祥月

「今日、何の日か知ってるか?」

 髪を巻いている私に言った。鏡越しに、継ぎ接ぎだらけの男と目が合う。私の好きな目の色だった。その質問のせいで髪のセットを少し失敗してしまって、ため息をついてもう一度巻き直した。

「知らないけど」

 やり直してるのはお前のせいだ、と言わんばかりに鏡に映る男を睨めつけた。そんな男は飄々とした様子で壁にもたれて自身のつま先に視線を移した。

「俺の生まれた日」
「……そう」

 使い終わったヘアアイロンのコードを抜いた。男――荼毘はそんな私の肩を抱き寄せる。せっかくの髪がまた駄目になったらどうしてくれるのだろう。

「つまり、何の日だと思う?」

 先程まで下に目線をやっていた彼は、私の目を見た。私の好きな瞳。それに捕らえられては敵わない。何の日か。私には彼の言いたいことがわかっていた。

「轟燈矢の死んだ日、でしょ」
「正解」

 俺の生まれた日と言うのは、彼が荼毘として生まれた日ということだ。つまりは轟燈矢という名前を捨て、荼毘が轟燈矢じゃなくなった日。
 荼毘は私の返答を聞いて口角を吊り上げる。そしてせっかくセットした髪をグシャグシャと乱雑に撫でた。

「ちょっと、」
「いいじゃねえか。そんなめかしこんで、どうせ用事なんかないんだろ?」

 またやり直しかと思ったが、もうセットする必要性など感じなくて大人しく櫛で梳かすだけだった。彼の言う通り、今日は遊びに行く用事も仕事もない。私のテンションを上げるためだけのものだったから。

「それで、どうしたいの?」
「お前を連れて行きたい場所があるんだよ」

 連れて行きたいなんて。着いてきてほしいの間違いなんじゃないの。そんなことは心の中にしまい込み、大人しく荼毘の後を着いていくことにした。

 ◇

 なんとなくどこに行くかの見当はついていた。小さな風に吹かれながら、私たち二人はただ歩く。そこは山の中だった。髪はストレートになってしまったが、今日の私の服装は青いワンピースと黒いヒールのパンプスだ。ただでさえ普段からそんなに歩かないのに、こんなオシャレして来てしまって、これは靴擦れコース確定だろう。そんな荼毘はと言えば、話すことなく私の前を歩き続けた。

 山に入って数十分歩き続けて、ようやく目的の場所にたどり着いた。綺麗に並んだ直方体の石の間を縫うように、荼毘の後に続く。

「着いた」

 私たち二人の前には『轟燈矢』と彫られた石が鈍く光っていた。そんなに大きくはなくて。
 やはり墓参りか。そう思った私は持ってきたお線香をポシェットから取り出した。

「荼毘、火」
「準備いいな」

 荼毘が指先に小さく火を灯せば、私は線香にそれを移す。青い炎が揺らめいているのは不思議で、消すのは勿体なかったが、私は線香を握っていた右手を振ってそれを消した。
 控えめに煙を立てた線香を寝かせれば、私は墓石の前にしゃがんで手を合わせた。

「荼毘もやりなよ」
「いい」
「そう」

 私だけが手を合わせて、私を誘った彼は上から墓石を見下ろしていて、変な感じだった。でも本人からすると自身の墓に手を合わせる方が変な感じなんだろう。
 目を開けると、オレンジ色が目に入った。それも鮮やかな。なんで今の今まで気づかなかったんだろう。

「誰か来たみたい」
「……ああ」

 どうやらそれはキンセンカらしかった。立ち上がって、荼毘の方を見る。彼の目にその花は映っていないみたいで。

「私もお花持ってきたら良かった?」

 彼の顔を覗き込んでそう言えば、少しだけ笑う。

「いらねえよ。どうせ誰も入ってないんだ」
「それもそうね」

 みずみずしい花びらを指で触れると、肌が水を吸収した。荼毘が外柵に腰かける。バチが当たるよと思いつつ、私も彼の隣に座った。

「ねえ、荼毘が轟燈矢――エンデヴァーの息子だって知ってるのは誰?」

 左腕で膝を抱えて、もう片方の手で地面を歩く蟻を潰しながら純粋な疑問を投げた。逃してしまった一匹を目で追いかけていけば、それは荼毘の右足のつま先により潰された。

「名前だけだよ」
「……そっか。許されてるみたいで嬉しい」

 オシャレなんてしてきたが、もうワンピースが汚れることも靴の裏が駄目になることも一切気にしていなかった。髪は、ちょっと残念だけど。

「誰かに言うつもりはないの?」

 膝に顔を乗せて、彼の顔をわざとらしく覗き込んで言う。彼は私と反対を向いてしまって、数秒間の沈黙の後口を開いた。

「いつか、な」

 それからしばらくの間私たちの間に静寂は流れ続けた。私が「帰ろっか」と提案すれば、大人しく立ち上がる。そして長い長い山道を下り、帰った頃にはとっくに日が落ちようとしていた。

 全国に荼毘は『轟燈矢』だということが放送されたのは、それから数ヶ月後のことだった。