないんだけど」
「そう言うなって。お前が統率者なのは事実だろ」
「俺はお前のこと、執行者って呼びたくない」
ムキになって返す俺に、雪tは困ったように眉を下げた。
この立場がどうしようもないことくらい、俺にもわかっている。雪tだって、好き好んで執行者になったわけじゃないだろう。それでも、俺はこいつと肩を並べて過ごした日々を忘れたわけじゃない。
『統率者になれたらいいなって思ってる。お前は?』
『へえ、いいな。お前ならなれるよ、優秀だからな』
『常に成績トップのお前に言われたくないんだけど』
同じ部屋で、同じ立場で、肩を並べて笑っていた雪tを思い出す。あれからたった数年しか経っていないのに、立場ばかりが遠くなっていく。
「俺は今でもお前のことを――」
伸ばされた指が俺の口に添えられた。強く、赤く燃える太陽を背負った雪tの顔は陰になって見えない。だけど――
「統率者が口にするもんじゃない。わかってるだろ」
あいつがどんな顔をしているのかは、わかるような気がした。
返事の代わりに頷いて、だけどそれが悔しくて。俺は雪tの手から煙草を奪い取って、そのまま銜える。息を吸い込むと同時に入り込んでくる苦みに眉が寄り、すぐに咳き込んだせいで煙草が地面に落ちた。
「慣れてないと重いだろ」
「さっき、俺に勧めたくせに……!」
「吸わないってわかってたからだよ」
あーあ、と呆れたように言いながら、雪tが俺の背を擦った。生理的な涙で滲む視界の中、雪tの革靴が煙草を踏み躙る。
それを見て、俺たちが二度と交わらない場所にいるのだと思い知らされたような気がした。こいつはこの煙草と同じように、幾つもの何かを、踏み潰してきたのだろう。