トゥインクラティスに思いを馳せて

 お星さまが降ってきた。きらきらしていて、明るいお星さまで溢れた海の中でもいっそう明るく光りながら。何度も何度も、長い糸を曳きながら、どこか遠くに消えていく。お星さまは、私たちの知らないどこかに行ってしまった。二人で吐いた息に睫毛を湿らせて、夜空を仰いだ。砂粒をまぶしたような、きらめく夜空を。

「環くんは、何をお願いしたの?」
「え、えっと……」
「私はね、素敵な王子さまと会えますように!」

 一番に思い描くのは、他でもない、白馬の王子さま。お花畑にいる私を、迎えに来てくれるような。
 夜中にこっそりと家を抜け出した私と環くんは、まだ私たちの身体には長いマフラーと小さな手袋を着けていながらも、寒くてわずかに身体を震わせる。息で手を温めてみたり、耳に毛糸の手袋に包まれた両手を当ててみたりした。冷たい空気がわずかに露出された肌を撫ぜて、心地よい。
 環くんは、何をお願いしたんだろう。私の純粋な問いに対する彼の答えを待った。近くの通りで車が走る音が聞こえる。環くんは寒さにマフラーで口を隠していたから、彼の結ばれた口が開かれたのは、息遣いで判断するほかなかった。

「俺は、…………ひ、ヒーローに、なれますように……」
「やっぱり! なれるといいね!」

 環くんの“個性”の強さなんかは私にはよくわからないし、向いているとかそういう思想もあまり持っていなかった私は純粋に、彼に応援と期待の言葉をかけた。手袋越しに彼の手を握れば、寒さによって、妖精さんみたいな尖った耳まで赤くした環くんは、私の手を握り返しながら表情をゆるめた。
 そんな私たちの頭上では、無数の星が瞬いていた。

 ◇

 高校二年生、冬。

『本日二十二時頃、ふたご座流星群が極大を迎えるでしょう』

 卵焼きに箸を伸ばした私の手を止めたのは、リビングの方から聞こえてきた天気予報士のお姉さんの声だった。ふたご座流星群。小学生の頃に環くんと見たのが最後だった。あれ以降はいつも天気が悪かったり夜中だったり、逆に明るい時間だったりして、なかなか見られずにいたのだ。でも、これは言い訳で、一人だと見る気にならないだけ、なんて言うのは心の底に隠して蓋を閉めた。

『今日は全国的に晴れで――』

 晴れという予報を聞いて、太陽のマークを確認するとテレビの電源を落とした。卵焼きを口に放り込むと、ごちそうさま、と小さく言ってから食洗機に食器を入れた。
 玄関の鏡で前髪を整え、スカートをはたくと、ローファーのつま先を地面に叩いてからドアを開けた。もちろん、いってきますの挨拶も忘れずに。

 冬の空は澄んでいて、空気が冷たい。防寒具がなければ寒さに耐えられず学校になんてわざわざ行こうとは思わない。コートにマフラーにタイツ、すべていい仕事をている。これらによって命が繋ぎ止められていると言っても過言ではない。
 一人で歩くこの通学路は、少し足取りが重く感じる。こんなとき、誰か一緒に行ってくれる人がいればいいのだけれど、近所に住んでいる同じ高校の友人は、二人だけだ。それも、雄英高校ヒーロー科の。

「遠くに、行っちゃったなあ」

 白い息が湯気のように立ち上っては、世界と一体化する。雄英高校の、環くんとミリオくん。何やらいつも私の乗る電車より一本早いものに乗って、私より遅い時間に帰宅する。ヒーロー科は、やっぱり大変そう。そんな私は彼らと違って、制服の肩のボタンの数は二つ、袖のラインは一本。周りにはあまり言っていなかったらしいけれど、幼馴染のよしみで、雄英高校のヒーロー科を受験するということを環くんたちから聞いた。私も滑り止めの私立には受かっていたし、普通科くらいなら記念受験してみようかな、と思って受けてみたら、運の良いことに合格してしまった。おかげで小学校から高校まで、学科は違えど環くんたちとは離れずにいる。
 けれどやっぱり、二人ともヒーロー科だ。それに、今や波動さんと三人で、ビッグ3なんて言われるようになってしまって、本当に手の届かない存在になってしまった。それに科が違うと、話す機会も自然となくなってしまっていた。

「本当に叶っちゃうじゃない」

 一人なのに、自然と笑みが零れてしまう。小学生のときに恥ずかしくて周りには言ってなかった環くんが、私に教えてくれた夢。中学生のとき、環くんのネガティブさや自信のなさから、そんなメンタルでは無理なんじゃないかって思っていたけれど、そんな私の心配なんて覆してしまった。彼は努力で、ここまで成り上がってきた。高校に上がっても、ビッグ3と呼ばれるようになっても、相変わらずのネガティブは変わらないみたいだけれど、だからこそ彼は、まだまだ伸びるんじゃないかと思っている。向上心があるが故のネガティブ思考なんじゃないかって。これは、幼馴染に対する贔屓だろうか。

「久しぶりに、話したいな」

 駅に着いた私はスマートフォンのロックを解除して、メッセージアプリを起動した。五十音順で「あ」から始まる彼の名前を探したけれど、そういえば「環くん」で登録していたのを思い出した。それでもた行じゃなくてか行の欄にいるのだけれど。何気なくトーク画面を開いてみると、最後の会話は高校に入学して間もなく終了を迎えていた。こんなに、話していなかったっけ。たまに移動教室のときにすれ違ったりするけれど、目が合えば会釈をする程度になってしまっていた。片方が気づかなかったら、通り過ぎる。ただ、それだけ。

『間もなく、二番線に電車が参ります』

 わずかに胸奥に秘められた寂しさを紛らわすかのようにアナウンスが流れ、到着した電車はいつものように大きなため息を吐きながら、扉を潔く開いた。バッグを肩に掛け直すと、その口に吸い込まれていく。いつも通りの日常。レールの軋む音を聞きながら、補助席の背もたれともなろう部分に身を預けては、目を閉じた。

 ◇

 パックジュースにストローを刺す。購買限定のいちごミルクの可愛らしいパッケージなんて見慣れてしまったので、無心でそれを口に流し込んでいると、クラスメイトの女の子が二人、私の前の空いた席に腰かけて何やらスマートフォンの液晶を覗き込んでいた。女子高生と言えばでお馴染みのSNSで盛り上がっているのかと思ったけれど、そうでもないらしい。

「――十時くらいが一番見えるって。どうする?」
「明日休みだし一緒に見る?」
「そうしよっか、今日晴れらしいし」

 ぼんやりとその二人を眺めていたので、何のことだろうと刹那的に思ってしまったけれど、すぐに今朝の数分間にしか及ばなかったニュースと結びついた。流星群が見れるなんて、まだ十七年そこらしか生きていない私たちにとっては滅多なもので、皆興味津々なんだなと思いつつ私もスマホをチェックした。せっかくなら私も見ようかと思って、どういう場所で見るのがいいか、とか、月明かりに邪魔されないか、とか。昼休みという時間を有効活用して、色々なサイトを巡っては、画面をスクロールする。どこが一番流星群を見るのに最適だろう、と近所の思い当たる場所を何ヶ所か偲んでいると、何やら視線を感じた。前で閑談していた二人の女の子が、ジュース片手に画面とにらめっこしている私を見ているらしかった。

「わ、びっくりしたあ……何?」
「いや、苗字さんも流星群見るのかなって思って」
「うん、そのつもり。久しぶりだしいいかなあって」

 ちゅー、と残り少なくなったいちごミルクを流し込むと、底をついたそれはわずかに音を立ててしまったので、慌てて口を離した。そんな私を見て二人は笑う。私も照れ隠しのように、笑った。

「二人は一緒に見るんでしょ? 仲良いね」
「まあ一応幼馴染だし。家も近いからすぐ会えるしね」
「一応って何よ一応って」

 髪の長いクラスメイトが対照的にショートヘアのクラスメイトに口を尖らせて文句を垂れると、はいはい、と言いながら流していた。幼馴染同士という感じがして、微笑ましい。……幼馴染と言えば、環くんとミリオくんだ。特に環くんは、ずっと仲良くしてくれていたのに、今や事務連絡をすることすらない。ミリオくんはたまに私と目が合うと手を振ってくれるのに。ため息をつきたい気持ちを我慢して、パックを畳んでいるとショートヘアの女の子の方が口を開いた。

「そういえば“久しぶり”ってさ、前に流星群見たことあるわけ?」
「うん、そうだよ。小学生のとき夜中に抜け出して幼馴染の男の子とね」
「いいな〜! 夜中とか起きてられなかったしここ数年なかなかタイミング合わずで見れなかったんだよね」

 今年は念願の流星群だね、と二人で笑い合う。私はあの小学生のとき、タイミングも良かったし、場所も良かったのかもしれない。確か外灯が数本しかない公園。そう、あの家から近い公園だ。ほの暗い外灯だったから、余計流星群がよく見えたのだろう。脳裏に走るあのときの光景は、綺麗で、幻想的で。でもどこか理想となって消えてしまって、確かな記憶ではなかった。

「苗字さんは誰と見るの? その幼馴染くん?」
「あー……一人かなって思ってる。その幼馴染と会いたいし一緒に見たい気持ちもあるけど、最近めっきり話さなくなったんだよね」
「へえ、学校違うんだ。そりゃそうだよね、雄英だしそう合わんよね」
「ううん、学校は一緒」

 そう言うと彼女たちは目をぱちぱちさせて、私の方を見た。学校は一緒、だけど。なんと言ってもヒーロー科と普通科。もし私がサポート科ならもう少し接点が生まれたかもしれないし、ヒーロー科なら毎日顔を合わせることになったかもしれない。でも普通科だなんて接点の欠けらもない。それに加えて購買でいつもお昼ご飯を買っている私は、食堂で食べているらしい環くんたちに会えることなんてそうそうないのだ。

「えー、じゃあ誘ってみたら?」
「えっ、無理だよ。全然話してないし、久しぶりに会っても何話せばいいかわかんないし……」
「もー! 焦れったい!」

 髪の長い女の子の方が音を立てて突然その場に立ち上がると、いちごミルクのパックを持っていた私の手を掴み取り、そのまま教室の外へと私を引っ張り出す。急なことに頭の処理が追いついていなかった私は、助けを求めるようにもう一人の女の子に目を向けるけれど、その彼女は苦笑しつつも私の背中を押した。

「幼馴染くん! 何組?」
「えっ、……まさか、行くの?」
「あたぼうよ! ほら!」
「A組、だったはず」

 高校入学して間もないとき、ミリオくんとクラスが離れた、なんて嘆いていたし、体育祭の様子を思い出すに確かミリオくんはB組だったから、A組のはず。
 教室の外へ出て廊下をずんずんと進んでいた彼女は、私の言葉を聞くや否や突如立ち止まり、私の方を振り返って顔をずい、と寄せた。

「え、A組ってヒーロー科だよ!? 幼馴染くんヒーロー科なの!?」
「そうなの。自慢の幼馴染なんだ」

 私とは不釣り合いの、幼馴染。そういうばヒーロー科だなんて、倍率三百倍とか、とんでもなかった気がする。ますます今更話すのなんて、勇気が出ないな、と少しばかり足がすくんだ。それに環くんも、いきなり来られて困るかもしれないし。

「――じゃあますます誘わないとじゃん」
「え?」
「いや、ヒーロー科が幼馴染とか超ラッキーじゃない? ほら、早くしないと取られるかもしんないし」

 そういうと、背中を押されてヒーロー科の教室の方まで誘導されてしまう。私はつま先に力を込めてブレーキをかけた。急に動かなくなった私に驚いたのか、彼女たちの手に込められていた力も抜けた。だって、取られるなんてそんな。別にもう話せないなら、話せなくていいし。

「別に、いいんだよ。今更話しかけられて迷惑だろうし、それに私も取る取らないとかじゃなくて――」
「嘘つき」
「え?」

 今度はショートヘアの女の子が顔を寄せ、私の頬を両手で挟んだ。変な顔になっているのだろうけれど、彼女の目はどこか真剣さを帯びていた。私が、何に、嘘をついているというのか、まったくわからない。でも、それは胸の奥にしまい込んでいただけで、とうにわかっていたのではないか。

「苗字さん、幼馴染くんに会いたくて仕方ないって顔してるよ。ずっと」
「好きが隠しきれてないんだよね」

 そんなの、とうにわかっていた。恥ずかしくて思わず彼女の手ごと俯いた私は、それを認めるかのように小さく頷いた。いちごミルクの執拗な甘さが、未だに舌の上に残って消えない。

 ◇

 昼休みが終わるまであと一○分。クラスメイトの二人は階段の方の影に隠れて、私だけがどの教室とも変わらない、A組の大きなドアの前に立っている。助けを求めようにも、がんばれ、と口を動かされるだけ。数回、数十回と深呼吸をする。今の緊張具合は、小学校に転校してきた頃の環くんと同じくらいだろうか。
 満を持してドアに手をかけ、ゆっくりと開けると、一○分前なだけあってほとんどの生徒がもう教室に戻ってきていた。開けたのが後ろのドアだったために、あまり気づかれていないけれど、環くんの席順的には前のドアを開けるべきだったのではないかと少し反省をした。そんなドアの隙間から、まるで平べったい影のように教室へと入ると、一気に注目を浴びた。やっぱり、まず声をかけた方が良かっただろうか。恥ずかしさで下を向いてしまう。ここまで来た以上何もせずに帰ることは許されないし、かと言って声をかける勇気なんてどこかへ飛んでいってしまった。

「名前ちゃ、……苗字、さん?」
「え、あ……」

 私の苗字を、いや、間違いなく私の下の名前を呼ばれて、期待のまま上を向くと、最後に話したときより背が伸びていて、どこか大人っぽくなった環くんがいた。相変わらずの猫背や、妖精さんみたいな耳、目つきの悪さには安心感すら覚えるけれど。でも、いつも変わらず名前ちゃん呼びをしてくれていた環くんが、苗字さん呼びに変えたことに寂しさが心にのしかかった。

「環、くん。急に、ごめんね」
「……ああ、驚いた。誰かに用事かい?」
「環くんに、用があって」
「……俺?」
「うん。……ちょっと、いいかな」

 ここで誘うには、周りに聞かれているのが恥ずかしい。もう既に約二十人からの視線を受けているので、きっと環くんも耐えられないだろう。だから、教室の外。廊下に出るように促すと、猫背の彼は、わかった、と言って一緒に出てくれた。よく考えると、この選択も間違っていたかもしれない。環くんがあとから冷やかされるかもしれないけれど、それはまた謝ればいいだろう。

 窓の外、中庭を眺めながら気持ちを落ち着かせた。でも、誘う前にとりあえず、挨拶から。遠くでクラスメイトの二人が私たちを見守っているのが視界に入った。

「久しぶり、だね」
「ああ。苗字さんが来るなんて思いもしなかった」
「……名前呼びのままで良かったのに」
「苗字さ、……名前ちゃんが嫌かと思って」

 そういう気遣いも、彼なりの優しさなんだろうけれど。どうしてもそれでは距離ができてしまった感が否めなくて、やっぱり名前呼びの方が落ち着く。それに、ちゃん付けなところがずるいと思う、なんていうのは言わないでおいて、人差し指で髪を巻いてみた。

「それにしても、突然どうしたんだ」
「あ、その、ね。……今日、ふたご座流星群、見れるでしょ?」
「確かそんなニュースを昨日の夜見たかもしれない」
「うん、それでね、……良かったら今日一緒に見ないかって誘いに、来て……。あ、ヒーロー科は明日も学校あるし、お疲れだろうし、無理なら断ってくれてもいいんだよ!」

 そう言って一歩、二歩、後ずさりする。断られたときのダメージを軽減させるものだ。ついでに、「近所だしせっかくならどうかと思って」なんて付け加える始末である。こういうところが、弱いというか、格好つかないというか。後ろ手で指先をくっつけたり、離したりして、彼の返答を待った。

「わかった、今日の夜だよね」
「うん。……えっ! いいの?」
「どうして名前ちゃんが驚いているんだ……もしかして断った方が良かったのだろうか……あ、まさか罰ゲームとか……」
「ち、違う違う!」

 ネガティブさも健在だった。慌てて訂正をするように、先程の後退をなかったかのように彼の方へと歩み寄ると、距離の近さに気づいてまた離れてしまう。こんな恋愛初心者みたいな、いや、初心者で間違いではない。そもそも、あれはクラスメイト二人に唆されただけで、まだしばらく話していなかった幼馴染のことを好きだなんて、決まったわけじゃないし。

「……今日、連絡する」
「う、うん」
「楽しみに、してる」

 目つきは良くはないけれど、私に向けられた表情は柔らかく、目尻が下がって口元もわずかにゆるんでいたように見える。その顔を見て胸が高鳴ったのを、どこか血流が良くなったような感覚も、なんなら顔に熱が集まってくるような感じもして、ああ、これは重症だ。彼女たちの言葉を認めざるを得なかった。

 予鈴が鳴ると控えめに手を振った彼は教室に戻り、立ち尽くしていた私に駆け寄ってきたのはクラスメイト二人だった。良かったね、という言葉から、どういうこと!? という言葉まで、色々なものを受けたけれど、上の空になっていた私は、どの言葉も捕らえることができなかった。

 ◇

「ただいまあ……」

 週末はお馴染みの力の抜けた挨拶をしながら玄関のドアを開ける。十二月ともなると、空はすっかり暗くなってしまっていた。この間まで六時なんてまだまだ明るくて、日も出ていたのに不思議なものだ。毎週のように疲れて玄関で倒れて、お母さんに着替えて来なさいと注意されるのだけれど、今日は違った。まだ四時間もあるけれど、緊張で手汗か止まらなくなってきた。

 部屋に入ると、お風呂に入るか、仮眠をとるか迷った。挙句、とりあえず服を選ぶこととした。でも、そんなにおしゃれをしていくものでもないような気はする。だからといって、中学のジャージなんて着ていくとドン引きされるに違いない。スカートとタイツと、あとは適当にアウターを着ていけば十分だろうか。思っていた以上に即決してしまったので、下に夕飯を食べに降りた。

「珍しいわね、あんたいっつもこの時間死んでるのに」
「んー、今日流星群見てくるんだ」
「補導されないようにね」
「はーい」

 お母さんからの注意を受けながら、テレビに目を向ける。食卓に画面を表に向けてスマホを置くけれど、環くんからの連絡はまだ来なかった。まだ家に着いてないんだろうな。シチューを掬って口に放り込みながら、今日は色々あったな、と思い返す。けれど、本当に色々あるのはこれからなのかもしれない。
 テレビではファットガムが出ていて、確か環くんのインターン先だって聞いたことがあるな、なんて思いつつシチューを完食し、お風呂へと向かった。その頃ちょうど環くんがちらっと映ったらしく、早く言ってよ! なんてお母さんに謎の逆ギレをすることになったのだけれど。

 ◇

 八時頃、ベッドに横たわっているとスマホが二回バイブを鳴らした。手を伸ばしてスマホをとり、通知を見ると、ひとつはオールマイトがヴィランを捕らえたとのニュース、そしてもうひとつが――

「た、っ!」

 言うまでもなく、その通知は環くんからのメッセージで、ベッドの上で寝返りを打ち、飛び起きるなんて、わかりやすくテンションが上がってしまった。慌てすぎて指紋認証に三度失敗し、結局パスコードを入れることになる。通知欄に環くんがいる。それだけで頬がゆるんでしまい、急いでメッセージアプリを開いた。

『こんばんは』
『お疲れ様』

 環くんからは、それだけ。私からの返事待ちなのか、この後に言うことが思い浮かばなかったのか。ひょっとすると、久しぶりで話すことがないのだろうか。余計な心配をしてしまうのは、高校生になってからだ。環くんと話さなくなってしまったから、だろうか。環くんを励ますためにポジティブで、明るい性格でいられたのかもしれない。
 十数秒、何を返すか迷った。けれど環くんにとってはこの既読がついてからの時間でネガティブになってしまうかもしれない。

『こんばんは』
『環くんこそおつかれ!』

 だから至ってシンプルに。無事に送れたことを確認すると、アプリを閉じて彼からの返信を待った。――のだけれど。一分、二分、三分。刻々と時間が過ぎても彼からの返信は来ない。決して彼からの返信が遅いのでなくて、時間が進むのがゆっくりに感じるだけなのだろう。
 けれどやっぱり返事が来なくて、もしかして見ていないのではないかと心配になってアプリを開くと、その瞬間に返信が来た。

『今日、何時頃にする?』

 つまりとてつもない速さで既読をつけてしまったこととなり、環くんからするとずっと返事を待っていたかのように見えるということだ。恥ずかしいけれど、今更どうすることもできず、必死で指先を動かした。

『十時前がいいんじゃないかな』
『一番綺麗らしいよ!』

 恥ずかしさが募っては、でも彼と一緒に、あの日のように流星群を見ることができるという点で、半端じゃない嬉しさに襲われることとなっている。あの日のように。なら集合場所は――

『わかった』
『近所の公園でいい?』

 私の心を見透かしたかのような集合場所の提案。これは環くんが、意図せずなのか、意図してのことなのか。あの薄明かりが照らす公園で、二人。心拍数が上昇するのを感じた。楽しみだからなのか、緊張しているのか、はたまたときめいているのか。きっと、これらのすべてが該当するのだろう。うさぎのキャラクターがOKと書かれた看板を持ったスタンプを送ると、スマホを伏せた。楽しみのあまり、心が伸びるような気持ちがした。

 ◇

 ブーツを履いて、いってきます、と言うと、気をつけてね、と返ってくる。外の空気は、刺すように冷たくて、どこか冬の匂いがした。
 公園までは徒歩一○分。九時半過ぎに出れば早すぎるくらいに着くのではないだろうか。それも楽しみにしていたみたいで恥ずかしいけれど、久しぶりの流星群だし。あの公園に行くのも、久しぶり。はあ、と息を曇らせながら家の間を縫って公園へと向かった。やはり金曜日だからだろうか、子どもの声も聞こえる。

 かすかな光が照らす公園が目に入った。よく見ると、暖色系の暖かな光だ。寒さのあまり、カイロのひとつでも持ってこれば良かったかしらと思ったけれど、今更戻るのは面倒だし、一度家に入ると出たくなくなる気がするので仕方ない。外灯は記憶の中のものより遥かに暗くて、消えかかっているものもあった。

「あ、名前ちゃん」
「えっ、……環くん?」

 少し錆び、塗装の剥がれかけているブランコの柵に腰かけているのは、環くんだった。早すぎるくらいかと思ったけれど、環くんはもっと早くに到着していた。私も環くんの隣に腰を下ろす。

「早かったね」
「た、……楽しみで、つい」
「ふふ、良かった」

 もし私が半ば強制したみたいに思われていたらどうしようかと思っていたけれど、環くんが楽しみなら良かった。はあ、と手を息で温める。あの日みたいに、手袋をつけてくるべきだったろうか。マフラーは、あの日と違って相応の長さのものだった。
 あたりは静寂に包まれる。これは、私たちが会話の内容に困っているからであり、ただ星空を見上げるだけだ。まだしばらく流れる気配がなかったので、沈黙に耐えられなかった私はそれを破ることにした。

「環くん、さ」
「? うん」
「小学生の頃、一緒にこうやって流星群見たの、覚えてる?」

 あの頃の私たちにとっては流星群ではなくて流れ星だったのかもしれないし、星じゃなくてお星さまだったのかもしれない。環くんは息をひとつ吐き出すと、瞬きと同時に頷いた。

「ああ、覚えてる。二人で、願い事をしたんだ」
「良かった。環くんの夢、本当に叶いそうだね」

 私の浮かれた夢は叶いそうにないな、と笑った。今では白馬の王子さまなんて待っていないし、大きな夢もない。こんなにも面白みのない人間に育ってしまったのだ。環くんは空漠と広がる空を仰いだまま、言葉を音に変えた。

「あのとき、星に願ったからだろうか」
「ううん、環くんの努力の成果だよ。誰よりも頑張って勉強して、“個性”伸ばししてたのも知ってる」
「そうやって君は、いつも俺のことを励ましてくれる」

 そういうと環くんは嬉しさに揺れるような柔らかな笑顔を見せてくれて、私の心臓が大きく音を鳴らした。面映ゆい気持ちを、白い息を吐くことにより誤魔化した。その昇りゆく白を追いかけると、自然とまた星空を仰ぐ形となった。

「あ――」

 環くんの声が耳に届くと、彼は嬉しそうな、あの頃のようなわくわくした表情を浮かべていた。なんだろうかと、もう一度幾千もの星が光る空を見上げると、ひとつ、星が流れた。ひとつどころではなくて、幾筋も、長い尾をたなびかせては消えていく。

「環くん、流れ星、だよ」
「……ああ、流れ星だ」

 私たちの言葉は、空に消える。あっという間に光の鱗粉を振りまくそれの虜になって、刺すような冷たい空気も、あたりの暗さも、すべて忘れるほどだった。まるで世界に二人しかいないのではないかと、錯覚するのだ。

「そ、そうだ。願い事、しなきゃ」

 指を組むと、何を願おうかと考え始めた。いい職に就けますように、なんて自分で努力するものだし、基本的に現実的なものばかりとなってしまう。可愛さの欠けらも無い成長のしかたをしてしまったみたいだ。
 ならせめて、絶対に叶わない夢を。

「……何か、願った?」
「……うん、願ったよ」

 環くんと、これからも仲良くしたい。これからも、ずっと一緒にいたい。十年後も、二十年後も。環くんと、生涯をともに。けれど、これは決して叶うことのない夢。夢だから、願うだけなら許されるんだ。組んでいた指を離すと、また息でそれを温めた。
 星空を仰いでいた環くんは、どこか遠くを眺めたかと思いきや、私の方を見つめていた。相変わらずの、お世辞にも良いとは言えない目つきで。

「どうしたの?」
「実は俺、欲深いんだ」
「? そうなの?」

 そう言うと、彼は小石を足先で転がしてから、再度私の方を向き直す。きゅっと結ばれた口に、わずかに震えているように見える手は、寒さに耐えているのだろうか。けれどどうしてだろう。心臓が鳴る速さは明らかに上昇して、私の指先まで震えた。朱に染まった、指先が。

「あのとき、もう一つ願い事をしてたんだ」
「そう、なんだ」
「君に嫌われたくなくて、言わなかった」
「私に?」
「ああ。でも、まだ叶っていないし、叶わないかもしれない」

 彼は、寂しげな色を瞳に浮かべると、覚悟を決めたのか、真っ直ぐな視線を私に向けた。私に、嫌われたくないなら言わないでよ。酷いことを、言おうとしているのかもしれない。なんて言われるのか、見当がつかない。息を吸い込む音が聞こえる。大人になった彼の息遣いだ。私も、覚悟を決めて彼の目を見た。

「……何を、願ったの?」
「それは――名前ちゃんと、ずっと一緒にいたいって」

 この世界には二人しかいない。そのくらい、静かだった。静かに感じた。遠くで聞こえる子どもたちの声も、空に流れる星たちも、今だけはすべて忘れてしまうようだった。

「今だって、変わらないんだ。……君と、いつまでも一緒にいたい。君の隣にいたい」
「……それが、環くんの願い事?」
「……やっぱり、嫌いになった、よな」

 乾いた笑いを零す環くんは、俯いてしまった。私は、そんなことで嫌いになんかならない。むしろ、奇跡だよ。私と環くんの願い事は、同じだったの。私は未だ震える環くんの手を、私の手で包む。私も指先まで冷えてしまっているから、温めることはできないだろう。せめて、その震えを止めたかった。

「……嫌いにならないよ」
「……え」
「私も、なの。私もいま、同じ願い事をしたの」

 私と環くんが、決して叶わないと考えている夢。でも、二人が願ったのなら、それは叶うかもしれない。叶うかもしれないんだ。私は、思わず口角をゆるめる。そして環くんを抱きしめた。環くんは、きっと混乱しているだろう。それでも、私の背に手を回してくれた。

「環くんは、昔願ったヒーローになることだって、もう目前なんだよ。それは、環くんの努力あってこそだよ」
「……ああ」
「……叶えようよ、私たちの願い事。二人で、叶えよう」

 私と環くんなら、叶えられる。環くんが小さく頷くと、叶えよう、という言葉が近距離で耳元に降ってくる。彼の体温を、直に感じる。

「環くん、好きだよ」
「俺も、名前ちゃんのことが好きだ」

 私たちの頭上では、私たちを祝福するかのように、無数の星が瞬いていた。