冗談のつもりだった

■ ■ ■

 それは偶然だった。雨の中にお前を見つけた。そう、偶然だったんだよ。雄英高校の制服はその雨のせいで濡れて、ガキのくせに一丁前に下着なんか透けさせてやがる。こんな雨で傘も差さずに、誰か待ってんのかよ。
 俺が名前の正面に立つと、肩をぴくりと揺らした。けれど決して目は合わないし、合わせようともしない。

「ンだよ、泣いてんの?」
「ちがっ……」

 名前の目は少し赤くなっていて、大体の見当はついた。雨だかコイツの涙だかわからない、目から落ちる滴を親指で拭ってやろうとすれば手を払い除けられた。咄嗟に出ちまったんだろうけど、そんな自身の行動にハッとしたように上を向いた。そんな焦らなくても燃やさねえよ。けれどまあ、やっと目が合った。

「慰めてやろうか」

 わざとらしく手を伸ばすと、名前はあまりにもあっさり俺の手を取った。こんなの他の奴らに見られてたらまあ浮気現場ってところだが、あんなクズより俺の方が幾分かマシだ。――いや、同レベルかもな。そんなことを一人考えては一人笑って、名前の小さくて綺麗な手を引いた。このまま濡らしておくのもアレだから、とりあえず俺が今住んでるとこまで連れて行くことにした。

 ◇

 目的地に着くや否や、ご丁寧に名前は小さな声で「お邪魔します」と言ってローファーを綺麗に揃えた。相変わらず育ちのいいことだ。適当に着替えを用意してやるから、とシャワーを浴びるよう伝えた。
 素直に浴室に入っていったのを見て、俺はベッドに座って煙草を吸う。美味いか不味いかで言われると、まあ不味い。あくまで名前が上がるまでの繋ぎとして吸ってるだけだ。こんなモン吸っても身体に毒なだけだし、ただの暇つぶしに過ぎない。
 灰皿に軽く灰を落としてからベランダへと視線を移す。まだ雨が降っていて、いい気分ではない。

「ありがと」

 今度は声がする方に視線を移せば、名前がタオルで髪を拭きながらこちらへ向かってきていた。コイツの身体には少し大きいスウェットを身につけて、こちらへと。名前が俺の座っているベッドに腰を下ろして来たから、俺は煙草を灰皿に放り込んだ。

「……吸うんだ」
「まあな」

 名前のことはよくわかんねェ女だと思う。普通科だとしても、最高峰の雄英高校の生徒がヴィランの俺と平気な顔してつるんでやがる。いつ俺はお前のことを燃やすかもわかんねェのに。
 ベッドに座っては落ち着かなさそうにしてたから、仕方ないから聞いてやることにした。

「……で、どうした」

 名前は俺の顔を見たと思いきや俯いて、重々しい口を開いた。

「……彼氏がね、やらせてくれって怖いの」
「あ? 何だそりゃ」

 そんなつまらねェ理由に思わず笑ってしまいそうだった。そんなことにコイツは深刻そうな顔をして、涙まで流したってのか。ま、コイツの男も高校生だしそういう年齢なんだろう。これでカレシが雄英の生徒だったら流石に馬鹿らしいけど、まあ雄英じゃないならそんなめでたい頭も納得だわな。

「私、そういうの考えたことなくて……」
「へぇ」

 そりゃそうだろうな。こうやって男の家に上がり込んで来るとことか、余程の馬鹿しかやらねェからな。俺は震える名前を抱きしめるようにして頭を撫でてやった。名前も名前だ。俺に身を預けるようにもたれた。

「ま、好き同士ならいいんじゃねえの」
「……私、は…………」

 口ごもってしまった名前に動きを止めた。察しはつく。やるやらない以前にコイツ、彼氏とあんま上手くいってないからな。いっつもあのクズに泣かされて俺のとこに来る。そんな男別れた方がいいんじゃねえのか。

「私、これから上手くやっていける自信ない……」

 そう言って膝を抱える名前を見て、思わず口角を上げてしまう。性格なんて悪くて結構。とっくの昔に諦めてるさ。俺はコイツを好きなわけじゃない。無理して笑って、あんなクズのために涙なんか流して。そういうとこに腹が立つだけだ。だから、この苛立ちを収めるためにも俺は訊いた。

「名前はカレシのこと、好きなのか?」

 名前は驚いたように目を見開いてから、横に首を振った。そしてその水を含んだ小ぶりな朱色をした唇をまた開く。

「好きじゃ、ないよ」

 それは好都合。俺は抱きしめていたコイツの手を取ってシーツに縫い付けた。恨むならベッドに座ったことを、男の部屋に上がり込んだのを、――俺が男だったのを恨め。周りの友人じゃなくて、俺みたいなクズに相談したことを恨め。

「俺のこと、好きだろ?」

 “ノー”が返ってくるのを知っているから、それより先に首筋に歯を立てた。小さく声が上がった。
 顔を離して、名前の顔を見る。青ざめた顔色とか、軽蔑したような目とか、そんなのを想像して名前を見たんだ。

「……は、」

 名前の顔は、とても“ノー”といった顔ではなかった。頬は紅潮していて、瞳は潤んでいた。とても俺の手を払ったりしない。
 何でだよ。火傷だらけで気持ち悪いだろ。なんでそんな表情カオすんだよ。何でそんな好きな奴にするみたいな表情してんだよ。

「なあ、」

 何でだよ。何で敵相手にそんな蕩けた表情見せんだよ。嫌なら拒めよ。俺のこと吹っ飛ばせばいいだろ。
 名前は俺を拒否するどころか、俺の首に腕を回してきた。そして次の言葉に、耳を疑う。

「荼毘なら、いいよ」

 冗談でもそんなこと言うな。簡単に男にそんなこと言うな。処女を俺みたいなやつに渡すな。
 そんな俺の心情とは裏腹に、俺の手はコイツの身体をまさぐる。
 なあ、嫌なら拒めよ。もっといい男いんだろ。手、震えてんだろ。もうお前を襲う準備はできちまったんだ。だから早く俺のことが嫌いだって――、

「……否定しろよ」

 返事を聞く前に今度は、名前の唇を塞いだ。


2022.08.01