気に入らない。
あの目付き。
赤みがかった茶髪。
華奢な身体。
浮き沈みのない感情。
可愛いげのない声。
あの子の全てが、気に入らない。
あの子のどこがいいの?
私が納得できるような説明をしてよ、ジン───。
「どう?研究は捗ってる?」
「…おかげさまで」
「そりゃそうよね。ジンが貴女のために特別に用意した研究室だもの」
「……」
何よ、黙り込んじゃって。
否定ぐらいしなさいよ。
…するわけないわよね。
本当のことなわけだし。
彼がこの子を連れてきたのは、まだこの子が十六歳かそこらの頃で。あどけなさが残る顔付きの小娘を連れてきた時、何事かと思ったわ。相当頭が切れる子みたいで、新薬の開発に大いに役立つだろう、と珍しく彼は声を弾ませていたのを、今でもはっきり覚えている。
私が「初めまして、私は“ベルモット”よ。貴女のコードネームは?」と挨拶すると、あの子は愛想笑いの一つも浮かべず「“シェリー”です。宜しくお願いします」と単調な口調で私に挨拶をした。そして、お辞儀とは言えないような軽い会釈をし、顔を上げた。
このとき、一瞬だけ視線が交わった。人を小馬鹿にしているかのような目付きだった。
この頃から、私はこの子の全てが気に入らなかった。
「ねぇジン」
「何だ」
「あら、今日はやけに機嫌悪いのね。」
「……」
「お気に入りの仔猫ちゃんが、相手してくれないのかしら?」
「…用件は何だ」
左肩を掠めるのは、彼のお気に入りのhi-liteの煙。やや辛口のhi-liteが、私はあまり好きじゃなかった。
でも、貴方が吸っていたから。少しでも、貴方に近付きたくて。お気に入りのPeaceから、わざわざhi-liteに替えたのというのに。
「私に、その煙草、頂戴。」
信号待ちによって、彼の苛々に拍車が掛かる。彼がくわえていた煙草を奪い、自分の口にくわえる。刹那、冷たい視線が突き刺さった。気付いていたけど、お構い無しに私は続けた。
「ねぇジン。今夜マティーニでも、作らない?」
長い長い綺麗な銀色の前髪で隠れてしまって表情が伺えない。信号が赤から青に変わり、少しずつ辺りの車はスピードを上げてゆく。ドイツの雨蛙の愛称を持つ彼のお気に入りのポルシェは、なかなか発進しない。
横目で彼を盗み見る。けれどもやっぱり、表情はわからない。
すると彼は急にスピードを上げ、勢いよくハンドルをきった。かと思いきや、路地裏で急停止し、帽子を深く被り直す。
「…降りろ」
低く冷たい声が、車内に恐ろしいくらいに響く。聞こえないふりをして奪った煙草を吸っていると。彼は拳銃を取り出して、私に銃口を向けた。その慣れた手つきに思わず背筋が凍る。
「どうしたのよ」
「いいから降りろ」
「……!」
本気の目付きだった。
「……うして…」
「……?」
「どうして…っ、あの子なのよ…!」
睨み付けても、彼は私を見てくれない。
今にも雨が降り出しそうな鈍色(にびいろ)の雲の底は、夕方をより一層不気味にする。
「…誰のことだ?」
わかってるくせに。
嫌味?それとも当て付け?
まあどっちにしたって、私は惨めな女、ってことよね。
瞳の奥がじわりと熱くなるのがわかった。
これ以上俺様と話しても無駄だ、とでも言っているかのような目つき。
車から降りるか。それを拒んで銃で撃ち抜かれるか。貴方になら、殺されても構わないかもしれないわね。
…なんて、どうしようもないことを考えていると。彼は運転席から降り、私の座る助手席の方へと外から回り込んだのだ。そして、いきなりフロントドアを開けて私の腕を乱暴に引っ張り、力ずくで私を助手席から引きずり降ろした。
「…殺してえところだが…、お前を殺したら、あの方に何されるかわからねーからなあ」
「そんなっ…!そうじゃなかったら、私の事を本気で撃ち殺したっていうの…?!」
「ああ。…悪いか?」
冷たい深緑の目に見下ろされる。
彼は私が持っていた煙草を取り上げ、地面に叩きつけるように落とし、じりじりと足で磨り潰した。
「…酷いわ」
唸り声を上げるようにエンジン音を響かせ、小さくなってゆくポルシェ。私はそれを下唇を噛みながら見つめる。
きっと。
あの子の元へと向かってる。
相手にされないとわかっていながらも。
そうまでして会いに行くなんて。
あんな小娘より、私の方が何倍も貴方の事を楽しませてあげられるのに。私の方が、何百倍も貴方の事を愛しているというのに。
とうとう降り出してしまった雨。微かに残るhi-liteの匂いと、湿ったコンクリートの匂いが混ざり合う。
なんて陰鬱なのかしら。
こんなとき、久しぶりにPeaceでも吸いたくなってしまう。あの甘い香りに包まれたい。
でも、吸わないの。
吸ってしまったら、貴方がもっと離れていってしまいそうな気がするから。
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2011.08.12
Gleis36