セシリスに聖水を

 幼い頃から、何かを作るのが好きだった。それだけじゃなくて、何か新しいアイデアを出すことも好きだった。小学生の頃の夢なんて、大抵の人がヒーローだと言った。授業でも、自分のヒーローコスチュームを考えて、絵を描いて、発表をする。そういう時間が設けられた。けれど、私はそれよりプロヒーローたちが身につけている小物やサポートアイテムばかりを考えて、発表した。図工の成績は、いつも「よくできた」。コンクールなんかにも知らないうちに出されていて、でもそれは嬉しいことだった。
 
 中学に上がっても、美術の成績はいつでも5で、私は早々に雄英高校のサポート科を受験することを決意した。実技試験があるって聞いて、必死で家で練習して。諦めかけても、友人たちの「名前ちゃんなら大丈夫」なんて言葉で励まされてきた。そのおかげもあって、無事に合格して、日々サポートアイテムの研究をして、ヒーロー科の役に立って――

 現実は、そう甘くない。

「ちょっと粗が目立つよね」
「うーん、悪くないんだけど、ありきたりって言うか……」

 ちょっと美術ができたって、小さい頃から何かを作ることに触れてきたって、ここでは私は落ちこぼれ。皆みたいに奇抜で斬新なアイデアも浮かばないし、必死に丁寧にしたことだって、どこかでボロが出てしまう。毎日学校に残って新しいアイテムを作ったり、家に帰ってからもどういうものが役に立つのか調べたり、人一倍、二倍、努力しているはずなのに、いつも置いていかれるの。
 ヒーロー科は時折、コスチュームの改良なんかでサポート科を訪ねる。他のクラスメイトみたいにあまり頼られない私には、いつも出遅れてしまった生徒が要望を伝えてくれるのだけれど。これがどうも、上手くいかない。

「どうして私を指名してくれたの?」

 もしかすると、役に立ててるんじゃないかって思って、いつも私を呼んでくれるヒーロー科の生徒にそう訊いてみた。けれど、私が期待していた言葉なんて降ってこなかった。いつだって皆、気まずそうに目を逸らして、言葉を必死に選んで。

「手が空いてそうだなって、思ったから、かな」

 申し訳なさそうに笑う彼女たちに、私も笑って返す。気にしてないよ。わかってるよ。表情でそう訴えかけるように。それと同時に、私は期待されていない、落ちこぼれなんだなって、再認識することができた。

 それからは、それを気にしないように、皆に追いつけるように――追い抜くくらいのすごいアイテムを作ろうって、毎日研究を怠らなかった。

 ◇

 一年生も後期に差し掛かり、サポート会社からのスカウトを早くも受けているクラスメイトや、毎日ヒーロー科の相談に乗っているクラスメイトの中、私は未だに一人、サポートアイテムの研究に励んでいた。目新しいアイテム、誰でも使えるアイテム、なるべく軽く。クラスメイトに対して引け目は感じるけれど、それでも何かを作ることは楽しかった。
 鼻歌を歌いながらペンチでネジを回していると、大きすぎる教室のドアが小さすぎるくらいの音で開いた。小さい音で開ける音を気にしすぎて、逆に摩擦音が目立ってしまって、自然と意識はそちらに向いた。ぱちっと目が合ってしまった彼を見てまあびっくり。彼はサポート科でも話題の、ヒーロー科の天喰くんだった。私以外のクラスメイトは、期限が迫って手が空いていなかったり、気づいていなかったり。天喰くんは声をかけずらそうに肩をすくめていたので、握っていたペンチを作業台に手放して、ドアの方へと足を運んだ。

「何か用事?」
「あっ、その、…………を、……て、」
「えっ、ごめんね。もう一回いい?」

 周りの作業音のせいで、噂通りの彼の小さな声はなかなか耳に届かなかった。ぐい、と少しばかり背伸びをして、彼の声を拾おうとする。中継で見て想像していたより背が高いな、とか、猫背がなおったらもっと高いかも、とか。そういうことも脳の二割くらいは支配していた。

「コスチュームの改良を、頼みたくて」
「……あー、私しか空いてないと思う、けど……。それでも良かったら」

 彼の必死に絞り出してくれたであろう声が面白くて、嬉しい気持ちになるのと同時に、またがっかりさせてしまうな、なんて憂慮してしまう。けれど天喰くんは、「お願いします」と言ってくれた。それはそうだ。私の良い評判が流れているわけでもない。つまり、私が落ちこぼれだということも知られていない。話題の天喰くんのサポートをしたなんて、羨ましがられるだろうな。まあ、どうせ今回もボツだ。悪いなあ、と思いつつ、私の作業していたスペースまで案内をした。

「先に謝っておくんだけど……がっかりさせちゃったらごめんね」
「がっかり?」
「私、苗字名前。実はサポート科の落ちこぼれで」

 そう言って、眉を下げて笑うけれど、天喰くんはそんな私を見ても笑顔にはならなかった。私、笑顔下手なのかもしれない。ここ一年で結構身についたと思うんだけど、上手な笑顔。いや、天喰くんが緊張して顔が強ばっているだけなんだろうな。
 一人、何度も頷いて納得していると、天喰くんが作業台の上に乗ったいくつものボツとなったアイテムを眺めた。ヒーロー科からすると、珍しいのだろうか。

「これはね、全部ボツになっちゃったアイテム。勿体ないから置いてあるんだけど、場所とっちゃって」
「そうなのか。……これは、どういう使い方をするんだろうか」

 天喰くんが手に取ったのは、腕に装着してボタンを押せば標的までロープが伸びて捕獲できるような、そんなアイテムだった。苦笑いしながら天喰くんの腕に着けさせて、それの説明をする。天喰くんは興味津々といったようにアイテムを眺めたので、少し恥ずかしい気持ちが募った。

「この空き缶狙ってみて」
「ああ、わかった」

 天喰くんの数メートル前に、お昼休みに休憩がてら飲んでいたコカコーラの空き缶を置いて、合図を出す。天喰くんはスコープで照準を合わせてボタンを押した――のだけれど、空き缶目がけて飛び出したロープは、空き缶ではなく私を捕らえてしまった。

「!! ご、ごごごめん! ああ、俺の狙いが悪かったから……苗字さんを巻き込んでしまった……」
「うわあ、本物だ……」
「す、すまない、すぐに解くから……」

 噂には聞いていたけれど、とんでもないネガティブだ。これに関しては天喰くんは悪くないし、多分狙いだって正確すぎたくらいだ。ここがこのアイテムの駄目なところ。狙ったところの三十センチほど横に飛んでいくので、使い慣れれば大丈夫だけど咄嗟に使うとなると危険だと言うことで却下されてしまった。あとは単純に、溶接が甘いとか。

「ごめんね、これ天喰くんは悪くないの」
「で、でも苗字さんがぐるぐる巻きに……」
「だから失敗作なんだよね」

 天喰くんの手の動きに合わせて私もぐるぐると回ると、みるみるうちにロープは解けていった。拘束も甘いのかもしれない。今後の反省点だ。もう使うことはないのだけれど。
 私を縛ったロープが解けて天喰くんが安堵の息を漏らすと同時に、回りすぎた私はふらついて天喰くんの方によろけてしまった。天喰くんの私のものより大きな、筋張った手が私の両腕を掴んで受け止める。

「わ、助かった。ありがと。ごめんね」
「あ、……あ……」
「え?」

 天喰くんのなんとも言えない上ずった声に引き寄せられるように顔を上げると、あ、天喰くんこういうの苦手そう。きっと思いがけず異性の私と距離が近くなってしまってパニックになっているのだろう。やっぱり背高いな、とか、目つき悪いな、とか。色々考えるうちに、二人の間だけ沈黙が流れていた。周りはこんなにもうるさいはずなのに、私には無音しか聞こえなくなっていて。我に返って私の腕をしっかりと掴んだままの天喰くんの腕を退けると、天喰くんは面白いくらい真っ青になって後ずさりしていた。こんなに青くなるの、フィクションでしか知らないのに。

「ごめん……ああ、俺はもう駄目だ……セクハラだと訴えられてしまう……俺はしばらく停学になって……」
「ストップストップ!」
「最低だ……楽しい学校生活だっ――」
「天喰くんストップ! 違うよもう」

 まさかこんなにネガティブだと思っていなくて、一瞬だけ本気で焦ってしまった。セクハラだなんてとんでもない。天喰くんをそうやって訴えてもこっちにメリットはないし、むしろヒーロー科で活躍中の天喰くんを停学にさせた落ちこぼれの私の方が責められてしまうのではないか。先程の天喰くんの様子を思い出して笑いが込み上げてきて、それに気づいた天喰くんは不思議そうに私の方を見ていた。

「天喰くん、面白いね。違うよ、支えてくれてありがとう」

 そう言うと、初めて天喰くんの笑った顔が見えた。小さな笑顔ではあったけれど、それが頭に焼き付いてしまう。怖そうな顔の割に思っていた五倍くらいネガティブで、笑顔は柔らかくて。私までつられて笑顔になってしまうのは、ハローキティみたいだね。あ、あれはつられて優しくなるのか。
 天喰くんは小さく頷くと、照れ隠しなのか、先程まで装着していたサポートアイテムを作業台に置いてから、また別のものに目を移した。

「これは、なんだろう」
「あっ、これは……」

 天喰くんが手に取ったのは、十センチメートル四方の箱。それもピンクの。まさかこれに触れられると思わなかったんだけど、一番シンプルだし、気になるのかな。私はその箱を手に取り、裏のボタンをカチッと押すと天喰くんに差し出した。

「開けてみて」
「? わかった」

 天喰くんが何の疑いもなく箱を開けると、その中から文字と、キメラ的生物を模した物が飛び出してくる。所謂びっくり箱と言うやつで、これは天喰くんも驚くんじゃないか? すごくいい反応をするんじゃないか? と思ってドキドキしながら渡したのだけれど、少しも驚いた様子ではなかった。

「……あれ、驚かなかった?」
「……いや、すごく驚いた」
「その割に反応微妙だね」

 まあ人間驚くと大体そんなもんか、なんて思って箱を回収しようとしたけれど、天喰くんがどうやらそのびっくり箱の虜になっているかのような恍惚とした表情を浮かべていた。こんな表情もするなんて、大発見。

「どうしたの? 気に入った?」
「いや、あ、……可愛いなって、思って」
「天喰くんセンス悪い〜。まあ私もだね。キメラみたいでしょ、……あ、ちょっと天喰くんっぽい?」
「ああ、確かに……いや、今のは決して自分のことを可愛いだなんて言ったつもりはなくて」
「わかってるよ、もう」

 天喰くんも結構可愛いけどね。そんなことを言ってしまうとどんな反応をされるのか、興味があったけれど、言わずに苦笑するだけに留めておいた。まあそのびっくり箱、依頼なんて舞い込んでこない私が休憩兼遊びで作ったものだから、商品にはとてもならないしサポートなんて少しもできないのだけれど。
 彼は数分の間、箱を細部まで眺めていた。余程気に入ったみたい。

「気に入った? 天喰くんにあげようか、なんて」
「いや、もらえない。……苗字さんが頑張って作ったものだし、大切だろう」
「そんな。いいんだよ、愛着はまあ、あるけど。……どうせ使われないアイテムだもの」

 この箱だけじゃない。他のサポートアイテムだって、提出しては却下された作品に過ぎない。愛着はあるけれど、どうせ失敗作だ。いずれ捨てることになるのなら、誰かにあげた方がいい。
 小さくばれないようにため息をついてしまったのは、どうやら天喰くんにはお見通しのようで、私の顔を覗き込んだ。

「……でも、苗字さん。たとえ失敗作だとしても、作ることは、好きだろう」
「好きだよ、すごく」
「……じゃあ、ますますもらえない。苗字さんの大切な、努力の結晶だから」

 彼のその言葉で、胸が苦しくなった。嫌悪感とか、そういう苦しさではなくて、どちらかと言えば、恋をしたときのような、そんな苦しさ。努力だなんて、高校に入ってから言われたことがなかったかもしれない。枯れかけた心に一滴の水が降ってきたかのように、私の心は温かさを感じた。

「……そんなこと、言われなかったな」
「……え、ごめん。よく聞こえなかった」
「ううん。じゃあ、大切だから、天喰くんにもらってほしい。……天喰くんも、大切にしてくれるでしょ?」

 天喰くんには不似合いで、でもどこか調和がとれているようなピンクの箱をその手に握らせた。天喰くんはありがとう、と言うと、丁寧にそれを手で包み込んだ。

 ◇

 結局昨日は天喰くんに謎のお披露目会をするだけに終わってしまい、要望を聞くことができなかった。それにしても天喰くんのコスチュームだったら、どこを改良すればいいのだろう。彼の“個性”を考えてみても、そう思いつくものではなかった。
 放課後にまたしても訪ねて来てくれた天喰くんを、昨日同様自身のスペースまで招き、要望を聞くことにした。

「天喰くん、コスチュームの改良ってどこを直したいとかって、ある?」
「ああ……えっと、俺の“個性”上食べることが大事だから、……すぐに再現できるように食べ物を入れる場所が欲しいというか……」

 あっ、それはどちらかといえば裁縫になるかもしれない。コスチューム会社に提出するか、このクラスにも確かそういうのが得意な子がいたはず。私は金工とか、そちらの方が得意だから、お役に立てないかも。
 その旨を伝えると、天喰くんは肩を落としてしまった。

「ごめんね、お力になれないかもしれない」
「いや、……コスチューム会社に依頼してみる」
「あれ、うちのクラスの子に頼んだ方が早いよ」

 当て金を片手に設計図を見ながらそう言うけれど、天喰くんは他のところに行く様子はなかった。昨日と違ってクラスメイトの半分くらいは手が空いていて自らの研究に没頭しているみたいだし、それに昨日わかったであろうわざわざ落ちこぼれの私を訪ねる必要もない。

「いや、あの……苗字さんが、良くて」
「ええ、そんなに昨日のびっくり箱気に入った? 私は天喰くんみたいなすごい人の役にまだ立てるかわかんないよ」

 だから他の優秀な子たちを頼った方がいいんじゃない? そう言ってから、徐々に辛くなってきた。考えないようにしていたけれど、私は雄英に入学してもうすぐ一年。誰の役に立ったこともない。久々に自覚したそれに涙が込み上げてきて、汗を拭くふりをして作業着の袖で拭った。そんな私に彼がかけてくれた言葉は、責める言葉でも励ましの言葉でもなかった。

「……俺、苗字さんのこと知ってたんだ」
「……私のこと? どうして? 特に良い評判もないのに」

 クラスメイトはぽつぽつと帰り始め、いつの間にか空は暗く、たった今クラスメイトが下校したことにより、教室の中には私と天喰くんだけになってしまっていた。昨日とは違って、はっきりと無音だけが聞こえる。その中に、天喰くんの声が反響する。

「前、訓練終わりにサポート科の教室を通ったとき、苗字さんが一人教室に残っていたのが見えて」
「あ、そう、だったの」
「……苗字さん、すごく楽しそうな表情だったんだ。それがすごく素敵で、もし依頼することがあったら絶対に苗字さんがいいって思っていて」

 パワーローダー先生しか知らないと思っていたのに、まさかヒーロー科の、天喰くんに見られていたなんて。恥ずかしくて自然と顔は下を向いていた。天喰くんは昨日私があげたピンク色の箱を見つめながら、言葉を順に紡いでいく。

「……だから、無理にでもサポート科に用事をつけて来て、偶然にも苗字さんが出てくれたから。……本当は、俺の要望はコスチューム会社に頼むものだってことも知っていた」
「……不思議な人だね、天喰くんは。でも私、役に立てないよ?」
「……それでも、苗字さんがいい。君じゃないと、嫌だ」

 半ば告白のようなそれに顔を赤らめると、天喰くんの方が私なんかより顔を赤らめてしまっていて、思わず笑ってしまった。でも、楽しそうだとか、努力だとか、そういう類のことは当分言われていなくて、天喰くんに言われるのが久しぶりだった。それは自信をなくしかけていた私を救うのには十分な言葉だった。これからも、作ることを楽しんで、変わらず誰かの役に立てるものを作れるように努力したい。

 胸が弾むような気持ちで天喰くんにお礼を言ってから、先生が来るまでデザインくらいなら、とコスチュームの改良の相談に乗った。プロテクターのデザインがなんとなくできてきたところで、先生から下校を促された。

「苗字さんの、好きな色って、なんだろう」
「うーん……紫かな。結構好き」

 帰り際にかけられた謎の質問に答えると、天喰くんは頬をゆるめて、口角が上がるのを抑えきれていないようだった。一体なんの質問だったのか、謎だったのだけれど。

 数日後、コスチューム姿の天喰くんを見かけると、食べ物をたくさん入れるためのプロテクターが身体に着いていて、それは間違いなく一緒にデザインしたプロテクターで。もう届いたんだ、なんて思っていると、すれ違った数十秒後に、そのプロテクターの色が紫色だったことに気がついた。