───今だから言える。
わたしはあなたが好きだった。
そんなこと、絶対誰にも言えないけれど。
「姫子、ねぇ、姫子ってば」
「あっ、ごめんごめん!何?」
「も〜っ、最近ずっと上の空なんだから」
容姿端麗、成績優秀で普段は全く隙の無い城ヶ崎姫子。その姫子が上の空になるなんて、と彼女の親友笹山かず子は眉間に皺を寄せる。
「上の空、ね…」
思わず苦笑を零す。これも全て、ある特定の人物のせいだということは姫子自身が一番よく分かっているのだ。
「ねぇ、姫子」
「ん?」
かず子は姫子の顔を覗き込んできた。優しく、僅かに悪戯な笑みを浮かべて。
「姫子、恋、してるでしょ?」
心臓が跳ねたのが自分でも分かった。目を丸くしてかず子の顔を見直す。だめよ、姫子。平静を装って。と何度も心で唱えながら。
「なっ…何言ってるのよ、そんなはず、ないわよ」
声がうわずらないように最善の注意を払う。
今までだって、望めば大抵のものが手に入り、何不自由なく生きてこれた完璧なまでの女王様。それが城ヶ崎姫子であって、その城ヶ崎姫子が“恋”の単語一つで狼狽えるなどの情けない格好は、いくら親友であろうが見せられない。
「ほんと〜?」
親友は、今度は確実に悪戯っぽく笑ってみせた。
「そうよ」
「へえ〜…」
教室の窓の外に広がる青空を見上げる。その目はとても穏やかで。
「…ねぇ、姫子、前に永沢が気になるって言ってたわよね?」
「え、ええ…」
「それはね、きっと、姫子は永沢に興味があっただけだと思うの」
「どういうこと?」
「好きだから、気になってたってことじゃないってこと。変な顔、変な性格、変な頭、全てにおいて姫子にとっては興味深いもので、気付くといつもそれを目で追っていた。それを、永沢が好きって思い込んでしまっていたんだと思う」
「そ、そうかしら…」
かず子の一つひとつの言葉に心拍数が速くなる。だめよ、姫子。平静を装いなさい。ともう一度自分自身を叱咤した。
「それよりもね、姫子には、もっと前から心のどこかで想っていた人がいたんじゃないかなって、思うの」
その瞬間、とうとう姫子の心臓が堪えきれずに飛び跳ねた。
かず子の言葉の殆どが当たっていた。確かに姫子は、小学校からの付き合いがある永沢に興味を抱いていた。もしかしてこれが好意というものなのかもと思った時期も勿論あった。しかし、長い年月をかけて自問自答した結果、やはりそれは“恋”ではなかったのだ。
「ふふふっ。でも姫子って、結構気が強いじゃない?だから“あんなやつ、好きなわけないわ!”なんて言って、ずーっと否定してきたんじゃないかなーって…」
「……」
姫子は呆然とかず子の顔を見つめていた。かず子は優しく微笑み、昼休みのグラウンドを窓越しに見た。外からは、新鮮な風が滑り込んでくる。肺に送り込めば綺麗になりそうなくらい、涼しくて澄んだ空気。
「…もう、否定なんて、しなくていいの。恥ずかしくなんか、ないんだから。女の子が恋をするのは、とっても素敵なことなんだから、ね?」
「かず子…」
だてに小学校の頃から付き合ってるわけじゃない。かず子は本当に姫子のことをよく分かっていた。何もかも見透かされていたのだ。それなのに、不思議と恥ずかしさよりも嬉しさが込み上げてくる。姫子は自嘲めいた笑みを浮かべて口を開いた。
「…かなわないわね、あなたには」
「付き合い、長いもの」
かず子は、にっこりと姫子に微笑みかけた。肩を並べるようにして教室の窓から昼休みのグラウンドを一緒に見る。そこには、クラスの仲間を引き連れ、制服のままサッカーをするその姿がある。視界の切れ端にいつも入れていた、その姿が。
澄んだ空気を少しだけ肺に入れて、それをゆっくりと吐き出した。目の奥が何となく熱いのは、きっと気のせいだ。
「…大野が、好き」
「…うん」
「ううん…好き、だった」
「……うん」
いつだったか、もう分からない。思い出そうとすれば、胸が締め付けられる。でも、ずっと好きだった。大野けんいちが。
整った顔立ちと成績トップだったりで昔から何かと目立つ彼の元には、自然と人が集まってきて人望も厚い。粗雑なようで案外几帳面だったり、小学校の頃から正義感だけは人一倍あって、性格は馬鹿みたいに真っ直ぐだし、目が合えばすぐ皮肉を言うような荒っぽい彼は、いつだってどうしたって姫子の胸を焦がしてやまなかった。
姫子は、けんいちの姿を目に焼き付けるようにずっと追いながら、今まで誰にも言えず胸の奥に仕舞い込んでた想いをひっそりと打ち明ける。がやがやとした昼休みの教室の片隅で。ぽつり、ぽつりと零れ落ちるような姫子のその言葉たちに、かず子は優しく静かに相槌を打ってくれた。
「…今は、好きじゃないの…?」
「そう言ったら、嘘になるわね。まだ諦め切れてないもの」
だったら…!と続けようとするかず子の声を遮る姫子の声は真っ直ぐだった。
自分を応援してくれる親友の優しさが苦しいくらいに嬉しい。
…けれど。
「わたしにとって、さくらさんも、大切な人だから」
グラウンドに背を向けて、俯く。窓越しに見えるその姿が見えないように。
「……」
「姫子…」
「…なにそんな顔してるのよ。わたしなら大丈夫よ」
「でも…」
無理矢理じゃない、笑顔を振る舞う。それでもかず子は、姫子のことを心配そうに見る。
「わたしを誰だと思ってるの?」
見くびってもらっちゃ困るわ、と少しおどけてみせた。
「……天下の城ヶ崎姫子さま」
「ふふっ、そういうこと!だから大丈夫よ。人の心配する前に、あなたも頑張りなさいよ、自分の恋!あなたに足りないのは積極性なんだから」
ついさっきまでは、今にも壊れてしまいそうな脆い硝子玉のような姫子だったが、そこまで言い切った彼女はもういつもの女王様に戻っていた。観念したように困った笑みを浮かべるかず子。
「…は、はい」
「よろしい」
「城ヶ崎さ〜〜ん!!」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、廊下の方から元気な声が聞こえてきた。
「さくらさん!」
───わたしはあの人が愛するあの子へと駆け寄る。
わたしにとっても、すごく大切な、あの子の元へと…────。
--------------------
2008.11.01
2021.04.25加筆修正
Gleis36