ちゅーりっぷ

 荼毘からリップを貰った。

『お前、これ似合うんじゃねえの?』

 ……聞き間違いかと思った。

 ソファに仰向けになってそれを眺める。紫の容器にきらきらした金色のラメが散りばめられていて、まるで星空。案外高そうなリップ。蓋を開けてみると、赤色だった。私に赤が似合うと思って買ってきたのだろうか。私も高校生。そろそろメイクに興味を持つ頃なのかもしれない。けれど特に興味もこだわりもないから、よくわからない。でもこの色が単純な荼毘の好みなんて可能性は低いような。手首に少し塗ってみると、光沢のないマットな赤色。案外ピンク。光の加減によるのかも。

「またなんでリップなんて」

 荼毘の意図が汲み取れない。荼毘は私のことを「好きだ」とか「必要だ」とか言う。私は彼のことが好きだ。でも彼のそれは本心なのかと問われれば、私は本心じゃないと思っている。彼の目の先に、私はいないのだから。
 
 彼は私を依存させるのが上手い。私を絶望させてから、優しく触れ、甘い言葉をかける。それだけで私は彼なしで生きられなくなってしまった。我ながら単純な女。雄英高校の生徒は意図も簡単にヴィランの所有物になったというわけだ。
 彼の瞳に私の姿は映らない。彼の意図も目的も、何もわからない。もしかしたら私を殺したいのかもしれないし、ただ都合の良い女だから駒として手元に置いておきたいのかもしれない。
 もしかしたらこのリップは毒――あるいは媚薬かもしれない。でも彼は毒を盛るくらいなら私を燃やす。媚薬を盛るならそんな遠回しなことはしない。たとえその“もしかしたら”が当たったとしても、私には荼毘しかいない。何かあっても後悔はない。だからこのリップを塗ることにした。

 ◇

「……似合うな」

 スタンドミラーに映された自身の姿を見て、一人呟いた。興味ないとは言えど、色付きリップの一つや二つくらいは持っている。友人に誕生日プレゼントでもらったもの。母親に「そろそろ身だしなみに気を遣いなさい」と与えられたもの。でも、そのどちらも私の好みではない上、とても似合うとは言えなくて、引き出しにしまいこんだ。
 でも、このリップは。肌の色とか、私の顔立ちによく似合ってる。本当に似合うからくれただけ? どうしても荼毘のことを疑ってしまう。私は彼のことが好きだと言うのに。何か。何か意図があるはず。
 私の固い頭では、これ以上考えても答えは出てこないので、私は検索にかけた。【男性 リップ 意味】と。
 
 ◇

 鏡に映る自分の唇を数分見つめる。もし、調べた通りの意味なら、荼毘は似合うからくれたんじゃなくて――。なんて考え始めた途端、顔に勢いよく熱が集まった。こんな顔、荼毘に見せられない。自分の顔が見たくなくて、スタンドミラーを伏せた。そう、あくまで平常心で。
 数分間、数十分間が経ち、静かな部屋に流れる沈黙を破ったのは扉の開く音だった。

「帰った」
「お、かえりなさい」

 見慣れた火傷だらけの男が目に入るや否や、私は扉と反対方向を向いた。もし、顔が赤いなんてことがあったら馬鹿にされかねないから。帰ってきた荼毘と目を合わせることなく、そっぽを向いた。荼毘が私の隣に腰を下ろせば、私の座っているソファが少しばかり沈んだ。
 頼むからこっちを見ないで。そうだ、見られる前に拭いてしまおう。なんて思って手の甲を唇に押し当てようとしたとき、荼毘の手によって私は彼の方を向くことになった。

「……つけたのか」
「えっ、あっ…………」

 そう言うと目の前の男は表情一つ変えずに私の唇に視線を集中させる。

「似合う」

 その瞬間、再度顔に熱が集まった。バレたものは仕方ない。荼毘の方に寄って、隙間を埋める。彼と視線を交わらせてわずか一秒。彼の頬に手を添えて、自身の唇を彼のそれに重ね合わせた。先手必勝。
 彼の瞳に映る私と目が合った。そんな彼は今まで見たことないほど目を見開いていた。ファーストキスだけど、彼しかいない私に失うものなんてない。
 たった数秒合わさっていた唇は、私から音を立てると離れた。

「……どう?」

 したり顔で彼を見れば、荼毘は私を鼻で笑った。

「下手」

 そう言えば、彼は私のスマホを手にとった。そして小さくため息をつくのだ。

「こんなことだろうと思ったよ」

 私の前に提示されたスマホ画面は、紛れもなく先程の検索履歴だった。男の人がリップを贈るのは、キスしたいからだと。こんなことだろうと思った。ということは――

「荼毘、私とキスしたいんじゃなかったの?」

 彼はまた私を鼻で笑った。

「ばーか。『似合うと思ったから』って言っただろ」

 ……まさかそれが本心だったなんて。大した意図も何も無いなんて。私の思い込みのせいでより一層恥ずかしくなって俯いた。そんな私を見て、くつくつと笑う荼毘。

「キスしてえならそんな遠回しなことしないだろ?」

 そう言って彼は私の顎を持ち上げた。再度縮まる荼毘との距離。緊張してぎゅっと目を瞑る。下手なんて言うということは荼毘は相当上手いのかもしれない。自分の鼓動がうるさい。ほんの少しばかりの期待を持って、それを待った。
 ――が、数秒、十数秒経ってもその距離がゼロになることはなく。不思議に思って薄目を開けると、彼はそんな私を見て楽しそうに笑っていた。あっさりとかかってしまって馬鹿みたいで。ときめいてしまった自分が恥ずかしくて。思わず顔を両手で覆った。

「まあ、色々おもしれェもん見れたわ」

 そう言って私を撫でる手は少しだけ優しかった。やっぱり彼なことが好きなだけあって、容易に胸が高鳴る。
 そんな荼毘の唇はうっすらと赤く染まっていて。それは時折荼毘が流すような血じゃないことは、私がよく知っている。その赤はワンポイントだからこそ、彼の顔を綺麗に見せた。

「……荼毘、私より似合うんじゃない」
「は?」

 彼の姿にあっさりと先程までの恥は忘れてしまった私。状況を把握できていない荼毘は、やっぱりそれがよく映えていて、艶美という言葉こそ相応しいようにも感じて。

「綺麗だよ」

 素直にそう口にすれば、私はリップを彼の唇に塗った。