───その気持ちに気付いたのは、突き抜けるような空の、晴れた日だった。
「あーもうっ」
昼休み終了五分前の教室。次の授業がもうすぐで始まるというのに、誰一人として教科書を出していない賑やかな教室の片隅で、けんいちは苛立っていた。ついさっきまで校庭でサッカーをしていたからか、胸の鼓動は早く額には汗が滲んでいる。
「気になるのかよ?アレが。」
彼の親友であるさとしがニヤつきながら近付いてくる。窓際で楽しそうにしている、ある二人を指差しながら。
「ええっ?!イイの?花輪くんっ」
「もちろんだとも、ベイビー。放課後、うちに来たまえ。ご馳走するさ」
「わぁーいっ!ねー、たまちゃんも行こうよぉ〜」
けんいちの苛立ちの原因は、どうやらももこと花輪の二人にあるようだ。とは言っても、当の本人はそのことに全く気付いていないようだから実に滑稽なのである。
「ちっ!ちげーよっ」
大きな声で否定するけんいちに、さとしは目を細めて悪戯っぽく笑った。
「じゃーなんでイラついてんの?」
その質問にけんいちは狼狽えた。まるで、さとしに自分の心の内を全て見透かされているようで、どうにも居心地が悪いのだ。うまく返す言葉が見当たらなくて、思わず目を逸らした。
「お前さ、気付いてないわけ?」
はぁ?と気の抜けた声を上げ心底不思議そうにしているけんいちの顔を見て、さとしはわざとらしく盛大な溜息をついた。
「やれやれ…」
親友だから言ってやるかと付け足したさとしは、真っ直ぐとけんいちを見つめる。
「いいか、大野。落ち着いて聞けよ?」
「あ、ああ…」
けんいちは喉を鳴らせてさとしの言葉を待った。
その時、昼休みが終わるチャイムが学校中にけたたましく鳴り響いた。五時間目が始まる予鈴でもあるのに、誰も席につこうとしない。いつもは大して気にならない騒つきが、今日はやけに煩く感じる。
「お前は、さくらが、好きなんだよ。」
─── 一瞬、時が止まったかのように思えた。
途切れ途切れに、でもひとつずつの言葉を確かめるように、さとしは言った。それは騒つきの中でもはっきりとけんいちの耳まで届いたのだった。
「おれが…さくらを…?」
「ああ」
けんいちはふと、ももこの方に目をやった。
花輪と楽しそうに何処ぞの外国から取り寄せたとかいうお菓子の話をするももこは、至っていつもと変わらない食い意地の張った彼女のままであった。そう、いつだって、誰にだって、ももこはももこのままであって、それはずっと前から変わらないのだ。
けれど隣で笑っている花輪はどうだろうか。善意だけであんなに優しく微笑むことができるものなのだろうか。善意だけでなく、そこにはももこに向けた明らかな好意があるからそんな顔ができるのではないのか。
そしてその光景を見ていて自分の胸の奥で生まれたこの感情。抑えきれない自分の独占欲。今までは得体の知れなかった感情に名前がついた。親友のたった一言の言葉で、すべてが繋がった。そのとき初めて胸の奥につかえていたものがすっと抜けていく気がしたのだ。
「…そうか、おれ、さくらのこと、好きなんだ。」
「やっと気付いたか」
「…ありがとな、杉山」
照れ笑いをするけんいちに、さとしは歯を見せて眩しく笑いガッツポーズをしてみせた。
「おれ、人を好きになったことなかったから、この気持ちに気付くことができなかったんだ」
「そっか。じゃあ、さくらが初恋の相手だな」
「そういうことになるな」
少し苦笑混じりのはにかんだ笑顔をしたけんいちに、嬉しそうなさとし。二人が見上げた教室の窓越しの空は、突き抜けるほど晴々としていた。
「おぉーい、大野くんっ」
ふいに呼ばれた自分の名。その声の主がももこであることを断定するのは容易かった。先程、親友から告げられた言葉が蘇る。そのせいだろうか、自然と顔に熱が集まってくる。
「ホラ、行ってこいよ」
「お、おう」
さとしに後押しされ、気を取り直してももこの方に向かった。
「何だよ?」
「あのねっ、花輪くんが、“みるふぃーゆ”っていうお菓子をご馳走してくれるんだって!大野くんも行こうよ!」
───はっきり言って、おれは甘いものが苦手だ。だけど、さくらが行くなら。
「……行く…」
ぼそぼそと口先で籠もる声は、ももこに届いていなかった。え?と聞き返すももこの目はまん丸だ。
「い、行くっ」
やっとの思いで声を張り上げた。それを確認したももこの表情は、みるみるうちに満面の笑みへと変わっていった。
わあい!と真っ直ぐに気持ちを表現し喜ぶ彼女の顔を、今までとは違う気持ちで見つめるけんいち。胸の鼓動はますます高まる。
───ん?花輪のヤツ、おもしろくねえってツラしてやがるな。
誰とでも話せるももこに好意を抱いている者は、どうやらけんいちだけではないようだ。
「じゃあ放課後ねー!」
ぱたぱたと足音を立てて席に戻るももこ。その姿を目を細めながら見届ける。
「…とんでもねえヤツ、好きになっちまったなー…」
ふと、窓の外に目をやれば、やっぱり突き抜けるような空の、晴れた日だった。
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2008.03.01
2021.04.02加筆修正
Gleis36