お客さんもだいぶ減ってきた昼下がり。
柔らかな陽射しをいっぱいに浴びている花たちに目を落とす。今朝方咲いたばかりのマーガレットは、太陽に向かって一生懸命笑顔を向けているようだった。霧吹きに水を入れて、店頭に置いてある花たちにかけてやると、まるで喜んでいるかのように水を弾く。キラキラと輝く花たちに、優しく微笑んだ。こういう時、ああ私は本当に花が好きなんだ、花屋をやってて良かったな、と改めて実感する。
「ねぇママー!」
あの子が慌ただしく二階から降りて来た。何気なく時計を見てみると、時計の針が昼の一時を回ろうとしている。
「もう、いのったら。今日はシカマルくんとデートなんでしょ。早く準備しなさい」
「もーっ!ママってば、声大きいって〜!パパに聞こえちゃうっ」
顔を真っ赤にして膨れるあの子を見て、思わず頬が緩む。あらあらそれは失礼、とだけ付け足して。
あの子は、淡い紫色のシフォンが特徴のワンピースと、爽やかな水色のシンプルなチュニックを両手に持っていた。
「ねぇママ!どっちがいいかなー?」
眉に皺を寄せて二つの服と睨めっこをする姿がとても可愛らしい、なんて思う私は親バカかしら。あまりパパのこと、言えないわね。
「いのには、そっちの紫色のワンピースの方が似合うわよ」
「うーん、そうかなぁ〜?」
そうよ、とにっこり笑顔で返してあげると、あの子はたちまち表情を和らげて、頬をほんのりピンク色に染めた。その色はまるで、店頭に咲くピンク色のスイートピーのよう。ころころと表情を変えていくあの子は、尚も慌ただしく二階へと上がっていった。私はまた、目の前にある花々に水をやり始める。
あの子がシカマルくんと付き合い始めたのは、ここ数ヶ月前のこと。
帰宅すると、いつもなら「ママー!お腹空いたー。今日のご飯はなぁにー?」とすぐにでもキッチンにいる私の所へと来ておしゃべりを始めるあの子が、赤い顔をしたまま何も言わずに自室へと足早に戻ったのだ。具合が悪いのかと心配になった私は、ドアの前でご飯はどうするのか聞いてみたけれど、あの子はいらないとだけ告げて部屋にこもってしまった。風邪でもひいたのではと心配して、夜に温かいはちみつミルクを作ってあの子の部屋に持って行ってあげた。部屋に入ると、相変わらず赤い顔のままのあの子が、クッションを抱いたまま床に座り込んでいたのだ。
「どうしたの?具合でも悪いの?」と聞くと、あの子は黙って首を横に振る。はちみつミルクをテーブルに置き、あの子の額に自分の手を当てる。熱があるというほど熱くなく、平熱よりほんのり温かい、といった感じだった。
「良かった、熱はないみたいね。取り敢えず、はちみつミルク、作ったからね」
ありがと、とあの子の声が微かに聞こえた。私が立ち上がって、あの子の部屋から出ようと扉に手を掛けたそのとき。
「…ねぇ、ママ…」
背後から聞こえてきたその声は少し震えていて。
「?…なーに?」
思い悩んでいるようなあの子の顔を優しく見つめる。
「シ…シカマルに…、告白、されたの…」
顔を真っ赤にさせながらあの子はそう私に告げた。途切れ途切れに、言葉という糸を紡ぐように。
あのね、と続けようとしたので、私はあの子の横に並ぶようにそっと座った。
「なんか…今まで幼馴染みとしか思ってなかったし、まさかあのシカマルが…あたしを好きだなんて……あたし…あいつの…こと、好き…なのかな…?」
「嬉しかった?」
へ? と、情けない声を出して、クッションに埋めていた顔をあげ、私を見つめるあの子。
「シカマルくんに、告白されて、嬉しかった?ってこと」
「そりゃあ…まあ……」
顔を真っ赤にして俯く。私はあの子の髪をふんわりと優しく撫でた。
「でっ…でも!あたしはサスケくんが好きだから…」
あら。そうなのっ? と、目を丸くすると、あの子は不思議そうに私の顔を眺めた。
「あなた、サスケくんが好きだったの?うちでサスケくんの話なんてしたことなかったじゃない。
いつも"シカマルに馬鹿って言われたぁー"とか"シカマルってばまた授業中居眠りして、廊下に立たされてたのよー"とか"シカマルがねーまたテストで0点採ったのー"とか、シカマルくんの話ばかりだったじゃない。
本当は、自分でも気付かないうちにシカマルくんが好きだったんじゃないかなって、ママは思ってたわよ?」
あの子の顔がみるみる上気していく。それを抑えようとまた抱えているクッションに顔を埋めた。
「案外ね、大切な存在って、すぐそばに居るものなのよ」
黙り込んでしまったあの子に、にっこりと微笑む。
「そっ…か、気付かないうちに、あたし、あいつが好きだったんだ…」
目を伏せて、どこか納得したような満足気な表情で、はにかんだ笑顔をみせるあの子。女の子を産んで、本当に良かった、って心底思った。きっと男の子だったら男の子なりに、良いことはたくさんある。
だけど。
恋をして、どんどん綺麗になっていき、女の子から大人の女性へと変わっていく。その成長をこんなに間近で見られるなんて、この子がこんなに良い顔をするようになったなんて、それを見ていける私は本当に幸せ者だ、と心底思った。
それからほどなくして、あの子はシカマルくんに返事をして、二人は付き合い始めた。
もちろん、まだパパには内緒だけどね。
あの子はまた慌ただしく二階から降りて来た。あまりにもバタバタと足音を立てるものだから、「もうちょっと女の子らしく走りなさい。そもそもあなた、くのいちでしょう?そんな足音じゃ、敵に見つかっちゃうわよ」と注意してあげた。
「いーのっ!今は、くのいちじゃなくて、女の子なんだからー」
あの子は、そんな可愛らしい屁理屈を言って、私の目の前をくるくると回った。それと同時に、先刻私がそちらの方が似合うと言った、淡い紫色のシフォンのワンピースがふわりと揺れる。そこから春の新しい命が生まれるんじゃないかというような柔らかい空気を、あの子は妖精のようにこのお店に運んでくれた。
「うん、似合ってるわよ」
「ほんとっ?ありがとーママ!じゃあ行ってくるねー」
「あっ、ちょっと待って」
「なぁーにー?」
くるりと振り向くと、パパ譲りの長くて真直ぐでさらさらしたあの子の髪の毛が春風になびく。私は、店頭に咲いているあのピンク色のスイートピーを、ほんの少しだけ摘み採り、あの子の髪の毛に飾ってあげた。
「え…いいの…?」
「ええ、もちろん。大切なデートの日だもの。オシャレしなきゃね」
「嬉しー!ありがと!」
「気を付けて行ってらっしゃい」
「はぁーい!行って来まーす!」
店から出てシカマルくんの家の方向に向かって走り出すあの子。
「あっ」
何かを忘れたのか、あの子は私の方を振り向いた。
「ママ!わかってると思うけど…」
髪の毛に飾ってあるスイートピーと同じようなピンク色に頬を染めて、少し照れ笑いするあの子を見て、私はあの子が今何を言いたいのかわかった。
「はいはい、わかってるわよ」
私がにっこり微笑むと、あの子も照れながら最高の笑顔を私に見せ、二人の声が重なった。
「「パパには内緒、ね!」」
───そうね、もうしばらくは……パパには内緒、ね。
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2009.04.27
Gleis36