あの日を境にあの人は、度々私の元へとやって来ては食事に誘い、夜には私を抱いた。
任務を終えると、研究室へと足を運んでくるあの人。私がある程度切りの良いところで研究をやめるまで、あの人は黙って煙草を吸いながら待っていた。
お待たせ、とあの人に素っ気なく言うと、あの人は決まって私に口付けをして、こう言う。
「俺を待たせるなんて、いい度胸してんじゃねーか。シェリー…」
「あら。別に無理しなくていいのに。疲れてるなら帰ればいいじゃない?」
「俺は帰りたくても、俺のポルシェはお前を待っているみたいだがな」
「ふふ、素直じゃないのね…」
目を細め、悪戯にそう言ってやると、あの人はきつく私を抱き締めてきた。
「シェリー……愛してる…」
苦しいほど優しい口付け。
ああ私、溺れてる。
あの人に。
「……私も、愛してるわ……ジン…」
あの頃の私は 間違いなく、あの人…そう、組織の幹部でもあるジンに惹かれていた。
虚無感。そして常に孤独と共に。どこか、自分と似ている部分があったのかもしれない。そんなジンを私は愛し、ジンもまた、私を愛した。
他に女がいくらでもいることくらい、私にはわかっていた。
だけど、私とジンの間には。
確かにそこに愛はあった。
「ほら。髪、乾かさないと風邪ひくわよ」
「…そしたら、こうしてお前に移して治す」
軽く、だけど優しく。唇と唇が触れる。
「…ククッ、風邪は人に移すと治るってよく言うしな」
「…バカ。いいから乾かしなさいよ」
私と同じシャンプーの匂いがする、湿った長い銀髪をそのままにして、言うことを聞かない子供のように枕に顔を埋める。こんな無防備な姿、組織の連中が見たらどう思うかしらね。
放っておくとそのまま寝息をたててしまいそうだったから、仕方なく私が乾かしてやろうとドライヤー片手に近付くと。
「ちょっ…!ジン…!」
腕を強く引っ張られ、私は簡単にベッドへと引き込まれる。それと同時に、ドライヤーが鈍い音をたてて床に落ちた。
「シェリー…」
「もう…」
私の髪を梳くジンの指は、とても優しい。柔らかなその感触が気持ち良くて、つい猫のようにすり寄って離れられなくなる。
「…お前の髪、好きだぜ。この赤みがかった茶色も、手触りも、匂いも…」
「あら。髪だけ、かしら?」
悪戯に笑ってみせると、そのまま引き寄せられ、ジンの胸の中にすっぽりと収まっていた。
あの時も、こんなふうにぬるい風が吹いていて。湿った銀髪のシャンプーの匂いに包まれて。
息苦しいほどの幸せを、確かにあの時の私は感じていた。
*****
「…シェリー」
背後から、あの人の声が聞こえた気がして。
思わず振り返るが、あの人は、いない。
「…何やってんのかしらね。私ったら。」
熱を帯びた指先を冷やしてくれるカクテルグラス。グラスの中で苦しそうに沈んでいるのは、レッドチェリー。
今の私の心の中には、貴方が居る。
皮肉なものよね。
一度は愛した男の元で研究していた薬によって身体が小さくなってしまった貴方を、愛してしまうなんて。
あの人…
ジンとの関係は、あの時終わったのよ…。
だけど。
ぬるい風が吹く上弦の月夜が訪れると、どうしてもあの人の瞳と銀髪を思い出してしまうから。
ロック・ア・コーを、飲みたくなってしまうから。
「ごめんね、工藤くん…」
貴方とは、関係があるわけではないし、むしろそうなれる確立も低いのに。懺悔するかのように俯き、貴方の名を呟いた。
でも、きっと。
飲み終える頃には、あの人の事を、きっと忘れられるから。
せめて、それまでは────。
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2011.05.04
Gleis36