(──胸糞悪ィ、)
久々に視た昔の夢に、咲羽はチッと舌を打った。祐喜たちと出逢ってからは見なくなっていたというのに、なぜ今頃。

幼い頃はただ憎かった。
こちらの心情も知らず、あんな一方的な想いを押し付けて先に死んでいった姫が。
だけどそんな身勝手さも愛しかった。
守るべき姫、としてしか自身には認識が無いどこの誰とも知らないその女が。
相反するふたつの感情。愛情と憎悪は紙一重だなんてよく言ったものだ。
日に日に大きく膨れ上がる想いはやがて自分の中に歪みを生み、ポロポロと綻びを帯びて黒ずみを増していく。
総て白く染まったのは、名前と再会を果たしてからだった。
桃の木の下、眠る彼女を見て心が奮えた。そうしてそこでようやく、前の獣基の気持ちを初めて理解することができたのだ。

(いと、しい)
不覚にも涙が滲んだ。でも零しはしなかった。
泣くのは総てが終わってからでも出来る。今は泣くのでは無く、彼女と再び会い見えることができたことを喜ぼう。
そっと安らかな寝息を立てる少女の傍らに膝を折り、艶やかな薄桃色の髪に口付けたのが、
苗字名前──姫君との出逢い。

……嗚呼、思い出したら会いたくなってきた。

「……咲羽?」
「おー、ちょうど良いとこに」
「え?」

怪訝げに眉を潜める彼女の隙を突いて腕を引っ張り、自身の胸に招き寄せる。腕の中に閉じ込められた名前は咲羽の突然の行動にしばし呆気にとられていたが、状況を理解したあとジタバタと抵抗を露わにした。
「咲羽、」
真っ赤な顔で胸元を押し返そうとする腕すら封じて強く強く抱き締めた。
夢の中の男にはできなかったことを、自分はやっている。こうして彼女を腕に収めて、温もりを堪能して、息遣いを側に感じて、笑顔を間近で見ることが。
(──俺はアイツとは違う。)
やすやすと奪わせるものか。
肩口に顔を埋めた咲羽に諦めたのか、渋々と抵抗していた腕を下ろした名前は溜息を吐いた。
こうなったら梃子でも動きそうにない。咲羽とて動く気もない。
おとなしく瞳を閉じた彼女にすり寄れば、調子に乗るなとばかりに後頭部を小突かれた。

「名前、」
「なに」
「……名前、名前」

縋るように名前を呼んだ。何度も何度も繰り返し、この想いを吐露するように。

 ねえ、きみは
 君に 僕の想いは届いていただろうか。
 もう一度会えたよ。
 見つけたよ、もう離さないよ。

 もうきみを ひとりぼっちにしないから
 どうかもう、おいていかないで

「っ……咲羽、いたい、よ」
「悪い、もうちょいこのまま」

名前が痛みに顔を歪めても解放してやれそうになかった。心の奥底から込み上げる感情が今になって溢れそうになる。

守るから。傷つけないように、傷つかないように。
その為にこの身がボロボロになり朽ち果てようとも、君の導となることが出来るなら。
それは咲羽にとっての希望となる。

「……あーーっ!!? 咲羽ァァ!! 何やってるんだあああ! 祐喜殿ーーっ祐喜殿ーーここに不届き者がおりますぞおおお!!」
「……っるっせぇ犬!!」
「キャンッ!」
「雅彦うるさ……っ、て咲羽!? なんで名前抱き締め……え、もしかして俺たち邪魔した!?」

不機嫌を露呈する咲羽に祐喜は頬を引き攣らせ、後ろにいた雪代に視線で助けを求めた。しかし咲羽が怒りの矛先を向けているのは犬改め雅彦のみなので、「祐喜たちは悪くねぇよ」と雅彦の背中を踏み躙りながらニッコリ笑った。
一方で窮屈さから解き放たれた名前はほっと胸を撫で下ろす。咲羽の様子が元に戻ったことに対してか、張り詰めた空気が柔らかくなったことに対してか、彼女自身安堵した理由が定かでは無いが。

自分そっちのけで和気藹々と盛り上がる祐喜達を抱き締められていた時の体勢のまま見上げる名前に、咲羽が手を差し伸べる。
おそるおそる重ねられた小さな手のひらを優しく握り、華奢な体躯を引き寄せた。雅彦がまたきゃんきゃんと騒ぎ出したが関係ない。
祐喜や雪代、周りの驚く視線に憚らず、そのまま咲羽は瞠目した彼女の頬に唇を寄せた。

(いまは、これくらいで我慢してやる)
だけど総てが終わったら、その時は今度こそ必ずきみを奪い去るから。

────覚悟、して。

これは純粋な狂気による、純粋な愛情も交えた愛苦しい″恋″のお話。