ひと仕事を終えた休日の朝。
ほどよく焼けたトーストとハムエッグの良い香りが、アジトのダイニングに たちこめる。勿論、この朝食を作ったのは次元。少し早めに起きていたため、先に朝食をとってしまい、今はコーヒーを飲みながらくつろいでいる。五ェ門はさっさと朝食をとると、そのまま修行へ出掛けてしまった。
ルパンはというと、朝食が出来上がってから次元に起こされたので、これから食べるところだった。欠伸をひとつし、ダイニングテーブルに几帳面に並べられた朝食を見る。軽く手を合せ、いただきます、とルパンの声が次元の耳に届いた。
うん、美味い。と満足気な顔でぺろりと朝食をたいらげたルパン。
「ごちそーさまでしたっ」
「おそまつさまでした。」
相変わらず次元ちゃんの作る朝ご飯は美味しいねぇ〜なんてへらっと笑っている。
(こんなの誰でもできるっつーの。)
なんて次元は心の中で呟いたが、実際のところ、次元はかなり料理が上手なのだ。
五ェ門は次元の作る和食(特にだし巻き卵と鯖の味噌煮)が大好きだし、ルパンもまた、次元の作るビーフストロガノフが特に好きだった。本人は自覚していないようだが、全員の分の食事を用意するようになってから日に日に腕を上げているのだ。
ルパンは眼鏡を取り出し、新聞を広げ読み始めた。次元は、自分のコーヒーのおかわりを淹れるついでに、ルパンの分も淹れてやった。
何も変わらない。
いつもと何も変わらない、穏やかで、とても平和な朝。
…のはずだったのだが。
口火を切ったのは紛れもなくルパンの方だった。
「……で? なんて言ってたの?不二子ちゃん。」
「ぶっ…!!」
いきなり何を言い出すのかと思いきや。突拍子もない質問に、思わず次元は一度口に含んだコーヒーを噴き出してしまった。
「何やってんの。」
「お、お前がいきなり変なこと言うから…」
口元を拭いながら、なるべくこれ以上表情を変えないようにする次元。一方のルパンはというと、目を丸くし キョトン、とした表情で次元を見ていた。
「変なことって?」
「あんな女のこたぁ、俺が知るわけねぇよ」
「オレが気付いてないとでも思ったワケ?」
「…!」
ルパンは新聞に視線を落とし、至って普通に話していた。言葉を失う次元。
(いつだ…?いつバレたんだ?)
不二子と密会するようになったのは、ここ一年くらい前からか。売り言葉に買い言葉で 関係を持ってしまってから、いつしかお互いが本気になってしまっていて。密会を重ねるごとに、想いも強まっていってしまった。
でも。
それを表情に出さないようにしていたつもりだし、お互いいつも通り接していた。自分のお得意のポーカーフェイスに、不二子の演技力。いや、完璧のはずだ。
会った後に自分の服に染み付いてしまう“シャネルの5番”も、不二子の服に染み付いてしまう“ポールモール”の匂いも。全て消しておいたはずだから、そこで気付かれるはずはない。
勿論、ルパンが帰って来ないとわかりきっている日に会っていたし。
抜かりはなかった、はずなのに。
しん、と静まり返ってしまったダイニング。次元の心臓の音がやたらとボリュームを上げる。汗が一筋 頬を伝った。
「オメェは本気なんだろ?次元。」
「……本気だ、と言ったら…?」
ジャキ、という鈍い音をたて、ワルサーを構えるルパン。
「……お前を、撃つ。」
「………。」
ごくり、と唾が喉を通る音が、果たしてルパンには聞こえたのか、なんて意外と冷静に考えている自分に、驚きすら覚える。普通はこれを、修羅場とでも言うのだろうか。
この間合いで、しかも自分と肩を並べるほどの銃の腕を持つ相手を撃ち返す自信はフィフティー・フィフティー。しかし、こちらに落ち度があるが故に、自分には反撃する資格もない。
真っ直ぐ自分を見据えるルパンの眼は、本気だった。彼は、引き金をゆっくりとひこうとした。
(…やられる。)
率直に、そう思った。
「……なぁ〜んてな!」
「?!」
コロッと表情を変えたルパンは、自分に向けていた銃口を下ろし、やめたやめた〜っ、と銃を放り投げてしまった。次元は拍子抜けしてしまい、目を丸くする。すっかり冷めきってしまったコーヒーを一口飲み、眼鏡を外したルパンはいつもの口調でこう言った。
「オメェが本気なのも、不二子がオメェに夢中なのも、オレにはわかりきってるってぇ〜ことよ!」
「ルパン、お前…」
「しょーがないでしょ。二人は惹かれ合っちゃってるワケだし〜?それをムリヤリ引き離すほど、オレ、人間腐ってねぇさ。」
本心で言っているのか、次元にはわからなかった。
(もし本心で言ってるのなら、どんだけ器が でかいんだよ…。)
ルパンは本当に器が広い。
お宝をいつも横取りしていく不二子の裏切りを、「可愛いもんだ」とか「裏切りなんて、女のアクセサリーみたいなもんだろ?」なんてさらりと流してしまうくらいに。
さらには自分の大切な女を横取りされても、この男は許すと言うのか。
次元は時々、ルパンのことが本当にわからなくなり、そして時に恐ろしいと思うことがある。今がまさにそれだ。
「…いつからだよ?」
「んー?」
もう一度眼鏡をかけ直して新聞に視線を戻すルパンに問いかけた。伏せ目がちな表情から、彼の考えを読み取るのは難しそうだ。
「俺らのこと、いつから気付いてた?」
「そうねェ…」
僅かに天井を仰ぐルパン。次元だけが、先程の緊張感が抜けないようだった。ルパンの表情はいつもと変わらないのに、次元の顔は相変わらず強張っている。心拍数はまだ早いままで、ルパンの言葉ひとつひとつが発せられる度に心臓が高鳴る。ルパンは、また新聞に視線を落とし、これまたいつもの口調で淡々と答えた。
「一年前くらいかなあ。不二子ちゃんが一週間くらい、ココに来なかったことあったでしょ。んで、久々に顔出したと思ったらいきなり俺に飛びついて甘えてきたじゃない。その時の不二子ちゃん一瞬お前の方見たの、覚えてる? で、二人の視線が交わった時、かな〜?」
覚えている。今でも、ハッキリと。
関係を持ってしまってから、不二子は意識してなのかそうでないのかはわからないが、このアジトに一週間ほど来なかった時期がある。自分達三人のようにいつでも一緒にいるわけでなく、基本的に単独行動している彼女だが、少なくても三日に一度はここに足を運んでいたのに。
そして久々に来るや否や、ルパンに飛びつき甘い声をあげた。これもまた隠そうとしたからなのか わからないが、あの時の彼女の演技は完璧だと思っていた。
さらにあの時、ルパンが言うように、 一瞬、本当に一瞬だけ、自分と目が合った。帽子で隠れて表情もよく見えないだろうし、ポーカーフェイスは得意だと自負していたが、まさか、あの時にはもう既にバレていたなんて。
でも、本当に一瞬のことだ。あれだけでわかるというのか。しかもあの時、ルパンは不二子に鼻の下を伸ばしてデレデレしていたではないか。
常々思ってはいたが、この時次元は、ルパンの観察力と洞察力が心底恐ろしいと感じた。
「コーヒー、おかわりちょうだい。」
言葉を失っている次元に、彼の愛用している赤いマグカップが差し出される。はっ、と我に返り、マグカップを手に取り、ひどく重く感じる腰を上げた。
「あ、豆から挽いてね。」
「……ん。」
いつもだったら自分で淹れろと文句を言う自分だが、今日はそうもいかない。おとなしく豆を挽き、時間をかけてコーヒーを淹れる。
勿論、その間の会話は一切なかった。
「さーんきゅ。………ん〜 おいしっ!」
一口飲むと、やっぱ次元ちゃんの淹れるコーヒーが一番だねぇ、なんて言いながら朝食を食べ終わった時と同じように へらっと笑っている。今しがた銃を構えていたなんて想像もできないくらい、次元の周り以外 のどかないつもの朝の空気に戻っている。
「……引き離したりはしねぇけどよ、」
「…あ?」
ルパンは窓の外を見ながら目を細め、ひどく低い声で独り言のように呟いた。
「…全部を認めたわけじゃ、ないからな。」
「………」
パサ、と小さな音をたてて新聞をダイニングテーブルに置き、ルパンは部屋から出て行った。
取り残された次元は、金縛りにあったかのようにしばらく動けずにいたが、深呼吸ひとつして、ダイニングテーブルの上の食器を片付け始めた。
ふと、ルパンが見つめていた窓の外が気になり、目をやる。雀が何羽か木の枝にとまって鳴いているだけで何も変わったところは見当たらない。
「……いつもの、朝だな…。」
唇を滑る言葉が、ひどく掠れていたことに今更気付き、思わず目を伏せたのだった。
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2012.02.29
Gleis36