陶酔序曲

 お使いを頼まれた。他でもない、キリカさんに。珈琲豆、砂糖、味噌、その他諸々。そのためのお金は渡してもらったから、余ったら苗字ちゃんの好きなものに使ってね、なんて、よく出来た半人半蛇ひとだ。それを私に頼んだのなんて特に意味はなくて、偶然そこに居合わせていたからだろう。まあ、平腹みたいなのに頼むよりは適任であるが。
 今日は久しぶりの休暇である。私だけでなく、他の獄卒もだ。昼下がりの今、獄卒たちは食堂にいた。谷裂は昼食の後、早くも鍛錬のために道場に出ており、木舌は昼間にもかかわらず酒を嗜んでいる。あとは大体、ああ、田噛だけまだ寝ているみたいだった。

「町に買い物に出るけど何かいる?」

 余ったら、という話だが、見たところかなり多めに渡してくれているように見える。平腹に頼まれるであろう菓子の買い溜めくらいは余裕であろう。木舌はお酒でも頼んでくるだろう。ついこの間、木舌の部屋に肋角さんからの伝言を持っていったとき、部屋の奥に酒瓶がいくつかあるように見えたような気がしたけれど。

「オレね、なんか楽しそうなのいっぱい! あと美味いもん!!」
「悪いね苗字。そうだな……そう言えばインクが切れかけていた気がするよ、お願いできるかな」
「俺は……えっと……いつもの店に取り置きしてもらっている薬草があるんだけど……」
「酒を五本くらい頼むよ〜」
「酔っ払いの言うことは聞かなくていいよ苗字。でもまあ、一本くらいにしておいてやりなよ」

 キリカさんに渡してもらったメモを自身の手帳に貼ると、言われたものを書き足していく。楽しそうなの、なんて抽象的であるが、まあ町を歩いていたら何かしら見つかるだろう。犬用のボールとか。
 それにしても、ただでさえ珈琲豆やらで大量の荷物なのに、そこにさらに注文がついてしまうなんて、それはそれは持つのも一苦労だろう。木舌がお酒一本で納得してくれて良かった。五本という注文で通してしまっていたら、それは酷く大変な思いをしただろうから。しかし、女一人ではお酒が一本だろうが五本だろうが大変なことには変わりない。斬島と、この場にいない谷裂が何も注文しなかったにしても。こうなるならば、皆の欲しいものなど聞かなければ良かった、とも考えるが、私だけ欲しいものを買うのは何だか気が引けるし、そもそも時効である。
 申し訳ないが佐疫あたりに頼むか、と思いながら、抹本が私の手帳に必要な薬草の名前を記しているのを見ていると、金属が少し擦れるような音がした。音のする方に目を向けると、寝癖のついた男が欠伸をしながら姿を見せた。

「あ、おはよう。丁度良かった」
「は?」
「買い物行くんだけど、ちょっと一人じゃ厳しそうで。付き合ってくれない?」
「寝起きだぞ。だるい」

 橙色の目をした田噛は、見るからに寝起きといった様子で食堂に現れると、席について昼食を口にし始める。黙々と鮭に箸を入れている様子を見て、やっぱりこういうときは佐疫か斬島に限るな、なんて考える。木舌でもいいけれど、今は見ての通りであるし。普通に考えても、寝起きでわざわざ買い物に行こうとは思わないだろうし。それにせっかくの休暇だから、田噛もまだまだゆっくり休みたいだろう。抹本から手帳を受け取ると、それを眺めながら声をかける。

「じゃあ悪いんだけど佐疫、着いてきてくれない?」
「うん、いいよ。やっぱり苗字一人じゃ――」
「おい」

 佐疫が私に向けた言葉を遮ったのは、気のせいかと思ったが、間違いなく焼き鮭を口に運んでいた男である。私と佐疫、だけでなく、抹本や斬島も声の主を見た。もちろん、その意図がわからなかったからだ。

「別に行かないとは言ってねぇだろ」

 続いたその言葉に、一同は目を丸くする。言った本人は、何食わぬ顔で白ご飯を口にしているところであるが。当然のように言うが、あの面倒臭がりの田噛が、と私や他の獄卒たちにとってはとても当然ではない事態である。口を小さく開けて驚いていた佐疫は、不意に自我を取り戻したようだった。

「あ、ああ。そう。なら苗字、俺は必要なさそうだね」
「そうみたい、だね?」
「田噛行くの? なんか面白いことあんの? オレも行く!!」
「平腹、お前は報告書が残ってるって災藤さんが言ってただろう」

 佐疫からの言葉に、えー! と駄々を捏ねる平腹であったが、ちゃんと楽しそうなものとお菓子を買ってくるよ、と伝えたところ、やはり彼は単純なもので、あっさりと佐疫によって食堂の外に連れられていった。木舌は潰れてしまっているし、斬島と抹本は私たちに、よろしく頼むよ、ということを伝えると食堂を後にした。斬島は鍛錬か、抹本は貴重な休みを研究に使うといったところであろう。食堂に残されたのが二人になったところで、この後一緒に買い物に行く男の目の前に座ると、頬杖をついて待った。別に早くしろ、なんて促したりしないし、あちらもそれをわかっているだろう。男は味噌汁をすすると、軽くではあるが、手を合わせて、使い終わった食器を運んだ。

 ☓☓☓

「助かるよ。休みなのに寝なくて良かったの?」
「あー……そこそこ寝たから大丈夫だろ」

 度々思うが、田噛は過眠症ではないだろうか。ああ、けれどなんだかんだ課せられた仕事は仕上げるし、そうでもない、いや、効率がいいだけかしら。ちら、と隣を歩く田噛を見ると、地図と私の手帳を見ながら歩いていた。田噛は、任務でも、お互いに何も話さなくても気まずくならない。話が弾む獄卒もいれば、一生懸命話題を提供しなければなんとも言えない空気になる獄卒もいる。その中でもこの田噛のタイプは、特に気を遣うこともないし、けれど時折話題を振り、振られる。私からすれば、大変やりやすいのだ。

「なあ」
「ん?」
「『楽しそうなもの』って何だよ」

 そうそう、こういう風に、私からだけでなく田噛からも話題を振ってくれる。まあ、これは単に気になったから口にしたのであろうけれど。

「平腹からの。……うーん、勝手に犬を遊ばせるボールとかだと思ってるけど」
「あー……」
「違う?」
「それいいな」

 いつもと変わらない表情で、冗談だか本気だか、私に賛成をすると、平腹の好みってよくわからないよね、と笑いかけた。まあ、遊べるものならなんでもいいのだろうし、決して娯楽目的に作られたものでないにしても、上手く遊びそうなものではある。

 初めに、キリカさんに頼まれた、調味料やら珈琲豆やらを買うと、思っていたくらい、否、それ以上のお釣りが返ってきたので、そのまま買い物を続けることにした。まずは木舌に頼まれたお酒からである。

「安いのでいいだろ」
「うーん……一本だしウイスキーとか買ってあげようか」
「は? 正気か?」

 ウヰスキー、と表記された値札を見ると、どうやら私は正気じゃないらしかった。たまに私が木舌に付き合わされているウイスキーってこんなに高かったのか、と世間知らずの私に落胆した。仕方なく他のお酒を吟味していると、店主さんが別のウイスキーを勧めてくれた。なるほど、どうやら私たちが先程手に取ったのは特級らしく、普段飲まされているのは二級のものらしかった。確かにこちらの方が手頃な値段である。

「田噛ってお酒飲む?」
「木舌に付き合わされるくらいだな。嫌いじゃねえけどわざわざ飲まねえ」
「私も木舌と飲むくらい。でもたまには飲もうよ。一緒にどう?」
「……まあ、悪くねぇな」

 蒸留酒が置かれた場所から混成酒の方へと移動すると、梅酒、桑酒、ベルモット。これまた多くの、しかし木舌に飲まされたことがあるため、見覚えのあるものが並んでいた。リキュールを手に取って、これでいい? と聞くと、了承を得たので、そのまま瓶を右手で持った。
 それから平腹に頼まれた、全員が食べるであろう菓子を選びに移動した。なんだかんだで甘いものは評判が良いから、クッキーやチョコレートを次々手に取る。それこそ、珈琲や紅茶のお供にもなるのだから。

「おい」
「ん?」
「他にも頼まれたものあっただろ。買いすぎるなよ」
「わかってるよ、ありがとう」

 些細なところに気がつくのが田噛である。がしかし、平腹を除けば大体はそうである気もする。
 カウンター横にインクを見つけた。これも、と菓子やお酒が並ぶそこに後出しかのように並べる。会計を済ませると、店主さんが先程買った調味料も一緒に紙袋に詰めてくれたので、一応一つに収まった。それでも嵩張ってしまったな、と思ったが、何気なく田噛が持ってくれたので、ありがとう、とお礼を言って一軒目を後にした。

 ☓☓☓

 二軒目、手帳にレ点を入れると、抹本に頼まれた薬草のある店に足を運ぶ。確か他にも色々売っていたから、ついでに買っていこう。包帯や絆創膏は、いくつあっても困らないな、などと考えていると、またしても口を開いたのは田噛である。

「なんで他の奴らの分なんか買うんだよ」
「ん?」
「荷物増えるだろ」
「ああ、ごめんね。私が持つよ」

 やっぱり荷物が多くて、荷物持ちも厳しいかしら、なんて思って急いで手帳と万年筆を胸ポケットにしまおうとするが、「そうじゃない」と、それを口で止められた。

「好きなもん買えって言われたら自分の好きなもんだけ買えばいいだろ」
「あー、……でも、せっかく出るなら皆の分も買わないとなって思って」

 私なら両手に抱え込むであろう紙袋を、軽々と左腕に抱え込んだ田噛は、私の返答を聞いて、お人好しだな、とだけ零した。私からすれば、貴重な休日に買い物に付き合ってくれる田噛もなかなかのお人好しであるが。
 薄暗い、電球が一つしかない店で、老人に手帳の内容を伝える。

「アケビ、き、キハダ、か、から、……」
「カラスビシャク。あとゲンノショウコとヤブガラシ」
「はいよ」

 薄暗いのもあって、というのはただの言い訳で、聞き馴染みのない薬草の名前を言うのに苦労していると、横にいた田噛が代わりにそれを伝えてくれた。手帳を見ていないのに、と思ったが、田噛のことだ。もともと薬草の知識が頭に入っていたのだろう。ごめん、と恥ずかしながらも謝ると、もうちょっと頑張れ、と返ってきた。てっきり馬鹿にされるかと思ったが、そうでもないらしい。今日の田噛は機嫌が良いのだろうか。
 小瓶に詰めてもらうと、先程の店で貰ったより当然少なかったので、ひと周り、ふた周り小さい紙袋にそれを入れた。今度は私が持つ、なんて思ったが、またしても、今度は田噛の右腕にそれが吸い込まれていった。ほら、やっぱり田噛の方がお人好しだ。そのお人好しが無意識かどうかは、本人しかわからないことだが。

「ごめんね、ありがとう」
「ん」
「あとは平腹の『楽しいもの』。谷裂と斬島も何かいるかな」
「特に頼まれてないんだったら一軒目の菓子で十分だろ」
「うーん、確かに」

 三軒目、この調子で行くとおそらく最後になるであろう雑貨屋に足を向かわせながら、雑談を交えつつ、ときに無言になりつつ、いつもと同じ雰囲気を楽しんだ。

 雑貨屋に到着すると、久しぶりのこの場所は商品の陳列が変わっていた。アンティーク調の時計に見惚れると同時に、そういえば田噛はいつも体内時計で起きているな、とあらためて感心した。他にも食器や、銃のレプリカ。私が佐疫と同じで銃を使うなら、こういうのがいいな、なんて思いを馳せた。

「苗字。こっち」
「ん?」
「平腹の。『子供の玩具』だと」

 人差し指をくい、として、名前を呼ばれたので、何かと思えば、それに続く言葉につい失笑を零した。けれど、先程まで犬用のボール、なんて言っていた私の方がよく考えれば酷いのではないか、と冷静にもなってしまう。
 本来はゲーム機なんかが良いのだろうが、そこまで遠出するつもりはなかったし、もちろんお財布的にも厳しいので仕方がない。あやとりは平腹には難しすぎるし、けん玉なんかも振り回して壊しそうだな、と考えると大変悩ましいが、そんな私を見て田噛は、とりあえず買っておけば正規の使い方でないにしろ文句は言われねえだろ、と言ったので、その場のいくつかを手に取った。

「これだけあれば大丈夫そうだね」
「それで文句言われたら、まあ俺が何とかする」
「ふふ、頼もしい」

 大量に買ったお菓子でも見せれば期限なんて直るだろうし、いや、そもそも平腹が私たちにお使いを頼んだことなんて忘れている可能性だってある。そう言えば、確かにな、と少しだけ口角を上げた。今日初めての笑顔だったような気がする。

 ☓☓☓

 最後の雑貨屋で買ったものは私の手に、夕日に照らされた道を歩いていたが、不意に私の口から、あ、と声が洩れた。

「どうかしたか」
「いや、付き合ってもらったのに田噛の欲しいもの、買ってないなって思って」

 私はリキュールを買ったし、結構満喫していたまである。しかし田噛は、私に着いてきてくれただけで、お礼ができていない。間に合うかしら、と下を向いて考えると、またしても、お人好し、という声が降ってきた。

「一緒に飲むんだろ。リキュール」
「! うん」

 どうやらお礼はそれで十分らしくて、つい、お人好しはどっち、なんて口にしてしまった。館までの帰路で、次の任務の面子だとか、平腹がこの前部屋をめちゃくちゃにした話だとか、谷裂に捕まると女でも手加減してくれないんだ、とか、そんな他愛のない話。他愛のない話を、重ねた。それも、自然とお互いの歩調に合わせながら。

 無事に夕食までに館に到着した私たちは、買ってきたものを各々に渡す。リキュールだけは、田噛に渡しておいた。それでも少し余ったお金を帰ろうとしていたキリカさんに差し出すと、いいのよ、と私の手に握らせたので、田噛と分けることにした。やはり優しいことに、田噛は私に少し多くそれを分けてくれたのだ。
 そして、一旦部屋に戻ろうか、と顔を合わせ、各々の個室に向かう。私の部屋に先に着き、別れる直前だった。

「ありがとね、今日」
「そんな大したことしてねぇ。……何か困ったときは斬島とか佐疫じゃなくて俺呼べ」
「え! 頼まれてくれるの?」

 まさかの発言に驚いて、ついそう言えば、俺の気分次第だな、と返ってきたので、なにそれ、なんて笑った。それを見て、本日二度目、田噛もわずかではあるが、笑みを零した。じゃあね、と言いかけたところであったが、変わったことに、田噛はまだ私の部屋の前にいた。

「今日の夜空いてるか?」
「うん? 多分大丈夫だよ」
「これ飲むぞ」

 予想外。田噛からの提案が嬉しくて、珍しくて、口角が上がりきるところまで上がってしまいそうだったので、それを抑えようと試みた。それが堪えきれていないらしくて、何笑ってんだ、なんて、結局はいつもの真顔に言われてしまったのだが。ああ、けれど、心做しか頬に赤みが差している気がする。

「うん、わかった。お風呂入ったら――うん、せっかくなら平腹と木舌に邪魔されない場所にしようか」
「わかった」
「寝坊しないでね」
「余計だ、心配すんな」

 じゃあ、あとで夕食でね。そう言って手を振ると、それを見つつも手を振ることはなく、それどころか返事もなく、けれど頷いた彼の、部屋に向かう彼の後ろ姿を見送った。