すき間をみつけて居座っている
 目を開くと未だに見慣れない天井が視界に飛び込んできた。
 浅緋はベッドから身を起こし、しばらく部屋の中を見渡す。海底火山の街であるこの場所は陽の光と言うものとは無縁だ。窓の外から差し込む人工的な光が室内を薄暗く照らしている。
 ここは、紅斗が営む武器屋の一室だ。浅緋は訳あって客室として一時的に利用させてもらっている。
 覚醒しきっていない頭のままで浅緋は出入口のドアへと目を向けた。外からは賑やかな声が聞こえてきて、なるほどこれが目を覚ました理由かと納得する。声の正体は十中八九彼の客だろうと無難に予想を立てつつ立ち上がる。数日寝ていたせいで体が固くなっていたためか軽く背伸びをしただけでぼきぼきと骨が鳴った。
 しかし手足を動かしても違和感はなく、額に手を当てても発熱もない。万全とはいかないまでも体調はそこそこ回復したらしい。
 そこでようやく喉の渇きを思い出したが、サイドテーブルの水差しは空っぽだった。
 浅緋はベッド脇の椅子に引っかけた上着を寝間着の上から羽織ると部屋を出た。

 建物の構造を思い出しながら廊下を進む。何度か階段を下りて台所を目指す。
 外からは相変わらず人の声が聞こえる。その高さからして大人のものだけではなさそうだ。窓から庭を見下ろせば大小の人影が見えた。武器の試し切りをしているのだろう。店が賑わっているのは結構なことだ、とそれ以上は気にせずに目的地を目指す。
 一階に位置する店の手前に台所はある。店舗スペースから伸びた階段から繋がる通路を歩いている途中で話し声とともに店の扉が開いた。そちらを見るとちょうどドアを開けて室内に入ってくる紅斗と目が合う。
「あら。目が覚めたの」
「どうもどうも。おかげさまで」
 軽く挨拶を投げかける。彼に続いて弟子の鉄が姿を見せ控えめに会釈したので浅緋も手を振ってそれに返す。
 そして、その後ろからさらに三人が続く。
 子どもが二人と大人が一人。
 見知った姿と見知らぬ姿。
 そのうちの一人としっかり視線がかち合った。
 虚を突かれたような表情を見せる相手に対し、浅緋は首を傾げてじろじろと不躾に眺めた挙句に口を開いた。
「ねえー、紅斗。朱星の幻覚が見える」
「安心してちょうだい。正真正銘本物よ」
 体の不調により見えた幻覚ではないらしい。
「この間言ったでしょ。朱星がこっちに来るって」
「そんなこと言ってたかな?」
「まあ忘れてても仕方ないわね」
 そう言われて記憶を辿ると、確かに熱で臥せっている最中にそんなことも聞かされたような気もする。眠れるまで何か気がまぎれるようなことを喋って欲しいとリクエストした覚えもあるので、恐らく話半分にしか聞いていなかったのだろう。
 虫食いだらけの記憶を遡りつつもう一度その相手を、朱星を見る。
「やあ。久しぶりだね」
 そう笑顔を向けてきた男に大して浅緋はわざとらしく肩を竦めた。
「ほーんと久しぶり。きみが連盟抜けてからだと四年ぶり?再会する気はなかったんだけどなー」
 その台詞に朱星の隣にいた少女はぴくりと反応し視線を彼と浅緋の間で行き来させ、一方で少年は怪訝そうに眉をひそめた。
「この人がさっき言ってた朱星の友達?」
 少年の問いに朱星は頷く。
「そうだよ。紅斗と同じ昔からの友達の浅緋。今は鉱石職人として各地を巡ってるんだ」
「以前は監査局にいらっしゃった方ですよね?」
 少女はさらに言葉を続けた。
「……お話はよく聞いております」
 浅緋へと向けられた少女の視線には敬意・不安・困惑など様々な感情が浮かんでいる。
 なるほど、と浅緋は朱星とその傍の二人を見つめる。
 少女は鉱連盟の監査局の人間、人伝いではあるようだが自分のことを知っていると見て間違いない。
 そして少年の方は言うと。
「ああ、そうそう。弟子を取ったんだってね、朱星」
 浅緋はうんうんと頷きながら再び歩き始める。何か言いたげな紅斗の横を通り過ぎて、朱星の目の間にまで進むと立ち止まった。彼の隣の少年と少女の目が浅緋の姿を追う。
 あの朱星が、弟子を取らないと頑なだった彼がついに師となったことは浅緋にとってもかなりの衝撃だった。人はこうも変わるものだ。今まで大した執着もなく生きていたというのに。師弟関係などという他人との密接な繋がりを持つようになるとは。
 いつもそうだ。朱星は浅緋にないものを手に入れることが随分と得意らしい。
 羨ましくも妬ましい。
 好感と嫌悪が混じり合う。
 賞賛と同時に殴り飛ばしたくなる。
「ええと、浅緋?」
 朱星が不思議そうに浅緋を見下ろす。
 その瞬間、浅緋は自分の気持ちがどんどん萎えていくのを感じた。久々のその感覚に諦めにも似たため息が出る。
「きみが師匠になるなんてやっぱり幻覚か夢でも見てるのかな?」
 試しに自分の頬を思いきり抓ってみるが、やはりというべきか痛みが現実を伝えてくる。
 本当に、つくづく、厄介な相手だ。
 自分の人生はこの男から逃げることはできない宿命にあると認めるしかない。


◇◇◇


「僕と浅緋の間に因縁があるっていう人も確かにいるけど、それは事実じゃないよ」
 浅緋が再び部屋に戻った後に黄が浮かない表情をしていることに気が付いた朱星はそう告げた。
「どういうことだ?」
 事情を知らぬ灰の問いかけに答えたのは黄の方だった。
「浅緋様は朱星様の持つ紅玉ルビーと同じ能力を使うことができる。それ故に比較されることも多く、浅緋様が一方的に朱星様を疎んでいるという噂があってな」
「そんな」
 灰はそこで朱星が以前に言っていたことを思い出す。
 周囲から羨まれもしたがその倍は恨まれたのだ、と。そう言っていた。
「でも事実じゃないんだろ」
 先ほどの言葉を思い出し灰は朱星を見る。彼は無言で頷くと灰と黄に交互に目を向ける。
「一部の人間が言ってるだけなんだ。それに彼女が“他人の能力の模倣コピー”なんて力を持ってるからやっかみも少なからずあったと思うよ」
「じゃあ朱星と同じ能力が使えるっていうのは……!」
「うん。浅緋は僕の紅玉ルビーの能力模倣しているんだ。僕は気にしたこともないのに、我が物顔で他人の能力を使っていると彼女を責める人も少なからずいた」
「朱星様……」
 一瞬、悲し気に目を伏せた朱星に黄は気遣わしげな表情を向ける。
 灰もまた当時の二人に対する周囲の勝手な口出しに憤りを感じ無意識に唇を引き結ぶ。朱星は彼女を“友達”と言っていたのだ。他人が友達を責める理由に自分が関わっていると知った時の悲しみは想像に難くない。
「はい、そこまで」
 しんみりした空気を破るように紅斗がパンと手を叩く。
「お互いにわだかまりがないならこれ以上掘り返す必要もないわ」
「……確かに、紅斗の言う通りだ」
 朱星は苦笑しつつ弟子達と目を合わせる。
「浅緋は優秀な鉱石職人だ。灰や黄も彼女から学ぶことがたくさんあるかもね」
 そして直後の二人の異口同音な答えに朱星は笑ってみせた。
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