薄き香のゆめ
■ ■ ■
キンコンカンコン。お昼休みを告げるチャイムが鳴れば、私は誰よりも先に席を立って赤髪の友人のもとへ走っていった。
「切島、お昼一緒に食べよう!」
「お、おう。いいけど苗字、まだ号令してないぞ……」
しまった! 切島をお昼に誘うことばかり考えてたからついもう授業が終わったのかと……。
顔に熱が集まったままエクトプラズム先生から注意を受けた。それから何もなかったかのように自分の席に戻って、机に突っ伏した。
「苗字今日どうしたん?」
「うん、ウチもびっくりしたって言うか……」
机とお友達になってる私に上鳴と耳郎が声をかけた。うーん、恥ずかしい。
「私もよくわからない……あと上鳴は近寄らないで」
そう言うと上鳴は項垂れながら席へと戻って行った。いつも悪いなあ。でも上鳴が近いと私、倒れちゃうかもしれないし……入試のときみたいに。
「それで、なんで切島くん?」
葉隠が私の机をドン! と叩いたので身体が跳ねた。なんだか楽しそうだな……って、
「あ! そうだ、切島は」
「ここにいるけど」
私の後ろにいた。良かった、他の人にとられてなくて。やっぱり予約って大事。
「切島、さっきオッケーしてくれたよね? 早く食堂行こう! ミートパスタなくなっちゃう」
そう言って切島の腕を引っ張って廊下へと向かうと、芦戸に「デキてんの?」なんて声をかけられたけど無視だ。私は切島を異性として見てないし、それを誰より知ってるのは切島だろう。
そして、半ば強引に切島を食堂へと連行した。
◇
「……で、どうした?」
食堂の中でも端っこの目立たない席に座っていると、切島が大量の水を持ってきてくれた。
「ありがとう……あのね、あの、」
「いつもは環先輩と食べてるだろ? なんでまた俺と」
環先輩。その名前を聞いて、ドキリとした。
「そ、そう! その環先輩のことなんだけど、あのね……あの、その……」
「喧嘩でもしたか? 苗字って意外と喧嘩っ早いもんなあ」
「ん、んん、そうじゃなくて、」
落ち着け、と言われたので切島が運んできてくれた水を飲むことにした。
冷たくてぬるくて熱くて美味しい。なんでこんな色んな温度のを用意したんだろう、切島。冷たいのだけで良かったのに変なとこ気遣わせたなあ。それにしても今日のお水も大変美味しくて。
なんて水の食レポなんてしてごまかしている場合ではない。
「落ち着いたか?」
「ん……」
「それで? 環先輩と食わねえのか? 今日三年生は特に予定ないはずだろ?」
その通り。三年生は今の時期はインターンでもなければ、今日の午後から演習があるわけでもないらしい。
お水を口に含んでから少し悩んで、喉へと流し込んだ。
「あ……のね、私、最近環先輩といるとご飯が進まなくて。ドキドキーっていうか、ドコドコーっていうか」
「……おー…………」
切島は突然スマホを取り出して誰かに連絡をしている。なんだか嫌な予感。冷や汗が出てきた。今いっぱい水を飲んだところだからこそ。
数秒後、切島が口を開いた。随分出るのが早いな、なんて思う暇もなく――
「ファット! ついに苗字が環先輩のこと」
「わ、わー!!」
切島のスマホを奪い取って、通話終了ボタンを押した。あ、危ない……。
「なんだ、苗字自覚はあるのか」
にこにこしながら肩を叩かれた。自覚してるよ。そこまで鈍くないよ。
「ファットさんにこんなのバレたら四六時中からかわれちゃうよ」
そう言いながら残りの水を飲み干した。いつものことながら、十個ほどあったグラスは全て空になってしまった。
「環先輩、今日苗字のこと待ってるんじゃないか?」
「……大丈夫、断り入れたから」
「あらま」
切島は自分のためにとってきて置いた肉をガツガツと食べていた。美味しそうに食べるなあ。
横に添えてあるキャベツの千切りを口に運びながら話そうとするので飲み込んでから話してほしい、としっかり注意をしておいた。そんなに焦らなくても大丈夫だから。
「で、相談相手はどうして俺なんだ? クラスの女子とかは」
「だって〜! 環先輩のこと切島が一番よく話せるんだもの! それに切島って私のベストフレンドだから〜!!」
「酔っ払いみたいだぞ! 大丈夫か!」
そして白い机にまた突っ伏した。
いけないいけない。品がない。こんなんじゃここにもし環先輩がいたら引かれちゃ――
「……苗字さん?」
心臓が跳ねた。恋じゃない方の。焦ってる方のドコドコーってやつ。ご丁寧に『今日は勉強してるのでご一緒できません』なんてメッセージを送ったのが間違いだった。
そう、それは間違いなく環先輩で。横に通形先輩もいて。切島は普通に挨拶してて。
「ご、ごご、ごめんなさいっ!」
空っぽのグラスを全て置いたまま教室へと向かった。ごめんね切島。今度奢るから。
◇
今日何度目だろう。教室の自分の机に突っ伏した。
「うー……食堂を選んだのが間違いだった…………」
小言を少し。いくら広いとは言え、同じ空間にいたらそれは会うこともあるだろう。確実に選択を誤ってしまった。
足をばたばたさせていたら、前の席の椅子を蹴ってしまった。それも結構強く。
「ごめん爆豪くん……」
爆破されたくないので、念のため謝っておいた。それにしてもさっきから前の方でリズミカルな音が刻まれている。
今日のこと謝った方がいいよね。環先輩のことだからすごくマイナスに捉えてるんじゃ……。やだ、次から気を遣って話してくれなくなったらどうしよう! そもそも環先輩に彼女がいたらどうしよう!
懲りずに足をばたつかせていると、舌打ちが聞こえた。わ、爆豪くんを怒らせちゃった。
「ホース女! なんか今日気色悪ィんだよ!」
「えぇ、ひどい」
さっきまでのリズミカルな音は爆豪くんの貧乏ゆすりだったみたい。
気色悪い、なんて言われて落ち込んでしまった。けど普段は別に気色悪くないってことだ。ポジティブにいこう。
「爆豪くん〜、どうしたらいいんだろう〜」
「知るか。悩んでる暇あったら行動しろや」
ごもっとも。爆豪くんの正論が見事に突き刺さった。そうだ、余計なことは考えずにまずは謝ることにしよう。
「ありがとう爆豪くん」
お礼を言うと、見事な無視を決め込まれた。よし、そうと決まれば明日のお昼にでも謝ろう。
ここで私は気づいてしまった――ミートパスタを食べていないことに!
◇
『今日のお昼はご一緒してもいいですか』
一番に登校して席に座り、メッセージを送った。これでもし既読がつかなかったらどうしよう、なんて考えたけれど、杞憂だったようで。すぐに『もちろん』と返信が来たので、喜んで爆豪くんの背中を叩いておいた。
◇
時は来た。決戦の時だ。なんて心の中で呟いて、今日は忘れずに号令を待った。ヤオモモに「今日は忘れませんでしたわね」と小さく笑われながら、食堂へと向かった。
環先輩は、まだ来てないかな。いつも私と環先輩が座る特等席のような、窓側の席に座った。今日はミートパスタも忘れずに。水の入ったグラスを二十個ほど用意して、ゆっくり飲みながら待つことにした。
五分後、環先輩がこちらに向かってきた。わかりやすい猫背で、ああでもかっこよくて。なんて考えた途端に心臓がうるさくなる。
「ごめん、待たせた」
「今来たところです」
今、にしては水が減りすぎてるよね。なんてことはもう考えないことにする。環先輩は相変わらず色々な種類の料理を持ってきた。もちろんアサリは忘れずに。
しばらく沈黙が続いた。いつも何話してたっけな。緊張する。どうしよう。
「あの……」
そんな沈黙を破ったのは環先輩で。この前やっと合うようになった目は私の目なんて見てなくて、少し寂しくなった。
「何でしょう……」
恐る恐る口を開くと、またしても沈黙。
体感一分、きゅっと結ばれていた環先輩の口が再び開いた。
「俺、何か君に嫌われるようなこと、したかな」
むしろ逆です。どうしようもなく好きにさせちゃった。そんな言葉は私の中にしまっておいた。
「そんな、むしろ私……昨日は嘘ついて断ったりして……あと、にげ、ちゃって。嫌われたらどうしようって、ごめんなさい」
下を向く私を見た環先輩がお箸を置いた。
「じゃあ、俺のことは嫌ってない、のか?」
「そんな、私が環先輩のこと嫌いになるわけ……」
焦りながらそう言えば、環先輩が私に安堵の笑顔を見せた。その笑顔、百二十点です。
ようやく緊張が解けて、いつものように話せるようになって来たような。
「良かった……。でも、昨日切島くんと食べてたのは、ちょっとだけ……嫉妬する」
「えっ」
前言撤回。いつものようになんて無理です。
自惚れは良くないので、グラスいっぱいの水を頭から被って頭を冷やした。環先輩がわなわなしていて、そんな姿もすごく好きです、なんて。
環先輩が卒業するまで半年もない。頑張らなきゃ。
2022.05.04