ふとした瞬間、そぞろに往時を回顧するときは誰しもあるだろう。それは幼い頃よく遊んでいた公園を偶然通りがかったときとか、思い出にまつわる写真を見たときとか、連なる理由は人それぞれ。
 私の場合──昨晩見た夢、が、すっかり忘れていた記憶の糸を手繰り寄せる切っ掛けとなった。

「綾音ちゃん」
 人懐っこく、愛くるしい笑顔でいつも私の後ろをくっついて歩いていた男の子。
 動物好きなのに妙に怖がりなところもあって、自分の背丈と同じくらい大きな犬を見るとすぐ私の背中に隠れてビクビクしていた姿がとても印象的で、思い出すと今でもクスリと笑みがこぼれてしまう。
 そのときはひとりっ子だった自分に可愛い弟ができたようで、綾音ちゃん、綾音ちゃんって名前を呼んでくれるたびに『頼りにされてるんだ』って嬉しくなって勝手にお姉ちゃん気分を味わってたっけ。
 それも私が小学校に入学してからは、ぱったりと無くなってしまったけれど。

 あの子は今、何をしているんだろうか。
 年齢は私よりひとつ下だった筈だから、現在は高校三年生。進学するなら四月から大学生か。小さい頃は女の子に間違われるような外見だったけど、今は成長してさぞかし格好良い男の子になってるんだろうな。
 時の流れなんてあっという間だ、といっときの感慨に耽ったものの、その状態がいつまでも続くでもなく。なんとなく凹んでしまった気分を変えようと、手持ち無沙汰を解消するために私は等閑に床に放られていた雑誌を手に取った。
(何か興味を引くような特集は無いかな……)
 ペラペラとページを適当に捲っていくが、目に入るのは『今どき流行のメイクはこれ!』やら『今週の貴女の運勢は』なんて在り来たりな週間占い。芸能の話題は『超人気女性歌手が一般人男性と結婚!』など熱愛報道記事がほとんどで、特別関心を寄せる特集も無かったので白けた私はまた雑誌をもとの場所へ放り投げた。
 途端にキッチンに立っていたお母さんから「だらしない!」と叱咤が飛んできて、再び雷が落ちる前にしぶしぶソファーから立ち上がる。

 雑誌はぞんざいに扱われたおかげで表紙が折れてしまっていた。おまけに換気がてら窓を開けていたから、隙間風によって薄い紙切れが無造作に捲られ、風が止むとページが捲れる音もやがて途切れる。やれやれとそれを拾うと、さっき雑誌を見た時はいっさい目にしなかった見開きページが目に留まった。
 視線の先はとあるアイドルグループのインタビュー記事が掲載されている。
 今若い世代を中心に人気を博しているSix Gravity。その弟分として新たに結成されたグループの名が、

「……プロセラルム……?」

 だった。また変わったユニット名だなと小首を傾げつつ、私はソファーに座り直してその記事に目を通す。
 斯く言う私もグラビのリーダーである始くんのCMに惹かれ、彼に関する情報を逐一追っていたファンのひとりだが、弟分ユニットが生まれていたという情報は知らなかったのだ。どういう子達が居るんだろう、と期待に胸を膨らませながら、メンバー紹介欄をひと通り読んだあと次いで写真のほうに目を移していく。
 活発そうな子、対照的に儚げな子、……ちゃ、チャラいけど華やかといった印象が際立つ子など、こちらもバラエティ豊富な男の子が並んでいて、グラビとはまた違った魅力で世間を風靡しそうな面子だなと前途を嘱望するユニットの誕生に微笑が浮かんだ。始くんと同じく、とまでは言わないけれど、これからはプロセラも事細かに情報を追っていくとしよう。
 そうして改めてメンバーの顔を見ていくと、華やかな男の子……葉月くんの隣に並ぶといささか地味な第一印象を根付かせる黒髪の男の子にふと視線が釘付けになった。好みだったわけでは無いし、特別目立っていたわけでもない。ただどこかで会っている人を見つけたような不思議な既視感があって、自然と目が留まったのだ。

(……けどアイドルと会ったことなんて……)あるわけないよなぁ……でもなぁ……といまいち釈然としない気持ちを持て余しながら頬を掻く。
 地味とはずいぶんなことを先に言ってしまったが、この子もアイドルというだけあって綺麗な顔をしている。仮に会ったことがあるならこんな子絶対に忘れないだろうし、もしかして知り合いに似ているだけだろうか?
(――いや、それにしてもな……)
 ……なんだって自分はこうも思い出そうと躍起になっているのだろうか。なにか大事なことまで忘れている気がして落ち着かない。うーん、と眉を寄せながら紹介欄を指先でなぞる。
 どことなくぎこちない笑顔でページに映る彼は、先ほど想起していた小さな男の子とふいに面影が重なった。

「……ねー、お母さーん」
「何」
「私が小さい頃、よく一緒に遊んでた男の子のこと覚えてる?」
「夜君のこと? もちろん覚えてるわよ。あの子礼儀正しかったし、可愛かったし」
「よるくん?」

 え、と開いた口が塞がらなかった。
 この雑誌の子の名前は、長月夜くん。お母さんが教えてくれた思い出の中のあの子の名も、よるくん、らしい。らしいと言うのは自分の記憶に自信が無いから。確かにあの子とよく遊んでいたという認識はあるのだが、あの子の性格や口調、癖などに関する記憶はほぼ部分的であやふやなのだ。
 だからお母さんが言う可愛いという言葉には全面的に同意するもの、礼儀正しかったという意見には「そうだった気もする」という曖昧な返答しか返せない。
 けどもし本当に、雑誌の中で笑っている長月くんが私の知っている″よるくん″だったとしたなら、ほんのちょびっとだけ寂しさを覚える。私の後ろに隠れていたあの子はもう居ない。
 年を重ねる毎に疎遠になってとっくに切れた縁。私ができるのは画面越しの応援だけで、あの子はもう私とは住む世界が違う、遠い存在になってしまったのだ。
 間もなく弾んでいた胸は鳴りを潜めて、苦い心境を堪えつつ雑誌を閉じる。
 長月夜。
 機会があったら、彼のソロシングルを買ってみようかなとその名を脳裏に刻んで、私はソファーを立った。


 ありがとうございましたー。と間延びした店員の声を背中に、私は地元のCDショップを後にする。機会があれば、なんて先延ばしにするようなことを言っておいて、結局今日の講義が終わったら即大学を出て買いに来てしまった。我ながら堪え性の無い、と呆れつつも、目当ての物を手に入れられたことに満足していた。
 落とさないよう右手に抱き込まれた紙袋の中には長月夜名義のソロシングルが入っている。帰ったら早速パソコンに取り込んで、iPodに入れて──とやや浮き足立った足取りで家路を急ぐと、曲がり角から現れた自転車と危うく衝突しそうになる。
 間一髪でお互い避けたからぶつかることは無かったものの、予期せぬ出来事にたたらを踏んだ私はバランスを崩した成り行きで体の軸が傾いた。

「っ、」

 近くに掴まる物も無く、それなりの痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じた。程なくしてお尻から腰にかけて迸った衝撃に歯を食いしばって苦痛を凌ぐ。幸い先の尖った石や硝子の破片など危険な物は転がっておらず、尻餅をつくだけで済んだので怪我はない。ない、が、腰もそれほど強かに打ったわけでは無いし難なく立てるだろうと程度を甘く見たのがいけなかったのか。足に力を入れた瞬間、足首に鈍い痛みが走って顔を顰めた。
(変な風に捻っちゃったかな……)
 日頃の運動不足で、体が固くなっている証拠だ。ついてないと嘆息して、すぐさま違和感に気付く。思えば右手が空っぽだ。あんなに大事に抱えていたCDはどこへ、と慌てて辺りをキョロキョロと見渡す。すると目前にすっと差し出された紙袋。それは少ししわくちゃに歪んでしまっていたが、紛れもなく私が購入した物で。

「あの……、大丈夫ですか?」
「 え、あ!」

 どうやら一連の流れに呆然としていたら不審に思われたらしい。落とし物を拾ってくれたということは、たぶん落ち着きなく探している所を見られていたんだろう。挙句こんな格好でぼーっとしていた間抜けな顔まで見られて気恥ずかしい思いがふつふつと込み上げた私は咄嗟に「大丈夫です!」と平静を取り繕った。
 相手の顔は帽子を深く被っているおかげで見えないが、着ているブレザーはうちの近所の高校のものだ。ということは現役高校生に目撃されたのか……明日学校で挙動不審な女が居たなんてネタにされなければ良いなと戦きながら差し出されていた紙袋を受け取り、「ありがとうございます」と頭を下げる。
 中身を覗けばCDが割れた様子もない。
 良かった、また買い直す羽目になったら今日は落ち込んでベッドに沈んでいた。ほっと胸をなで下ろすと、しかし私の顔を訝しげに窺っていた高校生は藪から棒に私の名前を口にした。

「……やっぱり! 鈴城さんですよね?」
「……え。あ、はい、そうですけど……?」

 なんだろう、この子の背景に小花が飛んでいるように見える。「やっぱり、」と紡いだ声には喜びの色が帯びていて、それがいっそう私の中の焦燥と戸惑いを煽り立てた。あいにくだが私には高校生の知り合いなんて居ない。けれど彼が指す『鈴城さん』とは他でもない私のようで反応から見るに人違いでは無さそうだ。
 ん?と頭の上に疑問符を浮かべると、彼は思い出したように「あっ」と声をあげて帽子を取った。旋毛から逆立つうねり毛がひょこりと顔を出して、視線が交わった目が優しく笑む。
 今度「あっ」と声をあげたのは私の方だった。

「────長月くん!?」

 刹那、嬉々としたオーラは打って変わってどんよりと重たい空気が彼の背中に漂った。彼の表情から眩い笑顔は消えて、見る見るうちに悄気たかんばせになる。
 ……え、なんでがっかりしているの?やっぱり私か、私が原因か。あれ、名前呼んだだけだよねと狼狽えながらも、長月夜本人だろう相手の顔をおそるおそる覗き込む。
 まさか私こそ早とちりだったんじゃ……?内心焦りに焦って、「長月、くん、だよね……?」と今さら確認の問いかけ。彼は元気が無くなってしまったものの、ひとまず頷いてくれたので安心した。

「……俺のこと……忘れ、ちゃったんですね」
「……?」
「綾音ちゃん、」

 幼かったあの子を彷彿とさせる懐かしい呼び名に目を瞠る。私のことを「綾音ちゃん」なんて呼んだのはあの子だけでは無いけど、でも。

「   よるくん?」

 半信半疑で名前を呼んでみれば、目の前の彼は心底ホッとしたような、それでいて今にも泣き出してしまいそうな顔でくしゃりとはにかんだ。
 ──当たり、だ。存外私の勘も捨てたモンじゃないと安心したが、こんな少女漫画のような再会も実在するのかと、ましてやそれを自分が体験することになるなんて滑稽さとむず痒さがいっぺんに込み上げてきてなんとも言えない複雑な心境になった。
 とりあえず長たらしくこの体勢で居るのは居た堪れないし、何より通行の邪魔なので、夜くんに手伝ってもらいながら私は慎重に立ち上がった。足首はまだ微かに痛むものの、歩けない程では無いから帰って湿布を貼って安静にしてればいずれ治るだろう。
 なるべく捻った足側には重心を掛けないように気をつけようと注意を心掛けると、足の様子を確かめていた私を見澄ましていた夜くんがさり気なく片側に立って背中を支えてくれた。

「わ。夜くん?」
「本当は、積もる話とかいろいろあったんですけど……足、捻っちゃったなら早く家に帰って手当てしたほうがいいですよね」

 「送ります」と微笑った笑顔は幼少期から変わっていない。だけど私より小さかった背の丈は見上げる程に大きくなってて、支えてくれる腕もなんと頼もしいことか。立派な男の子になっちゃって、と背中に感じる手のひらの感触に惚れ惚れしていたら、しかし徐々に際どい方向に向かっている自分の思考にぎょっとした。

「……、なんか私変態くさい」
「え、」

 私の独り言を聞いてしまったらしい夜くんは私の自分突っ込みに固まった。
 そういえばメンバー紹介に下ネタが苦手とか書いてあった気がする。急いで我に返って「やましいことはいっさい考えてないからね!」と弁明すると、こちらの勢いに気圧された彼はたじろぎつつも何度も頷いた。程なくして可笑しくなったのかクスクスと笑われたけど、変質者扱いされないだけマシだ。
 これ以上不審に思われないよういったん話題を断ち切って、スローペースで歩き始める。夜くんも極力私の歩幅に合わせてくれているので必要に急くことは無く、付き合わせてしまうことに一抹の申し訳なさは感じるもの逆にその気遣いが嬉しくもあった。
 けれど幾ら相手が私の知ってるあの夜くんだったとは言え、男の子がこんなに近い距離に居ると緊張する。
 知れず縮こまって上半身に力が入ると、再び右腕に抱き込んだ紙袋がかさりと音を立てた。

「……え、ぁ。すみませんっ、その、近いのは鈴城さんが危なっかしくて、こうして支えたほうがまた転びそうになったときすぐ助けられるかなって……!」
「わ、分かってる。それより昔みたいに綾音ちゃんって呼んでよ。敬語使われると、ちょっと寂しいな」
「……う、うん。頑張りま……じゃなくて、頑張る」

 それきり、落ちた沈黙。
 お互い真っ赤になりながらも寄り添って歩いているこの姿を友人に見られたら間違いなく冷やかされるだろうな。だけど夜くんの気遣いを無碍にするわけにもいかないし、私も不安がらなくて済むし、この密着具合に他意は無いんだと強引に自分を納得させる。
 どうか心臓の音が夜くんの手のひらにまで伝わりませんように。ハラハラしながら家路を辿っていると、照れ臭そうに目を泳がせていた夜くんがこの気まずい空気をなんとかしようと意を決したように私を見た。

「ところでさっきからずっと気になってたんだけど……その紙袋、なにか大切な物でも入ってるの?」
「どうして?」
「凄く大事そうに抱えてるから……」

 「転んだ時もいの一番に探してたでしょ?」と痛いところを突かれ、私は言葉に詰まった。本人に直接あなたのCDを買ったの、と言うのは特に理由は無いが憚られる。
 が、上手くはぐらかすにもなんて言えば良いか分からなくて、私は当たり障りなく「これから大事な物になる予定、かな」と告げてCDが入った紙袋を抱き締めた。
 どんな曲であれ、夜くんが歌った歌ならばそれだけで好きになれそうな気がする。否、きっと虜になること間違いなし、だ。大袈裟では無く本当にそう思った。
 喜色満面の笑みが自然と溢れた私に、その表情を目の当たりにした夜くんは目を真ん丸くしたあと、なぜかのぼせたように耳まで紅潮した。わなわなと震えていた口を結んで、眉を寄せて、突然の表情の変化に気付いて訝る私から思いっきり顔を逸らす。何かを隠すようなその態度が……とてつもなく怪しい。
 もしかして、と嫌な予感は覚えつつも敢えて追及はせず、じぃっと探る目付きでしばらく様子のおかしい夜くんを注視していると、もの言いたげな視線に観念したのか彼はこちらを一瞥した。私と目が合うと彼は「う、」と少々気後れするような声を漏らしたが、また目を逸らしておずおずと口を開く。

「えと、ごめん……実はさっき、中身見えたから知ってる……」
「……さっき?」
「 綾音ちゃんがCDが割れてないか確認したとき」

 ────ぎゃあああああ!!と、往来にも関わらず気を抜いたら本気で叫びそうだった。そのくらいショックだった。とんでもなく恥ずかしい、恥ずかしすぎる。穴があったら入りたいくらいだ!
 そりゃ、自分名義のCDをあんな、宝物を慈しむように抱き締められて「大事な物になる予定」なんて面と向かって吐かされたら夜くんだって反応に窮するよね、面映ゆくもなるよね、ごめんね!とっくに知られてたなんて可能性は予想の範疇に無かったから勝手にベラベラと話しちゃったよ!
 話し終わった後の彼の異変にまさか、と懸念したが、よもやそのまさかだったとは。本人からのカミングアウトは浮かれていた私にとって何よりの痛手で、また夜くんの恥ずかしそうな横顔が羞恥に震える私にさらなる追撃を仕掛けた。
 ……も、もういやだ。早く家に帰って布団に包まりたい。眠って忘れてしまいたい。そもそも夜くんも夜くんだ。中身を知っていたなら何でわざわざ訊いたの。
 って、率直に言えば私が馬鹿正直なだけだったんだけど、大人げのない羞恥心が夜くんにまで八つ当たりしようと猛威を振るう。それを懸命に抑えようと口を噤めば、当然ふたりの間には沈黙が落ちた。迂闊に喋ればお互い墓穴を掘る気がして喋れない。
 私たちはそろって真っ赤な顔で、相手の顔を直視しないようにと意識することでいっぱいいっぱいだった。
 なのに夜くんは、再び燃料を投下して。

「少し恥ずかしいけど、でも、嬉しいです」

 綾音ちゃんにそう言ってもらえるのが、何よりも。
 まだ赤みの残る頬で、けれど屈託なく笑ってそう宣う夜くんの姿に私はいよいよ限界を迎えた。頬は熱いし、心臓は五月蝿いし、手も唇も震えるし、何がなんだか分からないことだらけだ。十数年振りに会った年下の子に翻弄されっぱなしな年上ってどうなの。情けないにも程がある。でも、本当に嬉しそうな夜くんを「ああそう」なんてあしらえるほど私は淡泊な人間でも無くて。しかし気の利いた言葉も言えなかった私は「……そ、そっか」と顔を見られないように俯くしかなかった。
 そんなこんなで、恋しき我が家の前に到着して。
 送ってもらったお礼をきちんと言って、そそくさと家に入ろうとしたら、後ろから夜くんに名前を呼ばれて振り向いた。

「あの、……連絡先、教えてほしいな……なんて」
「連絡先?」
「うん。もちろん迷惑じゃなければの話なんだけど! また会ってふたりで話したいなって、」

 思って……。と言葉尻が小さくなっていった夜くんの声に、私は虚を衝かれて笑ってしまった。
 今日は意外と意地悪な一面もあると分かったけれど、この子は変なところで遠慮するというか、怖気付くというか。
 変わってないんだね、と懐かしくなった私は踵を返して、門の前で目を伏せてスマートフォンを握り締めている夜くんの前で立ち止まる。

「LINEで良い?」
「あっ、はい!」

 ボトムのポケットから同じくスマートフォンを取り出して、夜くんの物と向かい合わせる。両者端末を軽く振ればデータを受信できる機能を使ってお互いのIDを登録し、これでいつでも気軽に連絡の取れる仲となった。無論、夜くんは受験シーズン真っ只中だし、仕事もあるから必要最低限のみの利用となるだろうけど。

「……受験のこととかひと区切りついたら、気晴らしがてら昔よく遊んだ公園にでも行きたいね」
「連絡、します」
「待ってる」

 新たに夜くんの連絡先が追加されたスマートフォンと、紙袋を抱えていないほうの手を前に差し出した。小指だけ立ったその手に夜くんは小首を傾げたものの、すぐに意図を察して頬を緩ませる。
 ゆびきりげんまん。
 次に会うときは、桜が咲いた季節かな。
 絡んだ小指にくすぐったい気持ちになりながらも、私たちはまだ見ぬ春の訪れを期待せずには居られなかった。