薄暗い部屋の中で、青白いモニターの光だけがぼんやりと浮かんでいた。ゲーミングチェアの上に片膝を立てて座り、美咲の手は淀みなくキーボードを叩いていく。モニターに映し出される映像、コード、バー。複数の画面を視線でなぞるだけで把握し、指先がキーボードの上を滑っていく。
――このごろ警察内部で怪しい動きがある。
美咲の元に匿名で届けられたリーク。半信半疑で警察内部のデーターベースにハッキングをして数日。潜れば潜るほど、芋づる式に笑えもしない情報ばかりがあふれ出てくる。政府の内側が腐っているというのはよくあるストーリーだが、まさか、それが現実だなんて誰も思いはしないだろう。あれはドラマや映画だから受け入れられる話だ。見えない世界だから想像を巡らせ、好きに作り上げた架空の創作物。
モニターに映し出されているのはひとりの青年。青みがかった黒髪の男は迷いない足取りで歩いていく。監視カメラに自分が捉えられていることを気にしていないのか、もしくは、気付いていてもあえて無視しているのか。青年――雪t惺空という男の性格を考えるのなら、恐らくは後者だろう。
惺空が向かう先にあるのは、公安局でも一定の権限を持っていないと入れないようなサーバールームだ。一職員――しかも、執行者である惺空にそのような権限が与えられているはずないのに。それなのに、電子ロックを慣れた手つきで解除していく。誰かの通信している気配もない。惺空の様子を見る限り、これがはじめてではないのだろう。
流石の美咲も、サーバールームの中までは入り込めない。技術的に不可能ではないが、それに見合ったメリットが見込めない。そもそも、警察内部の事情を、美咲が握ったところで何かあったときの保険くらいにしか使い道はないのだ。虎の尾を踏む必要はない。
自分に、身内に、危害が加えられないのであれば、美咲にとってはどのような重大な秘密もすべてが等しく些事だ。些事であるべきだった。
知れば知るほど、泥沼に足を突っ込んでいる感覚がある。好奇心で飯は食えない。正義感なんて持っていない。それでも指が動くのは。目に入る情報を記憶に刻み込んでしまうのは。
あの日笑った男を、忘れられないからだ。
◆
是永美咲はフリーの情報屋である。報酬さえもらえれば、正義の味方にも犯罪集団にも等しく情報を売る。どこの組織にも肩入れをしない。美咲から買った情報で食い合って抗争が起きようとも興味がない。最悪なまでに、フラットな情報屋。
自分の立場を問われたら、美咲は迷わずヴィランを名乗るだろう。美咲の信念は自身のエゴイズムにのみ則っており、どこまでも身勝手なそれに忠実だ。
だからこそ、その日、訪れた客は美咲に僅かな驚きを与えた。
「お前が、噂の情報屋?」
「国家の犬が俺に何の用? 俺を捕まえようって?」
「捕まえる気があるなら、単独で乗り込んだりしねえよ」
美咲のとなりに座り軽く男が笑う。スーツを着こなした端整な顔立ちの男。代行室の執行官・雪t水鈴だ。記憶にあるデーターベースを探り、素性を脳内で整理していく。
職務に忠実であるこの男が、統率者も連れずにどうしてこんなところに来たのか。水鈴の口ぶりから美咲に用があることはわかるが、美咲の立場は限りなく黒に近いグレーだ。警察にも情報を流すから見逃されているだけである。それに、美咲を使っている警察内部の情報屋は、当然、目の前の美丈夫ではない。
探るような視線を向ける美咲に、水鈴は眉を下げて笑った。
「そんなに睨むことないだろ」
「睨んでるわけじゃない。用件を言え。俺と楽しく酒を飲みに来たってわけでもねえんだろ」
「せっかちな男は嫌われるぞ」
「男に好かれたいとは思わねえよ」
苛立ちに任せて舌打ちをする。水鈴は美咲の悪態も気にする様子なく、一枚の写真を取り出した。机に置かれたそれに目を落とす。水鈴のとなりで、ひとりの青年が無邪気に笑っている。
「これは?」
「俺の弟」
「……ああ、雪t惺空か」
「俺が来ることも知ってたのか?」
「んなわけあるか。頭ん中に情報があれば連想ゲームくらい誰だってできる」
「ふうん。なら、俺の依頼も想像つくかもしれないな」
まどろっこしい言い回しをするのは、水鈴自身がまだ悩んでいるからだろうか。しかし、わざわざ美咲を尋ねてくれる用件だ。ろくな依頼じゃないだろう。
グラスの縁を指先でなぞって、水鈴の言葉を待ちながら軽く煽る。喉を焼くアルコールに眉が寄った。
「弟の――惺空のことを調べてほしい」
「……へえ? お前、どこまで掴んでる?」
「それは言えない。それも含めて、調べてほしい。それが、俺の依頼だ」
分厚い封筒が机に叩くようにしておかれた。美咲は中身を確認して、改めて水鈴の顔を見上げる。
「いくら積まれても、自分に危険がありそうなところまでは踏み込まない。それは承知の上か?」
「ああ、わかってる。それは前金だ。足りなかったら言ってくれ」
水鈴はそれだけ言うと、手付かずだったグラスを一気に煽って席を立った。用は済んだとばかりに立ち去ろうとする背中に声をかける。
「どうして、お前は身内の調査を俺に依頼するんだ?」
「俺は弟の味方でいたい。でももし、あいつが何かを間違えているなら、それを正すのは俺でないといけない」
振り向いた水鈴は笑っていた。覚悟を決めたような、それでいて、諦めたような、そんな笑い方だった。