お祭りなんて、大嫌い。
あなたを、思い出してしまうから。
どうしてあの時、私は言えなかったのだろう。
後悔することを予想していたのに、私はただあなたの背中を見送ることしかできなかった。
あなたが私の前からいなくなってから二年の月日が経った。あなたと私の子供も無事産まれ、毎日が目まぐるしく私の前を通り過ぎてゆく。
そんなとき、夏風に乗って耳に届いた祭り笛と太鼓の音。ずっと昔から変わらない音楽。
夏の夕暮れ時の厳しい陽射しが窓から部屋を照らす。一年前に私の目の前で散ったポピーの花。今年もまた窓辺の陽射しを直に浴びて、色鮮やかに咲いている。その窓越しから外を見てみると、お祭りから帰って来たのか、小さな子どもが嬉しそうに水笛を吹きながら母親と手を繋いで歩いている。こんな風景も全部、一年前と変わらない。
*****
「…おい、紅、それは本当か?!」
頬を少し赤らめて ええ、と言うと、あなたは嬉しそうに笑った。
「そうかぁ、ついに俺も親父かぁ!なんか照れるなぁ」なんて独り言のように言いながらこめかみの辺りをぽりぽりと掻くあなたを、私は目を細めて見つめる。
先日、どうも体調が優れないなと感じ、暫く月のものがきていないことに気付いた私は、思い切って里の産婦人科に行ってみた。
すると、やはり。
医者はにっこりと微笑み、おめでとうございます、妊娠五週目ですね。と私に告げた。驚きと慶びと不安が一気に押し寄せてくる。
大事な任務の前だし、心配や迷惑はかけられないとあなたに言うのを最初は躊躇した。けれど、言っておかなくちゃ、いけない気がした。
少し改まってあなたをうちに呼ぶと、別れ話が始まったどうしよう…と不安がっている捨て犬のような顔つきで私を見つめていた。私は、思わず吹き出しそうになるのを何とか堪えて口を開いた。
「…どうやら五週目らしいの」
「……へ?」
拍子抜けした声を出し、私を見つめるあなた。
「…赤ちゃんが、できたの」
あなたは口をパクパクと金魚みたいに動かして、驚きを隠せないようだった。
「…おい、紅、それは本当か?!」
「…ええ」
ダイニングテーブルの向かいの席で嬉しそうに独り言を言っているあなたは、思い出したかのように立ち上がり、私の横にやって来てしゃがみこんだ。
「お〜い、パパだぞ〜!元気に産まれてくるんだぞ〜!」
子供をあやすような口調で私のお腹を擦る。その手からは、滲むような温かさが伝わる。顔を上げたあなたは、本当に嬉しそうに笑っていた。そのまま私を包み込むように抱きかかえ、優しい口づけを落とした。
「…次の任務から帰ってきたら、結婚しよう」
目を丸くしている私の右手を取り、ポケットから無造作に出されたものを薬指にはめる。光るそれが何というものなのかも、私にはすぐわかった。
幸せだった。
自然と涙が零れる。
目を伏せながら はい、と頷き、顔を上げるとあなたの目も少し潤んでいた。
数日が過ぎ、里は一気にお祭りモードとなった。道を彩る提燈と、笛や太鼓などの鳴り物の練習。茹だるような暑さの中で、年に一度の盛大な祭りの準備は着々と進んでいった。
「次の任務は長いからな、暫く会えなくなりそうだから、お前の体調さえ良ければ、たまには祭りにでも行くか?」
「そうね」
このとき私は知る由もなかった。
暫く会えなくなりそう、が
永遠に会えなくなる、なんて───。
お祭り当日は会場から少し離れた橋の前で待ち合わせをした。家に居る時よりも、音が間近に聞こえる。
よう、と軽く手をあげて笑うあなた。いつもは少し遅刻してくるのに。私が妊娠してからは絶対に遅刻しなくなった。待たせないようにしてくれているのか、父親になる自覚が芽生えたのか、どちらにせよそんな些細な気遣いが、私はとても嬉しかった。
私はあなたの半歩後ろを歩く。会話はない。だけど、幸せだった。こうして一緒にいられるだけで、私の心は満たされていった。
いつもはあなたの髪の毛や服から微かに匂う煙草の香り。それがないのに気付いたのは、この時だったのかもしれない。私と、私のお腹の中に宿る新しい命のことを思って、あなたのトレードマークでもある煙草をやめた。
───ごめんね、ありがと。
小さく、本当に小さく嘆かれたその言葉。
きっと、聞こえていなかったよね。
人通りが多くなってきた。はぐれんなよ、と目を泳がせながら私の右手を取るあなた。右手の薬指にある冷たい感触と、あなたの左手の感触が同時に感じられる。付き合って間もない思春期の子供のような恥ずかしさと嬉しさが込み上げてくる。
ひと通り境内を歩き、参拝する。
───無事この子が産まれてきますように。
───ずっと一緒に、いられますように。
今思うと、あのときの二つの願い事は、神様には重過ぎたのかしらね。欲張りな願い事をして、ごめんなさい。
隣でまだお祈りしているあなた。真面目な顔つきで手を合わせていた。
よし、と意気込んで顔を上げたあなたは、何か食うか、ところりと表情を変えた。
お好み焼きとあんず飴を頬張るあなたを笑いながら見つめていた。紅も食えよ、と勧める。
「俺が任務に行ってもちゃんと食うんだぞ!赤ちゃんにも栄養つけてやんないと…。あっでも悪阻がツラかったら無理すんなよっ」
「ふふ、わかってるわよ」
言葉の端々から溢れるあなたの優しさを、噛みしめるように感じて、私はまた胸がいっぱいになる。
食べ終わり、また境内をひと回りする。あまり負担をかけないように私を気遣ってくれたのか、そろそろ帰るかと笑った。
「……あ。」
「ん?」
思わず、小さな声をあげてしまった。私の視線の先には、夏風に乗ってカラカラと音をたてている風車(かざぐるま)があった。そこには自分の眼と同じ色の風車があり、私はそれに目を奪われたのだ。
「なんだ、これが欲しいのかよ?」
「え…いいわよ…」
「相変わらず素直じゃねぇなぁ〜。すみません、これ下さい」
色取りどりの沢山の風車の中から、迷わず真紅の色をしたものをあなたは手に取る。お会計を済ませ、ほい、と渡してくれた。その真紅の風車から、私は目が離せなかった。
暫く私達の間に会話はなかった。カラカラ、と微かに音をたてる真紅の風車と、夏の夜はまだまだ終わらないとばかりに鳴り響く笛や太鼓の音が、私達の沈黙を繋ぎとめているようだった。
すっかり夜になり、私の肌を撫でる風も涼しく心地が良い。べとつく暑さもなく、遠くで星たちは宝石のように輝いていた。
「…ねぇ、どうしてこの色にしたの?」
「ん?そりゃあ決まってんだろ」
え、と聞き返すと、すぐにあなたは振り向きニカっと笑う。その笑顔が眩しくて、思わず目を細めてしまった。
「その色は、お前の色だからな!」
握った手に少しだけ、力がこもる。
───任務に、行かないで。
行かないで、私の傍にいて…───。
本当はそう言いたかった。
だけど、言えない。
───好きよ、愛してるわ。
たくさん伝えたい。
もっと、伝えたい。
それなのに、言葉が見当たらない。
声にならずに蒸発してしまった私の言葉たち。
こんなにも溢れるのに、最後まで言えなかった。
涙だけが頬を伝う。
握った手は離さずに、あなたはもう片方の手で私のその涙を拭き取ってくれた。そして微笑み、苦しいほど優しい口づけをしてくれた。
幸せな瞬間のはずなのに、どうしてこんなにも心が騒ついているのだろうか。
流れ星が、流れた気がした。
どうか、私の願いを叶えて、神様───。
永遠なんていう言葉はなく、唇が離れると同時にふわりと私の右手から温もりも消えてしまった。
「…また来年、今度は子供連れて祭り行こーな」
さっきまで私の右手を握っていた手をひらひらさせながら、あなたは私から遠ざかって行った。
涙が溢れて、あなたが見えない。
このとき初めて、もう二度とあなたに会えない気がした。
真紅の風車は、まだカラカラと音をたてて回っている。足が地面に張り付いたかのように私はその場に立ち尽くし、涙を流しながら小さくなるあなたの背中をずっと見つめていた。
*****
「あっ、うー」
「ん?どうしたの?」
「あー、あー」
お祭りの笛や太鼓の音に反応し、窓の外を見たがる。抱っこしながら窓辺に連れてってやると、きゃっきゃ、と喜んだ。
「…お祭りなんて、大嫌い」
哀しげに嘆かれたその言葉に反応したのか、うー、と眉を顰め泣き出しそうな顔をした。
「…なんて言ったら、パパとの思い出も、台無しになっちゃうもんね」
あなたとの子は無事に生まれ、大切に育てている。独りで子育てするのはとても大変だし、一番いて欲しいはずのあなたがいないから、ふとしたときにこんなふうに弱音を零してしまう。
でもこの子を不安にさせてはいけない。なんて言ったって、未来を背負うこの子は、里の───あなたと私の、“玉”だから。
「あー!」
私がにっこりと微笑むと、それにつられて笑ったのか、言葉の意味がわかって笑ったのか、そこまで私にはわからないけれど。
「約束のお祭り、行こっか」
「あー、きゃっ!」
嬉しそうに笑う。
笑った目元は、あなたにそっくりね。
あなたと過ごした日々のこと、忘れない。
これからも、ずっと────。
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2009.11.22
2021.04.28加筆修正
Gleis36